UZDAEWOOAVTO

              キムアントン

ソ連崩壊後、独立を得たウズベキスタンは積極的に工業の再構築に取り組んだ。まず大きな大一歩として企業をプロファイルに応じて分別し、経済連合の誕生をさせた。自分の力で低迷した経済を立て直せないから外資を受け入れるほかに手がなかった。2001年までの外資額は60億ドルに達成し、投資国の中でトップに立つのは韓国である。韓国の元財閥のDAEWOOは自動車、通信、繊維などの重要な産業において10以上の合弁会社を設立し、ウズベキスタンに進出した。特別な扱いされるのは韓国とウズベキスタンの自動車メーカーであるUZDAEWOOAVTOである。政府が全面的に優遇し、国策企業になったUzdaewooavtoを成功させるため、ベストを尽くしたといえるぐらいである。

合弁会社の設立 1992年にウズベキスタンの大統領とDAEWOOの社長は契約を結び、プロジェクトがスタートした。DAEWOO は2億6千万ドルを提供し、現在の工場の価値が6億6千万ドルといわれている。Uzdaewooavtoが非公開株式会社で、51%はDaewooのもので49%はウズベキスタンのものである。計画上の組み立て工場の生産能力は年間20万台で、生産されるモデルは軽自動車の3つの種類である。値段的に6千、7千、1万ドルだった。1996年に3つのモデルをあわせて3万台、1997年6、5千台、1998年14万台、その後20万台を組み立てる計画が立てられた。5−6万人を雇用する見通しだった。

将来の予定

すべての部品が韓国から調達されていた状況のなかで、必要な部品を生産するために、新たな100以上の合弁会社を作り、組み立てだけでなく、部品の生産過程をウズベキスタンで行う目標が立てられた。 いくつかの合弁会社が設立されたけれども、現在でも部品の80%は韓国からの調達であるといわれている。UzdaewooAvto自体の雇用は8千人にすぎない。

実績

年度  1996  1997 1998 1999 2000 

生産  24878       80000    11681     28360  30000 

売却    23965       74400    9661      27414  n.a. 

輸出    2000        14400    2505      8360     n.a.

余り    913         5600     2020      960       n.a.

セール

計画によると、製品の三分の1は国内市場に、三分の2はCISを中心に回す。国内で販売を支えるにはDaewooとウズベキスタンの資金で設立されたAsaka銀行が車を買いたい一般市民にローンを融資するここになった。後、Asaka銀行を通じて自動車産業にかかわるすべてのプロジェクトが融資されることになっている。

                                

セールの行き詰まりと経済問題

その理由としてとりあげられるのは次のポイントである。

1 国内と外国での販売の目標が高すぎると思われる。ウズベキスタンの一般人の月収が15−30ドルであるからローンをすることができるとしても、手がとどかない。

2 道路の状態は余りよくはない、とくに軽自動車にとって、だが 人口の60%はルーラルエーリアに住んでいる。

3 ウズベキスタンの部品でなりたっている車より輸入部品からの車のほうが良いという精神的な壁がある。

4 1998年ロシアでDaewooとの組み立て工場が作られ、その上ウクライナにもDaewooが進出した。

結果

UzdaewooAvtoの計画をありのまま実現させることがほとんど不可能であるのは明らかである。特にCISへの輸出という点につきまして、ロシアには自国の7つ車メーカーの他にGM、Fordなどの世界で有名な会社が活動している。カザフサタンの場合、トヨタが関心を表している。それがCISの自動車市場研究のミスかあるいは高すぎる夢なのか。

ウズベキスタンが中央アジア諸国の中で一番リーダーシップを握りたいと多くの研究者が主張している。その欲張りが現状に導いたのではないだろうかと考えられる。

また、ウズベキスタン政府のUzdaewooAvtoに対する期待とプランが韓国側のDaewooのと違うのは一目瞭然である。相手の本音をちゃんと理解しなければならないということが一つの教訓としてUzdaewooAvtoの例からわかる。

ともに何かをつくるということが共に責任をとるということになるので、相手が沈没したら自分も同じ運命を辿る。