1998年度行政学ゼミ
卒業論文集
目次

巻頭言								中村祐司


行政による高度情報通信社会の構築
―規制と競争、及び付随する問題の考察―				金谷旬一郎

はじめに                                                                     

第1章  国内情報通信の現状
 第1節  高度情報化社会と国内経済
 第2節  高度情報化社会推進に向けた郵政省の基本方針
 第3節  国内ネットワークインフラの現状(有線、無線、放送の各分野において)

第2章	グローバルな情報通信市場
 第1節  巨大な情報通信市場、アジア
 第2節  情報通信自由化の潮流

第3章   通信ビッグバンに向けて
 第1節  競争と規制(米国、英国の事例)                 
 第2節  我が国の情報通信の変遷

第4章    情報通信高度化政策とその課題
 第1節  ネットワークインフラの整備
 第2節  各種アプリケーションのメリット・デメリット
 第3節  情報リテラシー、研究開発・技術面の環境整備

第5章   行政としての情報通信高度化政策とその将来

おわりに                                                                     

参考文献                                                                     

あとがき                                                                     


日本における公的年金をめぐる制度上の諸問題
及び改革に向けての提言						佐藤絢子

はじめに

第1章 公的年金制度とは 
第1節 公的年金制度の沿革
第2節 公的年金制度のしくみ
第3節 公的年金制度の役割

第2章 公的年金制度の実態 
第1節 国民年金の未納・未加入問題
第2節 第3号被保険者制度
第3節 学生からの保険料徴収

第3章 次期改正に向けての政府の動き 
第1節 少子・高齢化と公的年金
第2節 厚生省の「5つの選択肢」
第3節 年金審議会の「国民年金・厚生年金保険制度改正に関する意見」
第4節 厚生省の「3つの改革案」
第5節 自由民主党年金制度調査会の「平成11年 年金制度改正について」

第4章 公的年金制度改革への提言 
第1節 公的年金制度改革の視点
第2節 公的年金制度の再構築
第3節 公的年金制度を取り巻く環境の整備

おわりに 〜 社会保障制度のなかの公的年金制度 〜  

参考文献

あとがき


ローカル新聞の現状とその可能性
―「ミニコミ」を素材として―					山本直美

はじめに

第1章 ロ−カル新聞
 第1節  ロ−カル新聞の現状
 第2節  ひだニュ−ス(潟<fィア21)の現状
 第3節  市民時報の現状
 第4節  ロ−カル新聞の経営上の課題 

第2章 ミニコミ
 第1節  ミニコミの歴史
 第2節  ミニコミ「谷根千」について
 第3節  ミニコミ資料センタ−

第3章 インタ−ネットを利用したミニコミの可能性
 第1節  インタ−ネットとミニコミ
 第2節  いわきインタ−ネット新聞

おわりに

あとがき


日本における医療制度およびその運営に関する批判的研究について  伴 多恵子

はじめに

 第1章 わが国の医療制度
  第1節  現行の医療保険制度
  第2節  日本医師会と厚生省の攻防
  第3節  国民医療費の増大と医療保険財政の悪化
第4章 進む高齢化

 第2章 医療機関の現状
  第1節  病院経営の実態
  第2節  医師過剰の時代と医師のライフサイクル
第3節 看護婦の過重労働と複雑な養成システム

 第3章 高騰する医療費
  第1節  高い薬剤費と医薬分業
  第2節  現行の診療報酬体系
第3節 レセプトの不正請求

 第4章 医療費の不公平
  第1節  高額医療費
  第2節  国民健康保険と健康保険の格差
第3節 地域格差

 第5章 日本の医療の将来像
  第1節  セルフメディケ−ションの推進
  第2節  積立型医療保険の構想
第3節 正しい国庫負担のあり方

おわりに 〜新しい医療保険改革案(私案)〜

あとがき

参考文献






巻頭言
 本冊子は、国際学部行政学研究室第1期生の手による「記念すべき」卒論集である。
 「記念すべき」と書いたのは、今後、宇都宮大学国際学部に行政学研究が講座として存続する限り、この冊子の質的レベルが良い
  意味にせよ、悪い意味にせよ、その後に続く2期生以降のゼミ生にとって、卒論を作成する上での目安となり、目標水準となるか
  らである。また、各自が卒論作成でエネルギーを使い果たした後にもかかわらず、今、敢えて冊子としてまとめ、これをパソコン
  上のファイルにも保存しておくことで、今後の行政学ゼミとしての卒論のまとめ方に一つの指針を与えたことになるからである。
  さらに、近い将来には、行政学ゼミの卒論集がホームページに掲載されることになるであろう。卒論は、ゼミ生にとって、宇都宮
  大学における4年間の勉強の集大成であり、指導する立場にある者としてもそれなりの覚悟はしていたつもりではあったが、正直  
  なところ、昨年の追い込み時期である12月あたりからは胃の痛む思いをする日々の連続であった。それというのも、たまたま自分
  が抱えていた原稿の締切と卒論提出の締切とが重なっていたこともあったが、やはり大学教員の間では半ば常識化している「1期
  生は優秀である」という「思い入れ」が、卒論の質的レベルの点での高い要求となり、これと実際とのギャップに対するいらだち 
  に強くさらされ続けたからであろう。しかし、こうして本冊子を手にしてみると、こちら側の期待や要求のレベルがあながち高す
  ぎたものではないことが分かる。つまり、半分は自画自賛かもしれないが、かなりの程度、胸を張れる内容の卒論集となったので
  はないだろうか。また、「二十歳そこそこの若者が必死になった時のエネルギーには強烈なものがある」というのが、今回の指導
  を通じてあらためて体験したことである。私立大学における同種のゼミと比べれば、まさにこの研究室においては「少人数教育」
  がなされたわけだが、それでも、特に4人が個々のテーマに関してある程度のプライドをもって語れる時期になると、個々の問題
  意識を受けてたつ側の疲労や消耗には相当なものがあった。ただし、こうした消耗は半面では大変心地良いものであった。指導の
  過程において個々の考え方や問題設定の仕方が、「文は人なり」といった形で各々ににじみ出ており、これを味わうことができた
  からである。「教員冥利に尽きる」とはこのことをいうのかと何度感じたことであろうか。卒業後、どんな領域の仕事に就くにし
  ても、真剣に卒論作成に取り組んだ経験は決して無駄にはならないであろう。いや、もしかしたら、これだけの分量の文章を自ら
  論理的に積み上げていく機会はもう二度と来ないかもしれない。ぜひ、自信を持って、現実の社会の中で大いに活躍し挑戦してほ
  しい。君たちにはそれができる!
                               1999年1月18日
                        中村祐司(行政学研究室指導教官) 


