第5章 常設型・住民投票においての反応

 

 本活動の始まりとして、無投票当選という制度に対する住民投票条例について、活動を始めてきた。その活動は我孫子市議会、栃木県議会と行ってきたわけであるが、やはり、住民投票の対象が無投票当選という制度に限られてしまっていることから、現実性に乏しく、議会での討論においても、敬遠されてしまったような感がある。

 ただ、我孫子市議会においては、無投票当選に対象を限るのではなく、一般的な住民投票であれば、行政も議会も比較的前向きであるような手ごたえを感じた[1]。この陳情の活動を開始する以前よりも、住民投票に関して議論されていて、かなり理解度も深かったのである。

 ゆえに、せっかく始めた活動なので、このまま数回の議会で終了してしまうのは惜しいと思い、案件を無投票当選から常設型に話題を変え、活動を続行させたのである。本章からは、常設型の住民投票条例の制定を求める活動に話題を変え、論じていく。

 

第1節 東葛ステイツマンズクラブにおいての審議内容

 

 無投票当選に対する住民投票条例の陳情の活動が一段落ついて、あまりにも議会側の採決が少なかったため、少し、冷静に考える期間をおくことにした。このまま活動を早期に続けるのではなく、少し冷却期間をおき、どうしたら活動の理念を実現できるのか、考えることにしたのである。

 その結果、出てきたのが、やはり、無投票当選となると議員たちにとって自分の身分についてのこととなり、それに対しての住民投票となると、少し現実味にかけるのではないか、とのことであった。住民投票のみでの観点となると、我孫子では行政も議員においても検討がなされ、やや前向き[2]であることを考えると、このまま活動を尻つぼみに終わらせてしまうというのはもったいないのではないか、との結論も出た。

 だから、活動は続けてみると考えたのと同時に、比較的住民投票というものに前向きな我孫子において、もっと深く探りを入れる必要があると感じたのだ。つまり、陳情を提出する議会では実際のところはどうなのか、現実的に探りを入れる必要があると感じたのだ。

 それで、どうしたら、議会で議決を握る議員と接点が持てるのか、考えてみて、自分の学部時代の指導教官に相談したところ、我孫子などの千葉県北西部の東葛地域で若手の議員たちがグループを組み、超党派で政策や政治の研究をしている東葛ステイツマンズクラブがあることを知ったのである。ぜひ、討論をしてみたいとコンタクトを取ってもらったのである。

 本節では、そんな東葛ステイツマンズクラブとの討論内容、また、今後の活動方針などをまとめた次第である。

 

@       東葛ステイツマンズクラブとは

 

 東葛飾ステイツマンズクラブとの審議内容の前に、そもそも、東葛飾ステイツマンズクラブとは何なのか、説明しておきたい。

  東葛ステイツマンズクラブとは、千葉県北部の東葛地区にて、若手議員が集まり、政策や意見の交換などを行なっている若手議員のグループである。流山市議会議員・松野豊代表が代表を務める。それは、ただ単に議員たちで集まって勉強会をするだけでなく、自分たちから政策の提言をしようと、NPO法人格を得て、『地域政策研究所』[3]を設立するまでに発展している。

 そもそものことの発端は現在、東葛飾ステイツマンズクラブにて、代表を務める千葉県流山市議会議員・松野豊議員[4]の発案によるものだった。松野議員が99年初当選した際、その選挙でお世話になった県議にお礼に行った際、1期目でひとり会派[5]では、分からないことや発言力が弱かったりするもので、仲間を作った方がいい旨を勧告されたことがきっかけだったようである。それを受けて、松野議員が近隣市の議会事務局に問い合わせ、20〜30代の若手議員をリストアップしてもらい、一人一人声をかけていったことに発端を処するのだ[6]

 それより、徐々に仲間は増えていき、99年秋には17人が集結し、現在は13人[7]の議員が所属している。99年秋におけるその内訳は、松戸市議4人、柏市議3人、船橋市議3人、我孫子市議2人、鎌ヶ谷市議2人、流山市議1人、習志野市議1人、東京・墨田区議1人となっている[8]

 また、そのグループの顧問は四日市大学教授・竹下譲教授が務めている。

 以上のような性格を持つ議員のグループに対して、著者がプレゼンテーションをさせていただいたのだ。以下では、その審議の内容について、書き記しておきたい。

 

A       若人の熱き議論の下に〜ストーブ議論〜

 

