masuhot030114 「現代政治の理論と実際」レポート

「金正日の後継者候補・金正男と北朝鮮の関係について」 012976 増保智久

 

1.金正男について

 以下の内容は、主に次のサイトからの情報によるものを抜粋、要約したものである。

 なお、Aのサイトの記事の情報源は、月刊朝鮮に「脱北した北朝鮮ロイヤル・ファミリーの最側近」という者から中国を経由して送られたファクシミリによるものである。

 

@     金正日・金正男、愛憎の父子関係

A     李韓永殺害は、金正男の指示を受けた李昌善が指揮した

 

(1)金正男の出生の秘密

 2002年の時点で、金正日の夫人は、最初が成恵琳(63)であり、2番目が金英淑(50)、3番目は、高英姫(47)であるという。現在、金正日の後継者候補とされる長男・金正男の母は成恵琳で、次男・金正哲(キム・ジョンチョル:1981年生まれスイス、ベルン国際学校に在学中?)の母は高英姫である。

 金正男(キム・ジョンナム)は、1971510日に金正日と(ソン・ヘリム)の間に生まれた、金正日の長男である。しかし、母親の琳(人気映画女優)は、実は、人妻(夫は当時、金正日総合大学の研究者で、作家・李箕永(イ・キヨン)の息子のイ・ピョン)であったため、儒教思想を重んじる北朝鮮の習慣から、当初は、金日成に秘密裏に育てられた。

この成恵琳は、金日成から結婚を認定されないことから憂鬱症にかかり、金正男を産んで数年も経たずに、金正日が別の女性(金英淑:金日成が定めた妻)を迎え、高英姫をはじめとする他の女性との生活を整えると、不眠症、神経衰弱症、不安発作等、更に酷い憂鬱症にかかり、1974年からモスクワに行き、病気治療を行って暮らした。成恵琳の姉の成恵瑯(成恵琅)がモスクワを脱出したとき、成恵琳もスイスまで同行したが、モスクワに戻った。現在は、ロシアのモスクワ郊外のある安家に泊まり、病身の治療を継続しているといわれる。

 その西側に脱出した成恵琅が、20001226日に出版した「藤の家」という本における、金正男に対する記述(上記Aのサイトより)によると、秘密露出を厳禁だとして、垣根の外の世間と徹底して隔離された状態で1人の友人もなく、交際から生まれる喜びを知らずに、奇形的に育てられ、合法的に(金正日を怒らせずに)行けるところは、病院しかないような環境であり、さらに、政治に忙しい金正日は、金正男を放任し、教育をさせなかったとある。

 しかし、そのサイト内の別の記事(上記@のサイトより)には、金正日は成恵琳との関係は隠そうとしたが、息子の正男は誕生(1971年)してから1980年にスイスに留学させるまでの間、溺愛していたというのがあり、どちらが正しいのかは分からないが、変わった境遇の下に金正男は誕生したことに変わりは無い。また、幼い頃から現在に至るまで、非常に裕福な暮らしをしてきたことは確かである。

 

(2)金正男の経歴と主な事件

 以下に、金正男の今までの主な事項の年表をまとめる。

 なお、内容の情報源は、上記サイト@、A内で触れている、金正男の母である成恵琳の姉・成恵瑯の息子、李韓永(金正男の義理の兄)が1997年に殺害(金正男が指示したと言われる)される原因になったとされる199667日に東亜日報から出版された「大同江ロイヤル・ファミリー、ソウル潜行14年」である。

 

1971510

金正日と琳の間に長男として誕生

1980年春

スイス、ジュネーブ国際学校入学

(この時フランス語、英語を習う?)

1982年春

帰国(家の付近で韓国の自動車が目にとまったため?)

モスクワのフランス大使館学校で学業を継続

(この時ロシア語を習う?)

