ISFJ政策フォーラムを終えて

宇都宮大学国際学部3年 赤津美香

 

 後期からこのゼミに加わった私が、なぜISFJに参加することとなったのか。それは、パートナーの川端さやかに「絶対いい経験になる」と言われたからだ。だが、口説き落とされたという訳ではない。彼女自身悩んでいた。提言するということがどれほど難しいものであるか、私たち自身本当に未知のものであったからだ。しかし結局は、不安よりもその先にある何かに懸けたいという思いが強かった。つまり私も彼女も、自分の殻をやぶるため、自分に力をつけるための参加であったと思う。

 

私たちは「商店街再建」というテーマについて取り組んできた。その内容については触れずに、ここでは反省点とISFJから得たものを書き連ねていく。

 

反省点はたくさんある。実際、論文を提出してから後悔ばかりだった。時間を上手に使えなかった。最後まで煮詰めることが出来なかった。提出した論文を読み返すのが恥ずかしいと思った。何日も閉じこもった研究室で1113日の夜(すでに日付は変わっていたが)、二人で脱力していたことを、そして悔し涙を流したことを覚えている。論文を書いている最中は、論理的な文章、構成の難しさをつくづく思い知らされた。今回のようにきちんとした論文を書くのは初めてであったし、問題意識から政策提言へとしっかり組み立てていくことは、頭を抱えるほど難しかった。私があまりにも書けなかったために、今回の論文は川端さんに相当頼ってしまった。自分がひたすら情けなくて、大変悔しく思った。実際、13日の夜もただただ自分の無力さがつらくて仕方なかった。 

 

しかしその分、私たちの提言を無駄にしないよう、発表で挽回しようと考えた。その場で自分たちが言いたかったことをきちんと伝えられればいいのだと。発表は限られた時間ではあったが、それゆえに自分たちがどう考えて何を伝えたかったか、ということがシンプルに、かつ十分に凝縮できたと思う。発表が終わったときはやっと開放されるという思いがしたのが素直なところで、それとともにずっと一緒に駆け抜けた川端さんに感謝の気持ちでいっぱいだった。

 

ISFJで得たもの、それもいっぱいある。まず研究ということに焦点をあてると、中村先生式の「現場へ行って、直接話を聞く」という研究手法によって、生の声を聞くことの大切さや強みを実感した。また、それと付随して積極的に人に声をかけるようになれた。この感想文を書いている今、人を ‘知りたい欲求’と宇都宮の中心市街地への愛着が強くなったことは間違いない。次に論文、そして発表について考えると、まず単純にきちんとした論文を書くという経験ができてよかったと思う。現時点の自分の力や、これからの課題も把握できた。発表については、人前というのが相当苦手だった私が、あそこまでできたことを褒めてやりたいと思っている。そして若干克服できたことも実感としてある。発表は「少し大きな声で人に伝えればいい」もので、自分のやってきたことに自信があれば怖くはないということに気づいた。ISFJ自体については、他大学のレベルの高さ、内容の濃さ、パワポの巧みさにただ圧倒された。しかしそれを知ることができてよかった。刺激になった。これから自分自身を鼓舞していくための材料を得たと思う。

 

やや淡々とした感想文になってしまった。しかし何もかも書き出そうとすると収集がつかなくなるくらい、ISFJは大きなものだった。こんな機会は滅多にない。参加することを決めた、あの時の自分に「ナイス」と一声かけたい。本当に参加できてよかった。

 

今回、何度水粉さんに相談したことだろう。その感謝を込めて論文の脚注に名前を載せたかったほどである。水粉さんがいてくれてよかった。精神的に相当支えてもらったように思う。ゆらゆら、うじうじしていた私たちに、研究の方向性を何度も示してくださった。水粉さん、本当にありがとうございました。感謝しきれません。

 

一緒に頑張ってきたさやかへ。本当にお疲れ様!本当に大変だった。何でも言い合える二人だったから、成し得たことがたくさんあったと思う。お互いぴりぴりしたり、余裕がなくて嫌な態度とったりと色々あったけど、今となってはすべてがいい思い出です。私を引っ張って、最後まで走り抜けてくれたことを本当に感謝しています。ISFJにさやかと参加できてよかった。ありがとう!

