修士論文指導レジメ 平成13年11月20日 上ノ段憲治
研究テーマ
「地方都市における中心市街地活性化について
−香川県高松市の中心市街地活性化対策を事例に−」
まえがき
各地域において中核的・中心的機能を担っている都市は今後の地域振興の中心として、また市町村合併等の地方分権の担い手として大きく期待されている。しかし、社会経済の変化の中、各都市において様々な問題が生じている。その中で、中心市街地の衰退が大きく取り上げられ、地方中小都市をはじめ、地方都市の核となる県庁所在都市にまで広がっている。
これまで中心市街地は、さまざまな都市機能が集積し、新しい経済活動などを生み出したり、地域コミュニティーの中心として重要な役割を担ってきた。しかし、モータリゼーションの進展、中心市街地のアクセス環境の劣化、消費者の行動パターンの変化、高齢化の進行などのインナー・シティー問題などを背景として、まちのスプロ−ル化と中心部の空洞化(ドーナツ化現象)による都市中心部の居住人口の減少、郊外ロードサイドへの大型店の大量進出、商店街の空き店舗の増加をはじめとする商業機能の空洞化など、中心市街地の空洞化が深刻化している。
ところで、いままで各自治体の都市計画の背景には人口増加・人口集中があったが、今後、日本は急速な少子高齢社会に入っていき、確実な右肩上がりの経済はむずかしく、効果的な財政投資をするために、今あるストックを効果的に活用していこうという動きになっている。少子高齢化などの動きに的確に対応しつつ、地域の活性化を図るため、都市計画の中でも特に中心市街地をめぐる整備の方向性を明確化することが必要であり、そういう時期にきている。
中心市街地活性化に関する研究や文献は多数あるが、これを検討すると、特に中心市街地活性化=商店街の活性化という捉え方が多い。本来、中心市街地には居住機能、商業機能、行政機能、業務機能等さまざまな機能が集積しており、一概に、中心市街地活性化=商店街活性化にはならず、もっと多面的に総合的に政策を行う必要がある。そこで、本研究ではとりわけ中心市街地の空洞化がすすんでいる地方都市に目を向け、自立した中核都市規模のまちを対象に、今後の地方都市における中心市街地活性化を再開発のハード面と、今後ますます進む高齢社会に対するソフト面の両方から、これまでの自治体のまちづくり政策と中心市街地活性化法で位置づけられたTMO(Town Management Organization)の政策をもとに、密度の高い都市居住地を載せた複合的なまちづくりの可能性を考察していきたい。
第1章では、なぜ中心市街地活性化なのか、中心市街地の空洞化の背景、何が空洞化しているのか、全国の都市が同じ状況なのかを把握し、これまでの活性化対策を通じて、何が中心市街地活性化に求められているのかを見ていく。
第2章では、第1章をもとに具体的な事例として香川県高松市の中心市街地活性化対策をみていく。
第3章では、まちづくりにおいて「官民一体のまちづくり」、「協議型まちづくり」、「市民参加」という言葉をよく耳にする。そこで、実際関与する行政、民間、NPO団体、地域住民の各視点からヒアリングを通じて政策過程の問題点を見ていき、TMOの可能性をみていく。
第4章では、今後ますます進む高齢化社会において、現行の状況、問題点、中心市街地がどのような役割を果たしていくか、果たしていかなければならないかを見ていく。
第5章では、総括として今回の研究を通じて自分なりに中心市街地活性化対策を述べ、今後どのような都市、市街地が将来生き残っていくのかをまとめてみたい。
第1章 中心市街地活性化とは
第1節 中心市街地をめぐる都市構造の変化
「中心市街地の活性化」という言葉を今日よく耳にする。これは、中心市街地が空洞化しており、なんとかしなければと考えられているからである。しかし、実際に生活している人々にとってはどんな影響があり、どれだけ関心があるかは未知である。中心市街地は本当に必要なのかといった議論になった場合、これまで一方的に中心市街地の必要性が前提に事が進められてきた気がするが、不必要だと言う人も少なからずはいるはずである。
その原因としては、居住地域がどんどん郊外に行くにつれ、商業機能等も中心部から郊外に広がっていくため、不便さを感じず、わざわざ中心部に行く必要がなく、地価の高い所に住むメリットがわからないといったことである。この背景には、これまで中心市街地活性化=商店街活性化ととらえられてきたからである。この概念が居住機能の郊外化にともない、日常生活で商店街とかかわりをもたない住民達の中心市街地活性化への関心や支持を減少させていると考えられる。だが、中心市街地に存在する商店街が活性化することにより、郊外に住む消費者に直接的ではないが、間接的に利益をもたらし、中心部周辺の居住を可能にし、賑わいを取り戻す可能性もある。
よって、その都市の住民たちが住みやすく、暮らしてみたいまちづくりとは何かを発想の基本として、中心市街地の活性化基本計画(注1)を策定しなければならない。要するに、住むことに誇りを持てるまちづくりを行う必要があるのである。そのためには、中心部より郊外のほうが得られる満足度が高いという概念を取り払い、中心部に住んでも、郊外に住んでも満足度が変わらず、高齢者や子供たちにとって生活しやすい都市形成を行うことが求められる。これからは、環境、福祉、教育といったソフトな面を重視したまちづくりが注目されてくるはずである。
