比較政策研究レポート

2009.12.15

国際社会研究専攻 中山 利之

(学籍番号:094107X

地域の住環境を保護するための手法について

 

1.住環境に関するトラブルの現状

我々が住む地域において、その環境が好ましいものであることは、快適な生活を送る上で極めて重要なことである。近年、大規模施設の建築による眺望の悪化や周辺地域との不調和といった住環境に関するトラブルの発生と、それに対する反対運動や訴訟が行われるなどの問題が発生している[1]。多くの自治体では、こうした問題を回避するための一つの手法として、大規模建築行為を行う際の事前のお知らせ看板の設置や、近隣説明会の開催を求める指導要綱(以下、「中高層要綱」という。)などを定め、事業者があらかじめ計画を明示するとともに地域住民らとの接触の機会を持つことを求めている。しかし、こうした手続きの制度は、当事者間の協議により問題を未然に防ぎ、また解決を図ろうとするものであり、協議の不成立を理由として行政が建設を認めないというような性格のものではなく、あくまで行政指導の範疇にとどまるものである。したがって、利益の相反する当事者間では問題の解決に至らないケースも、当然ながら存在する。この場合、上述のような反対運動や訴訟といったものに繋がっていくのである。

こうした反対運動や訴訟といったものは、自らが不利益を被ると考える立場のものから提起されるものであり、一般的には地域住民がその当事者となっている。その立場からみた場合、現状の中高層要綱の制度は彼らの要請には対応しきれていない。周辺住民に対し、事業の計画初期段階において具体的な説明や協議などが行われることは少ない。例えば「東京都中高層建築物の建築に係る紛争の予防と調整に関する条例」では、その第五条において建築計画に関する標識の設置を求めているが、同条例施行規則第五条によりその設置期間は、建築基準法に基づく確認申請の30日前と定められている。つまり地域住民がその事業の具体的な内容を知ることができるのは、相当程度計画が固まったのちや、実際に事業が動き出してからなのである。したがって、仮にその事業の内容が周辺住民にとって好ましいものではなく、かつ、事業主側にある程度の聞く耳があった場合であっても、計画の取り止めや大幅な変更といったことが、事実上困難であることも多い。

しかし事業者側とすれば、土地購入前や事業計画初期段階における周辺説明を行うことは、競合事業者の参入や、土地価格の上昇といった悪影響を招くことが考えられ、企業としての情報管理上も好ましいことではないだろう。また、事業内容が確定していない段階で説明を実施し、地域住民の了解を得たとしても、事業の中途において内容の変更などが発生した場合には、再び説明などに労力や時間をかける必要が生じることを考えれば、計画が固まったのちに説明等を行いたいという事業者側の都合も理解できよう。

このような場合に周辺住民は、そこに出来上がる施設のことがなかなかわからないことに対する不安や、自分達の感覚とは異なるものができることに対する理不尽さを覚えると共に、自分達の要望どおりにこれを阻止することのできない行政に対する不満が生じる。一方の事業者側は、法など公の基準を遵守しているにもかかわらず事業の中止や変更を求められ、それに従った場合であっても損失や逸失利益への補償がなされるわけでもない状況に理不尽さを覚えると共に、法的根拠も持たない行政指導により地元との協議を求められるなど、余計な時間と労力を浪費させようとする行政に対する不満が生じる。そして行政の立場としては、民事的な問題として当事者間での解決を求めていくしかなく、違法性がない場合にはどちらかに肩入れすることは原則として許されるものではないことは、司法の場においても明らかにされている[2]。こうしてなんらの解決もされないままに事業は実施され、それぞれの当事者間の断絶は解消されることなく、また、それぞれに対する不信感は増大していくのである。しかし、良好な住環境を保護し、また、つくり出していくためには、それぞれの当事者の立場が尊重されると共に、その希望が達成される必要があり、そのための新たなまちづくり施策が求められるのである。

 