 

ISFJは確かに大変だった。でも、その分終わったときには成長した自分がいた。ISFJへの参加を迷いながらこれを読んでいる人には、ぜひやってみてほしい。自分にはできないなんて思うのは、もったいないことです。そしてすでに参加を決めた人には、最後まで手を抜かずやり遂げて欲しい。早め早めが鍵です!そう思います。

 

最後に、この機会を私たちに与えてくださった先生や先輩方に感謝します。ありがとうございました。

 

ISFJを終えて

宇都宮大学国際学部3 川端さやか

 

私は準備演習が始まった4月当初、ISFJへの参加を迷っていた。先輩がたからも「死ぬほど忙しい」と聞いていたからだ。しかし興味はあり、参加したならば必ず貴重な経験となることは分かっていた。そこへ赤津美香さんが中村研究室へ途中から参加することになり、寮やサークルで以前から親しかった私たちは、勢いでISFJへの参加を決めた。

 

テーマ探しには非常にてこずった。ISFJは「官」の立場から学生が政策を提言する主旨の論文発表の場である。私がこれまで勉強していた「地域づくり」よりも対象範囲の広い政策を考えなくてはならないのである。はじめは国策という概念に囚われすぎて、あまり知識のない「文化政策」や「寄付制度」などに走り方向性を失っていた。しかし、8月あたりから宇都宮のまちづくりに対象を絞ることにより方向性が固まり、やっと軌道に乗ってきたのがその頃からあった。最終的に宇都宮市の中心商店街再建のために「にぎわい特区」の全国展開を提言すると方向で論文を仕上げることができた。

 

 私たちの情報収集の方法はほとんどが現地でのインタビューであった。商店街に何度も出向き、市役所や県庁にも話を聞きに行った。外からみただけでは分からない多くの問題がそこには存在し、私たちが解決しようとしている問題の重さに気づいた。それと同時に、果たしてこのような問題が政策によって解決できるのであろうかという疑問も私たちの中で生じてきてしまった。四苦八苦し、何度も軌道修正しながら時間ぎりぎりで仕上げた論文は、とても粗いものとなってしまった。読み直すと悔しさが込み上げるばかりだが、現地調査での経験は貴重であったし、今回の反省は必ず次に生かせると思う。

 

ISFJ発表の本番は慶応大学で行われた。有名大学が名を連ねるなか、地方大学の私たちがその場に居られた事が非常に誇らしかった。初日には多様な業種の方々によるパネルデ講演会が行われ、それはなんとも刺激的で興味深いものだった。特に誰の言葉か忘れてしまったが、「やり続けている以上失敗ではない」という言葉が印象的だった。公務員を目指しているが自分の能力不足と努力不足にお先真っ暗だった私は、夢を諦めないことが大切だというメッセージだと思いありがたく受け取った。

 

緊張しながら迎えた論文の発表ではあまり難しい質問もなく、なぜだかコメンテーターの方からお褒めの言葉までいただいてしまった。逆に私たちは、なぜもっと批判されなかったのかと首を傾げてしまったほどだった。自分たちの発表の合間に見に行った他大学の発表は、どれも感心するものばかりであった。まずみんなプレゼンテーション慣れしていることに驚いたし、見慣れぬ分析手法の数々にもカルチャーショックの連続であった。同じ大学3年生とは思えない人々との接触は良い刺激になったし、何より自分が今どれくらいのレベルであるかを知ることで成長するきっかけとなった。

 

発表には中村先生をはじめ森さんや水粉さん、きすけさん、こーじさん、加藤君、なっつ、そしてOBである板倉さんまで来てくださり、本当に心強かった。私たちの論文作成を語る上で欠かせないのが水粉さんという先輩の存在である。困ったときは水粉さんに頼り、いろいろなアドバイスを頂いた。先輩も自分の卒論で忙しかったと思われるが、私たちに時間を割いていただいて本当にありがたかった。この場を借りてお礼を申し上げたい。水粉さん、ありがとうございました!

