比較政策研究   

平成161214日 

MK040114 森澤絵美 

 

国連人身取引防止議定書について

 

1.はじめに

 

 現在、グローバル化の進行に伴って、国境を越えた人々の移動が活発化すると同時に、世界的な人身取引も拡大しており、毎年何百万もの男性、女性、子供が世界中で不法に人身取引されている。その犠牲者の多くは、性関連産業に送り込まれる女性や子供である。日本は、こうした人身取引された女性の主要な受入国のひとつであるにもかかわらず、その現状を認識し、人身取引へ高い問題意識をもっている人は低い。また、世界的にも、人身取引被害者への保護も進んでおらず、人身取引被害者の多くは、被害者であるにもかかわらず、受け入れ国においては不法入国者、不法滞在者、不法就労者といった地位にあるため犯罪者として扱われ、侵害された権利の回復がなされないまま、強制送還の対象となっている。このように、被害者の保護や人身取引の取締りは、世界的に進んでいない。しかし、近年、国際社会でも人身取引の重大性が認識されるようになり、1998年から国際組織犯罪禁止条約の作成に取り組み始め、2000年末、同条約とともに同条約を補完する議定書として「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性及び児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」(国連人身取引防止議定書)が採択された。日本もこの議定書の批准を目指しており、人身取引防止のための法律の改正に向け、準備が進んでいる。今後、この議定書により、国内における人身取引に関わった国際組織の処罰だけでなく被害者の保護が進んでいくことが期待されている。

 本論文では、人身取引撲滅にむけて大きな役割を果たすことが期待されている「国連人身取引防止議定書」に注目し、国連人身取引議定書制定までの流れ、その概要を分析した上で、この議定書の問題点を指摘すると同時に、人身取引に対する取り組みに関する今後の課題について述べる。

 

2.国連人身取引防止議定書制定までの流れ

 

 「人身取引(trafficking in persons)」の根絶が国際的問題として浮上するのは、1990年代に入ってからである。確かに、1990年代以前の第二次世界大戦後の国連設立からまもない1949年、国連総会において、「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」(1949年条約)が制定されたが、この条約は、「人身売買」という言葉を定義することなく使用しており、人身売買を売春と同義語のように扱っている。つまり、この条約の主眼は、他人の売春からの搾取を禁止することによって売春をなくしていくことにおかれていた。また、この条約は、国際的には定義の曖昧さなどから批判され、締約国数もいまだに73カ国にとどまっており、この条約によって、人身売買の根絶が国際的課題となることはなかった。従って、本格的に人身取引が国際問題となったのは、1990年代に入ってからのことである(1)

1990年代に入ってから人身取引が国際的に取り上げられてきた背景として、以下のことがあげられる。まず、従来、収入源として麻薬を主に扱ってきた国際犯罪組織の多くが、国際的な取締りが厳しくなった麻薬から、リスクが少なく利益の多い人身取引にその活動を移してきたことがある。第二に、冷戦終結により、人権問題への関心がよりうつるようになったのと同時に、東から西への人の移動が活発化したことがある。そして、第三に、旧ユーゴにおける武力紛争下の女性に対する暴力の研究などを契機として、女性に対する暴力の研究が進み、女性に対する暴力撤廃を中心とする女性の人権に関する運動が活発化し、女性の人身取引も女性に対する暴力の一形態として認識されるようになったことがあった。

こうして、人身取引の根絶は、北京行動要領や国連の様々な機関の決議や勧告などで繰り返し求められるようになっていった(2)

また、近年、国際的な組織犯罪が急速に複雑化し、深刻化してきたことを背景に、これに効果的に対応するための各国の刑事司法制度の整備及び強化や国際社会全体の協力の必要性が認識されるようになった(3)

