中国の人権へのアプローチ
MK060102 江上 未生
1 問題設定
第2次世界大戦以前、国内の個人の取り扱い(人権問題)は、原則として国際法の規律しない「国内問題」だった。しかし第二次世界大戦以降国連憲章、世界人権宣言を通して、平和を守るために人権を「国内問題」に留めることなく、国際的に守っていくことが確認されて来たのである[i]。この転換の中で、国際連盟常任理事国でもある中国もまた否応無く人権と向かい合うことが求められてきた。特に天安門事件以降、中国の人権に対する姿勢は国際世論の関心を集め、中国もまたそれに対応する形で独自の人権観を築き上げてきたのである。そして現在、中国は人権に関する15の国際条約[ii]に批准を果たしており、それに対する義務の施行が求められている。
もっとも周知のように現在の中国は農村と都市の格差から始まって民族問題、法輪功や死刑の問題など多様な人権侵害がメディアに取りざたされている。最近ではチベット亡命の僧侶を軍が射殺したなど、生々しい形の人権問題も報道されていた。しかし現実にこの様な人権侵害が起きていると、国際人権条約の意味に対してどうしても疑問を持たずにいられない。本当に国際的な人権保護の動きは、全ての国家またはそれを超えた個人に対して真に価値あるものなのだろうか。また、仮に国際的な人権保護の動きがスムーズに行かない側面に国家があるのならば、何が問題となってくるのか。
そこでこの点を明確にすることを中心に沿えて、中国の人権問題を取り上げながらそれに対する国連機関の働きかけと中国政府の姿勢を考察することが修士論文の主な目的である。これを通じて、中国・国連機関にとどまらず、そもそも人にとっての人権とはどの様な形で必要なのかに触れられればと考えている。
2 中国の人権に対する日本の先行研究
中国の人権に対する日本の先行研究は決して多くは無い。私自身卒業論文で探した程度なので、どうしても探しきれない面があるだろうが、それでも何点か紹介しながら、その方向性を分類して行こうと思う。
まず1つめに、中国の人権に対して法的なアプローチを前面に出して、政治的そして法的枠組みから捉えているものとして土屋 英雄 『現代中国の人権 ―研究と資料』1996年 SBC学術文庫が挙げられる。土屋に関しては、これを土台にして「中国の人権論の原理と矛盾的展開」2003年『ジュリスト』など、幾つも論文を発表している。また最近では『現代中国の憲法集』尚学社2005年を出しており、人権を法的枠組みの理念として捉えた場合最も活用できる研究である。
2つめに石塚迅「国際人権条約への中国的対応」『グローバル化のなかの中国法』2003年であり、これは土屋と比べてより国際的な法の流れを取り入れているが、基本的なアプローチの姿勢は法学的な分野であるため、政治的な理論展開などは土屋と通ずるものが多い。
3つめは若干方向性がずれるかもしれないが、岡本雅享「中国のマイノリティ政策と国際基準」『現代中国の構造変動』2000年 東京大学出版を代表するように、個別の人権問題に対して国際人権法を適用させながらその方向性を探るものである。この形態の場合上述した2点と比べて厳格な法的概念とが薄く、より社会学的な内容になっている。
そして最後に、中国の人権で調べると必ず出てくるのが研究書以外の書籍である。基本的には中国の人権問題を報告するものであり、本によってはどうしても偏った見解を示しているものも含まれている。ここでこの様なその他の書籍を扱ったのには理由がある。
私が考えるところでは、中国の人権を題材にする場合往々にして中国の人権の有無に着目する流れがあると思う。法学的視点から見れば、法の効力はさておき、法に人権が含まれれば中国の人権は「有る」と取られる。その一方で、人権問題にのみ着目して語る場合は中国の人権は政治的な意図の下で守られること無く、中国に如何に人権が「存在していない」のかを強調する点に尽きる。そのため実に両極端な中国の人権の捉え方が、研究者とそれ以外のメディア的な物の中で分かれている。逆に言えば、この様な2項対立が可能だからこそ、中国の人権は扱いづらく日本の研究の中で取り上げられることが少ないのかもしれない。しかしながら、有る無いの議論はともかく、国際的なアプローチがある以上中国の人権が変化している側面は必ずあるはずである。それは法律を含む政治的な構造はもちろんのこと、一般的な市民の間での変化なども含めてである。その変化した部分と変化せずに残っている部分を捉え、人権そのものを再考察出来ればと思う。
3 中国の人権理論
以上を通して中国の人権を取り扱うことに際して、私自身の姿勢のあり方を示してきた。しかしながら何故中国を扱うのか。その点を詳しく説明するためにも、中国独自の人権理論を簡単に整理してみようと思う。
