比較行政研究 レジュメ                      00.10.31 糸長俊明(mk000101

 

 

0 ギデンズの構造化理論 フーコーの権力を理解するために、あるいは前回の中村先生の議論との関連性をもたせるために

 

数土直紀「ギデンズの構造化理論」から

 

ギデンズの議論の構造と主体の関係に関する議論のみ扱う

 

社会的行為を理解すること  〜社会学の基礎理論

構造化理論は、恒常的な社会関係が意図せざる結果として安定的に再生産されることに終点を置いた議論。

 

知識能力とは、主体が行為する際のその行為をめぐる様々な条件に関する知識と、それを活用する能力一般。

 行為者は意識的に知識能力を使う場合がある。言説意識、実践意識

 

可視化されない行為の結果の条件―そうした条件は主体が選択した行為によってはじめて産出され、維持される「行為する主体が存在しないなら行為を可能にする条件も存在しない」

 

構造は主体が選択した行為の結果であり、行為者が意図しないままに生産・再生産する何か。そして構造は、時には行為者によってその存在が意識されないままに行為者の行動選択を規定している。しかし構造は意図せざる結果それ自体である前に、行為によって再帰的に構築される諸条件なのである。構造は、主体によって把握され、行為によって再帰的に生産されることで安定的に存在する規則であり、資源である。

 

主体の復権!?

むしろ、一方が一方に還元されない関係こそ問題。構造も主体も互いが互いの存立のための条件になっている。

 

構造化理論―構造と主体の関係の社会理論

行為=構造と主体の関係を媒介するものとしてある

 

 

1 Subject 〜主体−従属 あなたは権力から逃れられない

 

権力と主体化

 囚人の規律訓練 →身体に関する様々な技術

 

権力―社会的現実をその効果として生成する自己準拠的装置のようなもの

 権力は人々に主体的であることを要請する!

 

権力は暴力合意をそれ自体として含意していない、それは統治支配)

 

権力は誰かの所有物のようなものではない、それは様々な関係の中で作用する

 他者の振る舞いに対する作用を及ぼす行為のなかに作用している=人と人との関係に内在する

→権力のない社会などはありえない

 

⇒閉鎖的権力観? 権力の最終目標は人々の自動化か?

 

 

2 パワーゲーム ニーチェ的肯定

 

権力は自由を束縛するものではない、それは自由を前提として作用する(サルトル的自由ではなく)

 他者への作用は他者の自由が前提である

→抵抗の可能性を否定しない but抵抗はそのまま権力関係の中に絡みとられてしまう!?(権力の外では抵抗は成立し得ない)

 

権力のゲームから完全に逃れることはできない、しかし権力のゲームを新たに作り出すことはできる

 

⇒権力のダイナミズム! 権力の活用!

 

 

3 どう描き出せばよいのか そのヒントはどこにあるのか

 

本質的に、抵抗は権力の関係の戦略的場においてしか存在し得ない

 このような力関係の場においてこそ、権力のメカニズムの分析を試みなければならない!

 

言説の世界を、様々な言説の中で演じ=働き得るような多様な言説要素として想像すべき

 (語る者とその権力関係における位置、彼が身を置く制度的文脈を考慮)

 

不安定なゲームの中で、言説は権力の道具にして作用=結果であるが、しかしまた、障害、支える台、抵抗の点、正反対の戦略のための出発点でもある。言説は権力を運び、産出する。言説は権力を強化するが、しかしそれをまた内側から蝕み、危険にさらし、脆弱化し、その行く手を妨げることを可能にする。

一方に権力の言説があり、それに対峙して、他方に権力に対抗するもうひとつの抵抗があるのではない。言説は力関係の場における戦術的な要素あるいは塊である。同じ戦略の内部で、相異なる、いや矛盾する言説すらあり得る。反対に、それらの言説は、相対立する戦略の間で姿を変えることなく循環することもありうる。

 〜権力のズラし(たとえば太田「文化の客体化」『トランスポジションの思想』参照)

 

 

 

参考文献

 

(ギデンズにかんするもの)

アンソニー・ギデンズ『社会理論の現代像』みすず書房1992

数土直紀「ギデンズの構造化理論」,井上俊他『岩波講座現代社会学別巻 現代社会学の理論と方法』岩波書店1997

貝沼洵「構造化論の射程」,北川隆吉他編『20世紀社会学理論の検証』有信堂高文社1996

 

(フーコーの権力論に関するもの)

M.フーコー『監獄の誕生』新潮社

M.フーコー『性の歴史T 知への意志』新潮社1998

M.フーコー「主体と権力」,ヒューバート・L・ドレイファス,ポール・ラビノウ『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』筑摩書房1996

M.フーコー「セックスと権力」,「権力と戦略」,「健康が語る権力」,「歴史と権力」,「身体をつらぬく権力」,福井憲彦他編『ミシェル・フーコー 19261984』新評論1984

M.フーコー『言語表現の秩序』河出書房新社1984

宮原浩二郎「フーコーの言う権力」,井上俊他『岩波講座現代社会学別巻 現代社会学の理論と方法』岩波書店1997

内田隆三「権力のエピステーメー」,井上俊他『岩波講座現代社会学別巻 現代社会学の理論と方法』岩波書店1997

内田隆三『ミシェル・フーコー 主体の系譜学』講談社1990

 

(フーコーの権力論以降の著作=「倫理」の問題系)

M.フーコー『性の歴史U 快楽の活用』新潮社1998

M.フーコー『性の歴史V 自己への配慮』新潮社1997

M.フーコー「倫理の系譜学について」,ヒューバート・L・ドレイファス,ポール・ラビノウ『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』筑摩書房1996

M.フーコー「自己のテクノロジー」,M.フーコー他『自己のテクノロジー』岩波書店1990

 

(フーコーの権力論の応用、オリエンタリズムをめぐる議論)

エドワード・サイード『オリエンタリズム(上・下)』平凡社1998

太田好信『トランスポジションの思想』世界思想社1998