 

最後にISFJJOINTなどこれまでの研究室での活動を通しての感想を述べたい。やはり感じるのは、人に恵まれているということだ。JOINTでは先輩方がわざわざ宇都宮から千葉までケーキを忍ばせて私たちを激励してくれて、もう少し涙腺が緩ければ涙するところだった。最終日の朝にみんなで寒い中早起きして見た朝日も忘れられない。朝もやがかった館山の海は、神秘的で寒さを忘れるほどきれいだった。今となっては懐かしいが、夜中に研究室に行くと必ず誰か4,5人いるのが当たり前の時期もあった。他の研究室の人には「中村研究室は24時間営業ですね」と言われているらしい。バイト帰りで疲れていても、研究室でみんなと会えば時には余談に花を咲かせながらも作業するのが楽しくて仕方なかった。そんな生活だったときは早く家に帰りたくてしょうがなくて、明朝目の下のクマにため息をつくばかりだったが、すぎてしまえばそんな日々も不思議なことに名残惜しいものである。そういえば、論文提出前日に初めて先生の家にもおじゃました。とても可愛いお子さんとやさしい奥様の朝食に心が安らいだ。中村先生、あのときは本当にありがとうございました。私は本当にこの研究室に来てよかった。しつこいくらいに繰り返したい。そしてそんな幸せものが来年度何人訪れるか、それも楽しみである。

 

P.S みかちんへ

 みかちんには死ぬほど迷惑をかけました。頑固な私の意見にいつも困っていたでしょう。一時期私のやる気がゼロになって、全く手につかない時期がありました。そんなときもいらつきを顔に出さず黙々と作業してくれていたみかちんの隣で、私は本当に恥ずかしかったです。でも私のプライドは東京タワーよりも高いらしく、素直になれませんでした。心からありがとう、とみかちんに言いたいです。ISFJやらを通して学ぶことも多かったけど、みかちんと本音でぶつかりあえたことが一番よかったことだと思います。寮生として1年のときから仲良くて、だけど途中で疎遠になったこともあったりしました。また仲良くなり始めたきっかけも、実はこの研究室のおかげではないかな?と思います。みかちんの優しさにはいつも救われます。論文のときも、そうでないときも。論文作成を通して私の頑固さと融通のきかなさにうんざりしたことと思いますが、よかったらこれからも仲良くしてやってください。そして40万人都市巡ろうじゃない!卒論でリベンジしましょう☆話は尽きないのでこの辺で終わるとします。

 

 

 

 

ISFJに参加して

宇都宮大学国際学部3年 石田奈津美

 

赤端さんの発表を見に行ってきた。

 

二人の発表を聞いて、単純に「すごい」と感じた。台本を持たずに、聞いている側をしっかりと向いて発表している。口調も、立ち振る舞いも、堂々としている。「すごい」の一言だった。この発表までに辛い思いもして積み重ねてきたもの・・・知識や、苦労や、研究に対する熱意から生まれた自信が、二人をそうさせているんだと感じた。

 

内容に関しては、現状分析が徹底的になされていたと思う。そのことによって、提案も説得力のあるものだった。はじめから終わりまで一貫性があって、聞いていて納得できた。本当に膨大な時間を調査に費やしたんだろうな、と思う。

 

夏休みが明けてからこの発表の直前まで、二人が頑張っている姿を見てきた。夜研究室に行くと、どちらか一人は必ずいて、いない日はちょっと寂しく感じてしまうくらいだった。ジョイント合宿前、自分がへこたれそうになった時、そんな二人の姿を見て「自分も頑張らなきゃ」と思えた。論文の締め切り前やジョイント合宿が重なった時などは本当に大変だったと思う。でもこの機会を通じて二人が得たものは、きっと大きいものなんだろうな。なんだか羨ましい!

 

さやか、みかちん、本当にお疲れ様でした!!