行政による高度情報通信社会の構築 ―規制と競争、及び付随する問題の考察― 金谷旬一郎 はじめに  今日、21世紀に向けて新しい技術の開発などが注目されている。特に情報通信関連技術の発達の度合いは目を見張るものがある。 インターネットが一般的に普及し、個人のパソコンの所有率も年々上昇傾向にあり、パソコン自体の低廉化も進んできている。我 が国においては携帯電話などの移動体通信も急激に我々の生活の中に入ってきており、また、大学の授業などにも情報処理関連科 目や、インターネットを利用した授業が増加してきている。企業においてはE-mailが盛んに利用され、企業内LANなどのネットワ ーク及びデータベースが構築され、より効率的な事業活動が展開されている。にわかに「情報化」という言葉が聞かれるようにな った昨今であるが、その主因として国の「情報通信の高度化政策」がある。規制の緩和措置などによって自由な競争市場が形成さ れ、新規事業者の参入により市場が活性化された結果である。実際に我々の身近でそれらが感じられるものとして電話料金の低廉 化や携帯電話の普及率の急激な伸び、パソコンの普及台数の増加などがあげられる。情報通信の高度化が図られることによってど のような社会が構築されるのか、それに関して行政がどのような視野を持って対応していくのか、結果としてユーザーである我々 国民が、高度化が図られた情報通信からどのような恩恵が受けられるのかについて追っていく。確かに情報は増えることになるだ ろう。しかし、その情報にいかにアクセスするか、いかに自分に必要な情報を探し出すか、有害な情報にどのように対処するのか といった問題点が浮上するのに加え、構築されたネットワークをどのように有効利用して国民生活の利便性を図っていくのか、こ の分野のインフラ整備に関して、我が国の場合はどのように行政が関与していくべきなのか、様々な疑問や問題があるように思う。  行政は可能な限り広く国民に恩恵を享受させることを求められていると考える。過去の高度経済成長期においては、それを「規制」 という枠組みを持って行ってきた。しかし、現在の「規制緩和」という潮流の中で情報通信に関してはどのような施策が有効である と考えられるのか、行政の情報通信に対する参画の仕方が問われてきていると思われる。一言でいえば規制と競争のバランスが行政 に求められていると言える。以上の点を踏まえ、本稿では欧米諸国に取り残されたと言われる我が国の情報通信産業の将来について、 郵政省電気通信審議会の答申資料および諸外国の情報通信関連産業に注目し、規制と競争、情報通信インフラ整備と各種アプリケー ションによって構築されるであろう高度情報通信社会が、現在我が国が抱える少子・高齢化、環境、行政サービス等といった様々な 問題にどのように寄与してどのような社会が構築されるのか、その問題を顕在化させ、分析していくことにする。 第1章 国内情報通信の現状  第1章では国内の情報通信の現状について触れ、国内に抱えている問題に情報通信がどのように関係してくるのかについて述べていく。 第1節 高度情報化社会と国内経済  今日、我が国の経済は長引く不況の中にある。その要因には様々のものがあるが、その一つとして国内基幹産業といえる産業の不在が あげられる。戦後の日本の基幹産業として国内経済を支えたのは、鉄鋼・化学などの重化学工業である。しかし1965年から1996年まで の、化学及び鉄鋼産業の設備投資額の全産業に占める割合を見ると、化学工業は1970年を、鉄鋼業は1976年をピークに減少傾向にある。 (図表1-1-1)現在それらに代わる産業としてあげられるのがエレクトロニクスなどの高度技術産業である。まず高度技術産業の一つと 位置づけられる「高度情報通信産業」が雇用問題や環境問題などの国内問題と社会経済にどのように関連していくのかについて考察し てみる。国内基幹産業が育たない原因としてあげられるのがいわゆる「産業の空洞化」であろう。国内の労働力よりも海外の安価な労 働力を求めるために起きた国内の雇用不足である。『平成10年版労働白書』によると、我が国の完全失業率は1997年(平成9年)の平 均で、1953年以来最高水準であった1996年と同水準の3,4%となり、男女別では男女とも3,4%で、前年と比較して男子が同水準、女 子が0,1ポイント上昇して最高水準となっている。(図表1-1-2)また、日本経済を全体としてみた場合、経済活動の中心的役割を果た しているのは依然として製造業であるが、近年においては、消費と生産の両面において、製造業から高度なサービス業へと比重の移行 という潮流が顕在化している。(図表1-1-3) 労働力供給に関してみてみても、高齢化の進展、女性の職場進出、高学歴化と多様化し てきており、若年層を中心として就業意識、行動も変化してきている。労働力需要の変化に目を向けてみると、国際化、経済のサービス 化、技術革新の進展、情報化などがみられる。現在の雇用問題などに関しては、「国際的社会」「ボーダレスな社会」ということを認め ておきながら、産業の空洞化を回避することのみに専心するべきではないと考える。「国際的社会」「ボーダレスな社会」と現状を受け 止めるならば、それに対応した経済、産業等の改革などの対処をし、一部の企業による労働力の海外へのシフトがあっても耐え得るよう なシステムを構築していくべきである。そもそも海外に安価な労働力を求めた結果に生じるこの類の「産業の空洞化」は、産業全体をグ ローバルなものとしてとらえるならば、「労働における国際分業」と言えるものである。国内において比較優位性を失った産業が海外へ 移動するということは、国内経済においてはより生産性の高い産業構造へシフトしようとするシステムが動いたということである。換言 すれば産業全体の効率化が図られたということである。この傾向は少子・高齢化を迎える我が国においてはむしろ歓迎すべき動向ともと らえることができる。そして、そのより生産性の高い産業構造というものが情報通信関連産業であり、それらが「労働の国際分業」と言 える新しい労働システムにおいて、国内の拠点と海外の拠点を結ぶネットワークとして支えていくものであると考える。我が国国内には 先に述べた雇用問題以外にも環境問題の深刻化、少子・高齢化社会の進展、それに起因する将来の労働力不足、東京一極集中の加速化な ど今後の経済成長にとっての構造的制約要因が顕在化している。これらの問題は平成不況といわれる現在の国内経済から脱却するには不 可避の問題だと考える。さらに生活面でも、公的サービスの質の向上、住環境の整備、教育の充実など、ゆとりと豊かさの実現に向けて の諸課題が未解決のまま存在している。