自治体行政への「市民参加」 ―「市民」とは誰か?
1.市民参加の形態
第一回目のレポートでは「市民参加」の現状と問題点を一般的にまとめ、第二回目では宇都宮市の「市民参加」への取り組みについて述べた。今回は「市民参加」という言葉における「市民」とは誰を指すのかを考え、逆にその対象に基づいて市民参加を分類し、それぞれの現状と課題について論じてみたい。
一口に市民参加と言っても、その対象となる「市民」は単一な存在ではなく、さまざまな「市民」が存在する。そして、対象が異なれば「市民参加」の目的や活動方法、そして目標も当然異なってくるはずである。ところが現状は、行政による「市民参加」への取り組みを考えてみても、対象を明確に区別することなく「市民参加」という言葉を使ってしまっているために、「市民参加」に期待する効果が不明瞭になっていることが多いように思える。ここでは、「市民参加」を次の三つに分類し、それぞれの形態について宇都宮市の事例をもとに考察していくことにする。
@ 特定の地域が抱える特定の問題に対応する「住民参加」としての市民参加
A 特定の分野における課題に対応する「市民活動」としての市民参加
B 地方自治体全般が抱える課題に対応する「政策提言・評価」としての市民参加
2.「住民参加」としての市民参加
市民=住民と考えれば、特定の地域に関する課題に住民が積極的に取り組んでいく形態の市民参加となる。宇都宮市における「まちづくり懇談会」がこれに相当する。2002年度に実施された「まちづくり懇談会」での質疑応答内容を、広報「うつのみや」をもとにまとめたところその多くは、コミュニティセンターの整備、学校校舎・体育館の増改築、生活道路や踏み切りの拡幅、上下水道の整備、といった行政への要望となっている。地域ごとの住民との直接対話であるから、生活に密着したこれらの問題点が取り上げられるのは当然のことであり、また住民側の関心も高いといえるが、現状は以下のような問題点を抱えている。
@ 前回も触れたが、行政が上記問題の解決へ向けて具体的にどんな方策をとっているのか、そのスケジュールはどうなっているのか、住民に対して説明責任を果たしているのか。
A 住民に密接に関与した問題、といいながらその後の行政の対応をチェックせず(あるいはできずに)にいるため、結果として言いっぱなしになっている。
住民が対象となる「市民参加」に期待される役割としては、1)地域に存在する問題の発掘とその解決を行政と一体となって進める(計画立案−実行−評価−改善)、2)地域があるべき姿を基本計画として立案し、実現していく、の2点が考えられる。宇都宮市の「まちづくり懇談会」は、1)の問題の発掘、としての機能を果たしてはいるものの、その後の実行−評価−改善が不十分であるのは前述の通りである。また、2)については、「篠井地区のあるべき姿について」という質問がなされていたが、宇都宮市には住民と一体となった基本計画策定の考えはまだないようである。
1)2)を実現していくためには、行政側の住民参加への積極的な対応が必要なのは言うまでもないが、それと同時に住民側の「行政任せからの脱却という意識改革」と、市議会の「地域の声を重視する態度」が必要になると考える。ここで特に取り上げたいのは、後者の市議会の果たすべき役割についてである。市議会の仕事は、条例の制定や予算の決定、決算の承認などであろうが、宇都宮市HPにも「市議会議員は議会を構成して、市民の意思を市政に反映させるため、市民生活のいろいろな問題について審議し、どう処理するかを決めています」と述べられている。とすれば、市内10地域で開催されている「まちづくり懇談会」で住民から寄せられた要望・質問に、市議会はもっと積極的に関与すべきである。HPに記載された議事録を斜め読みではあるが調べたところ、平成14年度の第1回定例会から第3回定例会(第4回定例会の議事録は03.1.24時点ではまだ載せられていなかった)の一般質問において、直接「まちづくり懇談会」について言及していたのは第2回定例会における岡本治房議員による国本地区の通学路の安全性等のみであった。因みに、現在41名いる宇都宮市市議のうち、平成14年度の1−4回の定例会で一般質問を行わなかった議員は9名(議長・副議長を除く)、平成14年度定例会(1−3回)で発表者の検索に名前の出なかった議員は4名にのぼる。
住民参加が言いっぱなし・聞きっぱなし、あるいは行政の自己満足の状況から脱却して本来の役割を果たすようになるには、住民と行政が定期的に進捗等についての意見交換を行うことが望ましく、その実現に向けて市議会が橋渡し的機能を担うべきである。即ち、住民参加としての市民参加では、住民と市議会との連携が鍵を握るのではないかと考える。今後は実際に市議会及び個々の市議会議員がこうした「住民参加」についてどのように考えているのかにも焦点をあててみたいと思っている。
また、特に2)の住民参加については、市の基本計画策定において18の地域ごとに住民主体で計画を立案したという北上市の事例が参考になる。計画策定を担った住民組織の主体とその過程、計画の実践、そして評価についてより深い事例研究を行っていきたい。
3.「市民活動」としての市民参加
昨今どの自治体でも、「市民と行政との協働」という文言を基本計画等に組み込んでいる。宇都宮市でも第4次総合計画改定において、「多様な市民活動の活発化⇒市民による市民のための協働のまちづくり」が謳われている。ここでは特定地域に限定することなく、ある分野における活動を念頭に考え、行政との協働の対象となる「市民」を「市民活動団体」として捉え、市民活動による市民参加について述べることとする。
