「静岡県南伊豆町の『資源』について考える」

中村祐司(「地方自治論」担当教員)

 

.なぜ今、「南伊豆町」か

 南伊豆町は伊豆半島の最南端に位置する人口1万人強の小さな町である。2002111日に明らかになった地方制度調査会の西尾私案では、人口1万人未満の自治体は「事務配分移行方式」にせよ「内部団体移行方式」にせよ、自治体組織基盤の根底から改変・再編成が迫られることになる。この私案の実現性がどの程度であるかはともかく、市町村合併をめぐる動きはまさに「風雲急を告げる」状況となっており、とくに小規模自治体にとっては、存続を賭けた取り組みが迫られている。

南伊豆町の『町勢要覧-資料編-』(2001年。以下データの出所は同じ)によれば、町の人口は11,5281982年)人であったのが、10,502人(2001年)とじわじわと減っており、まさに1万人という「ボーダーライン」に至ろうとしている。年齢層で最も多いのが65-69歳で町全体の人口の9.28%(1995年。以下、%をカッコに表記)を占め、続いて45-49歳(9.09%)、50-54歳(7.65%)、60-64歳(7.63%)、70-74歳(7.47%)となっている。65歳以上のいわゆる老齢人口が30%近くに達していることになる。それに対して幼少年人口(0-14歳)と生産年齢人口(15-64歳)は減少し続けており、前者は1960年時点では4,375人であったのが95年には1,375人に大幅に減少している。

このように人口の量と動態の傾向から見る限り南伊豆町の将来は必ずしも明るいとはいえない。典型的な過疎の自治体といってもよいかもしれない。人口1万人前後の自治体が現在の再編状況のなかでどのような対応を行い、その器(うつわ)がどのように変わるのかは別としても、そこに住む人々の生活を快適にするような行政サービスをどのように提供できるのか、そのシステム構築について考えることは、たとえ傍証であるにせよ決して無意味な試みではないと思われる。

加えて祖父母や両親が生まれ育った静岡県南伊豆町は私にとって実質的な故郷といってもいい。生後から平塚市に移り住み、その後神奈川県横浜市、東京都豊島区、埼玉県所沢市、そして現在の栃木県宇都宮市というふうに、結果として生活の拠点を徐々に「北上」させてきた実感として、南伊豆町の温暖の気候や山や海の風景がここ数年無性に懐かしく感じられるようになってきた。子どものころ、夏休みや冬休みを南伊豆で過ごしていた頃は当たり前のように受け止めていた風景がここ数年、折りに触れて渇望されるようになったのである。

現在、仮に日本全国で自分が好きなところに住むことができるとしても、おそらく南伊豆町を選択することはないであろう。勤務場所や交通など都市ならでの生活の利便性といった要素を考えるとどうしても躊躇せざるを得ない。しかし、「体感」として最もしっくりくるのがこの町であるという確信をここ数年もつようになった。同時にたとえ個人的な「好み」のレベルといわれようと、自分が考える故郷についての行政データを集めることもなしに今日まで至ったことに違和感を覚えるようになった。そこで、敢えて南伊豆町を取り上げた次第である。以下、データを拾うことでこの町の概観を提示し、この検討作業を通じて「資源」のあり方について考えてみたい。

 

.データから見る南伊豆町の概観

 ここではデータの羅列となるものの、南伊豆町の概観を把握しておきたい。

総面積は110.58kuで東西11.5km、南北9.7kmである。年平均気温(1991-2000年)は17度と温暖である。温泉熱の利用により南国の果実や亜熱帯植物の栽培がなされている。町域のほとんどが勾配20%以上の急傾斜地で、80%以上が山林・原野によって占められている。1890年の町村制施行により、「南賀6カ村」(南崎村、竹麻村、南中村、南上村、三坂村、三浜村)が誕生し、1955年に町村合併促進法にもとづいてこの6カ村が合併し、現在の南伊豆町が誕生した。

