第1章 行政サービスの範囲

 

1 行政サービスの発展

 

 古代・中世の政治支配者の統治職能:国防,警察,裁判。その他(徴兵徴税,公共建築,治山治水工事)

 近世:絶対君主たちによる富国強兵。重商主義・重農主義にもとづく殖産興業政策官僚の登場

    ドイツ・オーストリア地域における君主と官僚のための学問としての官房

  揺り戻しの時期:資本主義経済の発達。市民階級の登場。自由放任主義(レッセフェール)市場の自動調節作用。アダム・スミス『諸国民の富』。イギリスにおける夜警国家論や「安上がりの政府論(Cheap Government)。これらが国家の職能の拡大に歯止め。トーマス・ジェファーソン「最小の行政こそ最良の政治なり」

  職能国家への変遷:19世紀半ば〜末の西欧諸国の政府による社会問題・都市問題への対応と,産業活動に対する規制や保護・助成・振興。行政サービスの範囲規模の拡大=量の膨張。「消極国家から積極国家へ」

 

2 福祉国家の生成

 

 福祉国家の起点:19世紀から20世紀への世紀転換期。大衆民主制の実現:労働組合の結成,選挙権の拡張,政党政治の争点としての社会政策・労働政策・産業政策+2つの世界大戦:戦時行政による国民各層への行政サービスの平準化,+大恐慌:市場メカニズムに対する信頼感の揺らぎ、+社会主義対資本主義という体制間競争

  福祉国家の要件:国家による,

         @生存権の保障社会権も含んだ憲法思想の各国への普及

         A所得の再分配累進課税制度:「国民と政府の間の負担と受益の交換は不等価交換」

         B市場経済への積極的介入→ニューディール政策,ケインズ経済学に基づく経済政策・金融政策・財政政策、行政サービスの質の変化

          しかし、スタグフレーション(同時平行での失業増大と物価上昇)現象↓

 福祉国家の転換期または危機

 

3 行政サービスの範囲

 

 石油危機を経て、1980年代以降の減量経営をめざした行財政改革(レーガン、サッチャー、中曽根)

 行財政改革論議における行政活動の4類型民間活動 @規制,A助成,B補完,Cによっては解決できないもの。@←規制緩和,A←民間の自立自助,B←民間活力の活用、民間委託の促進、官業の民営化

 イギリス→メージャー首相の保守党政権でエージェンシー:行政活動における企画と実施を分離し、実施業務をエージェンシーが担任。達成状況を業績測定する評価システム。「執行の成果に基づく事後統制へ」→オーストラリア、ニュージーランド、アメリカに伝播。ブレア労働党政権でも改革路線の基本は維持。

 

 「新公共管理論(New Public Management=NPM)=「市場メカニズムの活用、エージェンシーへの権限委譲、成果志向・顧客志向の業績測定などを中核にした改革の波」→日本では20011月から中央省庁等の再編成に際して、独立行政法人制度の創設が決定(日本版エージェンシー)。全省庁に対する政策評価の実施も。

  しかし、本来、「市場の不完全性」・「市場の歪み」や,「市場の失敗」(=公害などの外部不経済の問題や公共財への効率的な資源配分の問題など)が行政サービスの範囲・規模拡大の主要因。「今度はもっぱら行政の肥大化が憂慮され,行政活動の不適切で非効率的な側面に非難の矛先が向けられてきた」→「政府の失敗」・「政策の失敗」。行政サービスの適正な範囲とは?:行政学では市場のメカニズムによるサービス供給政治のメカニズムによるサービス供給の利害得失を昭らかにするという論点整理。

 

 


 

 

第2章 官僚制と民主制

 

1 近代官僚制の形成

 

  絶対君主制:立法・司法・行政の区分は不明確

  君主権(立法権・統帥権)と統治権(司法権・行政権)の分化→○○

○君主の代理としての統治権の遂行機構である官僚制の形成と,これを統轄する君主の輔弼機関としての大臣・宰相(内閣制の原型

 ○君主権の協賛機関としての等族会議・三部会(議会制の原型

  近代官僚制の形成:学歴と能力を基準にした将校・官僚の登用

                    君主が官僚に課した規範としての専門性・永続性(熟練性終身性)・従属性中立性の原型

 

2 三権分立の成立―憲政(立憲君主制下での政党内閣による政治)と行政の対抗

 

  立憲君主制:「国家と社会の間に緊張関係が顕在化した時代に,国家が社会に対して一定の譲歩をした憲法構造」(国家=君主・枢密院・軍事官僚・司法官僚・行政官僚等の支配機構。社会=納税階層の地主階級・新興市民階級等)

 

三権分立制の始まり:欽定憲法国民議会の開設による立法権の独立=立法・司法・行政。「ここでの行政とは旧来の統治から議会と裁判所に委譲された立法権・司法権を控除した残余の機能」

