021028harigaim 現代政治の理論と実際のノート

 私たちは日ごろから北朝鮮をそのまま北朝鮮と呼んでいるが、正式な国名は朝鮮民主主義人民共和国だ。正式国名を聞いて、何か引っかかる気がする。北朝鮮は本当に民主主義なのだろうか。

 北朝鮮の政治体制は、国民の選挙による最高人民会議、内閣、国防委員会から構成されるが、それらは国民の総意によって委託され運営されているというのが建前だ。ただしその実態は金正日総書記が率いる朝鮮労働党の完全なる独裁であり、真の民主主義とは程遠いものだ。例えば最高人民会議の議員選挙においては、労働党の公認候補以外が立候補することはできず、事実上の信任投票となる。また選挙は秘密警察の監視下で行われ、棄権や反対票を投じることが出来ないような仕組みになっており、形式上はほぼ100%の信任を得た形となっている。

 これは民主主義といえるのだろうか。ではなぜ国名の中に民主主義という言葉が入っているのか。これには幾つかの説があるようだ。

     実態はともかく、建前として民主主義をうたっているから。

     北朝鮮の憲法の「第1章 政治」のなかの「第5条」に「朝鮮民主主義人民共和国においてすべての国家機関は、民主主義中央集権原則によって組織され、運営される」という条文があるから。

     金日成が建国の祖であるが、彼が望んだあるべき国の姿は、「共産主義的民主主義国家」であったから。

     北と南に分断されたが、「大韓民国」と名乗ることで、どこかしら昔の伝統を生かそうとする南の側のネーミングに反発をし、我こそは20世紀にふさわしい新進の科学的にして合理的な国、ということで世界に宣言する意味も込めたかったから。

     北朝鮮の独立には、ソ連の助けが大きかったので、北朝鮮側はそれを認めたくなかった(自力で独立したと強弁したい)。それで、ソ連の社会主義とは一線を隔している事を主張したくて、民主主義という文字を国名に入れたから。

 

 

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参考資料 「北朝鮮の最高機密」康明道 著 伊学準 訳 文春文庫

http://www.oisca-malaysia.f2s.com/mrmiyoshi/localjapanesenohimatubushi/4049localjapanese/44.html

 今回は一冊の本の紹介。金日成と金正日父子の母親の親族に当たり、姜成山前首相の娘婿という王族に属しながらも、スパイの容疑をかけられら挙句に、金正日からの暗殺指令が出たため、やむなく1994年に中国からヨーロッパ経由で韓国に亡命した康明道(カンミョンド)氏による、権力中枢部の内部告発本。

 この本の著者は、本が出版された1998年の暮れに、ソウルの隠れ家で北朝鮮の秘密工作員によって暗殺されている。それほどに、著者の告発は権力中枢に関する第1級の極秘情報が多く、他の亡命者の証言とは比べ物にならない衝撃力があった。特に北朝鮮がすでに核爆弾を45発所持していると言う証言や、秘密の核施設があるという証言は全世界を驚愕させた。その後、米国の偵察衛星によってその所在が確認され、その信憑性の高さが証明された。

 著者はさすがに金王朝の王族の一員だけあって、金一族の血縁関係や家族関係に詳しい。まず金日成が第二次大戦中に満州で抗日パルチザンを率いて戦っていたという伝説が虚構であるのは、旧ソ連の文書でも明らかで、金正日にしても、中朝国境の白頭山で生まれたことになっているが、実は1942216日にソ連のハバロフスクで生まれ、「ユーロ」と言うロシア名だった。

 金正日は金日成の長男だが、決して父に可愛がられていたわけだわなく、金日成は正日の異母弟で金聖愛(キムソンユ)の子供であり、自分にそっくりな金平一(キムピョンイル)に目をかけていた。正日の母は金日成が元タイピストの金聖愛に愛情が移ってから、金日成を激しくなじった挙句、正日の下の子を産んだ後、産後の肥立ちが悪いのに治療を拒否して死亡してしまった。

 金正日は金日成総合大学を出て、朝鮮労働党の宣伝部に所属する。正日は芸術家肌で映画マニアなのは良く知られているが、72年に抗日戦を戦った革命第一世代のノスタルジアを掻き立てる大型演劇を演出し、この成功で長老たちの心をつかむことに成功した。