 東葛ステイツマンズクラブとの審議は2000年12月に柏市の公民館にて行われた。それは冬ということで、年末の寒さが厳しい時期となったが、公民館の中はストーブがいらないほどの熱い議論になっていた。

 著者の報告はさすがに無投票当選に対する住民投票を制定する陳情書のあとであったので、無投票当選についてが発表のメインとなっていた。無投票当選について、現役の議員さんから、議会を離れた場所でより、細かい議論ができたことはとても有意義であったように思われる。

 以下、そのプレゼンテーションにおいての主な議論点について、書きとめておく次第である。

 

1、制度上の問題ではなく、地域特有の問題ではないだろうか

 

 これは、議員から出た意見の柱となったものであるが、そもそも当グループの多くが所属している東葛地域では、ほとんど無投票当選という前例が見られない、ということに発端を要している意見である。

 つまり、無投票当選というのは地域特有の問題で、その地域独特の原因があり、そのようなものをさらに細かく綿密に掘り下げていかないと、対処できない問題なのではないか、ということであった。

 ゆえに、全地域に一定的な、制度という意味での、制度という観点での問題ではないのではないか、ということであった。

 これは確かに正論であるが、しかし、このプレゼンテーションが終わった後の現在までの間(2000年〜2003年)には、徐々に東葛地域でも無投票当選の例が見られ始めているということを付け加えておきたい。

 

2、制度でどうにかしようと陳情するよりも、まず、社会の特徴や、若い人の考えなどを調べるほうが先決なのではないか

 

 これは、著者の陳情は何か活動をするよりもまず、議会に陳情書を提出する、そういった現実的な活動が表に出てしまっていて、その住民投票に対する我孫子の市民の感情や、一番身の回りの当時自分が所属していた中央学院大学の学生についての意見が抜けているということから始まった議論なのだ。ゆえに、そういった社会の動きや社会の感情を見ることが先決で、そこからも生まれてくるものがあるのでは、という意見であった。

 確かに、住民投票というのは、そもそも住民が主体となって、住民が使用するものであり、当市の住民や若者の参加なしでは成立しない。そのことは、現実的にも現われていて、行政が主導で行政が乗り気で行った住民投票では、住民の関心がいまいち上がらずに住民投票の意味合いや価値を軽減させてしまったという事例[9]もある。

 であるから、ここで、著者は陳情の活動を見直す意味で、当時所属していた中央学院大学において、学生という若者の住民投票という制度に対する考えを調査することを決行した。それは、当時の学部の指導教官に協力してもらい、地方自治論という講義において、アンケートという形で調査をすることを決行した。

すると、その結果は投票率が低い若い世代であるのに、無投票当選に対する住民投票条例についても含め、すべての質問において、高い関心を示していたのである。

これは、確かに、地方自治論という政治学の講義に出席してきている学生なので、政治に関心がある若者に対して行ったのかもしれないが、それにしても高い数値を示していたのだ。

その具体的内容を書き示しておくと、2000年6月の衆議院選挙に行った人が6割も超し、これは国民全体の投票率をも超えているであろう。また、無投票の信任投票に対しても過半数以上の人が行くと答え、投票率50パーセント未満の方[10]では7割を超え、住民投票で言えば、8割も越えているのである。確かに、これがそのまま投票行動につながるとは限らないが、少なくとも若い世代が住民投票というものに高い関心を示し、期待していることが分かるであろう。

 また、設問のない空欄の自由解答欄には住民投票という制度以上に無投票当選という制度に対する不満、投票を行わずに当選者が決まる不安で溢れていたのだ。

 以上のことから、著者の活動は決して間違ってもいなく、また、若者の多数意思も示していることも分かった。この活動は社会の意思とはずれていなかったのである。これにより、著者は自信を深めるに至った。確かに、今後は議会対策として、陳情書の内容は大幅に変えなくてはいけないが、この活動を続けることへの後押しは揃ったのである。そんな自信を深めながら、2001年の3月議会を迎えるわけである。

 

第2節       常設型への我孫子市議会の初見

 

 東葛ステイツマンズクラブにおいての有意義な討論を終え、活動自体に自身を深め、我孫子市議会の3月議会へと突入した。ここでは、一般質問で住民投票についての質問が出たりして、かなり期待の持てる議会となった。その2001年3月議会についての詳細を本節では述べていく。

 

@       私案・常設の住民投票条例

 

