自治体行政への市民参加 ―その現状と問題点について―
1.市民参加とは何か
日本において、「市民参加」という言葉が頻繁に使われるようになったのは、ここ10数年のことと思われる。今では数多くの自治体が市民参加による「よりよいまちづくり」を謳っているが、その取り組み方は自治体により様々であり、個々の状況を反映したものとなっている。そこで、個別の状況を調査研究する前に、「市民参加」をどう捉えるべきかについて考えてみることにした。
1.日本における市民参加
早くから citizen(英)・citoyen(仏)という言葉が確立していた西欧諸国と異なり、明治以降の地方自治が官治的制度として運営されてきた日本では、自治制度を市民の自主的自律的に運営すべきという自覚が育ちにくかった。こうした中で、1960年代の高度経済成長期に顕在化した公害問題や消費者問題、ゴミ問題は住民不在の自治行政に対する怒りの発露であり、行政への「抵抗」という形で市民活動が活発に行われた。これらの運動においては、住民の味方か敵(開発者の味方)か、という二者択一的な選択を迫られることが多かった自治体ではあるが、1970年代に入り、国からの政策的自立を模索する先進的な自治体が増えてきた。1969年の地方自治法改正により市町村に基本構想策定が義務づけられたこともあり、市民参加による地域特性をもった基本計画の策定推進、あるいは施策の広報を目的として、庁内に広報室や企画室が次々と設置されていった。また70年代後半は、東京、川崎、横浜を始め全国に革新首長が選出された時期でもあり、「地方の時代」「地方分権」が謳われるようになった。このように、徐々にではあるが、市民参加が基礎概念として市民と行政双方の中に浸透していき、それを否定し去ることはもはや不可能なまでになっていったといえる。
とはいえ、70―80年代におけるコミュニティ行政にみられたように、本来は市民自身が自主的に考えるべき市民課題についてまで行政が介入した結果、行政主導の施策が主流を占めるようになった。一方住民側も、行政頼みの顧客意識に安住してまったところがあるのもまた、否めない事実である。行政主導の公益実現は、国―都道府県―市町村というヒエラルキーのもとに成り立ち、公共事業の誘致に代表される税金の再分配が大きな関心事であった。その結果必要性を十分に議論しないまま、巨額を費やして施設を建設することを繰り返してきた。
近年こうした行政主導の施策実現に対して、市民が疑問を呈するようになり、ダムや高速道路、河口堰建設を再考する流れが出始めてきたのは、地方行政への市民参加が本当の意味で、根付いてきた表れといえよう。この流れはまた、1995年1月の阪神・淡路大震災以降注目されるようになり、全国で活発に活動を行っている各種ボランティア団体、あるいはNPO(民間非営利組織)・NGO(非政府組織)等と結びついて、ますます大きなものとなることが予想される。
2.市民参加とは?
市民参加の捉えかたはさまざまである。ときには、行政と何らかの交流がある場合には、これを全て市民参加と呼ぶこともある。そこでは、広報・広聴も市民参加として定義される。一方で、ある施策の決定過程に関与する場合に限って、市民参加という言葉を使うこともある。「市民参加は要約すれば、社会の都市化に伴う行政の多様化と拡大のなかで、既存の代表性民主主義が必ずしも十分に機能しなくなったことへの対応」1)である、と考えれば、市民の意見を反映した施策が実行されることが前提であり、その決定過程への関与も当然要求されるものとなる。
こうした定義は、市民参加がどのような位置付けにあるか、という点に関わってくる。前述したような1960年代に日本で繰り広げられた公害・消費者問題についての住民運動は、行政への抵抗であり、要望であった。そこにはまだ、現行の行政に代わって進むべき道を行政と共に模索するという視点は含まれていなかった。やがて、まちづくり条例制定や都市計画マスタープラン策定に市民が積極的に関わるようになり、施策決定過程への参加が実現していった。その形態としては、行政側が設置した、市民会議・市民委員会への出席というものもあれば、市民側が組織化する場合もあるが、例えば専門知識を身につけたこられの組織による施策提言などは、市民参加の新しい流れと言える。ここで市民参加についてさまざまな問題点が顕在化してきたが、それらについては次に述べることとする。抵抗・要望から参加・提言へと変化を遂げてきた市民参加であるが、これからは策定された施策を実行に移し、将来のさらなる進展にまで関わる、即ちPlan(計画)‐Do(実行)‐Check(評価)‐Action(改善)という一連の流れに加わることが望まれよう。即ち行政との「協働」ということになる。さまざまな分野にわたって、行政と市民がイコール・パートナーとして協働していける社会を築くことが、市民参加の目的となるのではないか。
現在の市民参加は、こうした流れの中でPlan-Doを担うようになってきた段階であると考える。今後、自ら参画した施策の評価→改善をいかに進めるかが、課題となると考える。
2.市民参加の問題点
