2003年度宇都宮大学大学院国際学研究科修士論文(副査担当)を読んで(2004年2月10日)

 

(*以下は正式な評価とは異なり、あくまでも以下の論文4本の副査を担当した中村の個人的な感想である。なお、取り上げた順番は読んだ順)

 

中村祐司(大学院国際学研究科教授)

 

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吉川光洋「日本におけるグリーン・ツーリズムの推進とその課題―岩手県遠野市におけるIターン者の役割に着目して―」を読んで            

 

「グリーン・ツーリズムにIターン者を活用することが、グリーン・ツーリズムを主幹とした地域振興に有効な手段と成り得るのか」(p.2)を探った内容。「イギリスでは『貧しい者がロンドンを目指し、裕福な者はカントリーサイド(農村)を目指す』という言葉をしばしば耳にする」(p.8)という指摘を紹介しつつ、欧州におけるグリーン・ツーリズムの考え方と現状について、英文文献も参考にしながら概観している。

 

遠野市の特徴として、Iターン者の増加を挙げ、こうした人々を対象としたインタビュ調査の内容を明らかにする。その結果、「Iターン者を地域で生活をともにする新たな仲間として快く受け入れる反応を示す者と、『よそ者』として排除する傾向にある者とで大きな差が生じている」(p.50)ことを指摘する。一方、地元の住民からはIターン者が、地元の住民「『地域の住民に都市での生活の概念を押し付けようとしている』(p.54)と批判的な見解を示す者もいる」としている。

 

結局、Iターン者は「当初から組織に身を置いて専業的な取組みをするよりも、自身で何らかの自営業的な仕事を行い、交流や情報を得る機会として組織で『活動』を行うことの方が協調性や、精神的なやすらぎを育み、地域での生活をより充実したものにできるのではないかと考える」(p.58)という結論に至る。

 

以上のように、洋書文献にも当たり、少なくともこのテーマに関する邦文文献にはくまなく目を通していることが分かるし、多くのインタビュ調査による知見にも新鮮なものがある。テーマと事例が絞り込まれていることで、論旨も明確である。 

 

しかし、例えば、グリーン・ツーリズムが「成功」(p.37)であったとみなすには、それを証明する地域実践の事例のもっと検討する必要があったのではないだろうか。熊本県小国町の「ツーリズム大学」などは現場に足を運ぶ価値があったのではないか。そうすれば、遠野市との比較考察も展開できたかもしれない。「東北ツーリズム構想」にしても中央省庁の発案による官製版のしかけを敢えて批判的に検証してもよかったのではないか。

 

また、Iターン者によるグリーン・ツーリズム活用策として、農家レストランや宿泊を伴う体験活動といった農家民宿や、農業体験やオーナー制度・産直販売を挙げているが、活動内容をもう少し掘り下げて説明してもらいたかった。

 

「グリーン・ツーリズムは農村地域の経済向上や、地域振興をその展開から期待するものであるが、あくまでも体験・交流を主とした活動であり、ビジネスとしてのカラーを前面に出してしまうと成り立たなくなる可能性がある」「金銭が絡んだ観光になってしまうと、従来型観光と同じカテゴリーに属してしまう危険性さえある」(p.63.)という見解も、やや楽観的過ぎないか。組織にとって財源の確保やそのためのマネジメント能力は、それが非営利組織であっても死活的に重要なのではないだろうか。「バランスのよいIターン者の活用体系」(同)をめぐる具体論を展開してほしかった。

 

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平田拓也「吉田茂と外務省―吉田対中強硬外交とその背景―」を読んで

 

 おそらく評者の力量の問題により、以下、的確なコメントとは言い難いものの、一読した感想を分散的に述べさせてもらう。

 

作成者は、「日米協調路線の遂行に伴い、アジアにおいて最も悪影響を受けたのは日中関係であろう」とした上で、「戦前期、外務官僚時代の吉田の中国強硬政策、民族運動に対する無理解・軽視に立脚していた中国観をして、すでに戦後の彼の対中外交の限界を示していた」(p.3)とみなす。

 