ところで、まちは、これまで長い年月の経過とともに形成され、その時代の社会経済状況によって変化してきた。商店街を例にして考えてみると、以前は消費者にとって買い物をする場所といえば商店街であったが、その後、民間開発が進むにつれ、スーパーマーケットや大型店舗が出現し、消費者は商店街だけではなく選択肢がいくつも増えた。最近では、24時間営業で一通りの商品がそろっているコンビニエンスストアーがひとつあれば生活できるようになり、交通の便が悪い中小規模の自治体では、コンビニエンスストアーができることによって生活が大きく変わる地域もある。こうした中、さらに自動車の普及、女性の社会進出等によって、消費者のライフスタイルが変化し、都市構造の変化とともに商店街の存在すら危うくなっている。
このように街づくりや活性化を考えるとき、これまでの市街地が形成されてきた背景、すなわち歴史をふりかえることにより、都市形成、暮らしの変化について再認識し、その時代、その先を見越したまちづくりを考えていかなければならない。
そこで、中心市街地の活性化においてポイントとなる居住機能、商業機能の土地利用について歴史をふりかえり、中心市街地の都市構造の変化について見ていきたい。
まず、水口俊典氏によれば、都市における土地利用の区分は、大きく5つに区分できると考えられる。(注2)
第1は、戦後から1960年代前半までは、経済復興、地域開発と都市計画の課題が分けられていないため、現代都市計画前史と位置づけている。
日本の大部分の都市は、戦災によって長い間形成されてきた市街地を失った。特別都市計画法第1条第3項によると、全国で被災した都市は、215都市(沖縄を除く)で県庁所在都市をはじめ、地域の核となる市街地が消失した。そのため、「戦災地復興計画基本方針」では、東京など大都市の人口を抑制し、地方都市の振興を行うことを基本的な目標として、大きな戦災を受けた都市において土地区画整理事業を通じて計画が実施された。
その中で、戦後の既成市街地の問題は、たびかさなる火災、震災や戦災という経験を経て、木造住宅をいかにして燃えにくくするか、すなわち都市の防災性の確立を中心課題とし、復興計画が行なわれた。この時期に、戦災によって、住宅を失ったり、戦災復興で急激な都市化による住宅不足を解消するために大量の住宅が必要となり、開発が容易な郊外に土地を求めて住宅開発が進んだ。
次に、戦災復興区画整理が一段落した1960年−70年代の、この時期を第1期とし「需要対応と都市開発の体系化の時代」と位置づけている。この時期は、人口の増加、核家族化、そして高度経済成長時代であり、ものすごいスピードで都市化が起こった。首都圏や近畿圏などの大都市圏や太平洋ベルトと呼ばれる地域に人口が集中したが、地方においても県庁所在都市をはじめ、ほとんどの都市が成長した。経済成長と都市化を背景に、あいかわらず、都市への急速な人口移動が目立つこの時期の最大の課題は、郊外へのスプロール防止であり、一戸建て住宅地の郊外への展開による優良農地と市街地との調整であり、ちょうどこの時期の1968年に新都市計画法が成立し、都市計画の大きな転機となった。
第2期は1970−80年代で、第1期の乱開発をうけて、「問題解決と都市生活環境の視点」と位置づけている。この時期は、木造住宅の建て詰まりと、居住者の高齢化、農地の宅地化による、スプロール化の課題が顕著となった。そして、1974年の大規模小売店舗法の施行により、大型スーパーマーケットが中心市街地に出店し、商店街との競争が激化し始めた。この時期は、まだ、スーパーマーケットや大型店舗が郊外に出店するというよりは、中心部で商店街と競争していたため、大きな空洞化は見られず、賑わいがあった。
第3期は1980−90年代で、線引きと開発許可制度の規制緩和が行われ、「構造再編の始まりと民間開発誘導」と位置づけている。1980年代に入って、地方では市街地の膨張より、都市計画区域外や市街地調整区域を含む密度の薄い拡散が始まり、DID(人口集中地区)(注3) 内の人口密度がどんどん下がっていった。地価高騰が著しく、郊外化がどんどん進み、中心市街地の空洞化が目に見えるように現れだしたり、地域発展に格差が生じた。そして、無駄な投資が行われ、バブル経済が崩壊した時期でもある。
第4期は1990年代以降で、「課題見直しとビジョン共有化」の時代と位置づけている。
バブル経済が崩壊したが、土地神話に対する考えは相変わらず存在し、中心部における土地利用はみすぼらしいもので、空き地などは民間の駐車場になり、行政が住宅政策や核となる店舗を誘致しようとするが、土地の確保と地価の問題でうまくいかず、中心市街地の問題はさらに悪化していき現在に至っている。
以上のように、戦後から現在に至る市街地の形成について見てきたが、日本の地方都市は、市街地の成長・膨張期の歴史的な経緯によって、場所としての特性も構造も持たず、中心を持たない空間になってしまった気がする。まちが、「文明情報の伝達の場所であり、商品や広告、映画演劇など様々な形で具体的な文明情報が伝えられる場所で、だから、まちは心の踊る場所であり、日常性を脱することができる場所であり、心の階調と旋律の調整の場所である。」(注4) ためには、やはり、複合的な用途の組み合わせがあってはじめて活気のある、楽しいものになる。