 本議会に提出した陳情書は、「常設の住民投票条例制定を求める陳情書」と名づけられた。

 その内容は、まず、要旨については、私案の常設の住民投票条例をそのまま載せたものとなった。そして、最後の条例の制定方法であるが、これは「首長提案により」という形で、市長より、議案を提出してもらう形による条例化を求めた。

 私案・常設の住民投票は、著者(提案者)が、地方自治関連の専門書[11]を読み、そこにある条例を下にして作成したものであった。主な条例案の内容を述べておくと、住民投票を発動させる内容として、市民2500分の1の署名を要件とした。また、発動要件はそれだけでなく、議会の過半数の賛成も合わせて必要とした。

 また、今までの2001年3月議会以前の我孫子市議会と栃木県議会の活動も生かすために、常設型の住民投票条例ではあるが、そこに通常選挙の場合において、公職選挙法第100条の場合、いわゆる無投票当選の場合は、無条件にて、信任・不信任を行わせる旨の条文も設けた。なお、その場合、市議会選挙の場合は全陳情の栃木県議会時と同様、最高裁判官国民審査[12]を準用するということにしたのである。

 また、条例化について、「首長提案により」として、行政の側から首長から出させようとしたことについては、我孫子市議会において提案される議案はほぼ100パーセント行政の側から市長提案として出されている現状[13]があり、採択のあとを考えると、より迅速に混乱がなく、条例化されるのではないか、と考えたからである。

 次に陳情書の理由については、簡潔に4項目に渡って書きとめた。

それは、地方自治体により権限が強くなることでより自立した街づくりが必要であり、そのためには更なる市民参加が必要であるという一般的な事由と、人権侵害の恐れのある政策においては、その当市民の意見の徴集が必要である旨、より現実的なものと考えてもらうために、16号バイパス問題[14]や合併問題[15]のために、市民の意見を徴収する必要性のために住民投票が必要だとのことをまとめたのである。また、条例化の条文においては、日本は議会制民主主義の立場に立っているので、市民のみの署名だけではく、議会の賛成も必要であるということも合わせて理由として書いておいた。

以上のような文言を盛り込んだ陳情書を、今議会においては提出したのである。

 

A       一般質問における住民投票の登場

 

 さて、前項により、今議会において提出する陳情書が決定し、議会へと提出されたわけだが、住民投票という政策においては、早くもこの陳情について議論がなされる前に動きが見られた。つまり、行政と議員における議会での一般質問において、単独に住民投票について議論に挙がったのである[16]

 確かに、今までも一般質問において、住民投票について議論になったことはあるが、それは市民参加に付属していたり、合併に議論に付属していたのである。ゆえに、ここで住民投票についてとして、単独で住民投票の話題が議論に上ったのは、これが初めてなのである。

 その一般質問は会派・公明党の宮田基弘議員によって行われた。主な質問要点をまとめておくと、

1、合併について、地方制度調査会においても住民投票を制度がしてきているということ

として、合併協議会の設置を求める住民発議が行政や議会より否決された場合の住民投票制度を紹介した上で、

2、一般的な常設型の住民投票条例も検討されつつある

として、市長の見解を求めたものであった。

 これに対しての市長からの答弁[17]は、

1、住民投票制度は大変重要な制度

として、重要性をしてきた上で、

2、愛知県高浜市の常設型の住民投票条例を先進的な試み

として評価した。

 ただ、その一方で住民投票について、いくつか課題があるとし、

3、投票の対象となる事項

4、住民投票の前に市民の十分な議論がなされる必要性

 を課題としてあげ、それぞれを愛知県高浜市の内容をみた上で、代議制民主主義との併用が望ましいとの意見を加えた上で、質問に答えたのである。

 いずれにしても、市長は住民投票の課題を挙げたが、議員、市長両者とも住民投票制度について肯定的な意見が出されたのである。これらの一般質問の答弁に期待を寄せながら、いよいよ、実質的な審議へと突入していくのである。

 

B 収穫

 

「継続審査」

 

委員会採決 継続審査とすることに7−0

 

 このような経緯を踏まえて、委員会審議へと突入した。委員会は総務企画委員会にて行われた。

 我孫子市議会において、委員会のメンバーは任期が2年ということが慣習[18]となっているので、委員会のメンバーは前回の2000年6月のメンバーと変わりはなかった。ゆえに、構成は市政クラブ2名(うち1名は委員長)、「あびこ21」1名、躍進あびこ1名、公明党1名、新世会1名、清風会1名、日本共産党1名にて行われた。

