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神戸麻美子 「日本国憲法の改憲問題について−第9条編−」

 

我々の住む日本は、立憲政治によって統治されている。そしてその政治を支える憲法こそが日本国憲法であり、約60年間にわたり変わらぬ姿で我々日本人の理念を代弁してきた。だが、そうした憲法も今や時代の流れの中でその存在の在り方が改めて見直されてきている。そして、現在大きな議論を呼んでいるのが、周知の憲法改正問題である。

憲法は、日本という国そして国民の理念そのものである。私は今回この憲法第9条改正問題について取り上げることで、憲法のその意義と在り方について改めて考え、憲法改正に向けた国民投票があるとすれば、このレポートを通して考えたことを自分の一票に託すことで、一国民の役割を果たしていきたいと思っている。

 

 議論に入る前に、まずは実際に憲法第9条とはどういうものなのかを見直してみようと思う。以下に原文からの抜粋を載せる。

〔憲法第9条(原文)〕

1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

こうした憲法第9条であるが、その解釈には様々な説が唱えられており、とりわけ自衛権については、次のような解釈がなされている。

憲法9条全体の解釈に関する4説〕 

自衛権を含め一切の戦争行為及び戦力を否認しているとする説

2.自衛権は否定していないが戦争行為は否認しており、そのための戦力も認められないとする説

3.自衛の範囲内ならば戦争も戦力も認められるとする説

4.個別的自衛権は認めるが、集団的自衛権は認めないとする説

現在の政府(主に自民党)の9条全体の解釈は、「日本には集団的自衛権の権利はあるが、憲法(9条)上行使はできない」という一方で、「自衛のための必要最小限を超えない“武力”を“自衛権”を超えないようにして使うのは憲法違反にならない」という態度を示している。このため、自衛隊はその活動を拡大しつつあるというのが現状である。この自衛隊の規模の拡大の背景には2つの理由があり、1つはアメリカからの要求であるといわれている。アメリカは1950年代以来一貫して自衛隊とアメリカ軍とが共同作戦を行えるようにしてほしいと日本に求めており、日本は日米安保の関係もありアメリカとの関係を重視しているので、自衛隊の規模や活動の拡大もアメリカの要求に沿って行われていわれている。もう1つの理由は、1992年からはじまった国連PKOへの自衛隊の参加である。国連が行う平和維持活動に自衛隊が積極的に参加することで、日本政府としては国際社会における日本の地位や発言力を高めたいという狙いがあり、また、将来的には日本も安全保障理事会の常任理事国になって大国としての地位を得たいという思惑もあるようだ。だが、安保理の常任理事国はアメリカやロシアをはじめとした軍事的な大国ばかりであるので、常任理事国になれば積極的に軍隊を紛争地に派遣する必要にも迫られることになる。そのため、日本が自ら望んで安保理の常任理事国になろうとするならば、憲法9条の改正が必要になってくることは間違いない。

このように見てくると、現在の日本国憲法の平和主義と、日米の軍事的な関係、つまり日米安保体制には矛盾があるように思われてならない。現行の憲法の平和主義を守ろうとすれば、その理念に背きかねない現在の我々日本とアメリカの行動はもっと自粛すべきものとなるだろうし、対アメリカとの関係を重視するならば、多少なりとも現行の憲法で規定されている「戦力の不保持」の緩和や集団的自衛権を容認せざるを得なくなってしまう。そして、それは日本の世界的な戦争への“参戦”を意味することになる。この憲法第9条の改正問題は、我々国民に今後の日本の平和主義のあり方を問う重要な問いであることに他ならす、仮に国民投票が実行されることになるならば、この議論に終止符を打つのは将に我々国民であるから、私たちは責任を持ってこの議論について考える必要がある。現在この9条を巡る改正問題には、賛成・反対それぞれ様々な意見が述べられているが、これらの意見を簡潔にだがまとめ、私個人としての見解を後に述べていこうと思う。

 

 さて、憲法改正問題には様々な見解があるが、日本を支える政府の動向を知るため、各政党の意見を中心に主に改憲派の意見と護憲派の意見をまとめていきたいと思う。

 まずは、日本における改憲派の意見を以下にまとめてみた。現在まで改憲の姿勢を保持し続けてきた自民党は、自立した国民意識のもとで日本の基本を変え、さらに自衛隊を自衛軍として位置付け集団的自衛権の行使を容認する「新憲法制定」へ向けて、昨年11月には新憲法草案を発表した。現行の憲法第9条はこの新憲法草案下において以下のように改定されている。

自民党の新憲法草案

第二章 安全保障(旧戦争の放棄)

9条(平和主義) 

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

(第二項は削る)

9条の二(自衛軍)

1.我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。

2.自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

3.自衛軍は、第一項の規定による日本における護憲派任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

4.第二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。

さらに、新憲法制定のための「日本国憲法改正国民投票法案」及び「国会法の一部改正案」の早期制定を目指す姿勢を取っている。

また、民主党においては、現在の憲法が政府の都合によって恣意的に解釈され運用されるというわば「憲法の空洞化」の現状を指摘し、このままでは憲法に対する国民の信頼感はますます損なわれてしまうと主張している。この状況を克服し、国家権力の恣意的解釈を許さず、立憲主義を基本に据えた、より確かな憲法の姿を追求するため、民主党は、過去ではなく未来に向かって創造的な議論を推し進め、日本国憲法が高く掲げる「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの基本原則をさらに深化・発展させるという姿勢のもと、憲法改正の姿勢を示している。

