2004年11月30日(火)
比較政策研究
国際社会研究専攻
MK040108 竹内幸子
ドルトムント都心(ドイツ)と宇都宮市中心市街地の比較
1.はじめに
今回の発表では、ドイツにあるドルトムント市と比較しながら宇都宮市中心市街地を見ていくことにしたい。まず、ドルトムント市を比較対照とした理由を明らかにする必要がある。両市に共通する部分として、環状線が存在しその沿線上に大型店が立ち並び、それによって都心商店街の空洞化が顕著になっているということが挙げられる。しかし、ドルトムント市と宇都宮市を比較した場合、その対処策に違いが見られることから比較対照としてドルトムント市を選定したのである。今回の発表では、さまざまな視点から両市を比較し、宇都宮市を批判的に見ていきたい。
2.ドルトムント(=ルール地方東部の中心都市)と宇都宮市
都市 |
面積(㎢) |
人口 |
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1965年 |
2000年 |
2004年(10月) |
||
ドルトムント |
280 |
65万人強 |
約585,000人 |
|
宇都宮市 |
312.16 |
267,218人 |
443,636人(12月) |
451,235人 |
3.ドルトムント都心と宇都宮市中心市街地
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面積(㎢) |
中心商店街 |
形体 |
ドルトムント都心 |
0.96 |
ヘル通り(幅員10〜15m) |
歩行者空間 |
カンプ通り(幅員40m) |
幹線道路→トランジットモール |
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宇都宮市中心市街地 |
0.32 |
オリオン通り |
歩行者空間 |
日野町通り |
一方通行 |
||
ユニオン通り |
歩行者空間 |
4.ドルトムント市商業の集客力(市内の購買力/ドルトムント市の小売販売額)
1987年 |
1971年 |
1994年 |
1997年 |
132 |
125 |
119 |
116 |
出典:IRPUD Arbeitspapier 169
☛都心衰退の原因・・・郊外部における商業の展開
⇒ドルトムント都心商業の環境悪化
ハンザ通りとカンプ通りに面するデパートのホルテンが1993年に撤退。ホルテンは若者の集客力の核をなしていたが、閉店によって都心の回遊性の減少を起因。都心商店街がヘル通りのみに縮小したことを象徴。
⇒都心の売場面積も1割程度減少、18〜19万u(市内の売場面積合計の25%程度)。
こうした中、ドルトムントは商業のあり方について議論されることとなる。
5.宇都宮市中心市街地とその周辺における商業の変遷
中心市街地 |
郊外 |
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年 |
店名 |
年 |
店名 |
1994 |
福田屋百貨店撤退 |
1994 |
FKD出店(宇都宮店) |
1997 |
宇都宮パルコ開店 |
2003 |
FKD出店(インターパーク) |
2000 |
上野デパート撤退 |
2004 |
イトーヨーカドー出店 (シンガー日鋼跡地) |
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西武百貨店撤退 |
2004 |
BELLモール出店 |
2003 |
ロビンソン百貨店撤退 |
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2003 |
ラパーク長崎屋宇都宮店開店 |
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2004 |
109宇都宮店契約切れ・・・ |
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☛都心衰退の原因・・・郊外部における商業の展開
@モータリゼーションの進展
A駐車場問題
B中心市街地における地価の高止まり
C中心市街地の魅力低下
etc・・・
6.試行錯誤―ドルトムント開発―
