2003年1月15日/篠崎 雄司
基礎的自治体の規模と市町村合併について
―いわゆる西尾私案をめぐる小規模市町村の行方―
1.市町村合併をめぐる新たな展開
前回(2002年10月30日)の報告で,市町村合併は,当該自治体の自治の問題を超越した国の構造改革の問題であり,最適都市規模を考察しながら,ある程度国が主導的に進めるべきであると主張した。国民的視点から見た地域エゴを排し,将来の本格的な地方分権時代における真の自治を実現するためには,むしろこの方が近道であることを説明したが,これについては,当然のことながら地方分権の主旨に反するとの意見もいただくなど賛否両論あったところである。
ところが,その2日後である2002年11月1日に,これまでの市町村合併をめぐる議論に大きな一石が投じられた。筆者(篠崎)の主張に近いレポートが,第27次地方制度調査会の第10回専門小委員会(松本英昭小委員長)において,同調査会の副会長である西尾勝・国際基督教大学教授から「今後の基礎的自治体のあり方について(私案)」として報告されたのである。
この報告は,あくまでも今後の議論のたたき台に過ぎないことから「西尾私案」と呼ばれているが,一定の人口規模未満の自治体については,従来の事務を制限して代わりに都道府県に事務を代行させたり,他の市町村内に移行させるなど,かなり小規模市町村にとって厳しい内容となっており,強制的な市町村合併と解されることから,自治体関係者や行政研究者などに多くの波紋が生じている。
そこで今回は,この「西尾私案」の投じた意味とその影響を,2002年11月23日,24日に開催された日本自治学会総会での議論を通じて論ずるとともに,今後の小規模市町村の行方について考察することとする。
2.「西尾私案」の概要
前述の「今後の基礎的自治体のあり方について(私案)」の概要は,以下のとおりである。
(1)これまでの地方分権と市町村合併
・地方分権推進委員会の地方分権改革は,当初,当面は都道府県により重点を置いて進めることとしていた。
・しかし,具体的な地方分権を進めていく中で,規模・能力を備えた基礎的自治体の体制整備が必要であると言われるようになり,これを踏まえて,地方分権推進委員会の第2次勧告が行われ合併特例法も強化されてきた。
(2)地方分権時代の基礎的自治体に求められるもの
@充実した自治体経営基盤
・これからの基礎的自治体は,今まで以上に「基礎自治体優先の原則」や国と地方の関係における「補完性の原理」を実現できるものでなければならない。
・基礎的自治体が極力都道府県に依存せず,住民に対するサービスを自己財源により充実させていくためには,基礎的自治体の規模はさらに大き<なることが望ましく,このような規模能力の大きな基礎的自治体には,これに応じた事務や権限を可能な限り移譲していくべきである。
・少なくとも,福祉や教育,まちづくりに関する事務をはじめ市が現在処理している程度の事務については,原則としてすべての基礎的自治体で処理できるような体制を構築する必要がある。
A基礎的自治体における自治組織(住民自治の強化の観点から)
・基礎的自治体には,自治体経営の観点と並んで住民自治の観点が重要であり,基礎的自治体内部における住民自治を確保する方策として内部団体としての性格を持つ自治組織を基礎的自治体の判断で必要に応じて設置することができるような途を開くことを検討する必要がある。
B分権の担い手にふさわしい規模の基礎的自治体に再編されなかった地域
・ふさわしい規模の基礎的自治体に再編成されなかった地域については,例外的な取扱いを考える必要がある。
・具体的には,現在,市町村に対して法令で義務付けられている事務の全部又は一部を目指すべき規模の基礎的自治体に再編成されなかった団体,すなわち小規模な団体,には義務付けないこととし,別の行政主体に当該事務を義務付けることを検討するという選択肢が考えられる。
・具体的には都道府県や再編された上記@のような基礎的自治体にこの役割を果たすよう事務配分することの方が現実的ではないか。
(3)今後の目指すべき基礎的自治体の具体的イメージ
・以上のような議論を踏まえると,今後の基礎的自治体のあるべき姿として,自治体経営の観点から,一定の規模・能力が必要である。これを,例えば,現在の市が処理している事務を処理できる程度のものとしてはどうか。
