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早乙女貴美子「金日成、金正日の独裁国家形成の過程」

 

国名:朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮と表記する)

人口:2,250万人(2003年)

首都:平壌(ピョンヤン)

人種:朝鮮民族

言語:朝鮮語

宗教:仏教徒連盟、キリスト教徒連盟等の団体があるとされるが、信者数等は不明。

(外務省ホームページより http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/data.html

 

近年テレビなどでよく見かける北朝鮮についての報道。貧困に苦しむ人々の姿から拉致問題まで様々な内容の報道がなされているが、数あるニュースの中で、私は衝撃的な映像を目にした。

ある韓国の道沿いに韓国と北朝鮮の友好を表す垂れ幕が掲げられ、その幕には金正日の姿が印刷されていた。そこをたまたま通りかかった“喜び組”の女性たちがそれを見て号泣し、叫びながらその垂れ幕を剥がす・・・というものである。「将軍様の顔写真が雨風にさらされることに我慢ができなかった・・・」と彼女たちが訴えるシーンを見て、私は更に衝撃を受けた。彼女たちの母国、北朝鮮の現指導者である金正日と、死後もなお慕われ続けている金日成という人物は、なぜこんなにも熱狂的な支持を受けているのか・・・

その理由を、北朝鮮という国の成り立ちから調べていこうと思う。

 

金日成(本名:金成柱 キム・ソンジュ)

 1912415日、平壌郊外の農家の長男として生まれる。

母親は熱心なクリスチャンで、金日成も幼いころは教会に通っていた。

父は金日成が7歳のとき、家族を連れて満州に移住し、朝鮮人相手の漢方医になった。

ここで金日成は中国人向けの中学校に通う。

1930年(当時18歳)満州国が誕生した年、南満州で朝鮮人が組織した抗日遊撃隊に参

加する。同年、この遊撃隊は中国人が総司令官を務める東北抗日連軍に統合され、これ以来、中国共産党の指示を受けるようになる。しかしその後、この組織は満州に駐留していた日本の関東軍の弾圧を受け、金日成はソ連に逃げ込む。

日本との戦争の可能性を考えていたソ連軍は、日本人との戦闘経験のある中国人、朝鮮人の部隊を結成し、金日成はソ連軍大尉として第一大隊を率いることになるが、終戦まで日本軍と戦うことはなく、ここで訓練を受けていた。

ソ連で金貞淑(金正淑)と結婚し、1942216日、ウラジオストック近くの軍の野営地で金正日が生まれる。1947年に次男が生まれるが、平壌の自宅の池で溺死する。

 

“伝説の”金日成将軍

 北朝鮮の公式伝記によると、金日成将軍は1932年〜45年までの間に日本軍と10万回の戦闘を繰り広げ、全勝したとある。一体1日に約20回もの戦闘をどのようにして戦っていたのだろうか。第一、上記によれば、彼は日本軍とは戦っていないことになる。このことを隠すために、北朝鮮の公式伝記には、金正日の出身地は北朝鮮の「霊峰」白頭山の野営地であるということになっている。金日成将軍は朝鮮半島で日本軍と戦っていたとされているのに、息子がソ連で生まれたのであっては辻褄が合わないからだ。

 

北朝鮮による公式文書では「抗日遊撃隊を率いて19458月に日本を打ち破って凱旋将軍として帰国した」=「金日成が日本軍を打ち破った」とある。

しかし、ソ連の明かした資料によると・・・

「金日成はソ連軍が北朝鮮を占領して1ヵ月後の19459月にソ連極東軍大尉としてソ連の軍用船で元山(ウォンサン)に上陸した」・・・とある。

つまり、  ×金日成が日本軍を打ち破る

      日本が連合軍に降伏した後ソ連軍によって北朝鮮に連れてこられた 

                            ・・・ということである。

 

二つの国家の正立 

日本の敗戦とともに植民地から開放された朝鮮半島は戦勝国となった。終戦間際に突如「日ソ不可侵条約」を一方的に放棄して参戦し朝鮮半島になだれ込んだソ連は、いち早く平壌を押さえ、朝鮮半島北部に自分たちの言うことをきく『衛星国家』を成立させようとしていた。しかし連合国の話し合いでは、朝鮮半島を一度連合国が占領した後、朝鮮民族の独立国家建設を支援するということになっていたので、国連は194711月、その方針にのっとって、国連の監視下で南北総選挙を実施することを決議した。衛星国家の樹立を目指していたソ連は、38度線を挟んで朝鮮半島南部の国連と対峙することになった。

 米ソの綱引きの結果、1948815日、朝鮮半島南部にアメリカ主導で大韓民国が樹立された。同年99日には北部に朝鮮民主主義人民共和国が成立し、ソ連軍大尉であった金日成が共和国初代首相に任命された。このときアメリカは、とりあえず南北にそれぞれの国家を樹立させた後、話し合いで統一国家をつくればいい、と考えていたフシがあるようだ。

 大戦後の混乱の中で米ソ二大強国の思惑によって二つの国家が樹立された。その後起きた朝鮮戦争によって軍事境界線が確定し、朝鮮半島は南北に分断されたのである。

 

偽者疑惑

金成柱という人物は、なぜ金日成と名乗るようになったのか。北朝鮮の公式見解によると、金成柱は昔のゲリラ仲間から「民族の太陽となれ」という意味を込めて“金日成”という名前を付けられた、とある。しかし一方で金成柱本人が“伝説の金日成将軍”の経歴ごと自分のものにしようとして、現在の名前を名乗るようになったという説もある。

 

