はじめに
選挙とは有権者の意思表明する道具なのであろうか。そして、選挙だけが有権者の意思表明の道具なのであろうか。選挙で選ばれ議会に登壇する議員とは、有権者の代弁者なのだろうか。そんな単純な疑問点が近年話題になっている。
2003年4月、各地で統一地方選挙が行われた。
有権者の期待を背に、各地で多くの首長、地方議会議員が誕生した。
地方議会を取り巻く環境は近年住民より遠いものとなっている。ゆえに、住民からの関心は総じて低いものとなってしまった。特に、若い世代の20代、30代の世代においてはそれが顕著となっている。
1999年統一地方選挙後においての中央学院大学アンケート調査においても、それが明らかとなっている。地方政治・地方議員のイメージは何色かの問いには、灰色といった暗い色が多数を占め、政治家の対義語としては住民・市民を挙げるなど、政治とは市民と住民が対立するものであることと明らかとなっている1。
また、2003年に宇都宮大学中村祐司研究室内で行った選挙に対する座談会においても、選挙について話題では、「演説がわざとらしい」、「公約はきれいごとである」、「白票を入れるしかない」など、選挙や政治に対して、前向きな言論は出てこなかった2。不信感が募り、選挙への関心もとても低いものであったのである。
このように、政治学・行政学を学ぶ学生ですら、地方議会・議員、政治家に対する印象は良いものとは言えないのだ。それはなぜかと考えても、やはり、議会が立法府として機能しているのか、住民の代表として機能しているのか、初歩的な議会の現状について考えていかなくてはならない。
そもそも、地方議会の歴史は日本において、100年以上の歴史を有している。地租に対する抗議運動のために作られた、地方民会が原初形態であるのだ。その後、1878年の府県会規則、1880年の区町村会法により、府県会、区町村会という正式な議会が存在するのである3。
明治時代に入り、それらの地方議会は市制市町村制、府県制・郡県制により確立されることとなる。ただ、それらの議員は「自治政参加は公民の義務」とされたことから、名誉職である無給とされた。それにも加え、市町村会は執行機関の長を選ぶ役割を担っていたが、府県会の知事は官選であり、結局は首長の決定に正統性を与えるために存在し、首長の翼賛体制とされていた。また、言うまでもなく市町村会は首長を選ぶことができたが、そのため腐敗も絶えなかったということもある。それから、1900年ごろになると、国政の政党政治化に習って、地方議会においても政党政治化が進むこととなるのである。
これらの二つの歴史は現在においても、残存しているのは言うまでもない。また、これらのことが地方議会の大きな特徴となっているのである。地方議会議員は名誉職という無給で良いというのも、慣習として残っている。議員報酬については、人口規模の多い自治体ほど高いという構図になっているゆえに、町村議会ではほぼ名誉職に等しいものとなってしまい、兼業を余儀なくされてしまう。町村議員以外の議員でも活動費や交際費、庶務費などで支出が多くなり、結局は兼業をしている議員がより広く活動できるという議員職の名誉職状態が起こっている。そもそも、各種選挙の際、マスコミ報道において、まず職業は何かについて前面に出て、報じられることは議員職が名誉職であるということに他ならないということを示しているのかもしれない。
このような、議員の名誉職化としてしまうと、結局のところ、議員のなり手は農林漁業者や中小企業経営者、土木建設事業関係者4となってしまうのである。これでは一部の人々が代表者となってしまい、住民全体の代表者という観点からはまた離れてしまう。
結局のところ、このような名誉職の度合いが深まると、地方議会議員はアマチュアで良いとする慣習が植え付けられてしまい、政治や政策のプロとしての専門職として議員が育つということを妨げることとなってしまうのである。
政党化という観点も地方議会を現した観点である。まだ、はっきりと政党化してしまっている地方議会も随所に見られる。そもそも、地方議会・行政とは首長公選制であり、行政の長を住民が直接選挙において決定するのである。ゆえに、議会の多数党である与党から総理大臣を送り出す、国政の議院内閣制とはまったく違うものであるということを年頭において欲しい。ゆえに、地方議会において与党も野党もないはずであり、各議員が個人の考えで意見を表明し、採決をするという機能になっているのである。それにも関わらず、政党化している地方議会もあり、首長や議会内において、与党や野党とはっきりと二分化している議会もある5。
政党化してしまうと、国政の意見をそのまま流すことになり得る。これでは、地方やその地域で独自で決め、その住民の意向のもとに存在するという住民自治の原則をないがしろしてしまう恐れがある。また、政党政治化による利益誘導による腐敗も懸念される。国政より系列化が深まり、地方への補助金取りと地元の利益誘導のために地方議会議員は存在することとなってしまうのである。
そのような背景を持つ、地方議会では住民からの陳情や請願に対しても、即応できないという場面も多々見られる。そうなると、住民は議会を避け、首長をはじめとする執行機関に直接陳情するという構図が見られるのである。
このような多種多様な住民からの働きかけに即応できないかというと、やはり、上記のように議員が一部の代表者で占めてしまうことであり、その議員の支持者だけの既得権を守れば良かったのであり、多種多様な問題に対応できなかったからである。