1984

再びジュネーブに戻り国際学校に編入

1989

留学生活を全て終えられないまま、帰国

1990年代

東平壌官邸(85号官邸)に縛っておかれ、外を歩き回れないようにされ、監禁同然の生活をおくる

(金正日はすでに他の生活を固めていたがゆえに、金正男が住む官邸にはほとんど来ることもなく、金正男の世話もしなかった)

1991518日夜1時頃

不意に家を訪問した金正日に、友人を家に呼んで遊んでいたのを見つかり、叱られる

1993

「高麗ホテル」の地下のナイトクラブで、他の客と女性をめぐって口喧嘩がおき、トカレフTT33を真似して作られた、北朝鮮製58拳銃を取り出し、突然天井に向けて二発を発射した(逸話?)

19962

成恵瑯(母の姉)の西側脱出事件の際、成恵琳(母)はモスクワに留まって脱出しなかったので、この事件以後、金正日は「私にだけ忠実ならば別事なし」との一言で、金正男を慰労したことが伝える

(以後、金正男は金正日に忠誠を誓ったと推定される)

19987

最高人民会議代議員選挙の当選者名簿に「金正男」という名があった

(国家コンピューター委員会委員長、

国家安全保衛部指導員または人民軍保衛司令部幹部、

党組織指導部課長などの要職に就く?)

20011

金正日の中国訪問に同行?

200151

シンガポール発日本航空712便で成田空港着

ドミニカ共和国の偽造パスポート入国で、身柄確保される

20001036日、1229日、122529日の日本滞在記録が明らかになる

関西地区に北朝鮮筋の貿易商の存在や協力者の存在がうかがわれる

(金正男が日本語(関西弁)を話せるのもこのためか?)

200154

成田空港から北京空港へ全日空905便で強制送還させられる

20021214

フランス入国ビザ発給拒否される(フランスと北朝鮮は国交無し)

現在

日本での失敗から帰国できず、中国やロシアなどで長期の滞在中?

(母・成恵琳はモスクワで療養中)

 

2.金正日の不安と後継者としての金正男

 以下の内容は、主に次のサイトからの情報によるものを抜粋、要約したものである。

 

B     「小さな将軍」金正男の秘密行脚

C      検証「金正男」氏事件

D     「金正男情報」米CIA介入?情報提供者・逮捕目的・亡命説など「ミステリー」

E     誕生日の前日(2001215)、金正日狙撃説

 

(1)200151日に起きた日本での金正男逮捕事件での失態

上記のBのサイトからの情報を抜粋要約すると、事件の結論は次のようだと記されている。金正男が日本に行ったのは、北朝鮮がイラクに輸出したミサイルの輸出代金を集金するためであった。北朝鮮は、SAM16A(肩撃ち式対空ミサイル)300基をイラクに輸出し、金正男は、この金を取り纏めていたという。イラクは、SAM16Aの代金をスイス、香港、シドニー、東京に分散して預け置いていて、代金を送金したところは、ロンドンだった。そして、東京で捕まるまでの金正男一行のルートは、公安当局によると、北朝鮮から中国、ロシア経由でオーストラリアに滞在後、インド、シンガポールを経由して来日したとみられていて、代金回収地点がそのルートに含まれている。また、日発の北京行き日航機のチケットを持っていた。

 この事件により、ミサイル輸出による資金源が外部に明るみになったことで、大きな経済的打撃を受けたと思われる。また、この失態による外交などへの影響も少なからず考えられている。上記Bのサイトから引用した例を以下に挙げる。

 

     最高権力者の息子が疚しく不法的な方法で外国に出入するのを見て、全世界は、北朝鮮政権が「異常な国の異常な権力集団」という認識を再確認した。

     欧州連合(EU)議長国であるスウェーデンのフェルソン総理が訪朝し、金正日のソウル答訪が準備されている時点に起こった今回の事件は、南北関係と韓国の世論にも、大きな衝撃を与えた。

     昨年の6.15南北頂上会談以後、我が国民は、金正日国防委員長が過去のイメージとは異なり、非常に明晰で、対話が可能な人物と考えたが、今回の事件を見て、そのような認識は、大きく変わった。1995年以後、数百万が飢えていた北朝鮮の最高権力者の息子が最高級の衣類とアクセサリーを纏って、鞄にドルの札束を一杯身に付けたまま、旅行をしている事実を納得するのは難しかっただろう。