 

ISFJに出向いた感想

宇都宮大学国際学部3年 加藤大輔

 

僕はISFJをなめていました。

 

所属していた勉強系サークルで全国大会みたいなものを経験して、そういったすごい人々と渡りあうことの厳しさや虚しさを覚えてしまっていたので、どうせISFJもそんなもんだろうと思っていたのです。だからISFJ組には参加しませんでした。

 

しかし発表当日、会場に出向いてみると、そこには若者たちの熱い思いと知識が溢れていました。彼らは自分たちの精一杯の努力を素直にぶつけてきました。そこには生の、自分たちと同じ、等身大の大学生がいました。僕は感動して、涙がこぼれそうでした。彼らの発表は素晴らしかった。ISFJをなめていた自分を恥じました。

 

宇都宮から参加したさやかちんとみかちんは、とてもクールで、ビューティフルで、パワフルでした。

 

研究室に行くといつも二人がいて、ずーと考え込んでいました。どんどん二人がやつれてく感じがして、すごく心配でした。何も出来ない自分への苛立ちと、それから頑張っている彼女たちに少しの嫉妬を。でも彼女たちはやっぱり強かった。

 

当日の発表は、とてもコンパクトで分かりやすく、かつ説得力がありました。若者らしい発想の豊かさと、十分な議論の構築を感じさせました。欲を言えば、もうちっとリラックスして、いつも通りのブラックジョークとか織り交ぜて、楽しく出来れば完璧だったかなと思いました…がしかし素晴らしかった。

 

閉会式にはエンディングに感動的なムービーが流れ、またまた涙がこぼれそうでした。このような素晴らしいイベントを作られている方々にはひたすら頭が下がります。今僕たちが手がけているイベントも、絶対にみんなを感動させる素晴らしいものにしてやる!と思ったものです。

 

ジョイントとISFJを通して、みんなで1つのものを作り上げていくことの楽しさ、熱さ、そして何より難しさを学びました。これから社会に出て行くうえで、とてもためになる貴重な経験をさせて頂いたと思います。このような機会を与えてくださった中村先生、そしていつも笑顔でサポートしてくれた森さんと四年生の先輩方、本当にありがとうございました。

 

そして最後にさやかちゃんとみかちん、あんたら最高にFOXY LADYだったぜぃ!

 

ISFJ2005発表お疲れ様でした

宇都宮大学国際学部国際社会学科4年 水粉 孝慎

 

 昨年ISFJで大変な思いをしたこともあって、実は、はっきりいって今年の3年生にはあまりISFJを勧めることはしなかった。こういうとジェンダーなのかもしれないが、今年の3年生は女の子が多く、自分の私生活を制限してまで大変な思いをしてほしくないという気持ちがあったからだ。

 2005年度前期、おそらく中村研究室での一番最初のゼミのときに、3年生にISFJの説明をしたときにみんなのリアクションがとても薄かったのが非常に印象に残っている。内心ほっとしていたところがあった。ISFJという場は、これまで深い研究をしたことがなく、その土台の形成もままならない大学3年の前期には、とても遠いところにある話だ。

 

 しかし、一部の人にはその心配は無駄であった。これに参加してくれたさやかちゃんやみかちんだ。彼女らがこの研究室を選んだのも、ISFJのような自分たちの研究を発表する場があり、それが自分の成長にとってよい経験となるのではないか、と思ってくれたことに他ならない。彼女らの決意は始めから固かった。さやかちゃんはサークルも一緒だったので、彼女の研究室を決める際に多少先輩としてアドバイスしたこともあったが、その内容はほとんどがISFJだったような気がする。

 

 案の定、彼女らの論文作成は苦労を要しているようだった。そもそも論文を書いたことがない人にとって、目次を作ることすらもままならない。たぶん夏休みのときであっただろうか。研究室であうたびにいつも彼女らのテーマが揺らいでいた。調査をしてデータが集まってくると違った一面が見られることが多々ある。あれもこれもやっているうちに話が膨らみ収集がつかなくなる。まさにそんな状態だった。目次とは一見すると論文のページを示す単なる情報にしか見えないが、論文を作成するものにとってはそれがテーマ全体のガイドとなるということを常に留めておいてほしい。目次がしっかりしていればテーマは揺らがないのである。

 

当日の様子は他の人に譲るとして、ISFJというものがこれからの研究室活動の大きな柱の一つとしていつまでも続いていくことを望む。お疲れ様でした。

 

 

ISFJに参加して

                                                                                  宇都宮大学大学院国際学研究科修士1年 森三奈

 