以上の例のように我が国は国際化と情報化に対するニーズが労働市場に留まらず、社会経済や国 民生活においても同時に増加してきていると言える。では、この状況下において情報通信関連産業がどのような役割を果たしていくこと が最も有効であり、我が国がとるべき政策としてはどのようなものが考えられるであろうか。これまでの我が国の経済発展や国民生活の 質的向上に対して多大なる役割を果たし、その要因となったのが一つの分野の技術革新である。それらが国内基幹産業として、もしくは それに準ずるような形態で国内経済を支えてきたと考えられる。そのような視点から情報通信に関して見てみると、コンピュータ、デー タ通信などの情報通信技術や関連機器の導入及びそれを活用することによって情報化を進めていくことは、国内企業においても着実に進 んできた。1990年代に入って情報通信関連機器及び関連システムの技術進歩の状況は目覚ましく、企業などでもパソコン、LAN(注1)イ ンターネットを活用したデータ交換のためのネットワークづくりの数や規模は急速に拡大しつつある。しかし一般国民が利用する際の利 便性、容易さなどの点ではまだ他国から遅れをとっている状態にある。良い例がインターネットなどの回線接続料金である。日本の回線 接続料金は米国のそれと比較して何倍もあるという。新しい産業を発展させていくためにはその基盤となるものが不可欠になってくる。 その意味で情報通信産業にはネットワークインフラの整備が不可欠である。この分野を整備することによって我が国が抱えている様々な 問題が解決に向かう可能性、少なくともその糸口になることは多数あるだろう。例えば新しい産業が創出されて雇用が促進される、環境 問題への対応、少子・高齢化社会へ向けた労働力確保などである。確かに情報通信が整備されることによって新たに浮上してくるであろ う情報通信自体に内在する問題点があることも否定はできない。しかしその問題に適切に対処し、情報通信に内在する地理的制約の超越、 省資源性などの利点を有効利用するという視点が重要である。今後は情報通信が抱える裏と表の部分をどのような視点のもとに活用して いくのか、それに対する政策に注目が集まるところである。また、情報化が推進され、国内の経済構造が変化してくる場合に予想される 問題にもしっかりと対処していくべきである。具体的には、高失業社会に陥らず、賃金格差拡大による不平等感が高まらないようにして いくための方策として、成長分野へ円滑に労働移動を実現させること、新規事業分野の開発とそれを担う人材の確保・育成などがあげら れる。情報通信の舞台は国内のみならず世界中である。後述するが、昨今の規制緩和措置によって通信分野の枠組みを越えた各企業の事 業展開が可能な状態になりつつあり、情報通信は世界中が市場であり世界中の企業がライバルである。これまで我が国にはなかった競争 原理を持ち込むことによって、自由で活力があり創造的な産業・経済の実現が必要であり、その結果として情報通信が我が国の基幹産業 として経済を支えていくことが期待されているのである。 第2節 高度情報化社会推進に向けた郵政省の基本方針  技術革新の激しい情報通信において、1998年(平成10年)11月9日に出された郵政省高度情報通信社会推進本部決定による「高度情報通 信社会推進に向けた基本方針」に見られる郵政省の姿勢を要約すると以下のようになる。 まず、推進本部は高度情報通信社会というものを、「人間の知的生産の活動の所産である情報・知識の自由な創造、流通、共有化を実現し、 生活・文化、産業・経済、自然・環境を全体として調和し得る新たな社会経済システムである。このシステムは制度疲労を起こした従来 の大量生産・大量消費を基礎とするシステムに取って代わり、『デジタル革命』ともいえる変革の潮流を生み、経済フロンティアの拡大、 高コスト構造の打破、活力ある地域社会の形成や真のゆとりと豊かさを実感できる国民生活などを実現するもの」と定義付けしてある。  また「高度情報通信社会に向けた基本的な考え方」の冒頭に「前基本方針策定時からの状況変化と改定の必要性」と言及しているように、 技術革新のスピードが想像以上に速いものであり、さらにそれらの情報通信ネットワークが現在の経済・社会の諸分野において浸透して きていることに対する政府の認識は示されている。さらに国内の高度情報化を図り、情報化の成功によって効率的な経済構造及び産業構 造の転換の進む米国と諸外国に遅れをとらず、今後の中長期的国際競争にむけた国内体力を蓄えなければならない。特に昨今の米国の好 景気と低失業率は革新的な情報通信関連技術の開発及びそれらを利用した新興企業に支えられているという認識もあり、我が国も民間の 努力とそれに対する国の支援という形で情報通信を世界最高レベルまで高度化することが重要であるとしている。 民間主導で国内情報 通信の高度化を図ろうという姿勢は、高度情報通信社会実現に向けて定めた3つの行動原則(民間主導・政府による環境整備・国際的な 合意に向けたイニシアティブの発揮)の中に見られる。米国を例に挙げ、先に述べたように情報通信関連分野はそれらを利用した新興産 業、すなわちその新興産業などによる自由な「公正有効競争」こそが日本が目指す社会を構築しているとし、民間主導で高度情報化を図 るとしている。その一方で政府による国内情報通信をめぐる環境整備はどのように位置づけているのかというと、民間活力を引き出すた めの環境整備が基本であるとしている。その中で政府が留意する点は、情報通信関連技術の進歩は極めて速いこと、新たな技術が現れる ことによるビジネスチャンス及び社会生活に与える影響の利点など、この分野の特色である多様な応用の可能性を無駄にしないような環 境整備をするということである。具体的に言うならば規制の緩和、基礎的・先進的な研究開発の推進、基盤整備に対する公的支援などの 幅広い視野に基づく環境整備である。そして再び米国を例に、日本は民間によって進展を遂げた情報通信に対して先進的ユーザーである べきとしている。「高度情報通信社会の実現に向けた課題と対応について」の中では、推進本部の決定が具体的に高度情報通信社会にど のような期待をしていて、どのような問題が各種の利用目的の中に存在しているのか、という郵政省側の認識の度合いがうかがい知れる。  それらを大別すると@電子商取引、A公共分野の情報化、B情報通信の高度化のための諸制度の見直し、C情報リテラシー(リテラシー: 読み書き能力)の向上、人材育成、教育の情報化、Dネットワークインフラの整備、E基礎的・先端的な研究開発、Fソフトウエアの供 給、Gコンテンツの充実、H相互運用性・相互接続性、の確保である。