韓国滞在ワールドカップ関連の調査活動
2000年8月16日から24日まで韓国で、2002年ワールドカップに関する資料収集の機会を得た。以下は部分的ではあるもののその活動メモである。掲載の写真に撮影時の簡単な感想を一言付け加えた。
2000年8月17日(木)
昨日、成田からソウル経由で空路光州へ来た。今日はさっそく調査活動に入る。韓国光州市役所の受付で挨拶以外は英語で身振り手振り説明すると、市役所には日本語の通訳が常駐しており、今連絡するのでちょっと待ってくれという。この時はあいにく不在であったが、5階の文化観光局ワールドカップ推進企画室を紹介してくれた。突然の訪問にかかわらずここでKim Young Tae (Administrator of planning committee for the Worldcup Culture & Tourism Bureau)氏から親切にもワールドカップ関連の資料をもらう。
キム氏の話では建築中のスタジアムに行けば、課長から詳しい話が聞けるとのこと。もともとスタジアムをこの目で見ておく予定だったので、バスを乗り継いで行く。建築中の「光州ワールドカップスタジアム」(Gwangiu World Cup Stadium)の隣にプレハブの建物があり、インフォメーションセンターとなっていた。二階に上がらせてもらうと建築中の巨大なスタジアムの骨組みが一望できた。Kim Young-Kun氏(Construction Team of 2002 World Cup Stadium)から建設過程関連の資料をもらう。コンピュータの中に入っているデータをカラープリンターでわざわざ打ち出してくれた。
このスタジアムの建築施行者が変更となったとのことで、スケジュールの遅れがあるのか、二階の建築チームの部屋はとても慌しい雰囲気であったが、光州市役所から若手主体の職員が派遣されており活気を感じた。何のアポイントメントも取らなかったにもかかわらず、これだけ親切に対応してくれて大変うれしかった。
とにかくハングルで議論ができなければインタビュもほとんどできない。バスで目的地まで行くのも一苦労だ。ソウルでは英語か日本語でのやり取りでも平気かもしれないが、それでも一定の限界があるだろう。今さらながら不勉強を痛感。
@ A B
@市の中心部にある光州市役所。全南道庁も近くにある。A市役所玄関の横断幕にはあと652日というカウントダウンの掲示。B建築中の光州ワールドカップスタジアムの隣に設置されているインフォメーションセンター。この建物の2階が建築担当スタッフの執務室になっている。
C D
C建設中の光州ワールドカップスタジアム。巨大な生き物のような感じすらする。D建設中のスタジアムの隣には新しい高層マンションの群。このように小山の斜面を切り開くような形で韓国では都市郊外に大規模建築物が加速度的に増加しつつある。回復して上昇気流にあるこの国の経済を象徴するかのようである。
2000年8月18日(金)
昨日得た資料に目を通す。文化観光局でもらった光州の地図で、滞在場所、市役所、建設中のスタジアムの位置を確認。スタジアムは市南西部の郊外にある。隣接して新しい高層アパート群があるものの、市の中心部に向かう地域を除けば、山野が広がっているという感じだった。
それにしてもこれだけの巨大スタジアムが10箇所にもわたって建設されるというのは、やはり国家の強力な後押しがあってこそなのだろう。韓国は国家威信をかけてワールドカップ開催しようとしていることを肌で感じた。果たしてワールドカップをどのような視点から切っていけばいいのであろうか。今のような中途半端な気持ちではこれから先の調査は一歩も進まないのではないか。そんな思いを持ちつつ、2年後の平和の祭典が、この光州の地で開催される意味は何なのかを考えながら、1980年の光州事件で犠牲になった市民の墓と慰霊碑を見に行った。市北東部郊外にあり、1年ほど前に光州出身の金大中大統領の意向で開設されたという。
300以上はあるだろうか、丘一面に土葬の墓が整然とならんでいる。また、写真を掲げた慰霊館もあった。自国の国民に軍が銃口を向けた20年前の悲劇と2年後の平和の祭典。歴史の流れといえばそれまでだろうが、犠牲者はどのような思いでこの祭典を見つめるのだろうか。
E F G
E1980年の光州事件の犠牲者を慰霊する墓の入り口。F300以上はあるであろうか、整然と並んでいる土葬の墓の一つ一つに献花されている。Gワールドカップがこの地で開催されることの根源的な意味をこの静寂の中で思わず考えさせられた。
2000年8月21日(月)
地下鉄を乗り継いでどうにかソウル市庁へたどりついたが、ワールドカップ担当部局は本庁のはす向かい側にある別館にあるという。この別館の12階にワールドカップ企画局(World Cup Planning Division)、11階にワールドカップメインスタジアム建設局(The Office for Construction of the World Cup Main Stadium)がある。
まず、企画局に行くとちょうどスタッフの方々が昼食に出掛けるところだったにもかかわらず、引き返してくれて資料をくれた。対応してくれたのはChoe, Chong Shik氏とCho Dong-Chul氏の2名。ここはあくまでもソウルで開催される試合を担当しているために全体的なことはKOWOC (Korean Organizing Committee for the 2002 FIFA World Cup Korea/Japan)で聞いてもらった方がいいとのこと。前日、KOWOCの住所を地図上でどうしても押さえることができずまいったが、ここで教えてもらうとすぐ近くにあるとのこと。道順を書いてもらった。昼食後、建設局に行き、Kim, Jin Hongから資料をもらう。