2.これまでの住環境保護に関する施策

 では、過去における住環境の保護はどのように実現されていたのだろうか。その一番目として挙げられるものは、都市計画法による用途地域の設定および、建築基準法による用途規制によるものであろう。都市計画法においては12の用途地域[3]が規定されており、それぞれの地域についてその目的が定められている。例えば第一種低層住居専用地域においては、「低層住宅に係る良好な住居の環境を保護するため定める地域とする。[4]」というものであるが、これだけでは具体的にどのような施設を建築して良く、または建築してはならないのかは明確ではない。その具体的な内容を定めているのが建築基準法であり、一例をあげると、上記の第一種低層住居専用地域にあっては、「住宅」や「住宅で事務所、店舗その他これらに類する用途を兼ねるもののうち政令で定めるもの」その他様々な用途が示されている[5]

 こうした都市計画による用途規制は、行政の側が全体としてどのような都市づくりをするのかということを基準に考えるものである。たとえ地域の設定時における周辺環境や、縦覧により提出された意見書の内容を考慮するものであったとしても、ある一定の範囲についてそれぞれの地域を面的に指定するものであり、個別の土地についてその要望を反映させるようなかたちで設定していくものではない。また、その具体の規制内容についても、以前と比べれば細分化されてはいるものの、地域内では一律の制限となっており、その制限内容も一定の幅を持つものであることから、例えば住居系の地域内においても業種や規模の制限はあるものの、工場などを建築することも可能である。また特に紛争の対象となりやすい中高層の共同住宅についてはそもそも住居であることから、用途規制としては工業専用地域以外においては規制の対象とはなっていない[6]。もちろん用途規制のみで建築の制限が行われているわけではなく、その他様々な形態規制が定められているわけであり、無秩序に建築行為が行われるわけではない。しかし、制限の内容や有無と、その地域における現在の住環境とが必ずしも一致するわけではないことは明らかである。したがって、地域住民が好ましいものであると考える住環境をつくり、また保護していくためには、行政が主体となって定める都市計画のほかに、地域住民が主体となって策定する制限や誘導に関する基準づくりと、その実効性を担保するための制度づくりが必要なのである。

 

3.地域住民間におけるトラブル

前二節においては、既存のコミュニティに対する外部からの侵入者として排除の対象となっているものについて述べてきた。しかし、現在発生しているトラブルについては、必ずしも新たな侵入者によってもたらされるものだけではなく、そのコミュニティの構成員間におけるものも少なくない。例えば、「敷地境界線ギリギリに建築している。」とか、「自分の庭が日陰になってしまう。」などという、隣同士の家で発生するようなトラブルが挙げられる。こうしたトラブルが表面化してきた理由のひとつとして考えられるのが、従来のコミュニティにおいて存在してきた、お互い様とでもいうような形で自分と相手を縛る、ある種の合理的な関係(以下、「関係その1」という。)が薄れ、崩壊してきたことである。この関係は、お互いに迷惑を掛けることもあれば掛けられることを前提とするものであるが、どの程度の迷惑が許容されるのかということについては、長年の生活のなかで暗黙的に作り上げられたあいまいな基準として、構成員の間で相対的に合意されるものであろう。したがって、相手によっては許容できるものが別な相手では許容できないといったケースは存在するが、そのコミュニティのうちにいようとする限りにおいては、あまりに無理なことはできず、このことが住環境の維持や妥協の成立に一定の役割を果たしてきたものと考える。

また、この「関係その1」が完全に変質し、周囲からどのような影響を受けようとも構わない、または止むを得ないし、また自分も好きにやるという合意が形成されるということになれば、お互い様といった価値観で相手を縛らない、別な意味での合理的な関係(以下、「関係その2」という。)が成立しているといえるだろう。例えば、深夜の出入りや物音についての、学生アパート内における居住者間の関係などはこれに近いのではないだろうか。