しかし、現実はそうもいかず、中心市街地において、高地価による土地取得の困難さと自動車社会の進展により、都市機能がどんどん郊外に展開していき中心市街地の空洞化(注5)という現象が生じている。社会経済の変化にともない、仕方がないと感じる部分もあるが、都道府県、市町村などの行政施設や病院などの医療施設、音楽ホールなどの文化施設をも郊外化している点には疑問を感じる。そもそも、公共施設は公のものであり市街地を形成する上で、開発に悪影響を与えないという前提で法律の適用を免れているはずであるのに、当たり前のように、市街化調整区域に建てられているのである。
このように、中心市街地の問題を考えていくとき、ただ一つのテーマについてだけでなく、様々な要素が絡み合って現在の状況に陥っているのであるから、広い視野で見ていかなければならないが、その中でも特に、地方都市の場合、中心市街地の問題は、夜間人口の減少、中心部の商業活動の衰退、従業者数・昼間人口の減少などを絡ませて考える必要があり、理想論であるが、中心市街地における居住機能はもとより、商業機能、業務機能をコンパクトに集めることが求められる。ただハード面の整備だけでは、これまでの失敗をまた繰り返すだけであり、ソフト面にも積極的に力を入れていき、中心市街地の活性化問題に取り組んでいくべきである。
第2節では実際、地方都市における中心市街地の現状と対策の課題を見ていくが、その前に、中心市街地とは何か、活性化とは、について考えて、この第1節をしめくくりたいと思う。
中心市街地の定義づけについては、「中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律」(通称:中心市街地活性化法)(1998年6月3日公布、同年7月24日施行)において、第二条に「1、当核市街地に、相当数の小売商業者、都市機能が集積しており、その存在している市町村の中心としての役割を果たしている市街地であること。2、当核市街地の土地利用及び商業活動の状況等からみて、機能的な都市活動の確保又は経済活力の維持に支障を生じ、又は生じるおそれがあると認められる市街地であること。3、当核市街地において市街地の整備改善及び商業等の活性化を一体的に推進することが、当核市街地の存在する市町村及びその周辺の地域の発展にとって有効かつ適切であると認められること」を中心市街地の対象と位置づけがなされている。そこで本研究では、中心市街地=商店街ととらえず、とりわけ利用度、広域的交通機関として人が集まる駅を中心としたまちづくりを念頭に置いているため、中心市街地について、「歴史的に市町村の中心として発展し、駅を中心に都市機能が集積し、歩行圏内に人、もの、情報の交流がある地域コミュニティーの中核をなしている区域」を中心市街地と定義することにする。
では、中心市街地の活性化とは、どのような状況になったら活性化になるのかについてであるが、この問題はたいへん難しく、中心市街地の活性化に取り組んでいる各自治体の方々もはっきりとした解答をもっておらず、実際、私が中心市街地の活性化に関与している方にお話を聞いた時も、頭を抱える場面はすくなくなかった。では、そもそもまちづくりの原点は何かと考えたとき、それはコミュニティー活動の活性化であると私は思う。なぜなら、コミュニティーは地域社会をもっとも小さい単位で考えたときの集合体であり、そこが住民自治の始まりだと考えられるからである。今回、様々な文献、お話を聞いて活性化とは中心部における昼夜間人口の差を減らすこと、すなわち居住機能の回復という声が多かった。確かに人が住むことによりコミュニティーが生まれるかもしれないが、コミュニティー活動によって人が移り住んでくる、人が集まるといった点で、私は居住機能の回復だけでなくコミュニティー活動の活性化も加えたい。これからの経済や社会状況の中で、高齢者や失業者、女性や学生が地域に密着したコミュニティービジネスを展開したり、NPOに積極的に参加することによって生きがいを見つけ、それが活性化につながるのではないだろうかと感じるからである。これまでハード面における再開発等、目に見える政策が中心だったが、これからは抽象的であるがソフト面である文化的な側面も必要不可欠になってきており、この点も活性化に含んで考えていかなければならないと思う。
第2節 地方都市における中心市街地空洞化の原因と背景について
第1節では、都市の形成と中心市街地について述べてきたが、ここでは実際、中心市街地の現状と対策の課題について見ていく。そこで、まず中心市街地の問題を考えるとき、大都市と地方都市を分けて考えていきたい。たとえば、中心部の夜間人口の減少においては、大都市、地方都市ともに共通しているが、その特徴が異なり、どちらかといえば大都市においては多少解消されつつある傾向がある。バブル経済が崩壊し、中心部の地価が下落するにつれ、中心部に居住機能が戻りつつあるからである。これは、これまでの一戸建て志向から、通勤時間や利便性を考え、マンションなどに住む傾向があらわれてきたからである。一方、地方都市においては、まだ一戸建て志向が強く、中心部と比較するとまだ地価の安い郊外に居住する傾向にある。これには、事業所等の働く場所の郊外移転、自動車の利用率の高さなど、さまざまな原因が複雑に絡み合って生じている。