どれも見過ごすことのできない分野であるが、なかでも注目すべ きなのは世界的に環境整備に向けた動向が激しいという認識から「電子商取引」、我々国民社会への影響が大きいと考えられる「公共分 野の情報化」、構築された高度情報社会において、それを利用できなければ無意味なものになってしまうという視点から「情報リテラシ ー」、高度情報化社会の全ての基盤となる「ネットワークインフラの整備」、各情報通信分野のスムーズな接続、将来におけるネットワ ークの応用性の確保といった意味で「相互運用性・相互接続性の確保」、以上の5分野であると思われるので、この点に絞って郵政省の 見解をまとめていく。 電子商取引  まず電子商取引についてであるが、すでに欧米ではその実用化に向けた動きのなかで参入企業の数の増加が激化しているという事実、こ の制度が確立されれば既存のものよりも確実に大きなマーケットが形成されることが必至であるという認識、及び国際舞台において議論 の対象になっていることからかなり重点が置かれている。予想される問題(セキュリティー・犯罪、知的財産問題、関税に関するもの、 電子認証)などについても詳細に言及されており、電子商取引に対する問題意識の高さが読みとれる。 公共分野の情報化  基本的な指針としてはインターネットの普及や電子商取引の実用化に向けた動きのなかで、各種の申請・届け出などの手続きにかかる、 国民負担の軽減に対する国民側の要請があることや、行政側自身も行政サービスのコスト低減を掲げていることから、各種行政手続きが 身近な一カ所の端末の操作だけ行えば済むという、いわゆる行政の「ワンストップサービス」を目指しているといえる。これに関しては 郵便局なども活用して実験を行い、制度的・技術的課題を解決しつつ、段階的に実施していくとのことである。他に情報化社会に期待し ている分野としては、研究分野の情報化、保健・医療・福祉分野における情報化、防災・気象分野の情報化、労働・雇用分野における情 報化があげられるが、特に高度情報化社会が実現されるとなると国内経済と密接に関係してくるであろう「労働・雇用分野における情報 化」が、最も注目するところである。情報通信をサテライト・オフィスやSOHO(スモールオフィス・ホームオフィス)という形態で利用 しようというのである。これは既に一部の企業で実際に活用されている。これらを総合して、21世紀にの初頭には高度に情報化された行 政、すなわち電子政府の実現を目指すとしている。 情報リテラシーの向上、人材育成、教育の情報化  情報リテラシーに関してはすべての人々が基礎的な情報活用能力を身につけることができる環境整備につとめるとともに専門的な人材の 育成を推進するとしている。高度情報化社会の構築に伴う問題は、情報の読み書き能力のみならず、情報化社会特有の知的財産権やセキ ュリティー問題も含まれる。そのような側面にも留意するという意味で情報リテラシーを向上させる必要性は大きい。さらに、教育を情 報化してインターネット、データベースを利用した教育を行っていけば情報リテラシーも向上していくことと考えられる。 ネットワークインフラの整備  政府が目指す、高度に情報化された社会の構築に不可欠なのがすべての基盤となるネットワークインフラであり、それを整備することが 最重要課題であることは言うまでもない。政府が理想とするところのネットワークインフラは、次世代インターネット(注2)、光ファ イバ網、グローバルな移動通信システムなどの各種ネットワークインフラがスムーズに接続され、さらに放送分野においてはデジタル化 を図り情報通信分野のトータルなデジタルネットワークの構築にある。先述したように、ネットワークインフラの整備には国が主体とし て動くのではなく民間主導型という形を取るが、将来需要を見越した巨額投資の短期的な立ち上げには、投資促進のための政策支援が不 可欠であるとして国がインフラ整備に参加するということである。国内の情報通信ネットワークに関しての詳細は次節で述べることとす る。 相互運用性・相互接続性の確保  各種機器・システムの相互運用性・相互接続性の確保の重要性は言うまでもないが、情報通信分野を標準化し、公的標準の範囲にとどま らずに民間レベル主体のものや国際的な標準化機関の動向にも目を向けて、官・民が協力して展開していくとしている。総じて推進本部 は多様な可能性を持つ高度情報通信社会を将来の発展基盤として、そして大きな経済効果をもたらし現在の景気状況を打破するものとし て期待していることがうかがい知れる。大きな経済効果とはすなわちグローバルなマーケットが高度情報通信社会の構築によって形成さ れるものであるが、グローバルな市場であるが故に我が国が国際社会へなすべき貢献方法についての議論が多く、国内関係省庁が抱える、 省益優先、縦割りの行政機構などといった行政の根本に抱えている問題について、まず始めに決定すべき姿勢というものに欠けているよ うに思えるものである。 第3節 国内ネットワークインフラの現状(有線、無線、放送、各分野において)  情報通信のネットワークインフラは大別して有線系、無線系、放送系と、3つのネットワークインフラとして分けることができることを 始めに確認しておく。1996年(平成8年)6月に出された郵政省電気通信審議会の答申である「高度情報通信社会の構築に向けた高度情報 通信高度化目標及び推進方策」をもとに、上記3種類の各種国内ネットワークインフラの現状を提示する。    有線系ネットワークインフラの現状については2010年までに全国に整備を完了することを目途に、加入者系光ファイバ網の整備が進めら れている。1995年末時点における加入者系のケーブルの長さを基準とした光化率は4,7%で、人口カバレッジは約10%に達している。ま た、多様なアプリケーション(情報通信インフラの利用方法)普及の前提であるデジタル化の推進に関しては、中継回線のデジタル化は 既に完了し、加入者系の交換機のデジタル化も順調に推移しており、1997年度には完了の見込みである。しかし、ISDN(Integrated S ervices Digital Network)サービス(注3)の利用者は全加入回線の約1%にとどまっている。無線系ネットワークインフラに関して は、現状の地上系無線システムの伝送速度は、無線LANシステムで20Mbps程度、広帯域加入者無線で最大6Mbps程度にとどまっており、高 速・広帯域性という特質を有する光ファイバ網とのシームレスな通信環境を可能とするレベルには未だ達していない。