gen001113 講義メモ(中村祐司)
<栃木県知事選挙について>
下野新聞の特集記事からキーワードを以下に羅列
「無風から激戦へ 2000知事選」
http://www.shimotsuke.co.jp/
「(上)多選批判(2000年8月2日付)
渡辺氏周辺に緊張感
自民県連の説得不調に」→
渡辺知事には自民、民主、公明、自由各党の県連・県本部と連合栃木が推薦。
(*福田氏はの言葉として、)思川開発事業を背景に渡辺知事が県単独事業の削減などで今市市いじめを行っている、とアピール。
「渡辺氏と福田氏の選挙態勢は「軍艦」と「木船」ほどの差があるようにもみえ」
(中)対 立(2000年8月3日付)
思川開発めぐり確執
福田氏、県の姿勢に「NO」→
思川開発事業に難色を示す今市市に対し、国が水源地域対策特別措置法(水特法)に準じる取り扱いをする方針を示し、水資源公団や県が同市を説得。
(*県の)農務部の大再編に伴い、今市農業改良普及センターが廃止され、鹿沼市の上都賀農業振興事務所に統合されることに(*今市市長は)反対。
「一九九六年には当時の今市職業訓練校が、九七年には今市保健所が統合(一部の機能は残る)された。本年度に入っても土木、農務部の県単独事業が減少したことや埋め立てごみ流出問題などで、県の部長らと直談判」
県の田島進企画部長「『思川』で切り札を持っているため、福田市長は県に対し無理な要求をすることが多くなった。今年四月、県水資源対策室長に五百億円の地域振興費を求めたこともあった。自治体に色のつかない金を出すというのはどだい無理な話」
(下)各党推薦(2000年8月4日付)
自民県連が地ならし
民主内の結束には濃淡も→
(*2000年7月29日)、宇都宮市内のホテルで開かれた県内四政党と連合栃木による代表者会議
渡辺氏はこれまで四回の知事選に立候補し、いずれも共産の推す候補者に圧勝。「選挙活動らしい選挙活動をやらずにきた」(自民党関係者)。
「知事の座 その権力と実像1」
http://www.shimotsuke.co.jp/
第1回 多忙な顔 (2000年10月25日付)
まさに地域の大統領
一極集中の権限 日程も超過密に→
知事とは「ある意味、首相以上に権限が集中するまさに地域の大統領」。
その(*知事の)日常は「多忙」の一語に尽きる。
平均すると週に四日は県内外を含め各種の大会や行事、会合に出席し、夜はほとんど毎日、懇親会やパーティーの席。
予算づくりや重要施策を決めるため、部課長からレクチャーを受けたり、庁議を開いたりする時間も。
「外部はおろか県職員でも緊急に知事に会うのはかなり難しい。」
知事日程はほぼ一カ月前には決まる。
第2回 予算編成 (2000年10月26日付)
限定される自由裁量
「夢ある施策を」 常に注文と批判→
本年度当初で八千五百億円を超えた県の一般会計予算案を決める権限は知事にある。
公共事業などの国の補助・直轄事業と県の単独事業からなる投資的経費。借金を返すための公債償還費や、人件費など使い道がほぼ決まっている消費的経費。このうち、知事の全く自由な裁量で、独自色を出せるのは投資的経費の一部。
その額は///「予算額の一割以下ではないか」「五%程度だろう」。「この部分にこそ、知事のやりがいも、県民からの評価も生まれる。」
「知事の肝いりで宇都宮市駒生町に完成した「とちぎ健康の森」は、来年秋に開所する総合リハビリテーションセンターも合わせ総事業費は実に五百億円を超える。」
「 新年度の重要施策をどうするか。各部課は毎年九月ごろから知事へのレクチャーを行う。ここで大まかな方向性が決まり、年明けの財政課長内示、総務部長内示、そして知事査定を経て二月初めには予算案が公表される。
この間、各課が抱える課題について、知事は何度も口を出し、自らのカラーを出していくことが多い。例えば高齢対策。「カネは出すから知恵を出せ」。渡辺知事は担当課長らにハッパを掛け続けた。その結果、九二年度には訪問介護などを無料体験してもらう、全国でも先駆的な在宅介護総合支援事業ができた。」