このように、同じ中心市街地の問題でも、空洞化の背景や要因、ライフスタイル、公共交通機関の発達等が、大都市と地方都市とではまったく異なり、中心市街地の問題を考えるときには、別問題として考えていく必要がある。
では実際、地方都市において、なぜ中心市街地と中心商店街が衰退したのか、その背景を整理したいと思う。
まず中心市街地の衰退は、空洞化すなわち中心部から人口が、郊外や大都市に流出しているからである。では、なぜこのような現象が起きたかというと、第1に、中心商店街の存在の危機にも大きく関係する、大型店舗の出現である。昔は、現在のようなチェーン店が多い商店街ではなく、自営業として各商店で専門の物を販売し、商売をおこなっていた。ところが、大型店舗が出現することにより、その大型店舗に行けば、だいたいの商品はそろっており、商店街のような各商店を、わざわざあちこち行く必要がなくなった。こうなってしまうと、商店街にとっては危機的な問題に発展し、もちろん反対運動が起こる。それで1947年の大規模小売店舗法の成立につながった。
しかし、中心市街地に大型店舗が進出してくることにより、商店街は危機にさらされるが、大型店舗と商店街が共存していくことができれば、逆に、さらに活気づいたはずであるが、中心商店街の利害ばかりが先行し、共存というより反対もしくは足の引っ張り合いになってしまった。
このように、大型店舗の出店による都市構造の変動が生じ、中心商店街を危機的に追いやったが、現在ではさらに大型店舗、チェーン店、スーパーマーケットなどが、今度は郊外に進出してしまい、消費者人口が中心市街地から郊外へと、どんどん持っていかれている。中心商店街は、皮肉にも、中心部の大型店舗と今度は逆に手を組んで共存していかなければ生き残っていけない状況になってしまった。実際、核となる大型店舗がまだ存在する都市では、昔までとはさすがにいかないが、まだ中心部に活気があり、人が集まってきている。だが、これはあくまでも県庁所在都市レベルの話で、ほとんどの都市で、中心部から核としていた大型店舗が撤退していき、核を失った中心市街地もしくは中心商店街は、人通りも少なく、雰囲気的に暗くなっているのが現状である。
第二は、モータリゼーションの進展である。日本は自動車産業が盛んであり、人々が自動車を保有することにより、日本の産業は潤ってきた。だが、過剰ともいえるぐらい自動車の保有率がどんどん増加し、かつては1世帯1台から、今では、2台、3台へとなっている。これは、交通渋滞だけでなく、騒音、排気ガスと環境にも影響を与え、公共交通機関をも圧迫している。
都市には様々な世代の人々が生活しており、「交通強者」、「移動強者」もいれば「交通弱者」、「移動弱者」もいる。「交通強者」にとってはやはり自動車は魅力的であり、便利である。しかし、「交通弱者」にとっては公共交通機関の方が便利である。自動車が普及すればするほど、公共交通機関の路線数や通行回数が減少し、自動車がなければ生活するのが困難になってしまう。地方都市の人口200000人以下の自治体においては、このことが顕著に現れており、子供たち、高齢者にとってはおそらく生活しづらい都市構造になっているのではないだろうか。
そしてさらに、モータリゼーションの進展により駐車場問題も生じ、中心市街地から郊外へと人が流れていく要因の一つとなっている。地方都市では、ほとんど交通手段が自動車のため、中心市街地に来たとしても、自動車を駐車するスペースがなく、あったとしても立体駐車場や20分100円といった民間駐車場ばかりである。このことを考えると、アクセスが容易で、広くゆったりとした駐車スペース、無料で時間を気にせず過ごせる郊外店に行った方がよいという気持ちになる。
しかも、この駐車場問題がさらに、中心市街地の土地利用の弊害となっている。すなわち自動車の駐車スペースを確保するために、中心市街地にある空き地や跡地を民間駐車場にしているのである。これでは、せったくの優良な土地が魅力的なまちづくりにつながるかもしれないのに、駐車場ばかりの中心市街地になってしまう。だからこそ、公共交通機関の利用促進が各自治体で叫ばれているのである。
第三は、中心部における地価の高騰があげられる。これは、居住機能だけでなく、公共施設、映画館や文化会館といった文化施設の郊外化をも引き起こした。自動車を利用する「移動強者」にとっては利便性が向上したかもしれないが、学校や病院、図書館といった施設は、どちらかというと「移動弱者」が利用する率が高い。そのため、このような施設が郊外化することにより、そのような対象世代たちの利便性が低下する。しかも、それと同時に、事業所や居住機能なども郊外化していくという悪循環をも引き起こしている。公共施設や文化施設は人が集まる絶好の場であるにもかかわらず、地価の高騰による土地確保の困難さから郊外化を余儀なくされているのが現実である。
このように、地方都市における中心市街地、中心部商店街の衰退は、大型店舗の出現、モータリゼーションの進展、地価の高騰、公共施設・文化施設の郊外化、公共交通機関の弱体化、人々のライフスタイルの変化など、様々な要因が複雑に絡み合って生じている。
各自治体においても、中心市街地の問題は、まちづくりの重要な問題ととらえ、どうにかしなければと日々取り組んでいるが、実際に中心市街地の活性化までいたった自治体は数少ない。率直な話、ここまで複雑に絡み合った問題を容易に解決することは難しく、ましてや、すべての自治体がとなると不可能に近い。