宇都宮市では平成12年から宇都宮市市民活動サポートセンターを立ち上げ、14年10月からはその民営化への第一歩として組織刷新を行っているが、このサポートセンターには現在100を越す市民団体が登録している。このように活発化する一方の市民活動であるが、市民参加という言葉を念頭において活動している団体がどのくらいあるのだろうか。一方、行政側からはNPO法人を含めた市民団体による行政サービスの補完・補充を求める声が聞こえてくる。両者の一方的な思惑から「協働」が自然発生的に生まれるのかどうかわからない。1)市民と行政との「協働」とは一体何か、2)「協働」としてふさわしい分野は何か、3)「協働」により何が実現できるのか、その効果がどのようなものか、といった議論を十分に行って初めて、市民と行政の協働によるまちづくりが可能になる。ところで、こうした議論の場を設定したとき、そこに出席する「市民」は市民活動団体のメンバーである必要は全くないが、実際に協働事業を行うときになっての市民側の当事者は、既存あるいは新設の市民団体になると思われる。従って、「協働事業」を推進するという意味での市民参加における「市民」とは最終的に「市民団体」を指す、つまり一人ひとりの市民との協働ではなく、特定分野の特定事業を進めるうえでの「市民活動団体」との協働=協働事業、と考える。もっとも、特定地域における「協働事業」というものもあるだろうから、住民組織を対象から除くものではない。
行政が「協働」という言葉を用いるときには、前述の1)から3)を明確にしたうえで、協働事業のモデルを作成し、対象としての「市民」である「市民団体」の組織力を強化して事業を具体化し、その効果を評価する、という流れが背景にあるはずである。その流れの中で、市民との活発な議論・市民団体への財政的な援助の必要性といった項目が位置付けられるべきである。総花的にまとめられた総合計画を我々が読んだとしても、このような流れを把握することが難しく、結局「協働」という言葉だけが中身を伴わずに一人歩きしてしまい、たとえばその産物であるサポートセンターの意味合いも不明瞭になってしまう。理念の実現にはより具体的な提案が必要である。
4.「政策提言・評価」としての市民参加
市民参加は、自治体の総合基本計画や実施計画の策定へ関与できる、あるいはするべきだろうか。各地域に細分化した上で「住民参加による策定」という方法はあるが、自治体全般に関わる教育・福祉・文化・健康保険等の基本計画作成については、そもそも参画が可能なのだろうか(専門知識や地域間の利害調整など)。たとえば宇都宮市のパブリックコメント制度は、都心部グランドデザイン、第4次総合計画改定、行政改革の指針、交通バリアフリー基本構想等の素案について、活用されてきているが、誰を対象に何を目的に運用されているのか。平成14年3月の定例会において企画部長は、「市の重要な政策形成過程において、さらなる透明性の向上を図るため、計画等の案の趣旨や内容などを事前に公表し、広く市民の皆様から意見や提言、さらには専門的な情報をいただきながら計画策定等に生かし、市民協働のまちづくりを推進していくことが重要でありますことから、パブリックコメントを制度化」したと説明している。まず、素案を公表し、個々の市民が意見を述べる機会を提供することは非常に重要であり、開かれた行政として好ましい。しかし、本来は、市議会を通した計画への民意の反映を進めるべきであり、これは矛盾するようだが「市議会機能の充実化」という形での市民参加であると考える。市議会では、会派によっては市政の重点分野、最重点課題などを決めて予算編成において要望をしており(グループ新生)、行政もその要望を汲んだ形での予算作成を行っている。総合基本計画策定と改定についても同様に市議会での活発な議論が行われているはずである。形式ではなく実際に「市民の意見・提案」の計画への反映を意図しているのであれば、素案をそのまま公表するだけでははなはだ不親切である。行政からの素案を受けて、議会が全般あるいは個別課題に絞った勉強会を開催して、市民との直接議論を通してお互いに理解を深め、その上で要望書なり意見書を作成し、議会で討議する性格のものではないか。私自身、総合計画素案についてパブリックコメントを活用したが、それらの多くは既に議会で議論されているものが多く、これでは受け取った行政が「既に○○に記載、検討済み」という答えをするのも無理ないと感じた。総合計画やグランドデザイン、行政改革といった問題について、市民個人が対応することは一般に難しく、だからこそ間接民主主義制度を取り入れているのであって、議会はその役割をもっと認識し、果たすべきである。もちろん市民側が政策提言(行政案に対する対案の作成と提出)・評価を担えるような組織を設立し、活動することも可能であり、こうした団体が議会と対立せず協調していくことが理想であろう。
いずれにしても、行政が総合計画に対する意見を公募する(この制度自体は残しておくべき)ことで、「市民参加」を行っているというのは本来の趣旨から逸脱しているし、行政にそういう態度を取らせていることは、議員と議会が果たすべき仕事をしていない、と考える。行政への提言とそのチェックは議会の重要な仕事であり、「市民参加」の名のもとにその任務を放棄してはいけない。
5.まとめ
2−4で、3つの「市民参加」について述べてきたが、これらを全く別個のものとして切り離して議論すると、矛盾につきあたる。なぜなら、市民一人ひとりは、あるときは住民の顔をもち、あるときは市民団体のメンバーであり、同時に有権者でもあるからである。行政側がどの「市民」を対象としているかを明確にせずに、「市民参加」というボールを投げてきたときに、受け手である市民がどの顔でそのボールを受け取るのかを判断しなければならない。また時には一人の市民が同じ課題に対して別々の対応を迫られることもありうる。
市民という定義がはっきりしない日本では、「市民参加」の意味を理解することが難しいが、自治体運営に対して多くの経験をもつ行政と対等なパートナーシップを結ぶためには、市民がその多様な顔を使い分けながら、自らの民知・民力を高めていく必要がある。