KOWOCはソウル市庁から徒歩で7,8分のところにあった。8階、9階、11階だったろうか、とにかく3階に分かれており、まずインフォメーションセンターへ行く。ここでパンフレット等の資料をもらう。このインフォメーションセンターを通じて広報局のCho, Seong-Il氏と会うことができた。彼の話では現段階でのまとまった資料はないとのことで、本格的な活動はすべてこれからだとのこと。たとえば予算についても政府がどれだけ支出するか確定しておらず、スポンサーも未定だという。広報活動をめぐってJAWOCとは月1回の実務者レベルでの協議を継続しており、相互のコミュニケーションに問題はないという。JAWOCの各部局の仕事の具体的中身について分かる資料はないのかと聞くと、快く出してくれた。やはり、自分の質問内容が大切なのであって、ハングルで専門的な事項を議論できるくらいのレベルでないとインタビュそのものが行き詰まってしまう。それでも組織委員会のスタッフに直接話しを聞く機会を持てたことは収穫だった。
2年半程前に、当時日本の大学で地方自治制度をめぐる研究活動に従事されていた崔氏と一緒に宇都宮市役所でのインタビュ活動を行った縁で、急遽彼に連絡を取ってみる。せっかくソウルの中心部に来たのだから行政自治部に勤務している彼と帰り際にでも30分程度話ができたらという軽い気持ちであった。彼は現在は大統領秘書室に勤務しており、この日の夜夕食を取りながら再会することができた。
あくまでも雑談のレベルではあったが、彼の話ではワールドカップ終了後のスタジアムの維持や利用が最大の問題ではないかとのこと。FIFAの規定によりスタジアムはサッカー専用とされているので、終了後に多目的利用のスタジアムに変更するには膨大な改修工事費がかかる。光州市などではそれをやろうとしているが、そのための財政負担は大きい。また、スタジアム建設をめぐる政府の補助も未定なため、自治体によっては財政上の裏付けが取れないまま建設に踏み切らざるを得ない側面もある。いずれにしても、日本との招致合戦の過程ではとにかく韓国で開催をということで、開催決定後の具体的な諸課題が残存したままであるとのことだった。
さらに興味深かったのは、韓国では政治にしろ経済にしろ改革のスピードが日本と比較して非常に早いという指摘であった。そのことは地方分権についても当てはまり、開催地自治体に対する政府や組織委員会の縛りが効かなくなっている側面もあるとのことであった。日本の自治体の状況を実際につぶさに観察した彼の指摘には説得力があった。冗談半分に「改革のスピードは日本と韓国とを足して2で割ったぐらいがちょうどいいのではないか」とも述べていたが、この数日間、ソウル郊外や地方都市における高層マンションやデパート、インフラストラクチャーの開発の凄まじいまでの勢いを目の当たりにしただけに、自分自身僅かな経験ではあるものの納得するものがあった。それにしても人のつながりの大切さを再認識した一日であった。
HIJ
H韓国組織委員会のあるビルの入り口。官庁街にある。I中に入るとロビーにあ3つのマスコットが迎えてくれた。Jインフォメーションセンター。過去のワールドカップのメダルなど貴重な品が手に取れるようになっている。展示物の陳列にもFIFAの意向は反映されているのだろうか。日本組織委員会とのバランスも考えているものと思われる。
2000年8月22日(火)
バスを乗り継いで水原(スウオン。Suwon City)市役所へ。この4階に2002年ワールドカップ支援室(2002 World Cup Support Team)がある。Lee, Hyun Koo氏から話を聞くことができた。水原市では京畿道と一緒に財団法人を設立し、この財団法人がスタジアムの建設やワールドカップ終了後の住民利用等について一括して担当しているとのこと。スタジアム建設費は京畿道も支出しており、このように道と協力して開催準備にあたるのは水原市だけだという。ワールドカップ開催をめぐり道が一定の役割を果たしている事例があることを初めて知った。
水原市では9月1日から10月30日にかけて大会に協力するボランティアを4,500人募集することになっていて、その募集用紙をくれた。この市独自のアイディアとして2点あり、第1点は4万3018席のスタジアムの座席の背もたれに、市民は10万ウオン(約1万円ほどか)出せばハングルで名前と住所が記載されることとなっており、既に1万席が埋まっているとのこと。第2点は、国外からの観戦客にホームステイしてもらうというのものでこれも現時点で2200世帯の申し込みがあるという。
KL M
K水原市庁の正面玄関には共に大きな横断幕と電子掲示板があるが、隣の建物の横断幕も目を引く。L1階ロビーには手織りで作成したと思われる幕もかかっていた。市庁内の雰囲気はとても明るく、職員は皆写真入りの大きめのプレートを首から下げていた。M水源市のワールドカップ担当の部屋を許可をもらって撮影した。こじんまりとした感じでスタッフは親切に対応してくれた。
今回の調査活動では自分自身の専門的コミュニケーション能力の欠如や問題視覚の希薄さなどを痛感することとなったが、それでも担当部局に足を運んだことは今後の活動にプラスになるものと思われる。