比較政策論1118日                        謝静

 

地域振興を目的とする持続可能なツーリズム

      ――浙江省安吉県におけるエコツーリズムの可能性

中国観光業の発展状況

1、観光業の発展経緯

 18世紀以降の工業の近代化は、西ヨーロッパ諸国からアメリカ・日本へと拡大し、19世紀までに近代化を遂げた国は未曾有の物質文明を獲得した。このような経済的豊かさが社会に広く浸透していくことが、近代観光の発生するための必要な条件を生み出し、こうした背景の下で、19世紀後半、イギリスのトーマス・クック (「中国観光産業の課題と持続可能な観光への若干の展望」韓魯安,2008,165ページ)

中国の観光業は、「華僑服務社」と「中国国際旅行会社」という二つの観光会社の設立を契機としている。194910月、厦門に滞在する華僑と香港・マカオ同胞の海外脱出を手伝い、また帰国観光や親族訪問の華僑を受け入れるために、新中国最初の華僑向けのサービス機関である「福建厦門華僑服務社」が正式に設立された[1]。これは、新中国の初めての旅行会社であった。その後、外国からの訪問客を接待する任務はますます重くなったため、諸外国との民間外交をさらに発展させていくために、1954年4月15日、中国国際旅行会社総社が設立されたのである。これが中国本土の国際観光事業の始まりであるとされている[2]。その主な任務は、訪中客の食事、宿泊、交通、観光並びに国際鉄道のチケットを発売する業務であった。経営上では、採算がとれない時には国がその差額を補助してくれるなど、利益の有る無しにかかわらず、経済効果は一切考慮されなかったのが当時の現状であった[3]1964年7月、観光業への統一管理を強化するために、観光事業の管轄機関として、「中国旅行遊覧事業管理局」が設立された。それは国務院の直属機関として、           海外私費観光客の中国観光に関する業務管理並びに各関連地域の中国国際旅行会社支社およびその直属サービス機関の業務を指導し、対外連絡と対外宣伝を担当するものである[4]1966年から1976年まで文化大革命中、旅行接待は単なる政治任務になったのである。

観光事業が発展する余地は全くなかった。1978年、中国は世界の先進国に比べ国内経済が立ち遅れているという現実を正視し始め、改革開放の政策を全面的に打ち出した。それに伴い、観光業の対外開放が開始され、中国観光産業は国際交流の媒介役のみならず、外貨獲得の重要な部門の一つとして重視される全面展開段階に入っていった。

観光業は従来の「政治接待」を中心とする政府部門から脱皮し、経済収益をより重視した国民経済の一構成部門への大転換を図るようになった。1982年、中国国家旅遊局と国際旅行総社は行政と企業に分離をし、海外と国内観光業全国的な統一管理能力がさらに強化された[5]1984年からは、旅行幹旋業者である旅行会社、宿泊業者であるホテルおよび関連する業者などは、それまで所属していた行政機関から切り離され、それぞれが独立した企業体制へと転換した。1986年、観光関連の学術研究を行い、観光行政部門の業界管理に協力することを目的として、中国旅遊協会と中国旅遊飯店協会が発足した。1988年になると、海外観光客は遂に3,000万人を突破し、外貨収入は22億ドルに達した[6]。ところが、“天安門事件”を契機にして、それまで順調に発展してきた観光業が、一挙に危機的な状況に陥ってしまった。1991年には国際観光客数が3,000万人を突破し、1988年の水準に回復した[7]1989年の落ち込みから初めて立ち直りを果たしたのである。1992年から国家旅遊局は毎年一つの観光テーマを定めており、この特定のテーマの下で国家旅遊局自らが推奨する観光スポットや旅行ルートを宣伝し、それを受けて全国各地(省、自治区、直轄市)はそのテーマに関連するイベントを企画し実行する、という形で観光客の誘致を図っている。中国の特色のある観光商品を世界に売り出す試みが始まったのである。

 

持続可能ツーリズム発生の背景

1950年代初、中国は低開発農業国にすぎず、「1952年に中国は一人当たりの国民収入が僅かに103.5元で、一人当たりの工業総生産額も僅かに142.4であった」[8]1950年から1980年にかけて、中国は計画経済体制の下で国家の物質文明と精神文明の建設を推進していった。その結果、「1978年の国民一人当たりGDP778元で、都市と農村における住民の一人当たり収入は615元、191元」となり、僅かな成長とともに格差の広がりが現れた[9]

 1978年から四半世紀にわたる改革開放を経て、中国の経済は高度成長を遂げた。2001年、「国民一人当たりGDP3,850元で、都市と農村のおける一人当たり収入は6,869元、2,257元であり、当初と比較して11倍に増加」し、2004年に中国の一人当たりGNP 1,000ドルに達成し、世界第7位につけている[10]。一方、改革開放と高度成長に伴い、世界の多くの国々と同じように、観光振興を外貨獲得と社会発展及び地域開発の重要な手段として積極的に推進するようになった。1995年ごろによると、中国史上未曾有の「マス・ツーリズム時代」(大衆観光)を迎えるに至った。中国国家旅行局の統計資料によると、「2005年まで、中国の入国旅行者は1.2億人、国民内旅行者は、12.12億人、国民海外旅行者は3,100万人、旅行総収入は7,680億元である」[11]

