011015gen 現代政治の理論と実際 講義メモ(中村祐司作成)

 

―米同時多発テロ―

立花隆氏(評論家)、福田和也氏(文芸評論家・慶応大学助教授)、辺見傭(作家)、北沢洋子(国際問題評論家)の見解

 

立花隆氏の見解(「自爆テロの研究」文藝春秋2001年11月号、pp.94-111)(下線や*印カッコ///省略は中村。以下同じ)

2001年9月26日時点での執筆

 

<Poynter.org>は、全米179紙の当日(号外も含む)と翌日の新聞(237紙)のフロントページを、カラーでズラリとならべているが(当日分は8ページにわたって、翌日分は7ページにわたって)、これは実は壮観である。このページは今も残っているから、今からでも一見することをおすすめしておく。火を噴く貿易センタービルの写真とともに、”U.S.ATTACKED””TERROR””OH, MY GOD!””DAY of Terror””AMERICA UNDER ATTACK””DAY of Horror”などの大見出しがならぶ全米の新聞のフロントページを一見すると、アメリカ人にとって、この事件がどれほど大きなインパクトをもたらしたかが、すぐわかる。こんなことは、インターネット時代になってはじめて可能になったことである。インターネット以前、どんな図書館、情報センターに行っても、これだけの新聞をならべて見るなどということは絶対にできなかった。」

 

貿易センタービルには、世界48カ国の証券・金融関係の企業が多数(約1,200社)入居していてその営業拠点、情報拠点になっていた。////

  つまり、あのビルはアメリカ資本主義最大の拠点というより、もはや世界資本主義最大の拠点といってよいような存在だったのである。昼間人口約5万人。それは一つのビルというより、一つの国際都市といってよかった/////。」

 

北棟への飛行機の衝突を第一の爆発南棟への衝突を第二の爆発として、その次にもうひとつ爆発があり、そのあとにビルが崩壊したというのである。/////」

つまり、テロリストグループは上に飛行機をぶつけただけでなく、下にも爆弾を仕込んでおいて、それを爆発させたのではないかと考えたわけである。///とてもあれがトリカゴ内部の連続床抜けの集積で起きたこととは思えなかった。」

「いま貿易センタービルの崩壊現場では、60万トンに及び瓦礫の山を取りのける作業が昼夜兼行でつづけられているが、それが終ってみないと(爆弾なら仕掛けられたにちがいない地下の駐車場の部分までいたらないと)、爆弾テロであったかどうか、正確なところはわからない(爆弾の破片あるいは爆破の痕跡物などのブツを発見するか、あるいはビルの基礎の破断部分を発見して、破面解析から破断原因を探る)ということである。」

 

「爆弾テロによって崩壊したのではなく、専門家がいうようなプロセスで崩壊したのであるとすれば、私はむしろそのほうが問題だと思っている。///現代文明の技術の粋とは、それほどはかないものだったのか。むしろこれは現代文明の技術の粋のもう一つの側面、可能なかぎりのコスト・カッティング手法の結果だったのではないか。あらゆる面で安全係数ギリギリの線を追求していった結果、その相乗効果が悪いほうに働いたということではないのか。」

 

衝突の瞬間、あの飛行機の操縦席にのっていたイスラム過激派の連中にも、自分たちが悪をなしているという意識は全くなかったにちがいない。むしろ自分はいま神の腕の中に飛びこみつつあると思って、一種の法悦境にひたっていたのではないか。」

 

十字軍の評価ほど、イスラム諸国と西欧諸国でちがっているものはない。西欧では、十字軍はキリスト教精神に高揚した人々の勇敢な行動で、イギリスの獅子心王リチャード1世、フランスのルイ聖王、ドイツのフリードリヒ2世などの有名君主も軒なみ参加した高貴な行為だが、攻め込まれたアラブ側にしたら、突然暴力的に襲ってきて、国土を奪い、民衆を大量殺戮していった侵略者であり、野蛮人であり(当時の文化水準はイスラム圏のほうが西欧よりはるかに上だった)、人食い人種だったのである。

*『アラブが見た十字軍』(リブロポート)という歴史書を紹介

 

「よく新聞論調などで、これを『文明の衝突にしてはならない・・・』という言い方がなされることがあるが、私はそれは誤りだと思う。『文明の衝突』はこれからするさせないの問題ではなくて、すでに千年間つづいてきた結果として今日の事態があるのである。」