・人口については,市並みの事務を処理し権限を行使することを目指し,例えば人口○○未満の団体を解消することを目標とすべきではないか。なお,人口要件の他に考慮すべき要素があるかどうかについては,検討する必要があるのではないか。
・仮にこのような方向で,基礎的自治体の再編成が進むとすれば,現行の市町村の要件についても見直しを検討する必要があるのではないか。
(4)合併特例法期限後の基礎的自治体の再編成のあり方
@さらなる合併の強力な推進
・分権の担い手にふさわしい規模の基礎的自治体が国土の大半をカバーできることを目指し,現行の合併特例法の失効後は,一定期間,合併によって解消すべき市町村の人口規模を法律上明示し,当該人口規模未満の市町村の解消を推進する合併方策をとるものとする。
A一定期間経過後のあり方
上記@の期間が経過した後,それでも合併に至らなかった一定の人口規模未満の団体については,下記のアやイにより対応する案を検討する必要がある。
ア.事務配分特例方式
・一定の人口規模未満の団体について,これまでの町村制度とは異なる特例的な制度を創設することとする。
・この団体は,法令による義務付けのない自治事務を一般的に処理するほか,窓ロサービス等通常の基礎的自治体に法令上義務付けられた事務の一部を処理するものとする。通常の基礎的自治体に義務付けられた事務のうち当該団体に義務付けられなかった事務については,都道府県に当該事務の処理を義務付けるものとする。これにより,都道府県はいわば垂直補完をすることとなる。
・都道府県は当該事務を処理する責任を有するが,その事務を近隣の基礎的自治体に委託するか,広域連合により処理するか,直轄で処理するかを選択するものとする。
・組織や職員等については,事務の軽減に伴い,極カ簡素化を図ることとする。例えば,長と議会(又は町村議会)を置くものとするが,議員は原則として無給とすることなどを検討する。また,助役,収入役,教育委員会,農業委員会などは置かないことを検討する。
イ 内部団体移行方式(包括的団体移行方式)
・例えば人口××未満の団体は,他の基礎的自治体への編入によりいわば水平補完されることとする。名称は,旧町村のままとすることも可能とし,一定期日までにこの編入先の基礎的自治体の内部団体に移行するものとする。編入先の選択については,当該市町村の意見を聴いて,都道府県知事が当該都道府県議会の議決を経て決定する。この結果,編入先の基礎的自治体は,複数の旧市町村を包括した連合的な団体となる。
・当該内部団体の事務については,原則として法令による義務付けをなくし,その属する基礎的自治体の条例により定めることとする。
・当該内部団体の組織については,大幅に簡素化し,その属する基礎的自治体の条例により定めることとする。
・当該内部団体の財源については,その属する基礎的自治体からの移転財源を除き,当該内部団体に属する住民の負担によって運営することとする。
B旧市町村単位の自治組織
・上記@において,合併市町村の内都組織として旧市町村単位の自治組織を設置する場合には,当該自治組織のあり方によっては,旧市町村が連合して新しい都市を形成するいわば連合都市の形態をとることとなる。
・この組織は,その属する基礎的自治体の条例によリ,処理する事務や組織を定めることを基本とし,その属する基礎的自治体からの移転財源を除き,当該内部団体に属する住民の負担によって運営することとする。
3.「西尾私案」の反響
(1)町村の反発と不安
「西尾私案」の「一定の人口規模」は明示されていないが,マスコミ報道では一万人という見方が大半である。まず当然のことながら,一定の人口規模未満の自治体を抱える全国町村会(会長・山本文男福岡県添田町長)が,異論を唱えた。同会は,2002年11月12日に常任理事会を開催し,「私案は,財政効率,経済効率,規模の論理を優先することで貫かれており,地方自治・地方分権の理念に照らしても問題があるばかりでなく,総じていえば,人口規模の少ない町村を切り捨てるという横暴極まりなき論旨であり,絶対容認できない」とする意見書を議決し,同日,地方制度調査会専門小委員会の松本英昭小委員長へ提出した。
日本自治学会総会においても,町村の職員や議員から,上記意見書の内容を主旨とした理由から真っ向から反発する意見が多く出された。
しかし同時に,町村の職員や議員の中には,「合併に反対している首長をどう説得すべきか」と言う質問者もあり,単に反発するだけでなく,小規模町村に厳しい現実をどう乗り切るかの不安も現れていた。
(2)「補完性原理」からの反論