 結論から書いておくと、「継続審査」になった。委員長を抜いた、採決に加わった委員、すべてが継続審査に賛成し、継続審査の許可不許可について、起立をした。起立者7名により、継続審査は許可された。継続審査ということで、採択には至らなかったが、この継続は陳情の内容などについて、意義の多かった継続審査であり、前向きな継続審査となった。

 議会の議員について、全会派について、住民投票に対する姿勢や意見が聞けたことで、非常に収穫はあったように思われる。

 以下、本委員会において、出された意見を記しておく。

 

1、陳情書に盛り込まれた私案の条例案において、住民投票を発動させる要件が市民2500分の1と低く、濫用を招く危険性がある

 

 この意見は、著者が提出した陳情書の内容が、条例案をそのまま載せた内容であったために、その中の1つの文言についての指摘であった。つまり、住民投票を発動する要件が2500分の1ということになっていて、それだと制度の濫用を招くということであった。因みに、2500分の1ということに当てはめると、我孫子市の場合、有権者は約30〜35人くらいになるであろう。

 

2、無投票当選の条項がある

 

 これもやはり、一点目と同じく、条例案を陳情書に載せたので、その条例案からの指摘なのであるが、条例案に無投票当選の条項があるということであった。

つまり、常設型の住民投票条例なのに、なぜ、無投票当選が出てくるのか、なぜ、無投票当選の場合だけ無条件で住民投票が起動するのか、ということであった。一般的な住民投票と無投票当選という制度に対して行う住民投票では、また、意味合いや性格が違うとのことであった。

以上のことが、当陳情が付託された総務企画委員会で出た主要な意見である。

また、今議会では、総務企画委員会において、私の陳情があったため、住民投票を題材とした、行政視察が組まれた。当陳情が源として、行政視察が組まれたのである。その話し合いが持たれた。

それは、全国で初の常設型の住民投票条例を制定した、愛知県高浜市に決定した。しかし、日程上の都合で折り合いがつかず、結局は大阪府箕面市に行くということで決着がついた。

 以上のことが、2001年3月議会の総務企画委員会での内容である。

 

C     継続審査

 

本会議採決 継続審査とすることに29−0

 

総務企画委員会が終了し、当陳情は本会議にて、議員全員にて図られることとなった。いわゆる本会議採決である。

本会議では、全会派・全議員が継続審査を許可することに賛成し、起立をした。

おそらく、これは総務企画委員会での審議が住民投票については非常に前向きで、継続とした理由として、陳情書の内容や形式的なことであったからであろう。そして、総務企画委員会で行政視察が組まれたために、その進行との過程上の話もあるからであろう。

よって、我孫子市議会議員が住民投票という制度に否定的な意見は持っていないということが分かり、それを収穫として、この2001年3月議会は終了したのである。

 

第3節       常設型・不採択

 

 2001年3月議会が終了し、その中で、我孫子市議会や行政は住民投票には必ずしも否定的な意見は持っていないことが分かった。その上での継続審査であった。

 継続として持ち越しとなり、2001年6月議会に突入した。

 ここでは、著者は陳情書の書き直しも考えたが、とりあえず、継続審査となっているので、取り下げて書き直さずにそのまま議論の推移を見守ろうと考えた。3月議会で出された陳情書のまま、6月議会を迎えた。

 

@       私案条例案の存在

 

 

「不採択」

 

委員会採決 採択することに0−6

継続審査とすることに1−0

 

 本議会では、住民投票に関する一般質問は議員からは出されなかった。よって、住民投票に関する議論はすぐ、総務企画委員会において行われることとなるのである。

 まず、結論から述べておくと、総務企画委員会での結果は不採択となった。その内訳は、願意採決[19]で計り、起立者はゼロ名であった。また、今委員会では継続審査で計って欲しい旨の要望も委員会であり、継続審査で計った採決には1名の起立があり、継続審査を認めることに許可・不許可の採決は否決された。その継続審査についての採決の起立者は日本共産党の1名であった。それ以外の各会派は全員とも、願意採決にて、着席をし、当陳情は不採択をいうことで決定をした。

 今回の6月議会にて、総務企画委員より出された意見を記しておく。

 

1、住民の住民投票を発動させる要件が濫用を招く

 

 これは、前議会(3月議会)にて出された意見と同じであり、解説については省略する。要するに、陳情書も変わっていないのだから、出される意見も変わらないのだろう。

 

2、無投票当選の条項がある

 

 これも、前議会(3月議会)にて出された意見と同じである。

 

3、書式が良くないという意味合い

 