基礎概念として浸透してきた市民参加ではあるが、実行する現場ではいくつかの問題点が指摘されている。すでに多くの自治体で実践されている市民参加であるから、個々の例毎に状況は異なってくるが、共通してみられる項目を、1)市民側から提起される問題点、2)行政側から提起される問題点、に分類し、主なものをまとめてみた2)。
1)市民側から提起される問題点
‐市民参加の場として、行政は市民会議や市民委員会を設置しているが、そこに参加する市民の数や参加者が限られており、広く市民の声を反映できているとは思われない。場合によっては一部市民の地域エゴを助長する恐れもあるのではないか。
‐こうした市民会議等が形骸化しており、「市民の声を聞いた」という隠れ蓑に使われている。行政は、どこまで市民の声を聞くつもりがあるのか。
‐市民参加で何ができるのか?あるいはどこまで参加できるのか?例えば、自分たちの税金をどのように使うのか、その予算編成まで参加できるのか。
2)行政側から提起される問題点
‐議会との関係をどう捉えるのか。住民参加は、代表制民主主義を崩壊させるのではないか。また、選挙での投票を行わなくても自分たちの意思を伝える場があるという勘違いにつながらないか。
‐情報公開というが、どこまでの情報を開示すればよいのか。全てを市民に開示することには抵抗がある。
‐市民の声を聞いても、結局は結論は同じか、またはそれ以下。専門性を有する行政職員が考えた方が時間の節約にもなる。市長や企画部が市民のニーズを安易に聞いてくるので自分たちの仕事がふえるだけ。
これらの問題点は、市民参加の意義、その法的根拠、職員参加の問題、として捉えることができるのではないか。
1)まず、市民参加の意義であるが、市民参加の目的は「市民の声を反映することでより豊かでくらしやすいまちをつくる」ことにあると考える。この目的を達成するために、行政はさまざまな分野における施策案、場合によっては選択の余地があるように複数を作成し、市民に諮るべきである。この場として市民会議や広報、HPが活用されることになる。市民にとっては、日々の暮らしに忙殺されているうえ、専門的知識もない中で、よほどの利害関係がなければこうした場で自分の意見を主張することはないと思われる。しかし、だからと言ってシステムそのものを否定してしまうことは本末転倒ではないか。市民‐行政の関係を考えた場合、常に市民が自分の意見を主張できる場が確保されていることがまず第一である。たとえ市民会議への参加者が少なくても、限られた市民しか出席していなくても、定常的にこうした活動を行うことで、少しずつであっても定着していくであろう。この場合、市民、行政双方にとっての達成感が重要になる。市民が自らの意見を提案したとき、それらが採択されて実際の施策に反映されれば、満足感につながり、会議自体が形骸化している、といった批判を防ぐことができる。また、一方で徒労に終わるといった行政職員の不満を解消し、やる気を喚起することにもなる。こうしたことは、自治体の長がいかにリーダーシップを発揮できるか、に負うところが大きい。また、地域エゴという批判は妥当な場合もあるであろうが、局所的な最適化の積み重ねが全体の利益(公益)につながるとも考えられる。もちろん声なき声をいかに拾い上げるかの不断の努力は必要であるが。
市民参加でどこまでできるかを考える際、行政の仕事の中で、市民参加がなじむものとそうでないものがあるのも事実である。予算編成の場合には、市民個々の立場により事業の優先順位が変わるために公平性を保つことが難しく、また技術的にも時間的にも制約が多いものであり、専門職に任せるべき分野と思われる。
2)次に、市民参加の法的根拠について考えてみる。市民参加はあくまで代表制民主主義の補完的役割を果たすべきものであり、施策等に関する最終責任は長と議会が負うべきものである。市民参加に取り組む際に「議会軽視」という批判が出されるが、決して議会と対立するものではなく、両者は両立し得るものである。ただあくまでも政治主体は市民にあることは明確にするべきである。地方自治法が制定されてから50年以上が経過しているが、その第1条に住民の規定を置くべきであるという主張があるのも、それゆえである。
情報公開:市民参加に取り組む上で、情報の公開・共有は必須条件であるが、どの情報をどのように公開するか、は個々のケース毎で考えるのではなく、条例として制定し運営する必要がある。多くの自治体でその条例化に取り組み、すでに制定しているところも少なくない。
3)最後に、職員参加について述べる。先ほど市民参加の最終ゴールは、市民と行政のイコール・パートナーシップによる「協働」にある、と述べたが、その一翼を担う行政職員の参加がもうひとつの焦点となる。縦割り組織の中で内向きの業務に慣れ親しんできた職員にとっては、市民と向かい合っての仕事は大きな意識変革を伴うものであり、ハードな組織変革とともに必要不可欠である。組織が肥大化すればするほど、こうした変化は起こりにくいものであるが、時間がかかっても改革を進めるべき課題と言える。
これらの問題点を考える上で、市民参加の先進国であるアメリカやイギリス、あるいはドイツの事例を参考にする必要がある。今後、こういった視点からも考察していきたいと考える。
1)市民参加と自治体公務 田中善政編著 学陽書房(1988年)
2)住民参加をめぐる問題事例 佐藤 竺編著 学陽書房(1979年)