日本自治学会総会においては,研究者の立場から「西尾私案」を批判する人が複数いた。
その中の一人である白藤博行・専修大学教授は,法律家の視点から,「西尾私案」は憲法と地方自治法が保障する地方自治の原理に反すると発表している。すなわち,地方自治は「補完性原理」論の下で自治権が保障されており,地方分権の流れとの整合を図るべきであるとしている。
白藤氏に限らず,「補完性原理」は「西尾私案」を語る上での大きなキーワードとなっている。「補完性原理」とは,簡単に言うと,自治体など小さな単位で可能なことはそれに任せ,そこで不可能であったり非効率なものだけを国などのより大きな単位が行うという考えである。「西尾私案」においては,一定規模未満の自治体の自治を無視して,大きな単位(都道府県や他の適正規模の自治体)に任せてしまうという点で,この補完性原理が損なわれるというのが一つの論点なのである。
(3)西尾氏の真意と批判への反論
日本自治学会総会は,全体シンポジウムと各分科会が2日間行われたが,市町村合併がもっとも注目を集めていたため,「西尾私案」をめぐる議論に終止した。そして,2日目の最後の全体シンポジウムにおいて,西尾氏本人がこのレポート作成にあたっての真意を述べるとともに批判への反論を行った。
まず,このレポートが「私案」とされていることに対し,地方制度調査会副会長として,これまでの議論を踏まえて作成したものであり,たたき台ではあるが「私」のものではなく,あくまで「公」のものであることを強調した。
そして,今回の提案のポイントは,@合併特例法期限後も引き続き推進策を講じる必要があること,A小規模市町村への対応は過去の議論から「事務配分特例方式」と「内部団体移行方式(包括的団体移行方式)」の2つしかないと思われること,Bかなり強引な合併推進策ではあるが選択の余地は残してあり決して強制合併ではないこと,の3点であるとしている。
また,市町村合併のタイミングとして,短期的には介護保険への対応が必要なこと,中期的には財政悪化への対応が必要なこと,長期的には人口の減少への対応が必要なことを挙げている。
そうして,「基礎的自治体の再編成について考えるにあたっては,自然村と行政村の関係をどのように考えるべきか,言い換えれば,自然村の村落自治の発展形態として地域の公共事務を任意に処理する純粋な地方自治と,国から義務付けられるナショナル・ミニマム行政を分担する基礎的自治体との関係を,どのように再構築すべきかが鍵となる。」としている。
4.今後の小規模自治体の行方に関する提案
「西尾私案」には賛否両論あるが,これらを簡潔にまとめると,賛成派は自治体の力をつけるためには必要な方法であるという考えであり,反対派は効率性よりも自治の理念を重視すべきという考えである。いわば,まずは財政効率と高度な専門性を備えた経営基盤のしっかりした自治体になることを目指すか,それらがある程度欠けていても自立性を大切にするかであり,その選択は非常に困難である。
前回筆者(篠崎)が述べた主張は,財政基盤が脆弱な場合,当該自治体が自治を主張したとしても,その自治体経営は,地方交付税をはじめとした依存財源(当該自治体以外の国民の負担(税))に頼らざるをえないのであるから,当該自治体の自治は一定制限されるのはやむをえないのではないか,というものであった。また,来るべき本格的な地方分権時代(税源移譲,地方交付税改革,国庫補助金の一般財源化の「三位一体」改革後)に自己完結できる自治体になるにはある程度の規模が必要であるともした。この点で「西尾私案」の賛成派に属するものである。
しかしながら,当該自治体住民に純粋な自治意識が強く根付いていて,しかも積極的な行財政改革に取り組み経営基盤の強化に努めている模範的な自治体には,地方自治の本旨を確保する観点から,たとえ一定の人口規模がなくても自治体として存続できる道を残す必要があるのではないかと思われる。
このため,基本的には「西尾私案」を尊重するが,次のような数値基準を一定期間中(例えば5年間)に全て満たした自治体には,単独の自治体として存続することを認めることを提案し,経営基盤の整備と自治体としての自立性の両立という課題への解決策とする。
@住民に自治意識が強く根付いている
⇒「首長や議員の選挙における投票率」,「住民税の収納率」,「情報公開度」
A行財政改革に取り組み経営基盤の強化に努めている
⇒「ラスパイレス指数」,「人口あたり職員数」,「経常収支比率」,「公債費比率」