また、静止衛星を 用いた固定地点間の通信システムは、主として企業内及び企業間で利用されているが、その伝送速度は最大60Mbps程度、普及台数は1,3 00台程度である。静止衛星を用いたパーソナル移動通信システムについては、自動車などへの搭載型端末によるサービスが行われている ものの、現状では、携帯型端末での利用は困難な状況にある。さらに、低軌道及び中軌道周回衛星システムについては、我が国の企業か ら具体的提案はなく、米国企業などの主導による企画が進められている段階にある。放送系ネットワークインフラの現状については、現 在の放送系ネットワークはアナログ方式により、地上放送がほぼ全世帯に普及しているとともに、CATVや衛星放送についても視聴者ニー ズの多様化を反映して、着実に普及が進みつつある状況にある。CATVの受信世帯数は現在、1,025万世帯であり、そのうち都市型CATV (注4)は265万世帯である。また、衛星放送のチャンネル数は、BS放送が3チャンネル、CS放送が13チャンネルの計16チャンネルである。  一方、放送の多チャンネル化、高機能化、高画質化を推進する見地から、放送のデジタル化が世界的な潮流になっている。我が国におい ても、1996年夏頃より衛星によるデジタル放送が開始されることとなっており、CATVについては1996年5月に技術的条件が策定されたほ か、地上波放送についても、現在、デジタル放送のための標準化が推進されつつある。 (注1)LAN (Local Area Network)     企業内情報通信網。工場や事務所などに分散は位置されたOA機器を接続して、     企業内の情報通信の高速化・システム化を図るもの。 (注2)次世代インターネット     当初の予定を遙かに越える規模に到達した現在のインターネットはその結果発生     する様々な問題点を抱えている。それらの課題を解決するために各所の組織にお     いて、特に大量データをやりとりするためのGbpsクラスの超高速ネットワーク      技術の開発や、利用者を限定しない、より有益なネットワークアプリケーション     の開発が進んでいる。このような研究開発によって構築されるインターネットを、      現在のインターネットと区別して「次世代インターネット」と呼ぶ。 (注3)ISDN ISDN(Integrated Services Digital Network)デジタル電話回線。NTTでは「INS ネット64」、「総合デジタルサービス網」などと呼ぶ。音声、データ、画像などを 総合的に扱う公衆交換網。既存の電話回線を転用できる。既存の電話1回線で加入 電話回線2本分の通話チャンネルができる。 (注4)都市型CATV 従来の難視聴解消のために始まったケーブルテレビと、双方向機能を備え規模が 大きく、多チャンネルである点が異なる。 (図表1-1-1) 基幹産業の成熟化 化学と鉄鋼業の設備投資額の全産業における割合の推移(1965〜1996) (資料)郵政省電気通信審議会『情報通信21世紀ビジョン資料編』より抜粋。 (図表1-1-2)完全失業率の推移 (資料)平成10年版労働白書から作成 (図表1-1-3) 産業の生産別シェア (注)電気機器は情報通信産業に含まれるものを除く。 (注)2000年は郵政研究所推計。 (資料)郵政省電気通信審議会『高度情報通信社会の構築に向けた高度情報通信高度化目 標及び推進方策』より抜粋。 第2章 グローバルな情報通信市場  国境が存在しないと言われる情報通信において、近年では太平洋地域、アジアにおいて自由化に向けた枠組みづくりが展開されている事 は、先に電子商取引を例に述べたところである。このようにグローバルに展開し、また予測できないほどの多様性、可能性を持った情報 通信社会がどのように構築されていくのか、国際社会のこの動向が今後の我が国の政策にどのように影響与えるものなのかを押さえてお く。 第1節 巨大な情報通信市場、アジア  我が国が情報通信に関して他国から遅れをとっている言われるなか、現段階では欧米の情報通信市場は成熟期を迎えていると言われてい る。そこで今、注目を集めているのがアジアの市場である。まだ具体的な情報通信政策は打ち出されていないが、仮に中国において情報 通信政策が打ち出されたとしたらそのマーケットはかなり大規模なものになるであろう。その他のアジア諸国においても情報通信に関し てはまだ発展途上の段階にあり、加えて最近までのアジアは世界各国から高い評価を受け、実際にアセアンセンターの国民総生産に関す る統計データによると(図表2-1-1)アセアン諸国は順調に数字の上では伸びを示しており、また、平成8年度版日本輸出入銀行の年次 報告によるアジアの経済状況報告にも、アジア地域の成長率(実質GDP成長率)は世界の発展途上国の平均成長率を大きく上回る水準を 達成したとある。しかし『情報サービス産業白書1998』によると各国の情報サービス産業において、1996年以降は1995年のような生産 高伸び率が50%を越えるような高成長の国は見られないという。1990年代に入り東西冷戦の終結とともに市場の開放が進んで高い成長 を維持してきたアジア市場であるが、1996年以降はその成長にかげりが見えてきているというのである。さらに1997年7月にタイ政府は バーツの実質的切り下げを行い、それを期にアジア各国で通貨価値の下落が続いて金融不安が起きているのも事実である。だからといっ て全てのアジアの国が低迷しているのではない。一方では30〜40%といった高い成長を維持している国も存在しているのである。(図表 2-1-2)インドの生産高の対前年比49,3%増は、電子工業省のソフトウエアテクノロジーパーク(STP)構想(注1)の政策的な効果が衰 えずに持続したためと見られ、またシンガポールでも生産で対前年比38,6%増の成長を遂げたが、これも1992年に発表された国家情報化 政策「IT2000構想」が有効に働いている現れである。このような情報通信を取りまく環境の変化が今後どのような影響を与えていくこと になるのだろうか。おそらく1997年の通貨下落とそれに起因する景気低迷の影響は情報サービス産業市場の成長の減速の原因となりうる ことは否定できないところである。しかし市場の規模や政策に見られる国の姿勢という側面から見ると、成熟期に至ってしまった欧米の 情報通信が進出して発展していくのはアジアであると考えられる。先進国の発展途上国に対するケア、及び発展途上国の自助努力が今後 の重要事項である。 