現在発生している近隣トラブルの多くは、「関係その1」から「関係その2」の間に位置し、相対的に合意を得るための関係がつくられず、また、自分が与えられる影響に対しては許容することもできないことから発生しているものと考えられる。この場合、公法においては双方とも適法であるケースが大多数である。そうであるにもかかわらず、自分の利益こそ自分にとっては正しいものであり、これを侵す者は絶対悪であるとの価値観による主張のぶつかり合いは、どこまでいっても解決に繋がることのない、極めて非合理的なものとなる。自分が正しく相手が間違っているとの立場を持つもの同士の関係において、このトラブル以外の関係性を持たない場合、相手に対して妥協することは困難なものであろうし、金銭を含む何らかの対価により代替するか、面倒になって放棄するなどの他には、争いを止めることの必要性も見出せないであろう。一方、双方が普段から利害関係を持つ社会であれば、双方の利益や損害を斟酌してその妥協点を見つけ出すという、打算的で合理的な結論を出すことも可能だろう。もちろん全てのケースが解決されるわけではないだろうが、例えば今後の付き合いを考えて主張をセーブすることや、双方または片方が一定の我慢をすることなど、合意に導くための様々な方法が検討されるだろう。なお、このようなどちらも公法的には間違っていないというケースに対し、行政がどちらかの肩を持つ形で介入すべきでないことは既に述べたとおりである。このような場合、ある面では被害を蒙ることになる弱者や被害者という立場であるように見えたとしても、立場を変えれば相手の権利を強引に奪おうとする強者であり加害者という側面も持っているのである。

既に「関係その1」が失われた地域社会に、再び同じ関係を構築しようということは現実的ではない。また、全ての地域が「関係その2」の地域社会に変質するかといえば、これも非現実的である。したがって、関係性に依存して見えない強制力を持っていた旧来の地域社会における関係に代えて、関係性を持たない住民に対しても強制力が及ぶ新たな方法で、その地域の住環境を維持する必要がある。その際の基準づくりは、広域的で画一的なものではなくその地域に即したものである必要があり、自分たちが許容する範囲や、こうありたいという希望を、そこに住まう住民自らが考え、決定することが不可欠である。そしてこれを行政のもつ法的拘束力で担保することにより、住民が望む住環境を現実のものとする。こうした手法以外では、自分達の求める住環境を達成し、持続していくことは不可能なのではないだろうか。

こうした手法を採用する場合には、自分が持つ権利をも制限する可能性が高い。例えば隣地境界線からの所要離れ距離の規定や、高さや階数の規制などを行ったとしよう。土地の有効利用を考えた場合、敷地南側を広く確保するために北側境界線に建物を近づけたいという風に考えることもあるだろう。また、家族の人数の増加による所要スペースの増加から、3階建てのような高い建物を建てたいと考えることもあるだろう。だが、自分達が定める規制によって、こうしたことは不可能となってしまう。これに対する不満も生じるかもしれない。しかし、自分たちの地域のことを自分たちのためだけに考えるのは、自分たちしかいないのである。自分に不利益がある場合にのみ、自分の利益だけを主張するという姿勢では、住環境を守ることは不可能である。自分の権利を縮小することも含めて、あらかじめ地域内のルールをつくり、これに強制力をもたせることで、住民相互の関係では解決しきれない問題の発生を防げるのではないだろうか。



[1] 例えば国立市におけるマンション建設に関し、その撤去を求める訴訟

裁判所HP 最高裁判例 事件番号 平成17()364 建築物撤去等請求事件http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=32819&hanreiKbn=01 (2009.12.6現在)

[2] 国立市におけるマンション建設に関し、市長が適法建物に対する妨害行為を行ったことへの損害賠償を求める訴訟

 裁判所HP 行政事件裁判例 事件番号 平成14(行コ)72 各条例無効確認、損害賠償請求控訴事件 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=33188&hanreiKbn=04 (2009.12.6現在)

[3] 都市計画法第八条第一号において、「第一種低層住居専用地域、第二種低層住居専用地域、第一種中高層住居専用地域、第二種中高層住居専用地域、第一種住居地域、第二種住居地域、準住居地域、近隣商業地域、商業地域、準工業地域、工業地域又は工業専用地域」と規定されている。

[4] 都市計画法第九条

[5] 建築基準法第四十八条および別表第二

[6] 建築基準法第四十八条および別表第二