 この意見が不採択にする最大の理由なのであろうが、陳情書の内容や書式など形式的なことが採択しかねるというものであった。

 以上が本委員会で出された主要な意見である。本委員会では、あまり、新しい意見は出されなかった。とにかく、陳情者の便宜のために、とりあえずは不採択にしたという意思に見受けられた。

 

A       起立者ゼロ名

 

本会議採決 採択することに0−29

 

 こうした総務企画委員会での審議を経て、陳情書は本会議採決へ託されることとなった。本会議では、委員会にて「不採択」ということで、委員長報告があったので、願意採決[20]にて、採決を取ることとなった。

 願意採決の結果、願意妥当と認め、採択の意思を認めた議員は結局一人もいなく、ゼロ名であった。その結果、本会議採決においても不採択ということが決定し、今回の6月議会においては「不採択』ということが確定した。

 この活動を開始してより、初めての起立者ゼロ名による不採択である。

 ただ、その不採択にした理由があくまでも陳情書の形式的なことを理由とした不採択の希望であった議員が多かったので、これは前向きに捕らえるべきが正しいのではないだろうか。

 これにより、また、陳情書自体も陳情の活動についても、ゼロからのスタートを余儀なくされた。また、再び、1からのスタートとして、次の議会が始まるのである。

 

第4節       常設型一回目の所見

 

 ここで、常設型の住民投票条例が我孫子市議会において、初めて触れられたという章、第5章において、章のまとめとして、今章で紹介した2001年3月議会と2001年6月議会において、所見をまとめておきたい。

 実質的な委員会審議前の一般質問においてのやり取りは非常に有意義なものとなった。

 確かに、質問内容は合併の案件と付随しているが、市長自身、愛知県高浜市の条例化を非常に高く評価していて、一般的な住民投票条例についても前向き[21]で、我孫子市において、条例化へ向けて弊害がなくなりつつあったのである。

 ただ、当陳情は議会に対して出された陳情であり(行政に対して、市長に対して出された陳情ではないので)、表決に時間がかかることだろうが、採決されれば条例化は間違いない情勢になったのである。ゆえに、あとは議会を通すだけで、非常に期待の持てる、有意義なものとなったのだ。

 それで、その市長の見解を経て、2001年3月議会であるが、ここでは当陳情において、数々の意見が出された。それに関しての、著者の意見を書いておく。

 最初にその委員会審議で出された意見の一つとして、陳情書の中にあった条例案の文言の一つで、住民投票を発動させる要件として、2500分の1ということがあり、これは住民投票を発動させるには簡易な数で濫用を招くのではないか、ということが挙げられていた。

このことに関して、著者がなぜ、2500分の1という簡易な数にしたかというと、これは、少数派の利益保護を目的として、このような要件にした狙いがあったのだ。

常設型の住民投票というと、一般的な常設型の住民投票になると、住民投票を発動させる要件となると、50分の1[22]であるとか、3分の1[23]であるとか、かなりの数を必要とするものが多いのである。

 それでは、制度があっても、お飾りになってしまい、住民が手軽に使用できない環境になってしまうのではないか、ということがあるのである。それだと、条例化して制度があっても、何の意味もなくなってしまうのだ。

 ましてや、住民投票に上る案件として多いのが、迷惑施設などの当地域に住む少数派の市民の人権が侵される可能性の高い案件が多いのだ。そのようなものは、そういった地域に住む者の観点では重要案件であるが、それ以外の地域に住んでいる者の観点では、いまいち現実味が湧いてこなかったりするものである。そういった、少数派の利益保護の便宜のために要件を減少させた理由があった。

ただ、そういった、内容は現実的ではなく、議会への対策としてより議会が採択しやすい陳情書とはいえないということは念頭にあったが、多少陳情書に良くない部分があっても、それは採択されたから修正すれば良いのであり、陳情書そのものについては軽視している思惑があったのだ。要するに、陳情書というのは参考程度で、採択したあと正式に条例案に対して深めていくわけで、陳情書の内容はそれこそあまり議論の的にはならないと考えている点もあったのである。しかし、後々から分かったことであるが、我孫子市議会には「趣旨採択」という決着で決める慣習がなく、本当に陳情書の文言すべてにおいて、採択できる内容になっていないと、採択はできないということがわかった。であるから、この我孫子市議会が下した判断のように、書き直しが必要だったのである。趣旨採択という方法が慣習となっていない我孫子市議会においては、じっくり練り直して書く必要があったのだ。

