「インドネシアの開発政策 〜人の移動に関する政策の変遷〜」

 

背景

 日本の政府開発援助(ODA)2006年時点で米国、英国に次いで世界3位の実績であるが、1991年から2000年までの9年間ODA供与額世界一であった。しかし、対GNP比の低さやタイド援助など、いわゆる「日本型」援助が多くの批判の対象ともなっている。

その批判の一つに、ダムや高速道路といったインフラ整備の際に発生する「立ち退き」がある。日本のODA、特に円借款事業によるインフラ整備は、経済活動の基盤ともいうべきもので、インフラが整備されていることによって、あるいはそれらを整備することよって多くの途上国の住民の生活を向上させ、地域の経済活動を促進し、成長につながることは事実である。しかし、その一方で、それらのインフラ整備には、たとえばダムを建設する際、ダム貯水湖に沈む地域に居住している住民を移転させるといった「立ち退き」を要していることを忘れてはならない。そしてこの「立ち退き」には、単に「居住を他に移動する」という行為以外においてさまざまな問題を併発している。

日本のODA、とりわけ円借款事業に伴う「立ち退き」問題とは、被援助国住民の生活改善のためのはずであるODAがその本来の目的を見失い、被援助国住民の生活を苦しめている、というものである。このことはODAに批判的なNGOなどから声高に叫ばれ、日本政府や円借款業務を担当する日本国際協力銀行(JBIC)はこれらの批判をかわそうと試行錯誤を続けているが、その成果は必ずしもよい方向に向かってはいない。なぜなら、ODAは軍事力を持たない日本における「唯一の外交カード」とも言われ、政府は「途上国の住民の生活」よりも「国益」を優先して考えてしまうからだ。

 ODAの体質がほとんど変わらないままに、誰のための援助なのかを訴える声が大きくなり、ODAによる被援助国住民の生活悪化、環境破壊がNGO団体、ジャーナリスト、大学教授など多くから指摘されている[1]

 

問題設定

日本はインドネシアに対して、最大の援助国(ドナー)であり、その割合は、19962002年度の実績でDAC諸国全体の累計額の69.4%を占め、2位のアメリカの5.5%を大きく引き離している。19962002年度におけるわが国のインドネシアに対する援助額は、累計で11,278.8億円であった。その内訳を見ると、有償資金協力が9,866.3億円、無償資金協力648.7億円、技術協力763.9億円となっている。2002年度国別援助実績を見ても、インドネシアに対して860.1ドルで、全体の11%強を占めている。

これらの理由に加え、先に挙げたODAに批判的な著書等でも東南アジアへの援助、特にインドネシアへの援助が批判の対象とされていることを加味し、インドネシアを対象国としこれら批判的な議論に立脚した上で、さらに詳しく開発援助による「住民の生活の変化」に焦点を当てる。「住民の生活」にも、例えば仕事、収入と支出、保健衛生、教育など様々な視点があり、「開発援助の社会的影響」というテーマは議論も進んでいる[2]。しかし、私はそのなかでもあまり議論されることのない「社会関係」「人間関係」という目では見えない「繋がり」に注目した。つまり、援助の前後で住民の生活の個人のレベルにおいて、社会との繋がり、個人との繋がりがどのように変化し、生活レベルに影響しているのかを明らかにし、開発援助の負の影響を訴えたい。

日本の援助が被援助国(この場合インドネシア)に与える影響と、日本の援助によって発生する「立ち退き」問題について、インドネシアの開発政策の変遷と関連付け、インドネシア政府、インドネシア国民は「立ち退き」に対してどのような意識であるのかを明らかにする。

 

研究方法

先行研究調査:日本のODA政策

       ODA批判

       インドネシアの開発政策

       インドネシア政府の「立ち退き」へ対する意識

 

事例検証:ある特定の、日本のODAによるダム建設等の開発で発生した立ち退きを事例とし、立ち退き前後で住民の生活における「社会関係」「人間関係」がどう変化したのかを調査。現地調査未定。

 

インドネシアの開発政策

スハルト政権下では、国家開発計画として、国策大綱(GBHN)、25ヵ年長期開発計画(PJP)及び5ヵ年開発計画(REPELITA)が存在していた。インドネシアでは、5ヵ年開発計画はPJPに沿って立案され、毎年の予算編成はさらに5ヵ年開発計画に基づいて実行されてきた。

 

トランス・イミグラシ

政府によって実施されている国内での移住政策。ジャワやバリの人口過密地域から希望者を募り、スマトラ、スラウェシ、カリマンタンなどの人口過疎地へ入植させる政策。これにより、ジャワやバリの人口過密解消とともに、外島の産業振興を目的とした。20世紀始めからオランダ植民地省によって開始され、現在も、1年間約5~10万世帯、20~40万人程度が移住している。

開発援助による立ち退き

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<参考文献>

佐藤 寛(1994)『援助の社会的影響』、アジア経済研究所

    (2005)『開発援助の社会学』、世界思想社

セロ・スマルジャン、ケンノン・ブリージール 著、中村 光男 監訳(2000)『インドネシア農村社会の変容』、明石書店

福家 洋介、藤林 泰 編著(1999)『日本人の暮らしのためだったODA』、コモンズ

藤林 泰、長瀬 理英 編著(2002)ODAをどう変えればいいのか』、コモン               

    ズ

村井 吉敬 編著(1992)『検証 ニッポンのODA』、学陽書房

        (2006)『徹底検証 ニッポンのODA』、コモンズ

 

外務省HP 「インドネシアの開発とわが国の協力」

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hyouka/kunibetu/gai/indonesia/kn3_01_0201.html#2



[1] 例えば、村井吉敬(1992)(2006)、福家・藤林(1999)、藤林・長瀬(2002)など。

[2] 例えば、佐藤寛(1994)(2005)など。