そこで、ここで少し活性化の可能性を秘めている、県庁所在都市レベルの状況を見ていきたい。
まず、居住機能であるが、これは各自治体の大小関係なく、昭和30年代から、人口の減少と高齢者の増加が強まっており、平均して、過去20年間に人口は2−4割減少し、現在の高齢化率は2−3割に達している。
業務機能は、地方中枢都市(政令指定都市)、準地方中枢都市(県庁所在都市でも、とりわけ広域的に地域に大きな影響を与えている都市)、および一部の県庁所在地クラスの都市では集積が続いており、そして、一部の県庁所在地クラスの都市とそれ以下のクラスでは、徐々に郊外化が進行している。
商業機能は、地方中枢都市では、百貨店、専門店ビルの新規投資が行われており、車利用者もいるが公共交通利用も多く、中心商店街は活気がある。郊外の大型ショッピングセンターや副都心の集積と十分すみわけできている。準地方中枢都市は、大型店新規投資ができるかできないかの境界線上にあり、車利用が中心だが、鉄道、バス利用もあり、中心商店街が繁栄を続けるか衰退するかの境界線上にある。通常の郊外型ショッピングセンターには対抗できるが、郊外の超大型ショッピングセンターとは競合する。一部の県庁所在地クラスは、大型店の新規投資はあまり見られず、車利用が中心であり、中心商店街の活気はとどまっている傾向にある。しかも通常クラスの郊外型ショッピングセンターとも競合する傾向がある。県内第二都市クラスは、百貨店が存在できるかできないかの境界線上で、大型店の新規投資はほとんどなく、既存店の撤退が相次ぐ。公共交通利用は例外的で、中心市街地は衰退傾向にある。通常クラスの郊外型ショッピングセンターにも負けてしまう傾向がある。
このように、これまで各都道府県の中心的役割を担ってきた県庁所在都市でも中心市街地の問題は深刻になっていることがわかる。このまま、無策で中心市街地の空洞化を野放しにしてしまうと、各都市そのものの魅力もなくなり、アイデンティティーが失われてしまい、どの都市も画一的で一緒の顔になってしまう。人にたとえると、みな同じ顔や性格だと楽しくもないし、新しい発見もない。違う顔があり、様々な性格を持っているからこそ人は成長していくのである。
いままでのまちづくりでは限界があり、時代に錯誤しているのは誰しもがわかっていることであり、望んでいない。だからこそ、これからは今までの反省をふまえ、新しい施策を考えていかなければならないのである。
第3節 中心市街地活性化における新しい制度と支援策
地方都市において中心市街地の問題は深刻であり、大きな課題であることがわかった。このまま、中心市街地の空洞化や核となっている商店街の衰退を黙って見ているだけでは、各自治体の顔、シンボルがなくなっていき、アイデンティティーが消失してしまう。
そこで、都市の整備と商業の振興を一体的に推進し、中心市街地を活性化させようと「中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律」(通称:中心市街地活性化法)(1998年6月3日公布、同年7月24日施行)が制定された。
この制度は、各自治体ごとに空洞化の状況や都市形成が異なるために、地域の特色や、地域の住民、商業者などの意向を十分に反映するために、市町村の役割を重視している。しかし、国がまったく関与しないということはなく、国は、市町村の基本計画の指針等になる基本方針(注6)を作成し、公表する。そして、中心市街地活性化を支援するために、「中心市街地活性化関係府省庁連絡協議会」を設けて、市町村に対する効果的な支援のあり方などについて意見交換を行い、さらに、関係8省庁(制定当初は13省庁)で総額数千億円から一兆円規模の国費を確保し支援を行っている。
たとえば、2001年度当初予算(注7)を各省庁ごとに見ていくと、経済産業省は1081億円(市町村もしくは第3セクターによる商業基盤施設等の整備、中心市街地における創造力あふれる中小小売業の育成、都市型新事業の立地促進)、国土交通省は6016億円(まちなか再生を促進する面整備事業、道路・公園・駐車場等の都市基盤施設等の整備、住宅・建築物の整備、鉄道・物流・港湾機能等の強化)、総務省は1249億円(中心市街地活性化のための基本計画の策定や施設整備等に対する支援、中心市街地再活性化のための情報通信基盤の整備等に対する支援、郵便局を活用した中心市街地の活性化)、農林水産省は98億円(食品販売業者等の活性化、卸売市場の施設整備)、文部科学省は121,2億円(ソフト策等への支援、公益施設等の整備)、厚生労働省は2989億円(魅力ある商業集積の形成等、居住環境の整備、公益施設等の整備)、警察庁は171億円(交通安全施設等整備事業)、内閣府は国土交通省内に含まれるといった内容である。
一方、各自治体においては、国の基本方針をふまえ、一定の条件を満たす区域を「中心市街地」と定めて、基本計画を作成し、それをもとに中心市街地の活性化が行われている。
中心市街地活性化法に基づく各自治体の基本計画の提出件数は2001年10月22日においては447市町村(458地区)であり、中心市街地活性化推進室の資料により試算してみた結果、基本計画を提出した447市町村(458地区)における人口と中心市街地の申請面積についてまとめてみると、申請している都市の人口規模は200000人未満が多く、中心市街地の面積としては群馬県沼田市の10haから福島県郡山市の900haまでかなりばらつきがあるが、ほとんど100ha前後の都市が多い。