2005123日、4日の2日間慶應義塾大学にてISFJ(日本政策学生会議)政策フォーラム(以下ISFJ)が開催された。このフォーラムは全国の大学生が、日本が抱える様々な問題に対して学生独自の視点から政策提言を発表する場である。今年は24大学60ものゼミが参加をし、約100論文が提出されるほどの大きな大会である。また、分科会に呼ばれるゲストとして国会議員、官僚、大学教授等の有識者が招かれている。このISFJに宇都宮大学中村ゼミからは地域活性化の分科会に一論文が提出された。ISFJの開催がジョイント合宿の約一週間後という厳しいスケジュールであったにも関わらず、分科会ではゲストの方から大絶賛を受けるなど非常にレベルの高い発表であった。

 

 ジョイント合宿に引き続き、中村ゼミの大イベントの一つであるISFJに初めて参加させていただいた。ISFJで論文を提出した2人の学生はジョイントでも同じテーマを発表し、賞を獲得した学生である。話がさかのぼるが、ジョイント合宿へ向かう同じ車中の後部座席で2人は宇都宮から合宿地館山に到着する間ずっと眠っていた(私と鮎子ちゃんが口ずさむ歌声と海を見たときの歓声にも負けず)。ジョイント合宿とISFJの準備のために睡眠時間を十分に取れなかったということだった。このこともあって、ジョイント合宿から間もないISFJに向けて発表よりも2人の体調が心配だった。

 

私はISFJの2日目の朝から先生と共に参加をした。開会式の後に2人に会うことができたが、午後に発表を控えた2人の顔つきはどちらも晴れ晴れとしており、そして前日は十分に睡眠がとれたことを聞き、安心した。2人の期待以上の発表を聞いているうちにジョイント合宿がISFJに体調や研究内容も含めてさしつかえるかもしれないという懸念が一気に取り去られた。支障となっているどころか、ジョイント合宿で得た自信と経験がさっそく活かされていたのではないかと思う。具体性のある、分かりやすい発表はゲストの方から高い評価を得た。感涙にむせぶ中村先生。

 

 そして、このISFJでは自らが学ぶ部分が大変に大きかった。各分科会にはそれぞれ1名から3名のゲストがつき、発表後に質問や意見を述べる。午前中は他の分科会に出席していたが、ここでのゲストのコメントとゲストが持参した資料は発表者のみならず同席をした学生にとても為になるものであると感じた。もちろん、自分の研究テーマや興味の如何に関わらず、である。中村先生も同じ分科会に参加をされており、中村先生もその分科会のゲストの方には感激されていた。ゲストの方が何度も「現実」を見ることの重要性を語ったことが印象に残っている。理論も必要であるが実社会におけるテーマを扱う場合「現実」を見るということは必然である。(事件は会議室で起こっているんじゃない・・・!!)

 

また、閉会式では、優秀論文等の結果発表が行なわれた。ISFJのパンフレットによると、大学の先生や研究員、院生などからなる論文審査委員会によって以下の8点の基準で審査される。○論文の体裁 ○問題意識の独自性 ○問題意識の重要性 ○分析の独自性 ○分析の客観性 ○政策提言の独自性 ○政策提言の現実性・重要性 ○プレゼンテーション である。これはISFJの論文審査基準であるが、この基準は論文執筆の時に限らず様々な場面で求められる基準でもあると思う。考え方や評価の基準のひとつとして、自身の研究に活かしていきたい。

 

閉会式では、進行の都合上尻切れ蜻蛉になってしまったが優秀論文のプレゼンがあった。取り上げたテーマも興味深く、学生らしいユニークな提言を行なっていた。研究内容自体に感心すると同時に、分科会とは比にならない多くの聴衆の前でパワーポイントを効果的に用い、研究内容をより説得力のあるものにする堂々とした発表にはレベルの高さを感じた。

 

ISFJの会場には中村ゼミOBの板倉先輩もかけつけて下さった。ほんの僅かな時間しかお話できず非常に残念であったが、ISFJの経験者である先輩から2人の発表へ高い評価をいただいた。多くのOBの先輩の支えが中村ゼミにあることをとても頼もしく思う。また、卒論に追われる4年生からも2名の参加があった。はっきりした当日の参加者を知らなかったせいもあり彼らを会場で発見したときとても嬉しく、心強く思った。ISFJに出席する機会を与えていただいたことに感謝したい。多忙にも関わらず熱心に指導された中村先生、発表したお2人、本当にお疲れ様でした。