ドルトムントは工業都市であり、重工業に並びビール工場も多く立地している。しかし、1960年代に入りビール会社の合併や工場移転が進み、市街地内に工場跡地が出現。そこで商業的な利用をと検討されたティアビール跡地。しかし、同時に他ビール工場跡地の開発(ECEプロジェクト)も行われていたため、ティアビール跡地へ進出するテナントが集まらず計画は断念されることとなった。このECEプロジェクトは都心に隣接し、その上都心商店街とは違った魅力のある施設が含まれているわけではなく、都心商店街にダメージを与えるだけであるとし、このプロジェクトも商店街の反対運動がきっかけで断念することとなった(1997年)。
この頃、都心ではヘル通りの舗装や証明の改装、ホルテン跡地を利用したヴェストファーレンフォーラム(商業ビル)の計画が動き出すなど、都心活性化の兆しが見え始める。
⇒ドルトムントの特徴(宇都宮市中心市街地との比較)。
@ドルトムントは自治体が郊外店進出を制限。
A都心商店街を重視する傾向にある(都心商店街>郊外店)
B新たな商業施設立地計画が出た場合、都心商店街への影響を検討し、悪影響を被る場合にはその計画は破棄される。
C住民参加が強固である。
etc・・・
7.まとめにかえて―ドルトムント市と宇都宮市の比較―
ここまで見てきたドルトムント市にも宇都宮市同様、郊外に大型店が出店するという傾向が見られる。しかし、ドルトムント市の場合、郊外店より都心商店の存続を重視しているため(行政も含む)、郊外への大型店進出を抑制することができている。郊外大型店進出の計画が進んでいようともそれが都心商店街にダメージを与えるのであれば、例え契約が結ばれていても計画事態が破棄されることもしばしばである。これは、郊外店が進出した場合、都心商店街への損益がどれくらいのものなのかを算出し、それを議員、商店街店主、市民などに全て明らかにし、議論されることが大きいと考えられる。
ここで、都心商店街が保護されているドルトムント市と宇都宮市における中心市街地商店街を取り巻く環境について比較してみることにする。宇都宮市の場合、環状線に代表されるように道路整備が進み、それに伴ってその沿線上に大型店が立ち並ぶという状況が顕著である。これはドルトムント市のように行政を中心として中心市街地商店街を守っていくという動きがないことがその要因である。一方、小泉内閣の構造改革の一つとして経済特区構想があるが、宇都宮市の場合「デパート特区」が認められている。これは「大規模小売店舗立地法」の条件を緩和し、中心市街地への大規模店新規出店を容易にしようとするものである。このデパート特区を活用し新規参入を果たしたのがラパーク長崎屋宇都宮店である。この特区によって新規出店は確かに容易であった。西武百貨店が閉店し、空き店舗となっていた店舗が活用されるという面では有意義である。しかし、ラパーク長崎屋の場合、デパートではなく最寄り品を主に扱っており、最寄り品を扱う既存商店街への影響は大きい。実際、中心商店街のある店主によると「ラパーク長崎屋がオープンすることによって来客数は減少している。」との指摘もある。ラパーク長崎屋が入る前は西武百貨店であったため、ラパーク長崎屋のように最寄り品の品揃えも豊富ではなかったため、中心商店街までお客が流れてきていたようである。このように既存商店街と新規大型店が競合する状況が存在しており、これでは「デパート特区」が逆に足を引っ張っているといっても過言ではない。デパート特区はフルに活用すべきであるが、そこまでの過程が重要であると考える。新規参入の大型店が入ることによって既存の中心商店街への影響はどうであるのかということを考慮なく、容易に新規参入を認めるというのは賛成し難い。また、市民も中心市街地に大型店が入るということだけで安心感を持つ傾向にあり、中身がどうであるか、大型店が入ることによって将来どのようになるのかなど考えずに新規参入を待つだけでは商店街の未来はないのではないか。
そして、何といっても行政の対応が明確でないことも中心市街地商店街の衰退をより深刻なものにする一要因であると考える。デパート特区を設けるなど中心市街地空洞化を阻止させようとする動きはあるものの、一方、郊外大型店進出も歓迎する、という状態にある。行政の思惑が明確でないことでまちづくりの方向性が見えにくくなることがある。行政としては公の機関で対等な配慮が求められるところではあるが、中心市街地と郊外の双方の商業を発展させていくというのは消費者人口を考慮した場合限りなく無に近い。
参考文献
阿部成治「大型店とドイツのまちづくり−中心市街地活性化と広域調整−」(2001)
宇都宮市「宇都宮市統計書 平成12年版」