20021028日 現代政治の理論と実際 増保智久 作成ノート

 

朝鮮民主主義人民共和国についての調査1

 

朝鮮民主主義人民共和国編http://www.eeyo.net/cnt/NK/ から引用

外務省の北朝鮮データhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/index.htmlから引用

 

国名:朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)

Democratic People's Republic of KoreaNorth Korea

面積:122762.338平方キロ(日本の33%)

人口:2151.4万人(1994,朝鮮中央年鑑1997年版)

   2334.8万人(1998,UNDP調査)

   2138.6万人(1999,7,CIA推計)

   2,255.4万人(現在の推計)

首都:平壌(ピョンヤン):約224.7万人

民族:略朝鮮人の単一民族、女真族等の小数民族の末裔など

言語:朝鮮語(文字は、ハングル:李氏朝鮮第四代国王の世宗王が制定した表音文字)

宗教:憲法第68条で「公民は信仰の自由を有する」とされている
「朝鮮宗教人協議会」、「朝鮮仏教徒連盟」、「朝鮮天主教(カトリック教徒)協会」、「キリスト教徒連盟」、「朝鮮天道教会」等の団体があるが、信者数等は不明

   国民の行動規範には儒教の強い影響あり

歴史認識:金日成主席が抗日武装闘争を通じて国を解放し、

朝鮮労働党の指導の下に19489月朝鮮民主主義人民共和国を建国、

チュチェ思想を基本思想として国家建設を進めた

(チュチェ思想:革命と建設の主人は人民大衆であり、

革命と建設をおし進める力もまた人民大衆にあるという思想

=自己の運命の主人は自分自身であり、自己の運命を切り開く力も自分自身にあるという思想)

政治体制:人民共和制、社会主義一党独裁

法制度:ドイツ法を基礎としているが日本と社会主義法理論の影響を受けている

裁判所による立法府の行為に対するチェックは無い

選挙権:男女に係わらず17

独立:194899日(99日:創建記念日)

国家指導者:金正日(共和国元帥:1998,9国防委員会委員長に選出就任)

立法:一院制、最高人民会議(687議席、任期5年)

行政:内閣(最高主権機関の行政的執行機関(1998,9))

司法:中央裁判所・中央検察所(両方の所長は最高人民会議により選出)

通信手段:電話(国内いたるところに網目状に張り巡らされているが電話の品質は一般的に悪い

利用方法は伝統的に公的機関とビジネスに使用されているが、公衆利用も増大している)

テレックス、電報(国内いたるところに張り巡らされている)

国内郵便(全国各地への配達が可能)

国際郵便(万国郵便連合(UPU)に加入していて、全世界と繋がっている、

国際書留小包の利用はできない)

最高峰:白頭山(2,744m)

 

主要機関(1)国防委員会(国家主権の最高軍事指導機関・一切の武力を指揮統率)

委員長:金正日(キム・ジョンイル)

第一副委員長:趙明録(チョ・ミョンロク)

2)最高人民会議

(最高主権機関・立法権を行使・一院制・議席数687・任期5年)

常任委員会委員長:金永南(キム・ヨンナム)

3)内閣(最高主権機関の行政的執行機関)

総理:洪成南(ホン・ソンナム)

外相:白南淳(ペク・ナムスン)

政党:朝鮮労働党(北朝鮮のすべての組織活動を指導。党員約300万名)

総書記:金正日
政治局員:金永南 他6

政治局員候補:洪成南 他6

書 記:桂応泰(ケ・ウンテ) 他8

 

 

20021111日 現代政治の理論と実際 増保智久 作成ノート

 

朝鮮民主主義人民共和国についての調査2

 

よくわかる政治(辻昌弘)

http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20020904/index.htm

http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20020917/index.htm

から引用

 

1.日本と朝鮮民主主義人民共和国

 

 報道などで、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と2通りの呼び方があるが、これは日本政府が北朝鮮を国家として見なしていないことに由来する。つまり日本政府は、朝鮮半島を支配する権利のある国家は韓国だけである、という立場なのだという。なお、認識としては、「朝鮮北部にある独立した地方政府」程度である。しかし、以前からの国交正常化への動きや、在日朝鮮人の方々、北朝鮮地域の出身者の方々への配慮から国名を2通り読み上げるようになった。

 

2.朝鮮半島分断の原因:朝鮮戦争の流れ

 

 朝鮮戦争の大まかな流れは、以下の通りである。

 

 第2次世界大戦で日本が敗北したあと、日本によって統治されていた朝鮮半島は独立を取り戻し始める中、北から進出してきたソ連軍と、南から進出してきたアメリカ軍のもと、南北にそれぞれ「大韓民国(韓国)」と「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」という、別々の政府ができてしまったことで、南北に分断された。

 「北緯38度線」を境界線にし、平和的な統一を目ざそうとしたが、当時の冷戦下において、うまく統一されなかった。

 1950625日、北朝鮮軍は、沖縄・フィリピンの軍事基地化に追われて韓国の軍事援助がままならないアメリカ軍の動向をみて、突如として境界線を超え、南に侵攻することで、朝鮮戦争が始まる。

 北朝鮮軍は3ヶ月で半島の大半を制圧したが、マッカーサーの作戦により、一気にソウル南西の都市インチョン(仁川)に上陸し、北朝鮮軍の補給路を断つことで、形勢は逆転し、逆にアメリカ軍は11月までには半島のほとんどを制圧した。

 しかし、1949年共産党のもと中国統一を果たした中華人民共和国が10月に突如参戦(義勇軍として)してきた。

 軍事力ではアメリカ軍がまさっていて、マッカーサーは軍事力を増強して中国での原爆使用も含む中国爆撃を主張、実行しようとするが、ソ連との全面対決を是が非でも避けたいアメリカ政府はこれを却下、マッカーサーは解任される。そして戦争は膠着(こう着)状態に陥り、1952年今の休戦ラインが設定され、ひとまず戦争は集結、現在に至る。