     他人を信じられず、実の息子を動員して、外貨を調達しているが、その存在すら露出したのは、痛いことではない訳がない。

 

今回の事件により、金正男が金正日の後継者に選ばれる可能性が少なからず減ったことは間違いないと思われる。

 

(2)金正日の側近の異常

 最近の北朝鮮の内部事情として、見逃せないのが、最高機密を持った権力首脳部の西側亡命が続いている点である。

金正日が北朝鮮の核心勢力である軍部を掌握できるのも、外貨を調達できるためであるが、金正男以前に北朝鮮のミサイル輸出業務を担当していたチャン・スンギル前エジプト駐在北朝鮮大使は19978月に米国に亡命している。当時、エジプトは、北朝鮮がミサイルを開発して輸出するのに重要な橋渡し役を行っていて、1981年、エジプトと「ミサイル開発協定」を締結し、エジプトを通して、ソ連製スカッドBミサイル技術を導入、1985年に射程距離340kmの北朝鮮製スカッドBミサイルを開発するのに成功した。北朝鮮は、これに従い、スカッドBミサイルを量産し始め、1987年、イランとシリアに160基を輸出して、10億ドル以上の外貨を稼ぎ出したものと知られているという。また、チャン大使は、金正日の絶対的信任を受けていた人物で、北朝鮮の外交政策決定過程に対して、内密の情報を持っていた。その上、チャン大使と一緒に亡命したチャン・スンホ(パリ駐在北朝鮮総代表部参事官)は、10年以上、海外で外貨稼ぎの専門家として勤務したために、北朝鮮の外貨稼ぎの実態を誰よりも詳細に把握していた。

黄長[火華]氏(金日成主席の哲学担当秘書として過ごした、党内思想分野の第一人者として知られた人物)とチャン大使が亡命した後、金正日委員長は、誰も信じられなくなったという。そのような状況においては、信じられるのは家族の外になかった。それで、金正日は、政権を支えるのに最も重要な「現金」と「軍部」の核心業務を長男・金正男に任せたのだという。日本当局の捜査でも、金正男は、北朝鮮のミサイルと武器販売を担当する総責任者と明らかにされたという。

 

さらに金正日の不安を加速するものとして、誕生日の前日(2001215)に金正日が側近の警備員に狙撃されたという説(上記Eのサイトからの情報)があり、今後の金正日にとって最も恐ろしい存在は改革と開放でなく、自らの命を守る側近警護員になるだろうという。

 

(3)後継者と今後の政治不安

1942年生まれの金正日は、2002年還暦を迎えた。金正日は30代に金日成により後継者に見られてから今まで、北朝鮮を統治している。還暦を迎える金正日としては、自身の後継者を考えなければならない時のようである。

しかし、金正日はまだ健康で、年齢も若い上、第一人者の席を譲り受けてから何年にもならない。また北朝鮮の国内事情はとても不如意なために、北朝鮮での後継構図を論ずることができる雰囲気ではないのが現状である。金正日も親として、息子に良い経済状態、政治状態で引き継がせたいと思っているに違いない。そんな思いが判断力を鈍らせ、内部事情もあまり良くない状態で数々の問題の解決を迫られている現状が国際社会にとって、さらなる不安要素になっていくのだろう。そして、仮に金正男が次の後継者になったとしても、噂されている彼の経歴を見る限り、より良い北朝鮮になるとは考えにくいものである。

このように北朝鮮の現在は、内外共に深刻であることが調査によりうかがえると思う。

 

 

<参照サイト>

North Korea TODAY内のリンクより以下4つのサイトを参照

金正日・金正男、愛憎の父子関係

「小さな将軍」金正男の秘密行脚

誕生日の前日(2001215)、金正日狙撃説

李韓永殺害は、金正男の指示を受けた李昌善が指揮した

金正男の日本逮捕事件については以下の2つサイトも参照

検証「金正男」氏事件

「金正男情報」米CIA介入?情報提供者・逮捕目的・亡命説など「ミステリー」