第3回人事の行使 (2000年10月27日付)
政治生命懸けた決断
予算と並ぶ権限 時には“強権”も→
強権的とも言える人事。(*1989年の教育長人事)
「予算執行権と並び知事の権限の中枢をなすのが、六千七百人に上る県職員を動かす人事権だ。」
「ただ実際に知事自身がかかわるのは、部課長以上の人事に限られる。総務部長らが異動対象となる部課長の顔触れを決め、二百人ほどのリストを示し、知事の判断を仰ぐ。知事が首をたてに振らなければ、この作業は何度も繰り返され、最終的に副知事ら幹部の了承を得て決まっていく。」
第4回 県の顔 (2000年10月28日付)
広告塔、外交官の役割も
さまざまな「顔」見せる努力必要→
昨年十月、米国最大の投資信託会社「フィデリティ」グループのエドワード・C・ジョンソン会長が県庁を訪ね、渡辺文雄知事と知事室で一時間ほど懇談。// 会談の二カ月後、正式に進出が決まった。
「企業誘致で知事がかかわると、成功することが多い」
「就任四年目の一九八八年、渡辺知事はJR東北線上野−黒磯駅間の路線名変更に意欲を見せた。イメージアップの一環として、関東地方にありながら東北の県に間違われやすい本県の印象を正そうとしたのだ。JRの経営陣にも直接会って宇都宮線への変更を強く働きかけた。」
「国内向けに「栃木」を売り込むことに加え、国際交流の最前線に立つのも知事の仕事の一つ」。
本県と友好関係にあるのは、中国浙江省とフランスヴォークリューズ県、米国インディアナ州の三カ所。
第5回 国との折衝 (2000年10月29日付)
「協調路線」か「自立」か
地方分権の時代 揺れる依存関係→
船田譲前知事「今の農林水産省はボロ官庁」と答弁。
思川開発事業について船田氏は一九八四年当時、南摩ダムに国の予算が付いたにもかかわらず「先発の八ツ場ダム(群馬県)にめどが付かない限り着工は認められない」と発言、建設省の反発を。
「中央官庁と一線を画した」。
農水事務次官から転身し、思川開発事業推進派の渡辺文雄知事は、船田氏とは対照的な手法で、国との折衝に。
「高級官僚出身のいわば身内として、役所のどこを押せばどう動くかを熟知」。
宇都宮市農林公園「ろまんちっく村」と高根沢町「元気あっぷむら」。「ともに農水省の構造改善事業に乗り、国から多額の補助金がつぎ込まれた。」
(*前者の)総事業費は約百四十億円。
九八年、宇都宮市篠井地区にコメの乾燥・調整・貯蔵施設「カントリーエレベーター」が完成。
(*現知事は)食料・農業・農村政策審議会の副会長、雇用審議会委員、農政審議会委員―。
岩手県の増田寛也知事は建設官僚出身にもかかわらず、国主導の公共事業に疑問を投げ掛け「(国から)単にカネを持ってくるのがいい首長ということではない」と言い切る。
「地方分権の時代」。国との関係が、文字通り縦から横に変わりつつある中で国と地方自治体との関係も大きく揺れている。
第6回 市町村との関係 (2000年10月30日付)
問われる「調整能力」
要望どう具体化 時にあつれきも→
同市(*佐野市)に設置される自動車検査登録事務所(車検場)の建設用地として、市は一九九六年七月、羽田工業団地の県有地売却を要請。その際にナンバー名称について県と「国、県ならびに関係市町との合意を尊重する」との覚書をひそかに交わした。
県有地が運輸省に売却される直前の九八年春、佐野市が「佐野ナンバー」の実現を求める一方、足利など周辺市町が反対して騒動になる。渡辺知事は広域的名称の方針で調整に入り、毛塚市長と怒鳴り合いの末「覚書の約束を守ってほしい」とねじ伏せた。
昨年十二月の国土開発幹線自動車道建設審議会(国幹審)で設置が認められた、東北自動車道黒磯インターチェンジ(IC)だ。
もともと県土木部長から転じた黒磯市の藤田政寿市長の初出馬以来の公約。
IC設置は全国で百カ所以上要望があったが、昨年の国幹審で認められたのは、黒磯を含め三カ所。
福田昭夫氏は「市町村の声が県政に届かない」
大田原市の千保一夫市長が「政治生命を懸けて」同調。