 

 

ISFJ2005を聞きに行って

京都大学大学院地球環境学舎 環境マネジメント専攻 修士課程 板倉世典

(宇都宮大学国際学部行政学研究室2003年度卒業)

 

中村祐司ゼミ2003年度卒の板倉世典です。

先日は発表と応援、そして自らの研鑽、お疲れ様でした。残念ながら、次の日のスケジュール上、やむなく橋本先生の講演を中座する形となり、しかも、みなさんとゆっくり話す時間がとれなかったこと、とても残念です。まさに、「後ろ髪が引かれる思い」とはこのことだと実感しました。おかげさまで、翌朝の仕事は無事終え、同輩の前田にも、ゼミの発表の様子などを電話で伝えました。

 ISFJ2002に参加した身としては、全体としても規模が拡大し、しかも中村ゼミでも脈々と参加の伝統が残されていることがまずもってうれしかったです。ジョイントでも重荷に感じますが、ISFJになれば、それこそ、一瞬「ひく」印象を受けますが、これらへの意欲的参加は将来に必ず実になることは、私自身が実感しているところですので、後輩にもぜひ自信を持って参加を勧めて欲しいものです。(がんばってね、3年生。就活のネタにはもってこいですしね。)

 ひとつお願いがあります。現在は特に卒論生が死にかけているでしょうが、ぜひ、ジョイントとISFJの成果はPDF化してホームページにのせて欲しいです。3年生が責任をもってやるといいでしょうね。そして、できればなるべく早めに僕の名刺のどちらかのアドレス宛にISFJの論文を送って欲しいです。形式はなんでも結構ですので。(一刻も早く読みたい・・・)

 最後に感想を言っておきます。聞いてさっさと帰っただけでは申し訳ないので。

 一言で言えば「感服した」となります。というのは、論文初心者が陥りやすい、「切り捨てる、精錬する」ということがかなりできていたからです。15分という時間制限、政策提言という最終目標という、自己満足の論文では済まされない制約があるため、この手の論文は難しいのですが、その点ゲストや他ゼミから反論や疑問点がほとんど出なかったほど明快かつ説得力のある仕上がりになっていました。このあたりの手ごたえは、足で稼いで調査し、執筆し、
発表した二人がよくわかっていらっしゃることでしょう。

 他のゼミも聞きましたが、データをいじくって、結局数字でごまかす、論点があいまい、提言の実現可能性が無い、等々まだまだといえる論文が多数ありました。宇大のは確かに派手さは無いけれども、先ほど行ったとおり、背伸びをせず、「聞けば納得、よくわかる」(昔のNTTCMコピー。笑える人だけ楽しんでください)ものに仕上がっていました。僕の2002年のゴミ論文の場合、調査と分析だけで、実現過程が欠落していたので、見た目よりもその実、真に迫る印象はありませんでしたが、今年度は誰が聞いても「なるほど、おもしろい」といえるものだと思います。(よね?、中村先生)

 京大のドクターコースの先輩方によく言われることがあります。それは、「マスターベーション的な論文・研究をするな」ということです。(セクハラと受け取らないでください、とくに女性諸氏)

つまり、好きな対象を都合のいいデータをそろえて、流れをよくして体裁を整え、発表して、まとまりはよいが価値がよくわからない自己満足の論文・研究をするなということです。(おかずを都合よく選定して、好きなように加工、あるいは作業をして快感を得て、満足感と微妙なむなしさがのこる・・・男性諸君は判るはずです)

 

僕は言いえて妙だと肝に銘じています。実学性の高い国際学部の研究では、この助言も参考になると思います。ぜひ、卒論作成のとき、頭の片隅に入れておいてはどうでしょうか。

 長くなりました。とにかく、ゼミの活力が大学の活力となります。制約要因は多々あると思いますが、今後の活躍とゼミの更なる活性化を期待します。

 なにかあれば、気軽に私にメールください。返信は可能な限りしていますので。それでは、またご縁があれば。繰り返しますが、論文原稿の件、よろしく。

 

 

論文作成とプレゼンに懸けた二人の強烈な意気込み

中村祐司(担当教員。宇都宮大学国際学部行政学研究室)