産業別就業人口比は第1次産業17.17%、第2次産業15.48%、第3次産業67.28%(95年国勢調査)で、農家総数741戸のうち、兼業農家が624戸でその内訳は第1種兼業農家126戸、第2種兼業農家498戸(95年農業センサス)となっている。温泉観光旅館数1、民宿等を含む旅館数61、寮・保養所数7となっており、これらの収容人員は6,208人、従業員数は1,020人(9912月現在)である。温泉旅館宿泊人員は91年以降ほぼ20万人以上で推移してきたが、2000年には164,000人に減っている。

 小学校5校、中学校2校、高校は県立高校の分校が1校ある。文化財として、国指定の重要文化財や天然記念物、名称の他、県指定の書跡、天然記念物、工芸、無形民俗文化財、有形文化財がある。スポーツ施設は町営のテニスコート、プール、グラウンド、夜間照明施設、スポーツ広場がある。1989年に町立図書館が設置された。郷土館、武道館もある。

 町の職員数は170人(20014月現在)で、2001年度一般会計当初歳入予算5,145,000千円のうち、地方交付税の割合が39.7%を占めている。町議会議員15人の内訳は無所属13、公明1、共産1となっている(同)。常任委員会は総務財政委員会、文教厚生委員会、産業土木委員会があり、組合には南豆衛生プラント組合、伊豆つくし学園組合、南伊豆町総合計算センター組合、伊豆斎場組合、下田地区消防組合、共立湊病院組合がある。投票区は22区からなり、34地区に公会堂がある。また、石廊崎灯台や花火大会など観光資源は豊富である[1]

 

.小規模自治体における「生活資源」重視の提案

 以上のようなデータ整理から見えてきたこととして、第1に、観光収入や財源に代表されるように、町が単独で外部との「つながり」(資金や技術の流入ルート、行政も含めたサービス提供のノウハウの受け入れ)なしに存続していくことは不可能であるということである。温泉旅館の経営は観光客が町にやってくることによって成り立つし、地方交付税は町の財政運営の柱となっている。町の諸産業についても同様であろう。町が外部との接触を一切断ち、「鎖国」状態にでも置かれない限り、県や国、周辺自治体との間での相互依存状況は今後も町の存続にとっての大前提であろう。

 第2に、こうした相互依存状況にあって存続する行政や住民の生活にはハード面にせよソフト面にせよ「資源(リソース)」が不可欠であり、この資源は大きく「生活資源」と「外部資源」あるいは、「地域内資源」と「地域外資源」に分けることができるように思われる。「生活資源」「地域内資源」とは、町内の住民が文化生活を実現していく上で不可欠な資源である。具体的には道路や店舗などの生活基盤の整備や学校や図書館などの町民が利用する文化基盤の整備である。「外部資源」「地域外資源」とは、観光など町外からやってくる人々を受け入れ、観光客に提供するための資源であり、これによって金銭的収入が得られる類のものである。具体的には温泉観光施設や飲食サービスの提供などがこれに相当する。

 第3に、こうした「生活資源」と「外部資源」の混在が町存続の実態となっている点が指摘できる。いずれが欠けても町は立ち行かなくなる。両資源の均衡点でもって町は存在しているのである。20億円を超える地方交付税がなければ、行政サービスに支障がきたすであろうし、観光収入がなければ人口流出が急激に進むであろう。しかし、一方で国民健康保険や介護保険における財政負担に見られるように、高齢者を対象にした福祉サービスの充実を図らなければ、高齢者が住みよい町にはならないであろう。

 第4に、町を構成する中心はやはりそこを生活の拠点とする住民であることを想起すれば、生活者の価値観をどこに設定するかということが求められる。先述の「生活資源」と「外部資源」との関係でいえば、生活の比重をより前者に移していけばいいのではないだろうか。右肩上がりの経済成長が期待できないからこそ、あるいはたとえこうした成長が期待できるとしても、日常の生活を「豊か」にしていくことに住民の価値観が変容すれば、これに対応した行政サービスの転換もなされていく。ここでいう「豊か」とは金銭的な要素ではなく、住民が町に住むことに精神的にどれだけの充足感をもてるのかという意味である。そのポイントは地区レベルにおける既存の生活資源をどのように生かしていくかにかかっているように思われる。