このような状況を受け、199411月、イタリアのナポリで国際組織犯罪世界閣僚会議が開かれた。この会議では、「ナポリ政治宣言及び世界行動計画」が採択され、国際組織犯罪に対し効果的に対応できるように国際協力を促進することを目的とした国際組織犯罪防止条約の検討が提唱された。これを受け、1998年の国連総会で、国際組織犯罪防止条約に加え、銃器の不法取引、移民の密入国、人身取引に関する三つの議定書を起草するためのアドホック委員会(政府間特別委員会)の設立が決議された。アドホック委員会は、1999年1月から20006月までに9回開催され、本体条約と3つの議定書の草案についての議論が重ねられた。そして、200011月、国連総会において、国際組織犯罪防止条約や移民の密入国防止議定書とともに人身取引防止議定書が採択された。(銃器に関する議定書は20015月に国連総会で採択されている。)その後、200012月、イタリアのパレルモにおいて、条約及び関連議定書の署名会議が開催され、日本は本体条約に署名し、2002129日に3つの議定書に署名した。人身取引防止議定書は20031225日に発効しており、現在の加盟国は75カ国(署名国117カ国)となっている(4) (5)

 

3.国連人身取引防止議定書の概要

 

 2000年の国連総会において採択された国連人身取引防止議定書は、人身取引について、はじめて包括的な定義を行った条約であり、国際的な組織犯罪集団が関与する犯罪の防止、捜査、訴追だけでなく、被害者の保護に適用されるものである。

この議定書は、前文と20条からなり、女性及び児童に対する搾取と戦うための規則及び実際的な措置を含む種々の国際文書が存在するにもかかわらず、人身取引のあらゆる側面に対処する普遍的な文書が存在しないという事実からつくられた(国連人身取引防止議定書前文)。また、この条約は、本体条約である国連国際組織犯罪防止条約を補完するものなので、本体条約と一体で解釈することが定められている(同議定書第1条)。

国連人身取引防止議定書の目的は、「(a)女性及び児童に特別の考慮を払いつつ、人身取引を防止し及びこれと戦うこと。(b)人身取引の被害者の人権を十分に尊重しつつ、これらの者を保護し及び援助すること。(c)これらの目的を達成するため、締約国間の協力を促進すること。」(同議定書第2条)の3つである。つまり、議定書は、人身取引を犯罪とし処罰すること、そして人身取引の被害者を促進することを大きな柱とし、そのための国際協力を目指しているのである。この3つの目的の中で、これまで各国の国内法でも十分対応されてこなかった被害者への保護をこの議定書の目的としたことは注目すべきである。

人身取引の定義づけに関しては、この議定書第3条でされている。「人身取引とは、搾取の目的で、暴力もしくはその他の形態の強制力による脅迫もしくはこれらの行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用もしくは弱い立場の悪用又は他人を支配下に置く者の同意を得る目的で行う金銭もしくは利益の授受の手段を用いて、人を採用し、運搬し、移送し、蔵匿し又は収容することをいう。搾取には、少なくとも、他人を売春させて搾取することもしくはその他の形態の性的搾取、強制的な労働もしくは役務の提供、奴隷もしくはこれに類する行為、奴隷又は臓器摘出を含める。」また、搾取されることに当事者が同意していても、力の行使などで定義の中に示された手段のいずれかが利用される限りは、同意の有無に関係なく、人身取引にあたる。これは逆に、搾取に同意しており、定義に示されたいずれの手段もない場合は、人身取引にはあたらないことを意味する。しかし、児童(18歳以下)の場合は、別であり、搾取の目的で児童を採用・運搬・移送・蔵匿・収容することは定義されたいずれの手段によらないとしても人身取引とみなされる。

この議定書第5条において、締約国は、議定書第3条で定義された行為を犯罪とするため、必要な立法その他の措置をとる義務、人身取引に含まれる行為の処罰義務がかされている。罪となるのは、犯罪を実行することだけでなく、犯罪の未遂、犯罪への加担、犯罪を行わせるための他人のそそのかし命令をすることも含まれる。

