初期セミナー

インターネットと政府情報

002144A  露久保 貴之

    難民問題について

近年難民に関する話題のニュースや、ドキュメントなどを頻繁にテレビや、雑誌などでみかけるようになってきて

います。そこで、身近な、アジア諸国と、いくつかの国々ではいったいどのような地域で難民に関する問題があるのかインターネット

で情報を検索してみました。

難民とは?

難民についての最も基本的な国際的ルールは、1951年に採択された「難民の地位に

関する条約」、及び議定書(1967年)で、現在両方の当事国として加盟しているのは、1

29カ国で、日本は、1981年に加入しました。

 難民条約の中では「人権、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること又

は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する

ために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又

はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」と定義

されています。

・現在の状況について

 

オーストラリアとニュージーランド

 

オーストラリアは現在、32000人以上の難民を保護しています。最近では旧ユーゴスラビア、アジア、アフリカから多くの人々が庇護を求めてオーストラリアにやってきます。難民はオーストラリア政府からの援助を受けています。

ニュージーランドも、定住受け入れには寛容な国で、早急に保護が必要だと判断した地域から毎年700人以上の難民を受け入れています。難民は政府の援助を受けています。

1994
年以来、オーストラリアにはベトナム人のボート・ピープルが到着しています。インドネシアのガランで難民と認められなかったベトナム人、また、中国南部に定住していたベトナム人のグループです。オーストラリアとベトナムの政府間協議の結果、ガランから来たベトナム人の過半数は、最初の庇護国であるインドネシアに戻りました。

UNHCR
の活動は、政府や民間団体の難民援助グループを支援する様々な段階での訓練を通じた国際難民法の促進が中心となっています。さらに、政府当局に対し、難民や庇護希望者を支援しています。また、資金調達を始めとする渉外も重要な仕事の一つです。

 

 

 

カンボジア

 

1993年半ばまでに、38万人以上のカンボジア難民が祖国に帰りました。ポル・ポト政権下における大規模な人権侵害から逃れていた人々です。その後UNHCRの活動は変化してきました。帰還民の状況のモニターは続けていますが、11万人以上の国内避難民も援助しています。さらに、ベトナム系漁民数千人の問題の解決にも努力し、カンボジアへの帰還ができました。

UNHCR
は何十万もの帰還民の中でも最も弱い人々への援助に焦点を当てています。活動の中心は、自立の促進ですが、必要な場合には補足的な援助を実施しています。多くの母子家庭がこれで救われていますが、はっきりとした長期的な解決策はまだありません。

92
年に帰還計画が始まってから、UNHCRの資金で17000ヘクタール以上の農地を帰還民のために整備し、種をまき、また、土地の権利登記も行ないまし た。耕作に適した土地の不足が復興をはばむ大きな妨げになっているのです。UNHCRは土地を持たない帰還民に、土地の法的権利を確保するよう 努力しています。

政府軍とクメール・ルージュ(ポル・ポト派)との散発的な衝突のために、農村部の人々が、村から逃げています。さらに、カンボジアでは世界一多くの人が地雷の犠牲となっており、最も地雷の多い国の一つです。

 

上の写真は、難民保護団体などが派遣した、

医療スタッフ。

 

上の写真は、住居を失った人のための

仮設のテント。

 

 

 

 

 

 

 

これらの写真は、火事などで焼出された家。

中国

 

中国には、約287000人のインドシナ難民がいます。その大半は南部の国営農場・工場に定住しています。彼らは就労権を持ち、子どもを地元の学校に通わせています。インドシナ難民のほとんどはベトナムの出身ですが、ラオス人とカンボジア人もいます。他に少数ですがイラン、スリランカ、スーダン、ソマリア、ブルンジ、ルワンダからの難民もいます。

インドシナ難民の大半は中国に永住し、市民権を得る見通しです。UNHCRの計画の主な目的は、自立の支援にあります。貸し付け用資金の融資計画(生活水準が貧困ライン以下の難民約15%が対象)もその一環です。これまでもUNHCRの助成金をもとに、難民と地方自治体に必要なインフラ整備が行なわれてきました。職業訓練も成果を上げています。

UNHCR
は、国内の難民のための法的手続きの促進にも取り組んでいます。

 

香 港

 

米軍がベトナムから撤退した1970年代半ば以降、ベトナムから大量のボートピープルが香港やタイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア諸国に上陸しはじめました。その多くは、より豊かな生活を求めてベトナムを離れる決心をした経済移民でした。

1989
年、この問題の解決をはかるために国際会議が開かれました。そして、ベトナムからの経済移民の流出をへらすと同時に、難民の審査や保護に関する措置を定めた「包括的行動計画」(CPA)が生まれました。

この20年間に香港にたどりついたボートピープルの数は、じつに20万人近くに達しています。すでに14万人は西側諸国での定住先をみつけ、香港に残っているのは2万人程度です。そのうち19000人は「難民」と認定されず、収容所で暮らしています。ベトナムの経済状況も好転したため、香港政府は彼らのベトナムへの帰還を期待しています。

UNHCR
は、ベトナムへの帰還を決意した人々に対して、資金援助(ほぼ1人分の年収に相当)を行なうとともに、帰還民が社会に適応したかどうかのモニターを実施しています。これまでに、ベトナム政府による迫害や帰還民への差別などは報告されていません。ベトナムでの難民問題がほぼ終わりを迎えたため、「包括的行動(CPA)計画」は9671日に終了しましたが、UNHCRのベトナムにおける帰還民支援活動は続けられます。

 

バングラデシュ/ミャンマー

 

1992年以降、ミャンマー(旧ビルマ)東部のラカイン州から隣国バングラデシュに25万人以上が逃れました。彼らはミャンマーで徴用、強姦などの人権侵害を受けたと訴えました。これらの難民は仏教国ミャンマーでは少数派のイスラム系住民で、バングラデシュ南部の住民と同じような言葉を話します。

94
年になって、バングラデシュとミャンマー両政府は、二国間帰還協定に調印しました。さらにUNHCRは、援助活動や帰還状況のモニターの許可をミャンマー政府から受け、難民の帰還がはじまりました。UNHCRは給水、教育、保健、教育などの小規模な地域開発プロジェクトを実施して、帰還民の生活再建を支援しています。

しかしながら96年、再びミャンマーのラカイン州からバングラデシュに
1
万人以上が避難しました。なかには不法移民として逮捕された人もいます。UNHCRからの再三の要請にもかかわらず、バングラデシュ政府はこれらの人々に対するUNHCRの接触を禁止しています。そのためにUNHCRは、彼らの難民認定を行なうことができません。

1996101日現在

上の写真は、ミャンマーの学校の写真。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

今まで、難民問題といっても、テレビなどでやっているカンボジアなどでさえもほとんど知らなかった。

しかし今回、インターネットを利用してみて今まで全く知らなかったいろいろな情報を知ることができた。

今、私たちが、ゆうふくに暮らしているなか世界中では、苦難な生活を強いられている人々がいることを、

まのあたりにした。

難民関連ホームページアドレス

上のレポートに使われた写真や、資料は下記のホームページから抜粋しました。

http://www.aarjapan.gr.jp/

                http://www.netlaputa.ne.jp/~peacewin/

                http://www.rhq.gr.jp/

                http://www.d-plug.com/rijapan/

                http://www.relnet.co.jp/jinrui/

                http://webclub.kcom.ne.jp/ma/jenhq/

                http://www.unhcr.or.jp/

                http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/