行政学のキーワード(4) 地方分権論

 

地方分権をめぐる三つの論点」(中村祐司「地方分権と行政」(小笠原正他編著『現代法学と憲法』北樹出版、1999年の第9章(309-317頁)草稿段階での一部原稿に下線を加えたもの)

 

 果たして、以上のような四次にわたる諸勧告は、今後の具体的な地方分権を考えるにあたって、どのような意味合いを持っているのであろうか。以下、三つの論点を提示することで本章の締め括りとしたい。

 

第一は、明治以来、百年以上もの間、国と地方自治体の上下・主従の関係を支えているといわれる機関委任事務の全廃が意味する歴史的意義と、これが分権社会の実現に向けた起点ないしは切り口として、今後重要な波及効果を持つことを指摘しておきたい。確かに機関委任事務全廃後の事務振り分けにおいては、推進委員会の当初の意図は後退し、自治事務の割合が小さくなったことは事実であるし、特に個別行政分野において「全国的統一性や公平性」を強調する中央各省庁の抵抗には激しいものがあった。しかし、国の関与が相当程度残るとされる法定受託事務にしても、この事務に及ぶ地方議会の権限は機関委任事務のそれとは大きく異なる。国と地方自治体を「対等・協力」な関係とし、行政責任の所在を明確にし、国の関与から生じる地方自治体の多大な時間と費用の浪費を解消するための最優先の突破口として、機関委任事務の全廃は不可欠であり、これが実現されることで分権社会への歯車が回る素地が整うといえよう。さらに、事務の例示など、地方自治法の骨格そのものの見直しといった波及効果が期待できる。

 

第二は、上記に比して、資金交付に伴う関与(補助金行政)や組織編制に対する関与(必置規制)、さらには都道府県と市町村の関係、地方行政体制の整備確立、地方税財源の充実確保などについての勧告が具体性の乏しいものとならざるを得なかったことである。こうした問題群は、実現可能性を追求する推進委員会が勧告を先送りせざるを得なかったことからも明らかなように、各省庁の抵抗はもちろん、政界や業界からの反発、地方自治体の総括部局と事業担当部局の考えの相違など、機関委任事務の全廃以上に複雑で錯綜した政治的問題状況にあったと言える。

 

例えば、補助金行政の縮小廃止は地元への利益還元に奔走する族議員の抵抗を招くことは必然であったし、関連の省庁や国会議員とのつながりに依存する業界の既得権益が犯されることに対する反発も強かった。また、必置規制の緩和は、各論レベルでは地方自治体の総括部局と事業担当部局との意見の相違が顕在化する問題であった。さらに、財政構造改革会議が二次勧告の前に補助金の一部を今後3年間、毎年1割削減していくと決定したことや、行政改革、とりわけ中央省庁の行政をスリム化するための手段として地方分権が位置づけられたことなど、政府が掲げた財政改革や行政改革の方向性によって、勧告の内容そのものが制約されたのである。

 

特に一次勧告以降、地方分権をめぐる政治の力学がより一層顕在化・肥大化してきたことで、推進委員会が行政の在り方をめぐる論理に徹することは極めて困難となっていった。

 

第三は、当該地域住民・地方自治体の具体的な自己決定権と勧告内容との関係である。確かに、推進委員会が団体自治の側面に焦点を絞ったことで、住民自治への言及が希薄なものとなってしまい、「官官分権論議」に偏ってしまったという批判は当たっていよう。しかし、地方自治体が担う行政責任や事務権限、納税後の使途やその効果をめぐる可視性が飛躍的に高まり、税財源のあり方をめぐる論議を通じて、当該地域住民が地方自治体に説明責任(アカウンタビリティー)を直接的に問うことが可能となるし、地方自治体の側でも従来の国からの指揮・監督や事務権限の所在を理由として明確な応答を避けるといったような対応は今後は不可能となるであろう。

 また、首長が住民と国との板挟みに悩む政治状況の解消も期待でき、そうした首長と抑制・均衡関係(チェック・アンド・バランス)にある地方議会も、これからは住民自治の監視役としての機能を強めていくのではないだろうか。さらに、市町村合併が「受け皿論議」との絡みでどのように推移していくのか不透明ではあるものの、市町村と都道府県の関係の在り方についても、今後、当該地方自治体と住民との「自治の現場」における解決が迫られるようになるであろう。

 

推進委員の西尾勝は、「わが国のこれまでの地方自治制度の作動の実態に照らしてみれば、まずは国の関与を大幅に縮小廃止して、住民の意向に誠実に応答することのできる当事者能力を地方公共団体に付与しないかぎり、住民自治の側面に新しいいかなる手立てを講じてみたところで、住民自治を実効あるものにすることは難しいと判断される」と述べている。そのような意味で、「分権型社会の創造」をこれから現実のものとするには、住民自治の実際の積み重ねこそが最も問われることになるであろう。