人身取引防止議定書第6条から第8条までは、この議定書の評価できる点である人身取引の被害者の保護について規定されている。これらの被害者保護の規定は、人権保障の観点からも盛り込まれているが、より直接的な動機は、人身取引に関わる犯人の訴追及び処罰の確保、つまり、人身取引者の訴追及び処罰に必要な人身取引被害者の証言の確保のために規定されたものである。従来は、司法手続きに協力しても、被害者が入管法違反として扱われるため、被害者本人にとっても得るものより失うものの方が多かった。そこで、被害者への援助及び保護として、プライバシーの保護の確保、司法手続き及び行政手続に関する情報の提供、NGOなどとの協力を含んだ身体的・精神的回復のための措置の実施が規定された。また、適当な場合には、人道上の考慮を払いつつ、被害者が一時的又は恒久的に当該締約国の領域に滞在することを認める立法措置をとるべきとされた(同議定書第7条)。これらの被害者の保護に関する規定は、人身取引の犯罪者への処罰が明確な義務付けとなっているのとは対照的に、緩やかな規定になっている。しかし、被害者の保護が人身取引を扱う議定書に盛り込まれたという意義は大きく、この規定を根拠に今後、人身取引の被害者の保護を求めていくことができるだろう。

人身取引の被害者は、彼らへの保障が不十分なため再度被害者となる場合が多く、人身取引は十分防止されてこなかった。よって、第9条から第13条では、人身取引の防止のための国際協力について規定されている。第9条では、人身取引の防止、根絶、そして被害者が再び被害者とならないように保護するための包括的な政策、計画、その他の措置を、適当な場合にはNGOと協力して定めることを義務付けている。そして、人身取引を招く要因(貧困、低開発、平等な機会の欠如など)を緩和するための措置の強化や、人身取引の需要抑制のための教育的・社会的・文化的な措置等の立法その他の措置の強化が、2国間または多数国間の協力を含めて行われることも義務付けている。また、第10条では、締約国の法執行、出入国管理その他の関係当局による情報交換、さらには、これら人身取引の防止に関わる公的職員への人権並びに児童及びジェンダーに関する問題に配慮しNGOと協力しながらの人身取引防止に関する訓練の実施も義務付けられている。その他、第11条から第13条では、国境警備の強化や受け入れ国への入国に必要な渡航書類の所持の確認の義務付け、自国が発行する渡航書類や身分証明書類の悪用・偽造防止の確保などが定められている(6)

以上より、人身取引防止議定書は、人身取引の定義づけを行い、人身取引の加害者を処罰するだけでなく、人身取引の防止や被害者の保護についてもふれられていることがわかる。中でも、被害者の保護は、これまで見落とされてきた部分であるので、この議定書の評価されるべき点である。今後、この規定を十分生かした被害者保護という視点から、人身取引に関する国内法の整備が進んでいくことに期待したい。

 

4.国連人身取引防止議定書の問題点及び課題

 

 国連人身取引防止議定書は、人身取引についてはじめて包括的な定義を行い、人身取引の撲滅のため、人身取引者の処罰、人身取引防止のための措置、被害者の保護を、国内法においてだけでなく国際協力をとりながら確保すべきだと規定している、とても画期的な議定書である。しかし、問題点や課題がないわけではない。ここでは、特に、被害者の保護に関する規定に着目して、この議定書の問題点を指摘する。

 まず、人身取引議定書において、被害者の保護が、人身取引者の処罰とは違い、明確な義務規定となっていないことがある。そうした規定となった背景には、この議定書が、国連国際組織犯罪防止条約の補足議定書として採択されたことにより、女性に対する暴力のひとつである人身取引の撲滅を目指すというより、国際組織犯罪の撲滅のための国際協力を促進するということに、より主眼が置かれたということがあるだろう。そのため、この議定書は、人権条約というよりはむしろ犯罪防止条約としての性格が強いものとなっている。確かに、議定書に、被害者の人権保護も盛り込まれているという点は評価できるが、「○○の措置を実施することを考慮する」、「適切な場合には」、「国内法の下での可能な範囲で」といった言葉によって、被害者の保護が緩やかな規定となっている。よって、各国の国内法でどれだけ被害者の保護が進むのか疑問を感じる。今後、被害者の現状を十分理解し、被害者の保護により目を向けたこの議定書の見直し、締約国が被害者の保護に関して十分対応していくためのより明確な義務規定への改正が進んでいくことを期待する(7)