   

法治主義の3原理三権の関係を規律。@法律の優越の原理,A侵害留保の原理,B法律による裁判の原理。実際には、議会意思は官僚制には浸透せず。上記3原理を前提にした「法律による行政」=行政活動は議会の制定した法律にもとづくという規範→「従来は君主の君主権に従属していた官僚は議会の立法権に従属すべきものとなった。」(実際には立憲君主制の下では不完全)

 

統制の規範立法・行政の関係は優越・従属の関係(この場合の行政は内閣まで含めた行政府全体とその活動であるべき

   予算案・法律案の議会通過をめぐり,議会内において政府与党(行政府を支持する勢力)と野党の党派対立発生→政党制の確立→議会内多数党から内閣総理大臣を任命。官僚は議会の立法のみならず政党内閣による執政にも従属すべき存在に(しかし,官僚制の全面的な政治化・党派化はなし)

 

3 官僚制から公務員制へ―情実任用と猟官制

 

 イギリスにおける共和勢力市民革命過程での課題:@AB

   @文民統制(civilian control)の確立(軍の存在は議会の意思に係わるもの)

    A議院内閣制の確立(議会の共和勢力から選出された代表が内閣を構成。「内閣を議会の共和勢力の執政委員会に変える仕組み」)→立法府と行政府は内閣を媒介にして一元的に結合=内閣は立法権と行政権を調整し統合する政治指導の中枢機関。「君臨すれども統治せず」

   B情実任用(patronage)国王にではなく共和勢力に忠実な官僚制に変えるために、共和勢力支持者を行政官に登用・抜擢政党内閣制の定着により情実任用の弊害(内閣が共和勢力の執政委員会から議会内多数派の執政委員会へ変質。政権党が交替するたびごとの行政官の更迭。

   ノースコート・トレヴェリアン(1853)報告現代公務員制の確立(資格任用制merit system政治的中立性)へ。

   分離の規範政治家集団と行政官集団を分離する規範

(この場合の行政は内閣・大臣を除いた、職業的行政官で構成される行政諸機関とその活動)=現代公務員制の規範

 

アメリカの憲法構造:連邦政府の議会と大統領は相互に独立対等の代表機関であると同時に、抑制均衡(check and balance)の相互関係にある。政党は両機関を媒介。

                       地方政府レベル・州政府レベルにおいても政党が議会と首長を媒介

                       政党は公選職候補者の選定と当選を目的として発達↓

  アメリカの猟官制(spoils system)政党が任命職の政府高官の人事に介入(ジェファーソン大統領)。特に急進的なジャクソニアン・デモクラシー→大統領の交替のたびごとに党派的な更迭人事を繰り返す政治慣行の定着=政府の官職は選挙に勝利を収めた政党のもの。しかし、これでは新しい職能国家時代の行政課題に的確に対応できず。

                  「(アメリカの猟官制の)悪弊はイギリスの情実任用のそれをはるかに凌駕」→1870年代に猟官制の改革論議ペンドルトン法1883年。最初の連邦公務員法。資格任用制政治的中立制アメリカ行政学の誕生(出発点は分離の規範

 

<補足説明>

 

官僚制:中央政府の行政機構ならびにそこで勤務する公務員集団をさす。地方自治体については、府県レベルおよび大都市を中心に「自治体官僚制」という表現が見られる。また、これらの「行政官僚制」に限らず、「企業官僚制」「軍隊官僚制」「大学官僚制」など、比較的発達した管理統制機構を備えた大規模な組織体を広くさすこともある。

 

共和制:主権を有する国民が直接あるいは間接の選挙によって一定の任期による国家元首を選ぶ国家形態。主権を有する国民が選出した代表者が支配し、またみずからも代表者になれるという制度を通して、国民がみずから支配する国家形態という意味で、民主主義原理の制度化として考えることができる。歴史的には世襲による君主制を否定して登場したものであり、立憲君主制とは異なる概念。イギリスやフランスでは近代市民革命によって絶対主義君主を打倒して共和制に移行し、以後共和国は世界的な趨勢となった。

 

「君臨すれども統治せず」:統治に関する君主の権能は、形式的・象徴的な存在にとどまるべきであって、君主の意思が、国家権力の行使を実質的な意味で支配することがあってはならないとするもの。イギリスでは、内閣総理大臣の任命、国会の召集、庶民院の解散、法律の裁可などについては、今日でも、形式的には国家元首たる国王(女王)の権能であるとされている。しかし、現実には、庶民院第一党の党首を総理大臣に任命し、国会の召集や解散についても内閣の助言と勧告に従ってこれをおこなうという憲法慣行が守られている。

1628年の権利請願(ブルジョアジーが市民の市民の基本的諸権利の承認を国王に迫った)→ピューリタン革命