 また、その要件の問題以外にも、同じく陳情書の中の私案条例案の内容について、無投票当選については無条件で住民投票を行う、ということも議論の的となった。これに関しては、そもそもこの活動は2000年6月議会より、無投票当選の解消を目的として始めたものなので、その余韻を残しておきたかったということが条例案に残した理由である。これも前述したとおり、趣旨採択のない我孫子市議会においては現実味のない書き方となってしまったのであるが、無投票の条項は遺しておきたかったのだ。ましてや、常設型の住民投票条例に無投票当選者の信任投票を盛り込んだのはもちろん、全国初であり、注目を浴びる条例になっていたはずなのである。そういったことで、前例がないと言って敬遠するのではなく、無投票当選のある市に先駆けて、模範となって欲しいと願いを込めたのだ[24]。そういった、無投票当選の多い、他の自治体に先駆けて着手することで、地方自治の先導機能をフルに使い、先進市となって欲しいという願いを込めたのである。

 以上のことが、総務企画委員会で出た意見の所見であるが、それど同様に注目の点であったのが、当陳情を基にして組まれた行政視察であろう。話によれば[25]、当初は常設型の住民投票条例のある愛知県高浜市へと行く予定であったのであるが、高浜市との都合が合わずに結局、大阪府箕面市[26]へと行くことが決定し、行って来たようである。

 ただ、それは行かれたようなのであるが、その後の6月議会において、その行政視察への成果や検討点、今後の方針など具体的な点は誰の委員からも聞くことはできなかった。せっかく行ったのだから、せめて次の議会にはそれがどのようなものであったのか、じっくりと聞かせていただきかったものである。財政的な面から、行政視察についてはいろいろな面より批判の声が挙がっているが、このことに関しては残念な点であったと言えよう。

 なお、2001年6月議会においての所見はあくまでもこの陳情書の書き直しを迫るもので、実質的な審議は3月議会と同じであったので、省略したい。ゆえに、これより陳情書を書き直した上でどうなるか、期待の持てるところである、ということなのだ。



[1] 詳しくは、第3章を参照のこと

[2] 詳しくは、第2章、第3章を参照のこと

[3] 2002年3月NPO資格申請、2002年7月NPO法人格取得

 月間ガバナンス(2002年5月号より)

[4] 1期目・現在34歳

[5] ひとり会派の説明に関しては第2節のAを参照のこと

[6] 月間ガバナンス(2002年5月号より)

[7] 主なメンバーとして、松野豊議員(流山)、古川隆史議員(柏)、中澤裕隆議員(柏)、勝部裕史議員(我孫子)、坂巻宗男議員(我孫子)、箕輪信矢議員(松戸)、岩堀けんし議員、大海雄一郎議員(東京・墨田)などが挙げられる

[8] 当クラブが2001年3月に開催した千葉県知事選挙・演説会における

 当クラブの紹介チラシより

[9] 上田道明『自治を問う住民投票〜抵抗型から自治型の運動へ〜』

     (自治体研究者、2003年)

[10] 詳しくは、第4章を参照願いたいが、栃木県議会への陳情の時より、無投票当選という制度になった場合以外でも、通常の選挙でも投票率50パーセント未満の場合は無条件で住民投票を行う旨の規定を入れたのだ

 本アンケートの設問はそれについて、必要かどうか、行くかどうか、について問うたもの

[11] 折田泰宏『住民投票条例の法制度化の検討』(月刊自治研、1999年)など

[12] 最高裁判官国民審査法より

[13] 詳しくは、第6章を参照のこと

[14] 詳しくは、我孫子市議会議事録を参照のこと

[15] 詳しくは、第7章を参照のこと

[16] 我孫子市ホームページ 議事検索録より

[17] 詳しくは、第3章を参照のこと

[18] 詳しくは、第2章、第4節を参照のこと

 

[19] 願意採決についての説明は第2章・第1節を参照のこと

[20] 願意採決についての説明は第2章・第1節を参照のこと

[21] 詳しくは第3章を参照のこと

[22] 著者・武田案の改正案である

[23] 愛知県高浜市「常設の住民投票条例」の要件である

 上田道明著『自治を問う住民投票〜抵抗型から自治型の連動へ〜』

(自治体研究社、2003年より)

[24] 詳しくは第4章を参照のこと

[25] 当時総務企画委員であった坂巻宗男議員(あびこ21)に対して、著者が聞く

[26] 常設型の住民投票条例は持っていないが、住民投票を行える市民参加条例を持つ