2024年1月 中村祐司の教育日誌
24/01/15. Mon.
外国語文献講読
“Japan, the U.S. and South Korea patrol the skies together”, ”With new name for Johnny’s, focus shifts to victim compensation”, “Record 114 million people now displaced worldwide, says U.N.”を読む。最初は日米韓の初の合同空軍演習の後押しする社説、次はジャニーズ問題(とてつもなく長い時系列も含めた根の深さに怒り)、最後は世界における難民の苦難を数字から裏付けた内容であった。残すはあと2回。確実にやっていきたい。
スポーツ・余暇政策
教科書は第6章の後半だが、今朝の確認でリンク先に行けずに戸惑うも、受講生には関連情報からフォローしてもらうことにする。次回は最終章が対象。後半の余暇エッセイでは、まずC-Learningの「レポート欄」に提出させ、ノートパソコンの画面を開いたまま、研究室に戻り、デイストップ上で自分としては素早く各エッセイを束ねて掲載。この作業に一抹の不安はあったが成功。受講生のエッセイを共有できた。じっくり読む時間を設けて、最後に三本の好エッセイを指摘した。
現代政治の理論と実際
政治資金規正をめぐる派閥パーティ−のキックバック問題や元旦の能登大地震と羽田航空機事故。とくに自然災害の爪痕で2週間が経った今の動揺が続く中、授業では、統一教会問題と安保・LGBTQ政策とを絡めた政党のスタンスについての拙稿を取り上げ、自由討議を行う。後半も受講生自身の問題意識や今後の研究方向をめぐる話し合い。対話に積極的な受講生が揃うなら、人数は3名程度がベストだと思った。
ゼミ論・卒論・修論・博論指導
これまで指導教員がしゃべり過ぎたかもしれない、との反省から、決め事も研究室メンバー主導でとの思いで臨んだ。多少の迷走はあったものの、いずれも模擬で次回が卒論発表会、次々回(最終回)が修士中間間発表会、修論発表会、リフレクション発表会を行い、時間配分と司会者も決め、研究室のTeamsに各フォルダを作成させ、論文ファイルの提出、各スージュール掲載まで行った。やればできるのだ。残り2回のポイントは研究室メンバーがどれだけ各論文を読み込んでくるかだ。
24/01/22. Mon.
外国語文献講読
ネット接続が授業を進める前提になっているので、つながらないと焦る。少し遅れてスタート。”Where’s the United Nations in all this? Oh, right, nowhere“ と“Many evangelical see the war between Israel and Hamas as part of prophecy”を読む。前者では拒否権行使の大国の都合に憤りを感じざるを得なかった。後者では、訳の卓越した受講生が主導する形で理解を深めることができた。それにしても宗教・宗派・信教には、時に他者の都合や人命などお構いなしに、目的(建国)に突き進む怖さがある。
スポーツ・余暇政策
教科書は第7章(最終章)。この教科書を使ったのはこの授業が初めてであり、最後まで辿り着くことができてほっとした。後半は地方議会事務局機能を余暇と関連させて進める。今更ながら議会・議員には実質はともかく、正論レベルではあらゆる諸課題へのオールマイティー対応が求められると思った。余暇領域もその例外ではないのだ。その後は残りの時間を気にしつつ、急ぎ気味に新聞切抜きの紹介とレポート提出について説明した。
現代政治の理論と実際
受講者数と授業の質とは無関係だ。そうはいっても対話において互いの距離が近くなるのは事実だ。若い世代が足元の地方議会に関心を持つには、何をきっかけにすればいいのだろうか。
ゼミ論・卒論・修論・博論指導
ゼミも残すところ今回を含めてあと2回となった。そうはいっても研究生以外は、まだまだ大切な行事が複数残っている。前半は模擬卒論発表会。後半は研究室HP掲載作業、修論修正をめぐるやり取り、今後の学部・大学院日程の確認などを行った。
24/01/29. Mon.
外国語文献講読
今年度ラストの授業。“It’s time to prepare for a Russian nuclear meltdown”と“The last thing cricket needs is Saudi money” を読む。前者は核兵器の意思決定権者をめぐる危うさ、後者はサウジのオイルマネーがクリケットに流れ込む危うさについて考察した内容。受講生全員とはいかなかったが、英文社説に向き合う一里塚としてのやり切った感には至った。この地道な授業の一番の成果だと思う。
スポーツ・余暇政策
振り返り、哲学的対話、リフレクションについての説明の三本柱で臨んだ。受講生の反応に躊躇しない教員のスタンスが今後の課題だ。とにもかくにも英文社説講読とは異なる一定のやり切った感は教員も含め得ることができたと思う。
現代政治の理論と実際
当初は授業成立が危ぶまれたが、振り返ると、ある意味で教員と受講生全員が粘り強さを発揮すると同時に、少ないからこそ対話を深めることができた。後期のこの時間帯で行うことは最初と最後となる。来年度はこれまでずっとやってきた時間帯に戻る(前期の2コマ)。しかしキャンパスは峰ではなく陽東だ。こればかりは蓋を開けてみなければわからない。
ゼミ論・卒論・修論・博論指導
ゼミ活動ラストの実感がまるでない。卒論とリフレクションの最終発表会、修論審査と最終発表会、修論中間発表会など、さらには博士後期の特別セミナーなど、矢継ぎ早だ。それでも何とか区切りを付けることができた。4月初回のゼミ活動を提示した際、つくづく「集まり散じて」だな、と改めて胸に迫ってきた。