 さらに、これら各政党以外の改憲派の意見としては、独立国であれば必要最低限の防衛力を保有するのは当然の権利だとする見解−ちょうど個人に正当防衛の権利が認められているように、他国から攻撃を受けたときに応戦し、国土と国民を守ることは独立国にとって憲法に記すまでもない当然の原則であるとする見方−もある。そのため、自衛隊は日本の再軍備にもつながらないし憲法9条に違反するものでもないという立場を主張している。確かに国連を中心とした集団安全方式が十分に機能していれば、国家が軍隊を持つ必要がなくなるが、現状において国連は世界の平和を維持するだけの十分な権限も組織もなく、その代わりに安全保障理事会の常任理事国をはじめとした大国がその肩代わりをしているという状態が続いているため、世界の様々な地域で戦争や内戦は続いており、日本の周辺でも国際間の緊張関係が存在している。こうした中で日本が防衛のための戦力を一切放棄することは非現実的だというわけであり、自衛隊という日本防衛のための組織は「実力」であって、9条が禁止している「戦力」ではないとする見方である。

 

一方、共産党や社民党は、日本を「戦争する国」にしないために、現行の憲法を堅く守り抜く姿勢を貫いている。とりわけ共産党については、上記の自民党の改正案について、“第9条2項を改変し「自衛軍」を明記することは、「戦力不保持」と「交戦権否認」が担ってきた参戦への「歯止め」を取り払い、日本を「海外で戦争する国」に変質させることになる”と主張し、それは「戦争放棄」を規定した第9条1項を含めた9条全体を放棄すること、さらには、アジア諸国と世界に対する不戦の誓いや国際公約を破棄することになり、日本の国際的信頼は大きく損なわれることになるだろうと述べている。また、社民党については、憲法“改悪”につながる国民投票法案に反対し、日本国憲法の理念を具体化するため、「平和的生存権」を実効的に保障するための「平和基本法」や、国是である非核三原則を法制化するための「非核基本法」を制定する姿勢を取っている。さらには、肥大化しつつある自衛隊の装備や規模を必要最小限の水準に縮小・再編し、イージス艦、軽空母、空中給油機など攻撃的な装備の保有は認めないとしている。また、公明党については、現憲法が戦後の日本の平和と安定・発展に寄与したことを高く評価しており、国民主権主義、恒久平和主義、基本的人権の保障の憲法3原則の堅持、さらには憲法9条についてもこれを堅持すると主張しながらも、時代の進展とともに提起されている環境権やプライバシー権などの他の権利等については「加憲」するという微妙な立場をとっている。

 さらに、これら各政党以外の護憲派の意見としては、日本の戦後の経済発展は国家予算を軍事費につぎ込まなかったから可能だったのではないかという観点から、9条を単なる理想とせず実現可能な目標として位置付け、平和憲法を持つ日本が率先して自衛隊の規模を縮小していく必要があるということを主張している。

 

 では次に、こうした憲法改正問題について国民はどのような傾向を示しているのかを見ていきたいと思う。2005年5月3日に朝日新聞が公表した世論調査では、次のような結果となった。まず、「憲法全体をみて、いまの憲法を改正する必要があるかどうか」という質問に対して、「改正する必要がある」と答えた人が56%であり、その56%の人に「憲法改正は差し迫った問題だと思うか」と尋ねたところ、「差し迫った問題」と答えたのは全体の30%、「全面改正にすべきだと思うか否か」を尋ねたところ、「全面改正すべき」と答えたのは全体の10%に過ぎなかった。さらに憲法第9条については、「憲法第9条を変える方がよいかどうか」という質問に対して、「変える方がよい」は36%、「変えない方がよい」が51%であり、憲法第9条改正論は、多くの国民にとって魅力的ではないようであった。また、「日本は憲法第9条で戦争を放棄し、戦力は持たないと決めているが、この第9条は、日本の平和と繁栄にどの程度役立ってきたと思うか」という問いについては、「大いに役立ってきた」が26%、「ある程度役立ってきた」と答えた人が50%であった。他方、「憲法第9条について、“日本が自衛隊を持っている実態に合わない”、という指摘があるが、憲法第9条と自衛隊の関係についてあなたの考えに最も近いのは、次のうちどれか」という問いについては、「自衛隊は今のままでよいが、憲法を改正して、その存在を明記する」と答えた人が58%、「自衛隊ではなく普通の軍隊とするために、憲法を改正すべきだ」と答えた人が12%であった。

このような調査結果から、国民の傾向としては、現在の自衛隊の存在やその活動を世界的に認めるために憲法を改正した方がよいとする見方が比較的強く、積極的に自衛隊を“軍”にし、参戦を容認する姿勢を示す国民はほんの少数に過ぎないということが分かる。さらにこのことから、積極的に改憲しようとしている自民党らの政党と国民との間には、改憲に対する姿勢に大きなズレが生じていることが読み取れる。