そして具体的には、「吉田の戦後対中政策の原点ともなった1920年代後半期の対中強硬外交政策を、吉田の外務官僚時代の中国との関わりの中、彼の中国に対する思想と行動、さらには日本の対中政策決定過程への関与を明らかにし、その軍事力を背景とした対中強硬外交成立の背景とその実施過程の分析を試みる」(pp.3-4)として、ここに論文執筆の中核的な問題意識を提示する。

 

しかし、読み進めても、思想観と日本の対中政策決定とが直接的に結びついてこない。また、「民族運動に対する無理解・軽視に立脚していた中国観」についての具体的な記述が見受けられない。むしろ、陸軍、外務省、諸外国といった多くの権力アクターが絡んできており、それらの複合的な交錯によって日本の対中政策が混乱に近い形で進められていったのではないかと思わせる。そのことは、「現地では満鉄、関東都督府と、『非正式接触者』、本省では臨時外交調査会の出現により多元外交を促進する大きな力となった」(p.19)という記述からも窺える。首相時代はともかく、吉田の思想と行動はあくまでもこうした激動の歴史状況の中で揉まれていたに過ぎないのではないだろうか。

 

また、そもそも「軍事力を背景とした対中強硬外交成立の背景とその実施過程の分析」とはいうものの、具体的にどのような分析手法を用いているのか。当時の政治状況が吉田の思想と合致するというのは当然なことではないだろうか。その意味ではテーマ自体から何か新しい知見が生み出されるというよりは、関係文献を読み込むことである種の確認作業をしているのではないか。

 

「最初に治安維持を名目に、最終的に軍出動要請により現地解決を求める吉田のスタイルはここ奉天で確立されることと」(p.39)なり、「吉田の軍に対する態度は、(省略)一つ目に、「満州」治安維持擁護の観点。二つ目に、外務省強いては、奉天総領事を中心とする外交一元化を求める点」(p.43)といったようにまとめている。しかし、その後の展開(p.50からp.66ぐらいまで)では、吉田茂の政治観とは全く別の記述に終始している点などが、テーマとの関連で気になる。

 

「吉田の強硬路線は、20年余りの歳月をかけて熟成されてきたのである。そして、吉田の対満豪強硬政策の要は、軍との関係にあった。吉田ほど歴代の奉天総領事の中で、軍に寛容で、また、軍事力を駆使して己の対中政策を遂行しようとした者はいなかった」(p.90)とする一方で、「吉田の対満豪強硬政策破綻の際、関東軍のみがはっきり吉田のやり方を支持するとし、翌年には、張作霖が関東軍の手により爆殺されたことを考えると、そもそも吉田の満豪政策そのものに限界があったといえる」(p.91)と二面的に把握している。こうした記述から、作成者が吉田―軍との関係に力点を置いていることが分かる。テーマからすれば、吉田―外務省のやり取りないしは相互作用をもっと検証してもよかったのではないか。また、外務省内における吉田の会派的な位置づけを追求してほしかった。

 

そうはいっても本論文は、多くの原資料に忠実に当たって、これらを読み込み、整理・把握し独特な視点から切り込んでいて、作成者が考察を主導する形で文章化したことは評価できる。定点的な歴史文献研究の醍醐味を門外漢な者にも味合わせてくれたことも事実である。

 

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安藤正知「市民参加の形態と議会・議員活動の関連−二元的代表民主主義における市民参加の展開と市民・議会・行政鼎立民主主義への動き−」を読んで

 

まず、「鼎立」という言葉が気になってしまう。市民、議会、行政は互いに相反するということであろうか。また、論文全体を通じて市民、議会以外の行政の役割を掘り下げて把握しているとは言い難い。行政の機能を一面的なラベル付けからしか見ていないようにも思われる。果たして、「行政という仕組みが競争原理の働かない完全独占市場に存在することにある。他との競争を必要としない組織には真の自己改革など望むべくもない」(p.3)と単純に言い切ってしまっていいのであろうか。

 

全体を通して、ニセコ、北上の事例研究の力点は行政―市民関係に置かれているのに、宇都宮については行政−行政補完団体(町内会・自治会系列)関係に力点が置かれ、市内地区レベルの検討には及んでいない(そのことは、p.116からp.118頁の図表にも如実に現れている)。

 