 しかし、マス・ツーリズムの拡大に伴い多くの環境問題、地域格差の拡大問題がもたらされた。社会の存在様式についての多元的な理解を欠いた観光開発がなされ、自然環境の破壊やアメニティ(都市計画などで求める、建物・場所・景観・気候など生活環境の快適さ)悪化、伝統文化の変容が引き起こされ、社会的公平が脅かされた。

 こうした問題にかかわる反省なら、中国では、観光開発に伴う環境問題を抑制し調和の取れた政策を実施するため、「持続可能なツーリズム」についての研究が1990年代後半から始まった。

 今までの研究動向を見ると、2000年以降の研究が現在の世界観光研究の論点と近くなっているといえる、多くの研究は、持続可能なツーリズムをめぐって「市場の失敗」、「政府の失敗」の視点から理論的研究と実証研究として展開されている。そうした中から、観光資源管理や観光政策にかかわる政府、企業、住民の協働を構築する自治的関係の発展を構想し、またそうした実践例も現れてきた

  しかし、政府、企業、住民の協働に関する研究は、地域の多様な主体の利益要求と利益関係について大きいな関心を払っているが、複雑な利害関係の調整システムの核心問題についての研究不充分である。「中国観光産業の課題と持続可能な観光への若干の展望」(韓魯安,2008,165166)によると、その問題は主に以下の三つ面にまとめることができる。

 第一に、住民の主体的位置が不明確で、行政・企業(市場原理)が依然として主役の位置を占めている。

 第二に、住民参加を前提に、地域の多様な主体が環境対応の総合的な効果を前途させる住民自治組織、具体的には地域コミュ二ティ組織としての社区に関する検討・議論が不足している。

 第三に、多様な主体が相互に協働する関係を創出する地域マネジメント・システムに関する研究が少ない。

 

持続可能観光政策の導入

 中国は世界観光期間のアジェンダ21に適応するため、19943月に『中国アジェンダ21』を提出した。これは、中国が21世紀に向けてすばらしい将来を得るための新しい出発点であると同時に自然生態環境の保全・活用について重視する方向性を示している。

 1990年代に入って、観光開発の環境問題を解決するためには、国務院は「保護が主、緊急救済が第一」という方針を提出した。国務院の指示に対応するためには,国家旅行局

は観光地のランク付けを通じて観光名所を序列化し,それによって観光資源の保護意識を高めることになった。「1999年7月20,国家旅行局が制定した「旅行区質的等級の区分と評定基準」は国家質量技術監督局の承認を受けて国家基準として公布され,1999年10月1日から施行されることになった」[12])

この基準は観光地の等級の範囲,等級を定めるための準拠,方法,また等級および監督検査等について明確な基準を定めている。2002年まで国家AAAA級観光地は361ケ所,AAA級観光地は165ケ所,AA級観光地は463ケ所,A級観光地は1,062ケ所ある[13])

持続可能な観光を推進するために,国家旅行局はエコツーリズムをテーマとし,1999年の観光をエコツーリズム年とする観光プロモーション活動を展開し,「自然に向かい,自然を認識し,環境を保護しよう」のキャッチフレーズで,エコツーリズムを推奨した。

2000年以来,中国政府は全面的な「小康」社会の発展目標を提示した。それまでの高度成長路線が生み出した不均衡発展の歪みや矛盾を是正することに重点をおき,経済発展至上主義から持続可能な発展へシフトすることを強調した。換言すると,社会経済の発展と人類の生存環境の保全を両立させる調和の取れた発展を求めたのである。

そのような背景のもとで,「国家旅行局は2001-2005年の第十次五ケ年計画期に,中国の観光産業が持続可能な観光の発展戦略を一層推進し,エコツーリズムの開発・経営・管理を実施し,エコツーリズムを中心とするエコ生産・経営・監督・評価・管理システムを構築し,観光開発・利用と環境資源の保全を一体化させる有効な経路を探索し,観光産業を環境に有益な産業に発展させると明確に述べた」[14])

 

 

 

 

 

参考文献

文亮 『中国観光業詳説』 日本僑報社、2001年、

前田 『現代観光学の展開』 学文社、1996

国家旅遊局 『中国旅遊統計年鑑』 中国旅遊出版社

韓魯安 中国観光産業の課題と持続可能な観光への若干の展望 人間社会環境研究 金沢大学大学院人間社会環境研究科、2006,9

 



[1] 文亮 『中国観光業詳説』 日本僑報社、2001年、14ページ。

[2] 前田 『現代観光学の展開』 学文社、1996年、155ページ。

[3] 文亮 『中国観光業詳説』 日本僑報社、2001年、14ページ。

[4] 文亮 、同上書、14ページ。

[5] 文亮 、同上書、21ページ。

[6] 国家旅遊局 『中国旅遊統計年鑑』 中国旅遊出版社、2000年、2243ページ。

[7] 中国観光業年度報告」 『中国旅遊報』 http://www.ctnews.com.cn

[8] 鹿児島国際大学地域総合研究所編[2001]『日中の経済・社会・文化――共通と差異・歴史から未来へ』日中経済評論社、173ページ

[9] 中国国家統計局経済核算司編[2004]『中国経済統計年鑑』580ページ

[10] 同前掲600ページ

[11] 中国国家旅行局「2006」『中国旅行統計年鑑』中国旅行出版社、63ページ

[12] 国家旅行局『中国旅行年鑑』中国旅行出版社,2001293頁。

[13] 国家旅行局『中国旅行年鑑」中国旅行出版社,2004196頁。

[14] 夏林根[2003]「旅行業の緑色管理』山西教育出版社,35頁。