この申請面積においては、中心市街地活性化法では中心市街地の規模について人口、面積的な規定は設けてない。確かに各自治体によって地域の特徴が異なるため、まばらになるのは仕方ないが、広く浅くではなく、重点的に意味のある活性化をすすめていくためには、ある一定の基準を設ける必要があるのではないだろうか。
では、中心市街地活性化法のもと作成されたこのような基本計画をどのように実施していくかであるが、これにはTMO(Town Management Organization)という組織が計画実施の担い手となる。TMOとは欧米のモデルを通産省(現・経済産業省)が導入したものであり、その定義は、「中心市街地の商業集積を一体と捉え、業種構成、店舗・テナント配置、基盤整備およびソフト事業を総合的に推進し、中心市街地の商業集積の一体的かつ計画的な整備をマネージ(運営・管理)する機関であり、時には、施設の建設主体となることもある」(注8)としている。
TMOになれる者は、商工会議所、商工会、第3セクターの特定会社(大企業の出資割合が二分の一以下であり、地方公共団体が発行済株式会社の総数または出資金額の3%以上を所有または出資している会社)、第3セクター公益法人(基本財産の額の3%以上を地方公共団体が拠出している財団法人)である。
2001年9月14日現在、全国でTMOに認定されている自治体は175団体で、母体の対象が商工会議所である自治体は100団体、商工会は22団体、特定会社(第三セクター)は51団体、財団法人は2団体である。
TMOになるには、まず中心市街地の活性化に向けて実施する予定の事業の概要と、事業の実施によって期待される活性化の効果について記載した「TMO構想(中小小売商業高度化事業構想)」を市町村の基本計画をもとに策定する。そして、この「TMO構想」を市町村が認定したらはじめてTMOになれる。そして、認定を受けた後、TMOは「TMO構想」をもとに「TMO計画」を策定し、事業を実施していく。
だが、中心市街地を活性化していく上で、大きく期待されているTMOであるが、必ずしもうまく機能するわけではなく、問題点もある。
たとえば、第三セクターによる失敗例として、佐賀市の「株式会社まちづくり佐賀」の破産がある。佐賀市の中心商店街の活性化を担って1998年4月にオープンしたエスプラッツとその管理運営を行ってきた「株式会社まちづくり佐賀」が2001年7月11日に破産した。これは、再開発組合、中心商店街、佐賀市の3者で進めてきた計画であったが、当初から売り上げは低迷しており、オープン2年目でテナント売り上げが約40億円の後、毎年3%ずつ売り上げが伸びるはずであったが、実際は20億円前後にどどまり結果的に破産に陥った。原因としては、当初の経営計画の甘さと、第三セクターで、誰が主体となるか責任の所在があいまいだったことがあげられる。
このように、@採算性の見通しや、ATMOは補助事業であるため、補助金目当てに実効性のない計画を策定したり、B商工会議所や商工会が母体になる場合、結局は従来の商店街活性化だけにとどまる恐れがあったりと、問題点はあるものの、中心市街地の活性化の中心的役割を担う組織だけに、TMOの活動次第でまちが大きく変わってくる。
中心市街地の問題は、そこに住む人々みんなで考えなければならない問題であり、こういったTMOの組織や行政だけに任せるだけでなく、民間による民間投資や、NPOやボランティアといった形で、一般の人々も参加して、まち全体で取り組んでいく必要がある。行政、民間、住民と協働によるまちづくりが叫ばれているが、これはまちづくりの根源であり、協働なくして中心市街地の活性化は生まれてこないはずである。
図1 中心市街地整備改善活性化法の仕組み
出所:中心市街地活性化推進室
(注)
1)中心市街地活性化法第6条
「市町村は、基本方針に基づき、当該市町村の区域内の中心市街地について、市街
地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する基本計画を作成することが
できる」
2)水口俊典 1998年 『土地利用計画とまちづくり ‐規制・誘導から計画協議へ‐』 学芸出版社 16−27頁参照
3)1960年の国勢調査のときに、都市的地域の特質を明らかにする新しい統計上の地域単位として「DID(Densely Inhabited District)」を設定した
4)蓑原 敬、河合良樹、今枝忠彦 2000年 『街は、要る! 中心市街地活性化とはなにか』 学芸出版社 24頁参照
5)ここでの空洞化は、若い世代の大都市進出や郊外への居住による、中心市街地における高齢化と商店街の空き店舗による商業の衰退を指す。
6)中心市街地活性化法第8条
「主務大臣は、中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体推進に関する基本的な方針を定めなければならない」
7)中心市街地活性化推進室
http://www.ias.biglobe.ne.jp/madoguchi-go/frame/f-shiryo.htm参照
8)大川照雄、大川道一、宮庄秀一 2000年 『都市型社会のまちづくり 中心市街地
活性化とTMOの実践』 同友館 参照