「(*トインビーの『現代が受けている挑戦』(新潮社)から、)最大限国家を作ることは無理だろうが、最小限国家なら作れるだろうという。

 何をもって最大限国家、最小限国家というのか。共有部分である。価値観における共有部分、制度的縛りや文化的縛りにおける共有部分である。他者に行動上のコミットメントを求めるときのコミット部分の大きさである。それを最小限にしようというのである。上からの縛りはできるだけ小さくして、成員の各メンバーにできるだけ多くの自由を与えようというのである。強制的共同規範は最小限にしようということである。「みんないっしょに」、「みんな同じように」という画一化に向う部分はできるだけ小さくしようということである。こういえばわかるように、日本の社会は昔から最大限国家型なのである。こういう国はファシズム社会になりやすい。」

「本当の味方を多くしたければ(面従腹背方のしぶしぶの味方でなく)、最小限国家型の『敵でなければ味方』という論理を使うべきだろう。」

 

福田和也の見解(「世界恐慌から世界戦争へ」文藝春秋2001年11月号、pp.164-173)

*執筆時点は立花氏と同じ頃だと思われる。

 

「前世紀は、イギリス主導のグローバル体制が世界戦争によって崩壊することで幕を開けました。今世紀もまたアメリカのグローバル体制が戦争の危機をむかえるなかに始まろうとしています。」

「今回の事件がこれまでと違うのは、アメリカ国民にはじめて、アメリカ滅亡の可能性を感じとらせたということではないでしょうか。旧約聖書の記述するバベルの塔の崩壊のように崩れ去っていく高層ビルの姿は、アメリカもまた永遠ではないこと、アメリカもこれまでのいくつもの大国や帝国のように、衰退をし滅亡をするかもしれない、という事を予感としてであっても認めさせた。」

グローバル・エコノミーは、冷戦の終結がもたらした果実でした。////アメリカは、冷戦の勝者としての圧倒的な指導力を、湾岸戦争を主導することで明確に打ち立てました。////サウジアラビアに進駐をして、中東に橋頭堡を確保しました。NATOによるヨーロッパ、日米安保によるアジアに続いて、中東にも直接軍事拠点をもったことで、アメリカは地球上の戦略拠点のほぼすべてを抑えたのです。/////

 アメリカの唯一の超大国としての威信は、ドルの信用を比類なく高めました。アメリカ経済の内実とは別に、ドルの通貨としての信用は、アメリカの軍事制覇に支えられたのです。何があろうと、アメリカという国だけは揺るがないという信頼が、世界中でドルの需要を高め、各国の資金がドルとしてアメリカに還流しました。

 世界中から集まった莫大な資金を管理し、投資するために貢献をしたのが、いわゆるIT革命といわれる、コンピューター・ネットワーク技術だったことはご存知の通りです。ネットワーク技術は、金融の世界を根底から変えてしまいました。世界中どこからでも、一瞬にして多額の取引が出来る。いかに複雑な仕組の投資も間違いなく出来る。このネットワーク技術と金融の結びつきによって、経済のグローバル化を一層進めたのと同時に、デリヴァティブスといわれる高度に電子化され、複雑なプログラムを駆使した金融投資システムが開発されたのです。金融における情報技術の発展は、経済における金融の重要性を飛躍的に高めました。現在、物ベースでの輸出入に必要な為替取引は、1日に1兆ドルを越すことが稀ではありません。実に実需の数百倍のマネーがネットワークを飛び回っているわけですが、物に対するマネーの拡大が、つまりは金融の産業に対する優越が、アメリカに90年代における画期的な繁栄をもたらしたのです。」

「第一次世界大戦が目指していた世界の分割が安定した形をとったのは、第二次世界大戦後の冷戦によってでした。冷戦とは地球が一つになったことで不安定化した世界の「分割」でもあったのです。冷戦による東西の分割は、少なくとも西側諸国には、50年に及ぶ平和と繁栄をもたらした。」

 

 

辺見傭(作家)の見解→「道義なき攻撃の即時停止を」(2001年10月9日付朝日新聞) PDFファイル381KB

 

北沢洋子(国際問題評論家)の見解→「反米で第三世界の結束招く」(2001年10月9日付朝日新聞) PDFファイル389KB