06/01/10比較政策論
国際社会研究MK050108 津金麻希子
研究テーマ「コスタリカ共和国における義務教育の政策決定過程(現状と課題)」(仮)
◆ コスタリカの教育史〜独立後の教育
コスタリカの教育はスペインの植民地であった1812年にさかのぼる。この年、スペイン本国において国民立法議会(コルテス)によって憲法が制定された。これは「1812年憲法」といわれ、コスタリカの教育に影響を与えた。特に教育に関する第366〜371条に大きな刺激を受けている。その内容は以下の通りである。
王国のすべての町々に、初等読み書き学校を設立するものとし、その学校では、児童に、読み・書き・計算および、市民の義務についての簡要な説明をも含むところのカトリック教教義問答書を教えるものとする。 同じく、適切なる数の大学および、すべての科学・文学・芸術の教育に便宜なりと判断せらるる如きその他の教育施設を、ととのえ且また設立するものとする。 学識有験の士をもって構成する教育監督部局をおき、政府の権威のもとに、公教育の監督を行なうものとする。 国民立法議会は、とくべつな計画と規定をもって、公教育の主たる目的に属するかぎりの事項をととのえるものとする。 すべてのスペイン人は、その政治的著作を書くこと、印刷に付すること、刊行することの自由を保有し、諸法のさだめる責任のほかに、公刊に先じていかなる許可、訂正加除、承認をも必要とせざるものとする。 監修 梅根悟「世界教育史大系19 ラテン・アメリカ教育史T」 講談社1975年pp.221〜222. |
具体的には翌年1813年からコスタリカの各地に公立小学校の設立がはじまっている。カルタゴのアユンタミント(市会)は、資力ある親から寄付金を集め学校を運営し、学習程度に応じて寄付金の額を設定した。例えば、初級読本、書物や初級読本、書き方といった学習程度を設けていた。また、就学対象年齢を5〜14歳とし、親たちは子どもが学校へ行くのを妨げるような労働を課してはならないと定めていた。
現在の首都であるサンホセでは、1814年に青年教育を行うとしたCasa de Ensenanza de Santo Tomas(カーサ・デ・エンセニャンサ・デ・サント・トマス)が設立されている。ここでは読み・書き・文法・哲学・宗教道徳を教え、教師になりたい者の試験を行い、合格したものが任用されることと規定していた。また当該年齢児童の戸籍簿を作成することを決めるなど近代的公教育制度への動きが始まっていたといえるだろう。
スペインから独立したコスタリカは、1825年初代大統領Juan Mora Fernandez(ファン・モラ・フェルナンデス)によってCasa Publica Ensenanza de Santo Tomasが設立され、公教育の普及を進めていくことになる。1830年にはテキストブックBreves Lecciones de Aritmetica(算数の教科書)が発行され、32年に最初の公教育基本法が施行され、8歳から14歳の子どもに初等教育の義務が課せられている。しかし、ここで初等教育がコスタリカ全土に普及していったとはいえない。それから30年後の1864年の統計では、コスタリカ国民の文盲率が89%となっており、実質的に公教育が普及していったのは1886年General Law of Common Education(普通教育法)が発布されてからになる。
Bernardo Soto(ベルナルド・ソト)大統領の下、教育相に任命されたMauro Fernandezマウロ・フェルナンデスは、普通教育法を制定し、7〜14歳までの無償・義務教育を確立させた。また、中等教育機関としてLiceo de Costa Rica(コスタリカ・リセオ)、the Colegio Superior de Sanoritas (女子高等コレヒオ)が新設され、初等・中等・高等教育の3段階が出来上がり、従来の宗教的・人文学科的な内容に、自然科学的・産業技術的な内容が加えられていく。これは、教育から宗教的なものを払拭していく第一歩とされているが、現在でも公教育における教会の存在は強く、教育と宗教の関わりについては今後も検討が必要だろう。教育相マウロによる教育改革は、1864年に89%であった文盲率が1892年に68%、1927年には24%まで減少したことからも、コスタリカ国民に教育を普及させたとし一定の評価がされている。
1940〜44年に大統領に就任したRafael A Calderon Guardiaは社会改革を行い、医療サービスや労働規約といった社会制度を整えていった。教育に関しては1940年に国立大学コスタリカ大学が建設され、後に活躍する法律家、医師、エンジニア、教育者、芸術家、科学者を生み出す役割を担うことになる。それまで政治家や教育者の多くが、国外の高等教育を受け勉強していたが、国内に大学が出来たことにより、人材を国内生産できるようになったということである。これはコスタリカ国民の願いでもあり、特に教育者である教師を国内で供給することが強く求められていた。
このようにコスタリカの教育は進められ、現在に至っている。この後、1949年に制定される現行憲法に基づいた教育基本法が1957年に制定された。この憲法に規定された国家予算に占める教育費の割合の大きさが、現在のコスタリカに教育を普及させた大きな要因となっている。具体的には、国家予算の28%を初等中等教育に費やした1970年代には、識字率89%という結果を出している。今後は、1957年教育基本法の内容にふれコスタリカの現在の教育政策がどのように行われているのか調査していきたい。
◆引用・参考文献
Dr.Manuel A.
Escalante「A History of
Education in Costa Rica」University of La Verne2001
監修 梅根悟『世界教育史大系19 ラテン・アメリカ教育史T』講談社1975年
監修 梅根悟『世界教育史大系20 ラテン・アメリカ教育史U』講談社1976年
国本伊代著『コスタリカ知るための55章』明石書店2004年
参議院憲法調査会事務局『コスタリカ・カナダにおける憲法事業及び国連に関する実情調査:概要』2004年
斉藤泰雄「ラテンアメリカ文化圏の教育研究」『比較教育学研究』第27号2001年