 この後、正日は権力掌握に向け、権謀術策の限りを尽くしていく。金日成の実弟でNo.2の実力者の、正日にとって叔父に当たる金英柱(キムヨンジュ)を失脚させ、さらに金平一を国外に左遷し、継母の金聖愛を金日成から引き離す事に成功した。それからも、敵に敵対し権力世襲に反対する長老たちを次々に陥れ、粛清していく。そして19807月の第6回朝鮮労働党政治局全体会議で、満場一致で金日成の後継者としての地位を固めた。その後、対外的な仕事を除いた国政全般の権力を集中して行く。成日は自分の力で最高権力に上りつめたわけで、その意味で決して無能でないこと分かる。

 

 

021118harigaim 

北朝鮮脱出ー地獄の政治犯収容所」 姜哲煥、安赫 著 池田菊敏 訳 文春文庫

http://www.oisca-malaysia.f2s.com/mrmiyoshi/localjapanesenohimatubushi/4049localjapanese/43.html

 前回紹介した物が私にとってとても興味深いものだったので、今回も同じサイトからの紹介。

 今回の本は北朝鮮の韓国への亡命者による北朝鮮の実態、特に政治犯収容所の悲惨の体験を赤裸々に告発した上下2巻の本だ。

 時期が違いながらも、同じ政治犯収容所で獣以下のひどい扱いを受けてきた著者二人は、1992年に中国経由で一緒に北朝鮮を脱出し韓国に亡命した。それぞれが収容されてから出所するまでと、出所してから亡命に至る経緯を二章ずつ担当してしる。

 姜哲煥(カン・チャルファン)氏は平壌で裕福な生活を送っていたが、19978月の9歳のある日、政府高官の祖父にスパイ容疑がかかって自宅に安全部(警察)の家宅捜索が入り、その晩のうちに祖母・父・叔父そして妹と共にトラックに乗せられて収容所入りした。母は安全部の隊長に目をかけられ残されて、離れ離れとなった。彼ら一家が連れ去られた燿徳(ヨドク)の政治収容所は、地図で見るとちょうど北朝鮮の中央にある人里はなれた山奥の中にあり、鉄条網・看視平・軍用犬・落とし穴で守られているため脱出は不可能で、当時は合計で16000人は収容されていた。その後、19881月に金成日誕生日の恩赦で出所するまで、育ち盛りの時期の10年弱を収容所で過ごした。

 収容所の中には学校もあるが、教育はもちろん金日成・金正日体制を合理化する主体(チェチェ)思想ばかりで、事ある毎に政治犯の子弟だからと、教官から殴る蹴るなどの暴力を受け続けたそうだ。子供といえども人間扱いされないから暴力は半端ではない。大人は無論、子供も農場などで奴隷並みに早朝から晩まで働かされ、頻繁に暴力を振るわれた。配給の食事はとうもろこしを砕いた料理だけで、空腹を満たすためにはねずみ、とかげ、へび、かえる、ゴキブリ、雑草の芽など、なんでも食料になる。こういう生活だから、著者は人民学校(小学校)四年生から中学校五年生まで収容所内の学校に在学して卒業したが、入所当時の百余名の生徒のうち、死亡した子供が15名、もっとひどい収容所へ送られた者が20名いたそうだ。収容所にも二種類あり、生きて出られる可能性がある収容所と出られない収容所もあるそうだ。著者の家族は生きて出られただけでも幸運なのだ。

 一方の著者の安赫(アンヒョク)氏は、19才のときに三ヶ月間、中国に違法出国した。その時、家族が行方不明になったものと捜索願を出していたため、再入国したものの何らかの処分は逃れられないと思い安全部に自首した。これが大失敗で、いったん中国に出たのにわざわざ戻ってきたのはスパイに違いないと姜哲煥氏と同じ収容所に入れられた。それから三年間を収容所で過ごした。安赫氏の生活体験も姜哲煥氏と似たようなものだが、女性収容所についての記述が詳しく書いてあり、特に二度と出所する見込みのない女性たちは、例外なく収容所長や看視兵の情婦となるらしい。また彼女らに手を出したら最後、両方とも死ぬほどの拷問に会う。

 近年の世界では人権というものはとても重要視されるが、北朝鮮の裏側ではこのような事が日常のように行われているのかと思うと、最近帰国した拉致被害者の方たちの家族も早急に日本に永住帰国させなければ相当危ないのではないのだろうか。