 

 ISFJの論文作成とプレゼンに取り組んだゼミ生二人の姿に、不覚にも二度ほど涙腺が潤んだ。「不覚にも」と書いたのは、第三者から見れば、そんな場面で大の大人が涙を流すのは、どう見ても奇異に映ったであろうと思われるからである。

 

一つはISFJへの論文作成の締切当日(休日だったと理解)の朝、二人のやつれたというか、憔悴しきった、それでいて安堵感と達成感、さらには充実感が入り混じった顔を見た時であった。それはある種の放心状態に近かった。事前に教員と二人との取り決めで、前日までにいったんできあがった論文を教員宿舎のポストに入れてもらって、翌日の提出締切日の朝早くに教員が目を通した上で、微修正を入れて、それを直接二人に手渡して、二人は締切当日ぎりぎりに添付ファイルで提出するということになっていた。

 

当日の提出締切時間が「12時」で遅延は一切認められないと聞いていたため、遅くとも朝までには郵便受けに間違いなく入れたのだろうと、6時前に起きてポストを見たものの、肝心の論文が入っていない。仕方なしに戻るとしばらくして携帯が鳴り、630分に入れておいたとのこと。それを持って急いで上がり、集中して12時間ほどかけて論文を読み、表現部分を中心に赤を入れ終えた時点ですぐに連絡しようとした。ところがこれが通じない。何と疲れ切って二人とも寝入っていたのである。12時から逆算すると論文を二人が大学の資料室にこれから戻り最終的に仕上げる作業に最低2-3時間はかかるのではと予想されたため、この事態には正直焦った。

 

結局、「12時」の意味はその日の午前0時までにということが後で分かり、事なきを得た。細かい話が長くなってしまったが、要するに二人に会うことができ、遅い朝食を宿舎で取ってもらうこととなり、そのときの二人の表情が冒頭の教員の涙腺が緩んだ理由である。

 

当初は戸惑っていたであろうに違いないISFJへの参加を、教員が「大丈夫だから」と積極的に進めたことが、ここまで追い込んでしまった結果になったのではないか、という悔恨の思いが一瞬頭をよぎった。おそらくいろいろな重いプレッシャーに何度も襲われたに違いないであろうに、これだけの論文を仕上げたというその一生懸命さと達成感とがそのとき、心にストレートにそのまま伝わってきたのである。論文の作成は身を削る思いがなければできないということは痛いほど分かっているだけに、その経験を学生と共有できたという深い感動と喜びが押し寄せてきたのであった。

 

もう一つは、緊張感漂う中でプレゼンの発表が始まったときのことである。一瞬目を疑った。何とメモを何も持たずに、しかもパワーポイントのスクリーンも見ずに発表がなされた。学会や研究会、講演会などの経験から間違いなく言えるのは、とくにメモなしでアカデミックな発表をする場合に、完璧に話す内容を頭の中に入れておくだけでは足りない。何度も反復して頭と身体とに自然に「刷り込ませる」感覚にまで至らなければメモなしの発表はできないし、中途半端だと文脈がめちゃくちゃになり無残な結果となるケースが多い。ところが発表者はここ大一番の本番のプレゼンに、敢えて退路を断って勝負に出たのである。その強い意志と勇気、そこまでに至った発表者の努力と頑張りに圧倒されると同時に、こみ上げてくる感情を抑えることができなくなった。

 

そもそも年甲斐にもなく、しかも恥ずかしげもなく泣きまくったことができたのは、多くの運営者やサポーター、裏方がいて初めて可能なのである。その大変さは想像を超えるものがあったに違いない。このような機会を与えてくださった他大学の研究室の先生方、コメンテーターとしてのゲストの方々、そしてISFJに関わった他大学の学生、その他ISFJを支えてくれたすべての人に心から感謝したい。そしてまた、当日駆けつけてくれた我が研究室のOB(終日参加し、後に切れ味鋭いコメントを後日送ってくれた。)、院生(早朝から終了まで丸1日フルに参加)、4年生(卒論作成の大詰め段階にもかかわらず時間を何とかひねり出して参加)、3年生(直前の連絡にもかかわらず、他の所要をやりくりしての参加)がいたことを、誇りに思う。

 

 

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