アジアにおける情報通信政策の動向  アジア、とりわけアセアン諸国の中のシンガポールとマレーシアでは情報通信ハブ基地か政策として次の図表に示される通り、具体的な 構想・政策が策定されている。(図表2-1-3)アジア各国における情報通信関係の動きは国策レベルまで活発になっており、情報通信の マーケットとしては人口、および政策から見られる国側の姿勢としても十分に巨大なものになり得るものである。実際に基本的なインフ ラ整備に関しては我が国よりも進んだ分野を持った国々がある。電話という基本インフラの光化率は台湾や香港、シンガポールの方が進 んでいるのである。(図表2-1-4)それに加えて先に例に挙げたシンガポール、マレーシアのように情報通信ハブ基地化政策を打ち出し ているということがその可能性を示しているといえる。違う見方をすれば、国際社会において情報通信の分野でリーダーシップをとって いこうとする我が国と相対するものであり、単純に情報通信の市場であるという認識だけでなく、ある意味ライバル国であるこのような 国々の情報通信政策にも注目していきながら、我が国の情報通信高度化政策を推進させていかなければならない。 第2節 情報通信自由化の潮流  グローバル化が叫ばれる情報通信では、各分野が自由化の潮流の中にある。情報通信事業者間では、世界規模で国境という枠組みを越え た連携や競争が活発化してきている。国内外、各情報通信メディアがシームレスに接続することを目指し、国際的な共同プロジェクトが 我が国でも実験的に展開されている。具体的には郵政省が行っている「アジア・太平洋地域における高速衛星通信共同実験APII(アジア ・太平洋情報通信基盤)整備の促進」「アジア・ヨーロッパなどとの情報通信技術の国際共同実験(GII:Global Information Infras tructureの構築に向けた情報通信国際共同研究施設の整備)」などがあげられる。このGIIのような国際社会を構築するには各国の自由 化は不可欠なものなのである。これに関しては既にWTOやOECDにおいて自由化交渉が行われてきている。例えば1997年のWTO基本電気通 信交渉においては電話サービスなどの基本電気通信サービスの世界的な自由化と競争の導入の推進、料金の低廉化、サービスの多様化を 図るものであり、またOECDにおいては多数国間投資協定(MAI:Multilateral Agreement on Investment)交渉が行われている。  具体的に1997年2月に妥結されたWTOの電気通信サービス自由化交渉の内容は以下の4項目である(詳細は図表2−2−1参照)。 ○ 外資規制の緩和 ○ 国際通信市場へのアクセスの保証 ○ 衛星サービス市場へのアクセスの保証 ○ 競争促進的な規制原則の確認及び保証  合意された4項目に関する詳細は割愛して、この交渉の合意が電気通信市場にどのような影響を持つものなのか、情報通信総合研究所の 「Infocom NL」の記事を基にその意義について述べていくことにする。この交渉に参加したのはWTO加盟130カ国中69カ国の参加で世界の 電気通信収入の90%をカバーできる規模であり、当初は1996年の4月末が交渉期限であったのだが、最終段階で米国が先進諸国の自由化 提案内容の不十分などを理由に交渉妥結を拒否したのである。しかしこれまで積み上げてきた交渉が白紙に戻ってしまうことを避けるた めに、交渉期限を1997年の2月まで延長してきたのである。米国の妥結拒否で困難な状況下にあった交渉がどのような経緯を経て合意へ 踏み切られたのだろうか。大きな理由は2つある。一つは今回の交渉が決裂に終われば次回の交渉は2000年以降になってしまう。先述し たとおり技術革新のスピードが極めて速い通信分野においては、このような遅れは許されないという共通の認識があったということであ る。もう一つは、発展途上国が市場を閉鎖し続けることよりも、市場を開放して電気通信拡充のための外国からの投資を受け入れた方が 有益性が大きいということを理解し始めたことにあるという。交渉の最終段階は外資規制に問題が絞られ、米国はカナダ、メキシコ、韓 国、日本から一層の譲歩を引き出さない限りいかなる合意からも撤退するという強い姿勢を見せ、当初の期限には間に合わなかったので ある。最終的には日本以外の3国が譲歩したこと、1996年4月からの間に大幅な前進があったこと、米国が単独で交渉する以上にWTOの交 渉によって大きな成果が上げられたことを米国が認めて合意に踏み切ったのである。交渉の合意により電気通信市場の開放が明確なルー ルの下で進められることとなるであろう。明確なルールができればそれだけ透明性などの確保が容易になり、また国内事業者の海外市場 への進出、外国事業者の国内市場への参入が進みやすくなる。その動きが加速すれば各自業者間の相互の提携や出資、合併、買収などの 動きも活発に見られるようになるであろう。総じて言えば国内・外を問わず通信分野の企業が参入することによって競争が激化し、通信 料金、通信機器の価格が下がるだけでなく使い勝手の良い品質の保証されたサービスなどが増え、それによってユーザーの選択の幅が大 きく拡大することとなるのである。発展途上国においては、通信システムのインフラ整備や、その他の整備に対して外国資本の投資が促 進され、関連設備の近代化が急速に進むことが考えられる。また、外国資本が国内に導入されるということになれば、これまでの国営電 気通信企業の民営化、そして競争企業の参入を認めることで競争原理が働き、発展途上国内の通信市場は劇的に変化を遂げていくことが 予想できるところである。加えて、EUでは1998年1月1日に基本電気通信市場が完全自由化された。これによって、国際、国内、移動体 通信といった通信業務間の垣根が撤廃され、年間約2,000ドルという米国に匹敵する単一市場が誕生したのである。これは93年に欧州委 員会が「市場統合における通信の自由化はEUの情報化の推進にとって不可欠」との認識に基づいて決定された自由化であり、加盟国に複 数の事業者免許、国内法制度の整備、監督機関の設置などを促してきたのである。なお、自由化された市場に参入する通信事業者に対し てはユニバーサルサービス(公共サービス)の提供の保証を求めて、欧州委員会は地域間格差の是正に対しても考慮している。 (注1) STP(Software Technology Parks)構想 インドの電子工業省が打ち上げた、ソフトウエア輸出促進のための計画。これは100%国内のコンピュータとそれに関わるサービスの輸出促進に主眼をおいた計画。 (図表2-1-1)国民総生産総額(名目)               100万米ドル 国名 1989 1990 1991 1992 インドネシア ラオス マレーシア ミャンマー フィリピン シンガポール タイ ベトナム 89,888 729 35,693 *18,548 41,956 30,656 71,329 100,924 866 40,949 *23,978 44,071 37,686 84,573 111,035 1,028 44,638 *29,682 45,657 43,603 97,288 121,896 1,179 54,871 *40,829 53,888 50,604 109,083 日本 2,892,476 2,952,338 3,373,818 3,690,588 国名 1993 1994 1995 1996 インドネシア ラオス マレーシア ミャンマー フィリピン シンガポール タイ ベトナム 151,992 1,328 60,133 *58,452 55,321 57,845 122,248 170,280 1,543 67,163 *79,124 65,730 70,866 139,920 192,474 1,764 *83,092 *108,110 76,180 85,711 163,400 17,634 216,282 1,857 *93,545 *109,876 86,913 94,874 184,718 日本 4,229,793 4,629,459 5,129,553 (注)アセアンセンターにて各国通貨を米ドルに換算。為替レート=IFS(IMF)         期中平均。  (資料)アセアンセンター基礎経済データ (図表2-1-2)アジア・オセアニア地域主要国における情報サービス産業(1996年)   (単位:百万USドル)      日本 オーストラリア 韓国 台湾 中国 生産 61,503 3,676 4,305 1,900 486 伸び率(%) 6.8 15.9 29.9 43.9 27.8 輸出 52 993 10 154 NA 伸び率(%) 23.8 29.8 -52.3 40 NA 輸出比率(%) 0.08 27 0.2 8 NA 国内市場 67,494 4,392 5,131 2,168 2,285 伸び率(%) 9.3 14.4 40.9 33.6 47.0 輸入 3,617 1,709 836 422 NA 伸び率(%) -13.3 19.1 138.8 2.4 NA 輸入比率(%) 5.4 40 16 24 NA ニュージーランド マレーシア シンガポール インド タイ 生産 848 205 1,564 1,821 214 伸び率(%) 20.2 19.8 38.6 49.3 12 輸出 82 37 455 1,120 NA 伸び率(%) 20.5 8.8 NA 52.5 NA 輸出比率(%) 10 18 29 62 NA 国内市場 778 608 954 1,046 471 伸び率(%) -15.2 -24.9 35.8 70.3 25.9 輸入 12 447 155 345 NA 伸び率(%) -95.2 -33.5 NA 126.9 NA 輸入比率(%) 2 74 16 33 NA (注)シンガポールの輸出入増加率は1995年データが欠落のためNA。1996年期中平均       レート108.79円    日本の輸出入データは「ソフトウエア輸出入統計調査(1997.10)」 (資料)情報サービス産業白書1998 (図表2-1-3)アジア各国における通信インフラの高度化目標 シンガポール [IT2000構想]  世界の情報通信ハブの実現を図るため、情報技術(IT: Information Technology)を活用してシンガポールをインテリジェントアイラ ンドとするための構想を1991年8月に発表。 [シンガポール・ワン計画]  [IT2000構想]の実現に向け、情報通信インフラ整備や国内外の情報通信関連企業に対する税制優遇措置などの施策を包括的に推進するた めの計画を1996年6月に発表。その中でも第一段階(1996〜2001)として1997年までに遠隔教育、電子図書館、高速インターネット、電 子商取引の各サービスを家庭向けに提供(当初100世帯、1997年までには5000世帯に対して試行提供)するとともに、公共サービスを提 供する。電子キオスクを公共スペースに設置。などを挙げている。さらに第二段階(1999〜2004)として情報通信インフラの増強にあわ せ、より多くのアプリケーションの提供を開始、民間主導による各種サービス提供体制へ移行するとしている。 マレーシア [マルチメディア・スーパー・コリドー計画] 「ビジョン2020」(2020年までにマレイシアを先進国入りさせるという国家ビジョン)の達成に向けて、産業構造を製造業からサービス業 や知識集約産業中心へシフトさせるため、クアラルンプール市内の建設中のシティセンター、同市郊外に建設中のプトラジャヤ新行政府、 新空港を結ぶ地域に世界規模のマルチメディア企業を誘致し、ビジネスや研究開発の拠点化を図る計画で、1995年8月に発表。  具体的施策としては以下の通りである @ 情報通信インフラの整備    マルチメディア・スーパー・コリドー全域に10Gbps級の光ネットワークを敷設       する A アプリケーションの開発    2000年までに電子行政、遠隔医療、遠隔教育、マルチメディアサービス、ファ       イナンシャルヘブン、多目的スマートカード、スマートスクールの8分野のアプリ      ケーションを開発、当初はマルチメディア・スーパー・コリドー内で実験的に導入    し、最終的には全国への普及を図る。 B 情報通信関連企業に対する優遇措置    認定を受けた情報通信関連企業に対し、税制優遇、外国人労働者の雇用規制緩和な    どの措置を講じる。 C 「サイバー法」の制定   デジタル書名、著作権、コンピュータ犯罪防止、遠隔医療に関する法案を近く制定す    る見込み。 (資料) 郵政省電気通信審議会より抜粋 (図表2-1-4)基本インフラの整備状況 回線数/100人 普及率(1995年) デジタル化率1994年(%) 電話回線(a) 移動電話(b) 電話アクセス(a+b) 日本 48.7 8.2 56.9 72.0 韓国 41.5 3.7 45.1 62.0 台湾 43.4 3.6 47.0 84.0 香港 52.8 12.3 65.1 100.0 シンガポール 46.9 9.8 56.6 100.0 タイ 5.9 1.9 7.7 83.0 マレーシア 16.6 4.3 20.9 93.0 インドネシア 1.7 0.1 1.8 77.0 フィリピン 2.1 0.7 2.8 64.0 中国 3.4 0.3 3.7 38.0 米国 62.7 12.8 75.6 69.0 (資料)さくら総合研究所資料より作成 (図表2-2-1) 各国が提出した外資規制の緩和に関する約束表 日本 : NTT、KDD(20%)を除き、外資制限を撤廃。