  33歳の朝鮮人である金成柱はソ連極東軍第88特別旅団の大尉として19459月にソ連軍と共に平壌に凱旋した。当時の朝鮮では金成柱という一大尉の名前などほとんど知られていなかった。そこで彼は、朝鮮では「偉大なる抗日パルチザンの英雄」として有 名であった「金日成」の名前で帰国した。

 

19451014日、平壌でソ連軍を歓迎する式典が行われ、金日成(金成柱)が演説をすることになった。「あの金日成将軍が演説をする!?」ということで、会場にはその姿を一目見ようとたくさんの市民が集まった。金日成という人物は、日本の朝鮮統治時代に白頭山を本拠地として、日本軍を相手にゲリラ戦を指揮し、敵からは鬼のように恐れられ、仲間からは慈父のように慕われたという伝説の英雄で、1920年〜30年代に活躍していたという。その活躍の期間から、金日成将軍はかなりの年配であるはずだったが、演壇に立ったのは33歳の若い男だった。演説中に市民から「金日成の偽者だ!」という声がおこり、警備をしていたソ連軍が威嚇射撃を行って鎮めなくてはならない程の騒ぎになった・・・という、偽者説を裏付けるかのような出来事があったそうである。

 

上記の出来事からいくと、偽者説はかなり有効であると言える。

 

こうして金日成は国のトップになった

   スターリンは北朝鮮においてソ連の影響力を残すのに最適なリーダーを決めようとしていた。19467月、2人の朝鮮人リーダーをモスクワに招聘し、面接を行った。これをもとに、スターリンは“ソ連に好都合な指導者”は金日成であるという結論を下した。

金日成が首相に就任したとき、彼は「朝鮮民主主義人民共和国の領土は朝鮮半島の全体である」と演説した。つまり、「本来は朝鮮半島全体の国家であるが、とりあえず北半部だけでスタートする」という理屈だ。いずれは南半部も取り込むことで、朝鮮民主主義人民共和国が正式に成立するということになる。

朝鮮戦争が終わると、金日成は権力基盤の強化を始めた。まずは自分のコンプレックスであった抗日ゲリラ各派の人物を一掃。彼らに戦争に勝てなかった責任を押し付け、裁判にかけ、死刑にしていった。また、北朝鮮政権内部にいた金日成に対する個人崇拝に懸念を示す人々、金日成を排除しようとする動きに先制攻撃を加えた。朝鮮労働党の内部のソ連共産党寄りの考え方を持つ人々、中国共産党寄りの考え方を持つ人々も粛清した。195658年にかけて粛清の嵐が吹き荒れた。こうした動きにより、次第に国は“金日成の教示が全て”という体制になっていった。

  権力のトップレベルの粛清が終わると、今度は一般民衆レベルまで粛清を徹底させた。これは朝鮮労働党による「集中指導作業」と呼ばれた。国民に密告が奨励され、糾弾集会を開き、住民同士が互いに告発し合うように仕向けた。自分が生き残るために他人を密告するということも起きた。こうして「罪状」が確定すると軽い者は平壌を追放され、山間僻地に追いやられた。次に重い者は労働強化所という強制収容所に送られ、更に重い者は逮捕、処刑された。

この集中指導作業は国家のあらゆるレベルで行われた。朝鮮労働党の党員や政府の幹部、人民軍でも相当数が追放や処刑にあった。

 

個人崇拝の確立

  こうして北朝鮮国内では、全てのレベルにおいて金日成には逆らえない体制が確立した。これに合わせて、金日成の個人崇拝が本格化していくことになる。全国各地には銅像や肖像画がたくさん置かれ、また、彼の名を口にする時には「敬愛する領主」という形容詞が必ずつくようになった。1973年の半ばから北朝鮮国民は左胸、心臓の真上に忠誠を誓うという証に金日成バッジをつけるようになった。金日成の立ち寄った農園には巨大な記念碑が立てられ、たまたま座った道端の石は丁寧に磨き上げられ、神石となり博物館に安置された。

経歴のねつ造が行われ、彼の父親、祖父、曾祖父までもが反封建主義、反帝国主義の活動家だったという「革命家系」の経歴もつくった。これはやがて「革命家系の後継者」としての金正日への権力継承に道を開くことになる。このとき、金日成の過去を知っている人物のほとんどは、粛清され、姿を消した後だった。

  

(参考文献・・・そうだったのか!現代史パート2:池上彰  著     集英社

        来た、見た、撮った!北朝鮮  :山本皓一 写真・文  集英社)

 

今回、北朝鮮の成り立ちなどを調べて、現在の北朝鮮で生まれ育った人たちの多くが「金親子を神のようにたたえる国家しか知らない」ということだ。金政権が発足してすぐの頃は、みんな心の中では金日成をたたえてなんかいなかったかもしれない。だが生き残るためには、進んで彼に忠誠を誓うという態度を示すしかなかった・・・。だが現代は少し違っている。彼らには金親子を崇拝する以外の選択肢がないのだ。彼らに幼いころから叩き込まれた「忠誠心」は、とても強い。

どこで聞いたかはあまり詳しく覚えていないが、北朝鮮を脱出したある男性が「若い頃は金日成著作品集を熱心に読み、偉大な金日成将軍は自分たち国民のために、日々その身を削って努力なさっている・・・と信じて疑わなかった」と語っていた。現代多くの北朝鮮国民は、彼のように金親子を崇拝することに何も疑問を持たず、またそれが当たり前と感じているのではないかと思う。

 

北朝鮮という国には、拉致問題など、まだまだ不透明な部分が多く残っている。これからこの国はどうなっていくのか・・・気になるところである。