 第二に、人身取引を定義した第3条で、「他人の売春からの搾取」または「その他の形態の性的搾取」について、人身取引の文脈で扱っており、売春についての定義づけを行っていないことがある。これは、売春の法規制について様々な立場をとる国があるということに配慮したものである。つまり、議定書は、売春自体が性的搾取に当たるか否かの判断をしていないのである。この規定から考えると、売春に従事することに何らかの強制的手段をうけずに携わった者は、議定書に基づく「人身取引の被害者」としての権利の救済はなく、売春を違法とする国において摘発されれば国内法に基づき処罰の対象となり、強制送還されるだろう。しかし、売春に従事する女性たちの多くは、その目的国において、売春で得た対価を取り上げられたり、架空の借金を理由に一定期間のただ働きを命じられたりしている。それに、日本のように、売春行為は違法であるから、それは法律で保護される労働であるとみなさないことによって、彼らの過酷の労働状況の実態が無視され切り捨てられている(8)。こうした問題に対し、現在、国内法などがそうした被害者の状況を十分配慮できていないことを考えると、議定書は、売春についてもう少しふみ込んだ規定を設ける必要があったのではないかと思われる。

 第三に、この議定書は、人権条約としての意味合いが弱いことから、実施措置に関する規定がない、つまり、この議定書の締約国が議定書の義務を十分果たしているのかどうかが見えにくいものとなっている。近いものとして、国際組織犯罪に関する締約国会議があり、そこで相互の情報公開をすることになっているが、閣僚レベルの会議で、人身取引の現状や人身取引被害者の保護の対応について、その実態を明らかにすることは難しいように思われる。よって、各国に定期的な報告義務をかしたり、NGOを含めた会議を開催したりすることが、被害者の保護や人身取引撲滅のために必要であろう。

 このように、人身取引防止議定書は、被害者の保護を含めたという点では評価できるが、その被害者の保護に関わる規定に関してまだ十分とはいえない。今後、「人身取引は人権侵害である」という立場を明確にしながら、人権条約としての性格を強めつつ、この議定書の再解釈や改正が進むことを期待する。

 

5.おわりに

 

国連人身取引防止議定書の採択によって、国際社会は、「人身取引(trafficking in persons)」という言葉が何度も使用されながら国際的に合意された定義がなかった時代から、人身取引の定義に取り組む時代を経て、人身取引に関与する者の処罰と被害者の保護のための国際協力に取り組む時代を迎えようとしている(9)。そして、こうした国際的な動きを受け、各国の国内法においても、人身取引に関する法整備が進みだしている。実際日本も、現在、議定書の批准を目指し、人身売買罪新設といった刑法改正の準備を進めている。ただ、日本の人身取引への対応に関しては、人身取引防止法を新たに制定するのではなく、刑法改正のみで対応できるという姿勢を示しており、被害者の保護という視点が欠如していると言わざるをえない。こうした背景には、人身取引を人権侵害として捉えることへの理解が十分されていないといった現状があるだろう。

今後、この議定書を契機として、女性に対する暴力の一つである人身取引への取り組みが国内外でより一層活発化し、女性に対する暴力撤廃という世界的な目標の達成に近づいていくことを期待する。

 

 

 

参考文献

(1)   京都YWCAAPT編『人身売買と受入大国ニッポン』明石書店、2001年,p.130~p.131

(2)   Ibidp.133

(3)   外務省ホームページhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/soshiki/gitei.html

(4)   京都YWCAAPT・前掲書,p.137~p.138

(5)   UNODCホームページhttp://www.unodc.org/en/crime_cicp_convention.html

(6)   京都YWCAAPT・前掲書,p.141~p.148

(7)   Ibidp.145~p.146

(8)   Ibidp.144

(9)   Ibidp.138