2000年11月14日 大学院比較行政研究レジメ

2002年ワールドカップサッカー誘致・開催と地方自治体の対応戦略

―アクターとしての栃木県・宇都宮市、県サッカー協会の動態に注目して―」

                        中 村 祐 司(担当教員)

*註は略。はじめに、おわりにのみ全文章掲載。

はじめに

1.Jリーグ誘致の条件と「栃木県グリーンスタジアム」の建設

2.Jリーグ誘致をめぐるスタジアム改善に関する栃木県と県サッカー協会の見解の差異

3.栃木県・宇都宮市のワールドカップ開催地申請の断念とスタジアム問題

4.栃木県・宇都宮市のワールドカップキャンプ候補地申請の断念とスタジアム問題

おわりに

 

はじめに

 1993年春に開幕したサッカーJリーグ(日本プロサッカーリーグ=Japan Professional Soccer League)(1)の運営は、ホームタウン制に代表されるように地域を基盤とした企業、住民、行政の相互協力を前面に打ち出し、従来の企業スポーツの構造そのものの大転換を迫るものであった。

 以後、今日に至るまでJリーグに対しては、一方でその人気や盛り上がりに陰りが見られるようになったと言われ、また、実際に入場者数の減少傾向、クラブ運営をめぐる財政的困難に伴う運営主体企業のクラブからの撤退、選手年俸の削減などが指摘されるようになった。しかし、96年には2002年ワールドカップ大会が日本と韓国で共同開催されることが決定され、さらに98年ワールドカップ大会への出場や2000年シドニーオリンピック大会での準々決勝進出などにより、日本におけるサッカー人気が野球と並んで再び高まってきていることも事実である。

 その中でも特にワールドカップサッカー2002年大会における日本と韓国の共同開催は、確かに単独開催の場合と比べて開催による国内波及効果などのスケールメリットなどの点では半減してしまうといわれたものの、大会開催が政府やメディア、関連産業にもたらす有形無形の影響は極めて大きなものがあると考えられる。

 本稿ではワールドカップ開催がもたらす国内への多大な影響力を認識した上で、ハードの側面、とりわけスタジアム建設やキャンプ候補地施設の整備に注目し、これとの関連で地方自治体がサッカー関係団体等との相互作用や調整の中でどのような対応戦略をとっていったのかを、関連諸アクターの意図や資源(リソース)を把握しつつ、明らかにしていきたい。

事例として取り上げる栃木県(以下、県と略)や宇都宮市は2002年大会の開催地として立候補しておらず、その意味では開催地自治体や積極的なキャンプ候補地運動に入っている自治体と比べて、諸アクター間のダイナミックな相互作用が見られないのではないかという指摘がなされるかもしれない。

しかし、以下に見ていくように栃木県サッカー協会(以下、県サッカー協会と略)はJリーグ誘致をワールドカップ開催可能なスタジアム建設と絡めた形の戦略行動をとったし、キャンプ候補地の申請をめぐる動きも含めて栃木県や宇都宮市の対応戦略には大きな変動が見られた。

そこで以下、Jリーグチーム誘致の条件とスタジアム建設、ワールドカップ開催地立候補断念、キャンプ候補地立候補断念という局面における栃木県・宇都宮市、県サッカー協会といった関係諸アクターの相互作用の動態について描写していきたい。(2)

1.Jリーグ誘致の条件と「栃木県グリーンスタジアム」の建設

 「プロチームが地方自治体に提供するものとして、@ホームゲームの80%以上の開催。都市名(市町村名)をチーム名に入れる。A自治体行事への積極的な参加 Bスタジアム等、スポーツ施設の整備に対する助成 Cサッカースクール開催や指導者としての選手派遣等による少年・少女のレベルアップの場への参加 Dコーチング・スクール開催等による指導者のレベルアップの場への参加、の5点が掲げられた。」

 「一方、地方自治体の側はプロチームに対して、@日本プロサッカーリーグ主管のもとに実施される有料試合の認可 A15.000人以上が収容可能で夜間照明設備を持つスタジアムの借用を可能とすること Bスタジアム借用に関しての日程的便宜 C広報機関の協力(日程、チーム、選手の紹介等々)D関連機関(警察、消防署、等々)との調整補助、を提供するということが示された。(5)

 

2.Jリーグ誘致をめぐるスタジアム改善に関する栃木県と県サッカー協会の見解の差異

 「県サッカー協会としては宇都宮市に建設される栃木県グリーンスタジアムを拠点とするJリーグチームを誘致することで、2002年大会の会場地として名乗りを挙げたいとしたのである。県サッカー協会は当初、本田技研、フジタ工業の誘致をねらったが各々のチーム事情から誘致が絶望的になったことから、将来のプロリーグのチーム増枠時をにらんで、91年1月時点で準本拠地チームとして当時のJR古河を誘致の対象に絞り、同2月に宇都宮市青年会議所と共に正式要請訪問を行った。(10)そして、宇都宮市、栃木県に積極的に働きかけ、同7月までにJR古河が宇都宮市を準本拠地とすることが確実になると、今度は重点を「宇都宮招致委員会」の組織化も含めてワールドカップ誘致に移していくようになった。(11)

 「この時期、県と県サッカー協会、Jリーグチームとの協調関係が微妙なバランスのもとに保たれていたといえるのではないだろうか。県や宇都宮市としては準本拠地ということであればグリーンスタジアムの駐車場問題を当面回避することが可能であるし、自治体負担の面でも本拠地となった場合と比べて大幅に軽減することができる。したがって、将来的にもスタジアム改善費が膨らむことはないと踏んでいたものと思われる。一方、県サッカー協会は、準本拠地は本拠地となるためのステップであり、スタジアムの改善についても順次なされていくという見通しを持っていたのではないか。また、この時期において、Jリーグの本拠地としての将来的なスタジアム整備よりも、ワールドカップの会場地としての申請に戦略の中心が移っていたため、準本拠地としての決定で事足れりという姿勢があったことは否定できないであろう。」

 

3.栃木県・宇都宮市のワールドカップ開催地申請の断念とスタジアム問題.

