takahatak011203 「現代政治の理論と実際」レポート
「米国多発テロはなぜ起きてしまったのか」 013324畑健太郎
友人から「凄いことが起きてる。テレビ見てるか?」というメールが届いた。テレビをつけると二機目の旅客機が貿易センタービルに突っ込んでいた。2001年9月11日に米国で起きた出来事は私が記憶するどの事件よりも衝撃的で驚くべき事件であった。当然この衝撃的な事件か起こったことによって、様々な問題が噴出し様々な議論がなされている。これらの問題、議論をそれぞれ考える前に私は「この事件がなぜ起こったのか」について知ることにより、大まかであっても事件を自分なりに捉えたいと思った。よってここでは米国多発テロが起こった原因について考え、さらにわれわれはこの問題に対してどのような態度で取り組んでいったらよいのか考えて行きたいと思う。
1、文明の衝突
現在われわれが生きている世界をどのように捉えたらよいのか。これを考えることが、現在そしてこれからもこの事件に関わる様々な問題をその場しのぎの問題解決ではない、長期的スパンで眺めるために必要なことであると思う。そこで、現代世界を読み解く上で参考にしたのが、サミュエルハンチントンの「文明の衝突」である。それは次のようなものである。冷戦の終焉は市場経済と民主主義を軸とした「グローバルな国際社会の統一が進む」というものではなく、むしろ数多くの文明の単位に分裂して行きそれらが相互に対立、衝突してゆき、冷戦後民族間の違いはイデオロギー政治経済違いから人間としての最も根源的な違いである祖先、宗教、歴史、言語、価値観、制度、習慣などに関連して自分たちを定義づけるようになった。というようなことである。
この理論に立ってこの事件を捉えてみると、世界の政治、経済(グローバル資本経済)文化の面での均一化、一様化、グローバル化が米国主導によって進められてきた。そして、米国的な価値観、世界観、生活様式が世界に広がるようになった。このグローバル化への反発こそが今回のテロ事件であるということになる。実際には、自爆した犯人たちの犯行意図を知ることはできず、事件の首謀者とされているビン・ラディンも自分の関与を公式には認めていない。したがって、この事件の本当の動機については何もわかっていない。しかし、ビン・ラディン、タリバンは国家世論によって国際テロリズムの首謀者、支援者とされ米国すなわちグローバル化を進めるものに反発する勢力として位置付けられている。西欧文明を広めようとする米国対それに反発するイスラム文明という文明の衝突として捉えられる。
以上のような捉え方はたしかにある面では正しいと思うし、この事件を考える上で必要な視点であると思う。私ははじめ、この文明の衝突という構造でこの事件を全てにおいて理解し、捉えることができるのではないかと考えていた。しかしながら、この単純な白か黒かという単純な二元的な視点だけで捉えたのではこの事件の本質的な理解にはならないと感じた記事を読んだ。つぎの章からはその記事に関連して事件の起きた原因のより本質的な部分を考える
2、アフガニスタンの貧困とテロ
その記事は諸君12月号のなかで日本財団の会長で国際協力支援に長く携わっている作家の曾野綾子氏が人間(イスラムでなくても)は「食」と「職」が十分に与えられていない場合人間は生きるために武装し攻撃的になるもの(そうなるしかない)であり、今回のテロ事件も宗教上の理由はあくまで後付けである。というものであった。それを裏付けるレポートがイランの映画監督モフセン・マフバルマフの「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまりに崩れ落ちたのだ」として現代思想10月特別号として掲載されていた。このレポートはバーミヤンの石仏破壊の直後に書き上げられたものであるが、そのなかでマフバルマフ氏はアフガニスタンの圧倒的な貧困、飢餓を前にこう述べている。「私は、あの仏像は誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は恥のために倒れたのだ。アフガニスタンに対する世界の無知の恥からだ。仏像の偉大さなど何の足しにもならないと知って倒れたのだ。」
統計的な細かい数値はここでは扱わないが、アフガニスタンはいま本当に苦しんでいる。このレポートによればアフガニスタンの人々の「職」に関して言えば地理的悪条件から、麻薬の栽培、イランの建築現場での労働や政略戦争への関与、タリバンの神学生になること、これくらいしかれらを雇用するシステムはこの国には存在しないという。今でも物々交換が行われている地域が多数存在するという。そして、この職業の選択に失敗すると、残された道は、難民になること、タリバンに参加すること、ヘラート、バーミヤン、カブール、カンダハールの街角に倒れることしかないのである。
これを知ってタリバン政権が悪いとか、北部同盟が悪いとか言う問題ではないということを感じてきた。ましてや、文明同士が対立しているなどということがはたしてどれだけ説得力があるというのか。こんな状況下に置かれた国ができうることといえば、自分たちの苦しみを世界に知らしめることくらいしかないのではないだろうか。世界がこの国の関心を持ち救済の手を生活の状況に変化が及ぶまで差しのべようとするまで、この必死のアピールをするしかなかったのではないか。そのアピールの形が、石仏の破壊であり、国際貿易センタービルの破壊であったのだ。そこまでこの国は追い込まれていたのである。
‘アフガニスタンが持つ多くの悲しみのために世界の誰かが死んでもおかしくはない。この悲嘆のために一人も死なないというのはなんと不思議なことか‘(タジクの詩人の詩)。
3、今後の対応
以上からこのテロ事件は貧困に窮するアフガニスタンの歴史の流れから起こった必然的な出来事であったのだということがわかると思う。中東を知りアフガニスタンの現状を人々の生活のレベルから理解し手を差し伸べることが、今回の事件の解決にとって必要なことなのではないか。いまアメリカがテロリズム撲滅の名のもとに空爆によってこの問題を解決しようとしているがこれでは本質的な解決には至らないのではないか。そもそも今回のテロがアフガニスタンの圧倒的な貧困に対して本気で目を向けようとしなかった日本も含めた世界に対しての、貧困を作った一端を担った世界に対してのメッセージだと考えたら、このテロを完全に否定する権利は誰も持っていないのではないか。だからこそ文明の衝突理論はあくまで流れを理解するレトリックであるといえる。それをふまえたうえで、アフガニスタンで現に起こっている国民総難民化の原因が不必要に消費生産を繰り返さなければ生きて行けない西欧グローバリズムの構造が当然のこととして真っ向から対立しているといえることを理解すべきだと思う。
このことに世界で最も早く気づき世界に向けてアフガン救済を声高に呼びかけたのが国連高等弁務官の緒方貞子氏である。われわれはいまこそ「世界はアフガニスタンを救う」と約束した彼女の言葉どおり、救済へ向けての行動をとるべきである。アフガニスタン人に限らないが、貧困に苦しむ多くの人々の救済がテロにたいして一番の解決方であると考える。