 

 以上のことを踏まえ、以下に私の意見を述べていきたいと思う。私がまず始めに取り上げたいのは、自衛隊の存在とその役割についてである。自衛隊が現在様々な国内・国際的平和活動に参加しているのは自明のことであり、その存在意義は大きいと私は思っている。しかし、現行の憲法において自衛隊を位置付けることは非常に難しいと思う。なぜなら、9条のあの数文で日本の自衛権・集団的自衛権等の国防の在り方全てを読み取ることなど当然できないし、その中では解釈次第で自衛隊という組織は合憲にもなるし、違憲にもなるからだ。だから私は、現在の自衛隊の存在や役割、活動を認めた上で(イラク派遣などの行動を見直すべき活動もあると思うが)、現行の平和主義を維持しながらも自衛隊の存在を認める憲法に改正すべきだと思う。そこではもちろん集団的自衛権の行使は容認しないし、アメリカの好戦的意向に沿うような、迎合的な活動はしないときちんと定義する。個別的自衛権については、私はあっていいと思うが、それを行使する場合には、より慎重に詳細に行動基準を政府レベルで定めていく必要があると考えている。それには、自衛隊の活動や役割、そして自衛としての行動基準についてもきちんとした定義を設けるべきだし、改めて日米安保体制を見直し、アメリカとの協議の場を持つことも必要だと思っている。さらには、諸外国−とりわけ日本に植民地支配されたアジアの国々−に対して、日本の好戦的姿勢のないことを政府間レベルで理解してもらえるよう努めていくことが重要であると考える。特に日本の首相の靖国神社参拝は、それら諸外国の不安の掻き立ててしまう負の要因の一つであるから、参拝問題についても、もっと慎重に対処すべきであると思う。これにはまず、“日本と日本に植民地支配されたアジアの国々との間には、戦争に対する捉え方の相違がある”ことを理解していくことが重要ではないだろうか(文化的な差異から生じる相違ももちろんあるが、大きな違いはやはり支配した側とされた側の立場の相違であろう)。さらに、この自衛隊の位置づけについては、海外でも頭を悩ませている。日本では、その言葉の曖昧さから、解釈しだいで自衛隊の位置づけも変わってくるが、しかしながら、海外から見たら自衛隊は立派な“軍隊”と成り得てしまう。なぜなら、自衛隊は英語に訳せば、Japanese armythe Japanese Self-Defense Forcesにしかならないからである。そういった面では海外諸国に対して誤解を生じやすく、そうした現状と日本の意向(解釈)に矛盾があると見なされれば、日本は国際的な信用さえも失ってしまう。その意味でも、自衛隊の位置付けをきちんと行うことは、日本にとって必須のことではないかと思えてならないのである。 

 また、私のような見解下での「憲法改正」であっても、改正は改正であるから、こうした姿勢が現在の優勢政党である自民党などに有利に解釈されてしまえば、憲法改正は私が思っているような改正の域を超えて、いわゆる改憲派の“アメリカへの迎合”“日本参戦”に向けた道筋をまっすぐ進んでいってしまう可能性も有している。さらに、実際日本国憲法を読んだことのない日本人が多数存在する現実の中で、それらの国民がその意向を深く考えもしないまま、各政党にいいように煽られてしまう可能性もないとは言い切れない。国民投票がどのような形で行われるかは分からないが、一つしかない票がどれだけものを言えるのか、その一票の中にどれだけ自分の意思を込められるのかは非常に難しい問題であるといえる。しかし、少なくともこの憲法改正問題については、公正に、そしてできるだけ正確に国民の意見を反映してもらいたいというのが、私の切なる願いである。しかし、今後憲法がどのように再編あるいは継続されていったとしても、その行く末を責任を持って見届けていく、それが我々日本人の使命であるといえるだろう。

 

 最後に、このように様々な観点から9条改正問題を見てみると、その問題の深さに改めて驚かされたように思う。そして、9条の改正を改めて考えたとき、日本の平和主義の在り方について非常に悩まされた。現状の平和主義に合わせて“憲法を変える”のがよいのか、それとも現行の憲法が示す平和的理想主義の実現に向けて“現状を変える”のがよいのか。今ある現実を生きることは非常に大切なことだが、現実を重視しすぎて理想を失ってはいないか、そんなことを考えさせられた内容であった。世界にはまだまだ多くの考えるべき問題・解決すべき問題が存在している。その中で、日本人としてどのように考え、どう行動していくかを示す指針としても、この憲法改正問題を考えていく意義は大変大きいと私は思っている。

 

<参考文献>

「ウィキペディア 日本国憲法」http://ja.wikipedia.org/wiki/ 

「自由民主党−憲法改正のポイント」: http://www.jimin.jp/jimin/jimin/2004_seisaku/kenpou/

「憲法メディアフォーラム」http://www.kenpou-media.jp/

「クロ箱index 小論文・自衛隊と憲法9条」:http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/