  「902月の時点で30あった開催希望県は半分の15県に減り、栃木県もこれに含まれることとなったのである。条件のハードルが高過ぎる、財政的に難しいと判断されたのである。927月に県及び宇都宮市の担当部局は「ワールドカップ立候補を見送ってもらいたい。理由はスタジアム改修だけで莫大なお金がかかる。また、ワールドカップ日本開催が決定していない段階での供出金の条件は厳しい。多くのメリットは理解しているが、1競技だけにそれだけのお金をかけられない」(22)と表明し、ここにワールドカップ開催地の断念が決定した。」

 

4.栃木県・宇都宮市のワールドカップキャンプ候補地申請の断念とスタジアム問題

 「このように、ワールドカップ開催地の申請を断念した1年後の937月のJリーグ公式試合でグリーンスタジアムの改善問題が浮上し、これに対する県の消極姿勢がその後の宇都宮市における実質的なJリーグ誘致の断念を決定付けたといえる。」

 「ところが、966月にワールドカップの日韓共催をFIFAが決定し、2002FIFAワールドカップ日本組織委員会(JAWOC=Japan Organizing Committee for the 2002 FIFA World Cup Korea/Japan )の実施活動が本格化する時期に、今度はキャンプ候補地としての申請を県が前向きに検討するようになる。」

 

おわりに

 以上のように、Jリーグチーム、ワールドカップ開催地、キャンプ候補地の誘致において、これを実現しようと奔走した県サッカー協会の働きかけは、最終的に県と宇都宮市を動かす決定的な原動力とはならなかった。

 こうしたスタジアム改善問題が絡む一連の過程を、主要アクターである県サッカー協会、県、宇都宮市の相互影響力の動態に注目し、そこから読み取れる特質を3つ挙げるとすれば以下のようになるであろう。

 第1に、いずれの局面においても草の根的な誘致の盛り上がりは少なく、(27)日本サッカー協会、招致委員会、組織委員会といった上位団体が主導しつつ繰り出す流れに、地元はどのように乗ればよいのか、あるいは他の自治体や他県サッカー協会の対応に乗り遅れまいとする意識が色濃かったといえるのではないだろうか。県サッカー協会の意気込みはいずれの局面においても強かったものの、県と宇都宮市を巻き込んだ形で一体となった誘致運動を展開することはできなかった。要するに国→地方という上位下達式の枠組みの中での誘致運動という限界が指摘できる。

 第2に、県サッカー協会と県との間でグリーンスタジアムの「建設目的」を共有できなかった点である。県サッカー協会は93年のインターハイ会場としてのスタジアム建設を当初は主張していたものの、ワールドカップ開催やJリーグ誘致が上位団体から提示されるとすんなりと建設目的を転換した。しかし、県からみれば建設途上のスタジアムの改修を前提とすることには抵抗があったであろうし、Jリーグの試合を開催するためのスタジアム条件への対応を検討する以前に、ワールドカップ開催地となるためのより厳しいスタジアム条件の受け入れを迫られたことは、結果として、キャンプ候補地も含めてその後の県のスタジアム改善を拒否する頑なな姿勢につながっていったのではないだろうか。その意味ではインターハイ開催のためのスタジアム改善→Jリーグ公式試合の開催維持のためのスタジアム改善→ワールドカップ開催地となるためのスタジアム改善といった段階的な順序が反転・混在してしまったことが誘致断念の大きな要因ではなかっただろうか。

 第3に、もう少し広い意味での「建設目的」の共有もなされなかったことである。県サッカー協会は、Jリーグの理念や招致委員会が提唱したワールドカップ開催によるスポーツを基軸とした文化的波及効果に賛同し、これを強調することに何の違和感も持たなかった。一方で、政策の優先順位からすれば決して高いとはいえないスポーツ振興策、その中でも一競技に過ぎないサッカー施設になぜこれほどまでのテコ入れ(具体的には財源の措置)をしなければならないのか、という懐疑にも似た県の考えはおそらく最後まで払拭されなかったのではないだろうか。スポーツを文化としてどのように捉え、県の施策の重要課題として盛り込んでいくかとう点をめぐって、県サッカー協会と県との間の乖離が解消されることはなかったのである。

 本稿では、Jリーグ誘致、ワールドカップ開催地、キャンプ候補地の申請断念をめぐる栃木県における関連諸アクターの動態の分析を試みた。その意味では「後ろ向き」の分析という指摘がなされるかもしれない。しかし、今後は例えば県下において、全国の他の誘致自治体とは異なる極めてユニークな戦略と新しいスポーツ振興の在り方が読み取れる湯津上村(999月にキャンプ候補地申請)の誘致活動や、200010月現在、Jリーグの下部組織に相当する日本フットボールリーグ(JFL)に参戦している栃木サッカークラブ(栃木SC)に焦点を当てた「前向き」な分析を行うことで、県下におけるサッカーを通じたスポーツ振興の総体・統合的な研究につなげてきたい。