第2章 地方都市における活性化の事例 −高松市の取組みを例に−
本研究において中心市街地の状況を把握するにあたり、比較的小規模都市の中心市街地は存在が難しいこともあり、1、自立的に産業を行っていくことができ、地方都市の中核的役割を果たしていくことのできる県庁所在都市レベル(政令指定都市を除く)。2、人口300,000人以上の都市規模。3、2001年5月21日現在で中心市街地活性化法に基づき、市町村が中小小売商業高度化事業構想(TMO構想)を認定し、TMOとなった団体。(136団体)4、歴史的に市町村の中心として発展してきた都市。5、鉄道駅を有する都市 といった5つの条件を満たす都市を研究調査の対象に位置づける。
第1節 高松市の中心市街地の概要
高松市は、これまで四国における「中枢管理都市」「商業都市」として発展し、面積は、194.24Ku、人口は2001年6月現在で333,365人である(1999年4月1日に中核市に移行)。人口については、1985年からほぼ横ばいで、世帯数は,増加傾向を維持しており、核家族化の傾向が続いている。また、少子高齢化が進行しており、65歳以上の人口割合は、15%に達している。昼夜間人口比率は113.5%、通勤圏人口は、約84万人と地域の就業拠点として機能しており、四国の県庁所在地では最も規模が大きい。中枢管理都市としての位置づけとしては、旧郵政省を除くすべての政府出先機関があることから、大手企業の四国支店が集中しており、これが高松市の大きな経済活力につながっている。産業別では卸・小売・飲食業とサービス業への就業比率が極めて高い。基本計画に定めている中心地の概要は、市全体の人口がほぼ横ばいであるのに対して、中心市街地の人口は1990年から1995年にかけ、-9.3%となっている。また、高齢化比率も22.6%と市全体を大きく上回っている。中心市街地の商業活動の状況は、1994年から1997年にかけて、小売業の商店数で-8.1%、従業員数で-2.8%、年間商品販売額で-13.1%となっており、今後さらに空洞化が進むおそれがある。また、中心市街地の各商店街において、空き店舗の増加、来街者の減少も見られる。中心地の位置は、面積が250haでJR高松駅(サンポート高松内)、高松琴平電鉄瓦町駅周辺、中央商店街等を含めた都市計画法上の商業地域。サンポート高松港湾基盤施設整備区域を含める。
高松市の中心市街地は、約400年前に建てられた高松城の城下町の中心として栄え、歴史と伝統のあるまちである。中心商店街は丸亀町、兵庫町、片原町西部、片原町東部、ライオン通り、南新町、常磐町、田町の8つの商店街で構成されており、これらの商店街は、すべてアーケードが整備され、アーケードの総延長は2,7kmで、三越を核店舗に、高松市の中心部としての役割を担っている。中心商店街の所在町の人口は、1991年は5287人、1994年は5035人、1997年は4603人と中心部の人口が年々減少しているのがわかる。
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図表1 商店街別空き店舗の推移(全フロアー) |
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兵庫町 |
片原町 |
片原町 |
ライオン |
丸亀町 |
南新町 |
常磐町 |
田町 |
合計 |
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西部 |
東部 |
通り |
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1995年 |
5 |
8 |
7 |
23 |
3 |
2 |
8 |
8 |
64 |
1996年 |
7 |
10 |
12 |
20 |
2 |
1 |
6 |
7 |
65 |
1997年 |
8 |
7 |
12 |
27 |
6 |
5 |
3 |
7 |
75 |
1998年 |
13 |
9 |
13 |
34 |
11 |
6 |
7 |
8 |
101 |
1999年 |
18 |
11 |
7 |
31 |
20 |
5 |
10 |
15 |
115 |
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図表2 商店街別空き店舗の推移(一階) |
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兵庫町 |
片原町 |
片原町 |
ライオン |
丸亀町 |
南新町 |
常磐町 |
田町 |
合計 |
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西部 |
東部 |
通り |
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|
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1995年 |
4 |
3 |
6 |
14 |
1 |
1 |
6 |
6 |
41 |
1996年 |
4 |
6 |
10 |
14 |
2 |
1 |
5 |
5 |
47 |
1997年 |
5 |
2 |