議会の役割についても、議員が選挙という洗礼を受けることの意味付けが述べられていない。結局はその程度の議員しか選出できないというのは住民の政治的熟度の問題に帰される側面については触れていない。斎場とごみ処理施設とを同列に置いた指摘もどうかと思う。

 

宇都宮市議会の議員について、「執行部職員は3700名を超えており、市運営に関する経験と情報は膨大なものがある。行政の専門家ではない市議会議員がそれに抗して条例制定を進めるのは容易なことではない。現状では、限られた資源を有効活用することが重要であり、そのためには対象とする分野を限定することが効果的と考える」(p.110)と述べているが、議員は行政の専門家になる必要があるのか、地方版族議員の再生か、そもそも選択の優先順位はどのように付けるのか、といった疑問が次々に湧いてくる。

 

「議会内政策提言グループ」がそんなに簡単にできるのか、会派はどうなるのか。また、「議会内政策提言グループは必要な調査の設計と実施、報告を提言型市民活動団体に委託する」(p.111)とあるが、後者は具体的にどのような組織を指すのか。こうした記述には行政職員の専門知識を活かそうという発想が全くといっていいほど感じられない。さらに、結語を図式化したともいうべきp.119の下段の図「市民・議会・行政鼎立の民主主義」には、どこにも新しい視点が盛り込まれていないのではないか。

 

以上が通読して気になった点を挙げたが、この論文にはこうした諸点を凌駕する価値があるように思われる。作成者の今までとこれからの市民活動に携わる意気込みと気概が、事例研究にもとづく体系的で壮大な展開の中に、思う存分盛り込まれた大変な力作である。インタビュ内容の絞込みや引用部分の厳選、論理の展開などいずれも卓越している。宇都宮市議会議員へのアンケートにしても、「監視機能」と「政策立案・提言機能」の比重について真正面から問う(p.93)など、従来の地方議会研究ではみられなかったような問題意識が提示されている。また、こうした作成者の問いに真摯に回答した議員が存在したことにも意義がある。ニセコや北上の事例研究にしても精緻かつ徹底した現場主義を貫いている。

 

「複数の大学を抱える宇都宮市では、こうした提言機能をそなえた市民活動が活発化する下地を十分に備えている」(p.120)。地域発の政策提言能力こそ、大学研究室や市民活動組織には今後ますます必要とされるのであろう。

 

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酒入知子「外国人児童生徒教育への取り組みと今後の課題−栃木県の事例を中心に−」を読んで

 

「栃木県内の市町村教育委員会、小中学校を対象としたアンケート調査、小学校における外国人児童に対する日本語指導の授業の見学、外国人児童への面接調査、ブラジル人学校の見学などの調査を実施」(p.3)とある。しかし、その後は、分析の枠組みが提示されないまま、データの羅列紹介に終始してしまった。論の進め方が資料そのものに依存していて、作成者独自の見解がほとんど示されない。

 

例えば、「まず外国人生徒の教育についての法的制度の枠組みを整理したい」(p.12)とあっさり書いてはいるが、なぜ「法的制度の枠組み」を提示するのか、論文全体の文脈の中での説明がなされていない。作成者自身の問題意識というか、主張したいことが最後まで分からない。

 

アンケート調査から、「在留資格のない(不法滞在)の児童の入学があり、今後も増えると考える。不法残留のため健康保険等の加入もなく、治療をすすめても、医療機関への受診はしない。事故、ケガの時がとても心配」(p.31.)、「児童の方が日本語を身につけてしまい、保護者とのコミュニケーションがうまく取れなくなってしまう場合がある」(p.39)、といった興味深い回答をせっかく引き出しているのだから、これを起点にインタビュ等によって、もっと掘り下げることができなかった。「外国人児童は流動が激しいため、年度始めに作った日課表を作り直すこともあるようだ」(pp.49-50)という記述についても同様である。

 

とはいえ、制約された調査状況の中で、外国人児童への面接調査にまで至ったことや、多くのデータを根気よく加工して図表化するなど、丁寧かつ精緻な作業に取り組んだ末、今後の基本材料となる資料を作成したという点は評価できる。また、作成者の本テーマに対する真剣な思いと、論文作成に向かう誠実な姿勢が全体を通じて滲み出ていることも確かである。

 

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