 第5に、上記のような価値観で町を概観した場合に南伊豆町の「資源」はかなり豊富であると思われる。そして、現在保有している観光資源をその機能は残しつつも生活資源として融合させるような努力が必要なのではないか。たとえば、散策コースを住民の日常的な健康増進コース(ウオーキングコース)としての機能も組み入れるようにするとか、図書館や地区毎の公会堂を拠点にした文化諸活動の活性化を目指すとか、要するに南伊豆町が保有している現在の資源の拡大を図るよりはその運用や調整を通じた「生活資源」として工夫・充実する実践を住民同士で積み重ねていく。その場合に個々の住民の年齢はあまり意味をなさないと思われるし、他の自治体との差異を無理して際立たせる必要もない。極論すれば東京ディズニーリゾートのような拡大再生産型・常時資本回転型の運営とは対極にあるような、生活者優先でかつ行政依存否定型の地域づくりが目指されるべきではないだろうか。

 

<参照サイト>

南伊豆町立竹麻小学校

この小論を書く上で引用等を直接行ったわけではないが、参照をすすめたいサイト。2001年度のページが非常に充実している。通りすがりの学校の所在が何となく頭に残っていた程度だったので、個人的にはあたかも南伊豆町の空気が伝わってくるような、インターネット情報の威力とありがたさを痛感するホームページである。行政はHP作成に奮闘している竹麻小学校の教員・生徒によるこのような取り組みを見習うべきである。

 



[1] 南伊豆町の『町勢要覧』(2001年)や観光パンフレットから、町の観光資源を羅列すれば以下のようになる。

別荘地28カ所、ドライブイン1カ所、保養所1カ所、ゴルフ場1カ所、観光施設(温室)1カ所、少年自然の家・学園・養護施設2カ所、ホテル3カ所。

石廊崎灯台、石廊崎ジャングルパーク、下賀茂熱帯植物園、波勝崎苑、一条竹の子村、銀の湯会館、下田〜石廊崎遊覧船、石廊崎周遊遊覧船、伊豆下田カントリークラブ、銀の湯会館、伊豆下田乗馬クラブ、弓ヶ浜海水浴場、みなと湯、南伊豆漁協直売所、南伊豆町アロエセンター、成晃園(花狩り)、吉祥ふるさとセンター、海上アスレチック(妻良)、子浦海水浴場、伊豆自然郷、岩殿寺窯など。また、散策コースとして、三島神社夫婦楠天然記念物、東大樹芸研究所、入山農園、温泉神社、幸田露伴文学記念碑、大和朝廷屯倉跡(都殿)、慈雲寺(ガマの袈裟伝説)、加畑賀茂神社、樹齢数百年の栢杉、下賀茂熱帯植物園、日詰第二遺跡、前原通り商店街、白坂延命地蔵(前原交通安全お地蔵さん)。その他菜の花畑(1月〜4月)、青野川沿いのみなみ桜(2月〜3月)。ニール号慰霊塔。

波勝崎遊歩道、子浦日和山遊歩道、南伊豆遊歩道(3種のコース)長津呂遊歩道、タライ遊歩道。

伊豆国七福神のうちの4つ→海蔵寺(入間)、善福寺(妻良)、西林寺(子浦)、普照寺(伊浜)。

お祭りや催しとしては、伊勢えびまつり(1月〜3月)、花狩り(1月)、マーガレットの見ごろ(1月)、いちご狩り(5/5まで)、桜と菜の花まつり(2/10-3/10)、花狩り(2月)、しいたけ狩り(3月)、花狩り(3月)、伊豆レディースカップロードレース大会(3月)、春の伊勢えびまつり(4/1-5/15)、自然まつり(ゴルフ大会。4月)、石廊崎権現まつり(4/3)、たけのこ狩り・花狩り(4月)、青野川アユ釣り解禁(6/1)、海開き(7月)、弓ヶ浜花火大会(8/8)、妻良の盆踊り(8/15)、伊勢えびまつり(9/20-)、満月の前夜小稲虎祭(9月)、伊勢えびまつり(10月)、しいたけ狩り(10月)、伊勢えびまつり(11月)、太鼓まつり(11/1-2)、しいたけ狩り(11月)、アロエの花満開(12月)、伊勢えびまつり(12月)、花狩り(12月)。