あるいは、議会内部の活動のマニュアル化もある。各地方議会は全国都道府県議長会、全国市議会議長会、全国町村議会議長会が作成した標準議会規則に沿って、議会運営をしている議会が多いのである。また、選挙とは言えども、入れ替わるのは現職の数名であるため、内部社会的な要素が登場し、多数の慣習も存在するのである。その慣習の力学が議会においてかなりの重みを持つ。新人議員が当選しても、まず求められるのが慣行や慣習に習熟することなのである。各議員においても、議会とは多数の議員の集合体であり、議員一人の権限にはおのずと限りがあるため、その慣行や慣習に習熟することをやむを得ず、呑むしかなくなってしまうのである。あるいは、政務調査費の確保や議会運営委員会の加入のため、一般質問での発言の確保のために意に添わない議員の会派を組まされ、その会派の中で慣習に埋没させられてしまうのである。
条例案や意見書の提出など、何かを議会に提案する場合においても、議員総数の12分の1の賛成者を必要とする。本論で取り上げる、我孫子市議会(千葉県)においては3人以上の賛成議員を必要とするのである。提出議員を除いた2名以上にどうしたら提案に賛成してもらわなくてはならないため、議員内部でのヨコの関係も非常に大切なものとなってしまうのである。そのような議員立法をすることにしても、ほとんど研修機会すらないのである。また、議員立法をするにしても、その立法化を支えるような、法制スタッフの存在も各自治体には皆無に等しい。行政部門に協力を求めても、自分たちの法制の職務を奪われる、職務を侵されると感じられることも多々あり、各種職員の協力にしても、非常に非協力的であるということも聞かれる。ゆえに、立法府であるのに、議員が議員立法をするということが稀になってしまうのである。多くの議員は首長へ向けた住民との仲介役になり得るのかということでしかなくなってしまうのである。
そうした議員は結局、首長と結びつきが強くなってしまい、議会の首長に対したオール与党化を生んでしまうのである。首長選挙に対して、議員からの出馬が目立つ近代においては、そのオール与党化は無投票当選など、選挙の無風化を生んでしまう温床になってしまうのである。住民の一番身近な政治活動である、選挙の無風化は住民から政治を離してしまう悪循環状態はさらに深まってしまうのである。
本会議の採決や討論にしても、儀式化してしまっている。議会の議論については、できるだけ非公開とすることを目論み、隠そうとする傾向にある。委員会での陳情の審議においても、開始後すぐに委員長に対して、休憩を提案するのだ。それにより、実質的な審議は休憩中に行われるのである。これは、議論がスムーズに進行するという名目で行われているのであるが、当然のことながら、議事録には残らない。ゆえに、あとから議事録にて陳情の審議を確認しようとしても、そのページが真っ白となっていて、実質何も議論が行われなかったのではないか、と疑われても反論の余地がない現状となってしまっているのである。
最近では、行政改革の一環として、議会が率先して議員定数の削減を実施する傾向にある。しかし、それも議会が自ら機能していないと表明するものであると言えなくもないのである。あるいは、自分の地盤や支持母体を持つ議員のみが生き残るもとして、より多くの住民の声を拾い、より多くの住民からの代表が出されるという観点ではあまり好ましいことではないだろう。
ただ、こうした現状の中で、地方議会特有の慣習などに疑問を持ち、地方議会の改革を目指し、地方議会議員同士で勉強を深めようとするネットワーク化も進んでいるのである。本論でも述べる千葉県東葛地域の「東葛ステイツマンズクラブ」もそうであるし、「地方議会政策研究会」、「開かれた地方議会をめざす会」、「虹と緑の500人リスト運動」6もそれらのネットワークグループの一種である。このような活動は地方議会の未来への希望の光となるはずである。地方議会の改革の芽は決してないわけではないのだ。
このような地方議会について、活動を行っていくには以上のような、その議員個人の人間性、議員相互の人間関係、政治力学をどう制するのか、そこに議会を制せるかがかかってくる。ましてや、前述の通り、現在の議会において、あまり住民の目が届かない場所にある点により、議会においてこの『議会内社会』が占める部分が非常に多くなっている。その意味では『政治』というよりは、『社会』を制せる人間(議員)が議会を制している点が多いのである。
「政治とは誰のものだろうか」と考えると、やはり、住民のものに他ならない。しかし、議会内部の者にしか分からない社会が存在すると仮定するならば、政治は住民のものであるとは言えないであろう。
本論では、議会において、外部の人間に分かりづらい社会というものに着目して、住民に身近な地方議会とは、どのようなものか実例を踏まえて、研究していくものである。一つの案件について、どのような経緯で決断されていくのか、その理由や変化の過程を調べ、議会とは一体誰のものなのか、誰のためにあるのかについて、改めて熟考していく。対象には千葉県我孫子市議会を選んだ。そこに一つの陳情書を提出していき、それがどのような経緯を送ることとなるのか、検証するのである。それにより、通常見難い、議員活動の実態が浮き上がってくることであろう。それにより、選挙とは何か、議会とは何か、ということが改めて判明してくるはずである。
そんな、活動期と論文とを混同させた新たな論文の体系が本論なのである。