10 |
17 |
4 |
4 |
2 |
5 |
49 |
1998年 |
8 |
4 |
11 |
19 |
6 |
6 |
5 |
6 |
65 |
1999年 |
12 |
7 |
5 |
19 |
10 |
4 |
6 |
10 |
73 |
図表3 事業所総数 |
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物販店 |
飲食店 |
その他 |
空き店舗 |
合計 |
空き店舗率 |
兵庫町 |
46 |
19 |
50 |
16 |
131 |
12.20% |
片原町西部 |
48 |
15 |
8 |
11 |
82 |
13.40% |
片原町東部 |
19 |
13 |
16 |
7 |
55 |
12.70% |
ライオン通り |
67 |
108 |
19 |
31 |
225 |
13.80% |
丸亀町 |
119 |
7 |
31 |
20 |
177 |
11.30% |
南新町 |
76 |
12 |
27 |
5 |
120 |
4.20% |
常磐町 |
53 |
17 |
37 |
10 |
117 |
8.50% |
田町 |
63 |
13 |
345 |
15 |
126 |
11.90% |
合計 |
491 |
204 |
223 |
115 |
1033 |
11.90% |
図表1,2,3出所: 高松市商工会議所 TMO高松 2000年3月 「平成11年度 TMO高松事業構想推進・計画策定検討事業(コンセンサス形成事業)報告書」
第二節 高松市の中心市街地活性化対策
高松市においては、中心市街地活性化基本計画の受け皿として、高松市商工会議所がTMO高松事業構想推進・計画策定検討事業(以下、TMO高松と呼ぶ)として、商業タウン・マネージメント事業構想を作成した。本来、市町村の基本計画が策定された後に、具体的なTMO構想が策定されるのが順序であるが、TMO高松では、高松市と並行して行うことにより、基本計画に商工会議所や商店街の意向が反映できるのではないだろうかと思い、商工会議所の第369階常議員会の承認を得て、TMOを引きうけた。この助成事業名は「コンセンサス形成事業」であり、香川県企業振興公社の助成をうけて行われている。
TMO高松の基本理念は、まず第一に、シンボルゾーンの再生である。中心部の活性化においては人を引きつけるための目玉となる物が不可欠で、高松市では、地域のアイデンティティーである瀬戸の都として海を中心に、日本三大水城の一つ高松城(玉藻城)、商店街、栗林公園、そして県と市で実施しているサンポート高松を活性化基盤として再生していくことを上げている。高松市は海と共に成長してきており、歴史的で、景観を重視した街づくりは大きなポイントである。
第二に、まちなかの多様な集積を活用し、多発的な活性化をめざすことである。中心部に集積した、公共公益施設、文化施設、業務施設、病院等は、中心市街地活性化・まちなかを再生するための豊かな資源であり、情報化社会、高齢化社会の社会環境の変化に常に対応できるためにも不可欠である。高松市は、他の自治体と比較してみると、政府出先機関がすべてあり、大手企業の四国支店が集中しているため、これらの業務機能が経済活力につながり、中心市街地活性化に可能性を秘めている。
第三に、商店街の構造改革である。消費者のライフスタイルが変わり、これからは、物を売る商業機能だけでなく、多種多様なサービス機能をいかに魅力的に付加価値として提供していくかが大切である。
第四に、ビックプロジェクトとスモールプロジェクトである。この位置付けはTMO高松の考えをそのまま引用すると、「激化する競争条件に適応した改革が実効性を獲得し、競争に勝つ。つまり、再開発に代表されるビックプロジェクトは強い力で活性化し、また、テナント・ミックスに代表されるスモールプロジェクトは先進の輝きで活性化に点火し、活性化を面的に展開する。」という考えである。
第五は、地域と連携して、まちなかに生きるである。活性化において大切なことは、中心部に人が居住することである。これは、簡単なようで難しく、地価の問題等あるが、活性化の最終目標はやはり、郊外に出ていった人たちをいかにして中心部に呼び戻すかである。
この5つの基本理念を基に、TMO高松においては、@片原町西部商店街アーケード等整備事業、Aときわレンガアベニューカラー舗装整備事業、B中央商店街南部3町ドーム改 設事業、C南新町商店街アーケード改設事業、D高松丸亀町商店街A街区第一種市街地再開発関連事業、E高松丸亀町商店街G街区第一種市街地再開発関連事業、Fテナント・ミックス管理事業、G空き店舗対策事業、Hソフト事業等の企画調整、I情報関連先進事業、Jショッピングバスモデル事業、Kシースルーシャッター整備事業、L駐車場共同利用体系見直し事業の全13事業を事業内容として取り組んでいる。
(注)
1)高松市商工会議所 TMO高松 2000年3月 「平成11年度 TMO高松事業構想推進・計画策定検討事業(コンセンサス形成事業)報告書」
2)高松市商工会議所 TMO高松 2001年3月 「平成12年度 TMO高松事業構想推進・計画策定検討事業(事業設計・調査・システム開発事業)報告書」
3)高松丸亀町商店街振興組合 1996年3月 「高松丸亀町商店街G街区市街地再開発事業基本計画調査報告書」