先述したように中国は今現在15の人権条約に批准を行っている。しかしながら、幾ら批准を行っているからと言って、それが必ずしも中国の人権姿勢の有り方を示しているわけではない。実際2004年10月26日当時、中国の常任国連副代表である張義山は国連総会の場において「国連人権委員会を改革して活力を取り戻し、人権の保護と促進という神聖な使命を真に捉えるようにしなければならない。(中略)改革において普遍的原則の遵守を基礎とした上で、社会制度・経済成長レベル・文化的背景など各国の相違も考慮すべきだ。[iii]」
と述べている。このことからも推測できるように、中国政府は人権に対して一定の理解を示しつつも国連の制定した人権条約に対して反発を見せている。
そもそも中国で人権概念が国家レベルで整理されるようになったきっかけは、天安門事件によって自国の人権問題が国際的な政治問題として取り上げられたからである。そのため中国は自発的と言うよりも、一種迫られた状態で人権概念を作り上げてきた経緯がある。その状態の中で出された中国政府の公式文章1991年の「人権白書」では、世界人権宣言や国際人権条約の意義を評価する一方で、
@ 人権に対する主権(国権)の優位
A 生存権(集団的人権)及び発展権(経済的・社会的権利)の重視
B 共産党の指導の堅持
この3点を掲げて独自の人権観を提示してきた。この結果、国ではなく個人に焦点を充てたはずの国連人権条約に対抗する形で、@によって、結局は国内法で扱うものとしての認識されてしまったのである。またAの主張によって、個人の生存の前提を国家ありきとした上で、経済発展を最も重要な課題とする途上国としての中国をアピールしている。これに先ほどの発言を踏まえれば、中国の基本的な人権姿勢は当初の段階から大きく変わっていないことが伺える。
この様に中国と国際機関との間ではそのイデオロギーの部分での対立が際立った状態で見受けられるのである。しかしその理論の蓋を開けて、現実を照らし合わせてみると中国は急激な経済発展の裏で拡大する人権問題に対処することに差し迫られ、徐々にではあるが変化を余儀無くされていると私は捉えている。一方で中国を始め国際機関の対象となる国家は、それぞれの国の思考の下に動き、国際機関に求められるのは絶えず普遍的である必要性と同時に、各国の人権改善のための柔軟な対応が求められるはずである。特に人権という、一見理解しやすい概念にもかかわらず、何を人権とし、そしてどこまでを人権の守られている状態とするか、この難しい設定は国際機関と国とのやり取りの中でしか明確にはならないだろう。この様な観点から考えると、あえて対抗する姿勢を取る中国を通じることによって、より明確に人権が持つ可能性と限界を考えられる。そういった意味で、中国は問題を提起している有意義な素材だと私は捉えている。
4 次回に向けて
今回報告内容は、あくまでも私個人の関心の方向性を明確に示すことに重点を置いてまとめてきました。そのためどうしても説明不足な所と、上手く整理出来ていない部分がある。その部分を補填するためにも、具体的なテーマを絞る必要があり、その点に関しては正直まだ進行中です。ただ幾つか目星を付けているものはあるので、次回発表の予定としては「国際人権の展開と中国における女性の権利」を考えています。
[i] 阿部 浩己、今井 直、藤本 俊明 『国際人権法』11頁〜14頁
[ii] 中国加入の主要な人権条約
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捕虜条約 (1956年批准書寄託)
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文民条約 (1956年批准書寄託)
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女子差別撤廃条約 (1980年加入書寄託)
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人種差別撤廃条約 (1981年加入書寄託)
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難民条約 (1982年加入書寄託)
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難民議定書 (1982年加入書寄託)
・ ジェノサイド条約 (1983年批准書寄託)
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拷問禁止条約 (1988年批准書寄託)
・ 児童の権利条約 (1992年批准書寄託)
・ 社会権規約 (2001年批准)
・ 男女同一報酬条約 (1990年批准) など
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