NTT株の3分の1政府保 有は継続 米国 : 無線局に対する外国通信事業者の直接投資の制限(20%)を維持 英国 : BTについて、政府が定款の変更権などを行使するための黄金株制度を存 続 仏国 : 無線局に対する外国通信事業者の直接投資(20%)を維持。FTについて、 政府による過半数の株式保有義務を維持。 独国 : DTについて、政府による3分の2以上の株式の2000年までの保有義務 を維持 イタリア : Stetの外資規制をのぞき自由化 カナダ : 外資規制(直接投資20%、間接投資を含めて46%)を維持。国際通信は 98年10月、固定衛星通信は2000年まで自由化せず。 メキシコ : 外資規制(46%)を維持 豪州 : テルストラは11%、ボーダフォンは49%の外資規制の維持 韓国 : 33%の外資規制を維持、2001年からは49%。KTは20%の外資規制を維 持、2001年からは33%。国際単純再販は99年から外資規制49%で自由 化 香港 : 地域通信は4社のみ、追加免許は98年に検討 シンガポール: 2000年まで自由化せず、49%の直接投資(間接投資を含めて73%)の 外資規制は維持 タイ : 地域通信のみ自由化、20%の外資規制は維持 フィリピン : 40%の外資規制を維持、再販(国際単純再販を含む)は自由化せず インドネシア: 自由化は約束せず、外国企業は合併により参入可能(35%の外資規制) マレーシア : 自由化は約束せず、既存事業者の株式は取得可能(30%の外資規制) (資料)Infocomアイから抜粋 第3章 通信ビッグバンに向けて  この章では我が国の情報通信が欧米諸外国から遅れをとってしまった原因と、規制の緩和措置などによって起きる通信ビッグバンと呼ば れる情報通信業界の改革を参照し、これまでの我が国の情報通信の流れと今後について見ていくことにする。 第1章 競争と規制(米国、英国の事例)  「マルチメディア産業」、「情報通信産業」、「電気通信産業」などと様々な呼称や枠組みがあるが、総じて情報通信産業発展の原動力 の最たるものは技術革新、技術の変化であることは言うまでもない。各種の情報分野がボーダレスに技術的に進歩を遂げていくというこ とは、各種情報分野間の枠組みを変えていかなければならないことを意味する。情報産業における技術の進歩は各国において規制緩和へ 向けての圧力を創出しているのである。しかし、この「規制緩和」というものは規制の撤廃ではなく規制枠組みの改変というべきもので ある。なぜなら同じ技術の進歩が各国で相似した市場を形成していないという現象は、市場内にいる事業者の位置づけと政府による諸規 制が、技術の進歩と事業者間に何らかの影響を与えているからであり、それによって各国の市場のオリジナリティが生み出されるからで ある。換言すれば、競争と規制の在り方によって各国の市場の活力の差異が表出してくるのである。本節では規制と、国内市場の状況が 違った米国と英国の政府が、その異なる電気通信事業に関しての制度的枠組みの中でどのように規制緩和に向かっていったかについて検 証し、次節の我が国の規制緩和との比較材料としていくこととする。 米国の事例  米国の場合モデルとなるのはAT&T(American Telephone and Telegraph Company)である。この企業を例に米国における通信産業の変 遷を見ていくことにする。まず、米国の通信産業の規制枠組みの大きな特徴は、規制主体の多様性とそれら相互の独立性にある。米国で は通信産業に議会、議会内の通信委員会、連邦通信委員会(FCC)、商務省内の電気通信情報庁、各州の公益事業委員会、司法省、ホワイ トハウスが関与している。そしてそれぞれが通信産業に対して異なる観点を持っている。FCCは規制分野、非規制分野に不当な経済活動が 起こらないように監督し、司法省は反トラスト法の精神に基づいて独占企業による弊害を見張る役割を持っている。その一方で各州の公 益事業委員会は一般消費者の観点から通信産業に介入し、議会は消費者保護、関連産業からのアクセスポイントとしての役割を果たして いる。ホワイトハウスは法案に対する拒否権、FCC及び司法省などとの交渉は可能であるが、後述するイギリスほどイニシアティブは持っ ていない。次に規制の対象に目を向けてみる。米国では従来から電気通信事業は民間に担われてきた。すなわち規制分野の事業でも市場の メカニズムが資金市場を通じて働いていたということであり、この点において日本、欧州と異なる。米国では、法制度的には電気通信産業 は独占されてはいなかったので各時代に新規参入を希望する事業者がおり、規制は公益の保護と市場での競争を公正なものにすることに主 眼をおいて展開されていたのである。従って市場の中から生じてきた要求が既存の規制と衝突するごとに、先に述べた規制当局がその対応 策として様々な規制を改定していったのである。また、被規制者側からの観点でいうと、規制を受けている事業者などが競争条件及びその 規制自体に対して不服申し立てができ、しかもその手続きもはっきりとしているという現状である。制度の面でもアクセスポイントが多く、 新規に参入した事業者だからといって行政との立場の面で不利な状況に陥ることが少ないシステムになっている。具体的に米国内企業と規 制の関係を見ていくとする。まず、民間企業ではあったが米国においても他の国同様に単一の企業が国内通信市場を独占し、「通信産業は 自然独占である。」「通信ネットワークは単一不可分のものとして一体的に運営されることが望ましい。」という合意があった。米国内で この通信市場を事実上独占していたのがAT&Tである。このAT&Tは1982年の司法省の修正同意判決により転機を迎える。一般的にこの同意は 単純にAT&Tの分割として知られているが、その内容は電気通信と情報処理の分野における規制分野と非規制分野との境界線を改めたもので ある。この同意判決によって、非規制分野での通信市場での競争がより公平に行われるようになり、またAT&Tにとっても規制分野の事業部 門を切り離すことで身軽になり、より将来性のある非規制分野での事業活動の展開が可能になる自由を得ることとなったのである。このAT &Tの分割において注目すべきは、政府の電気通信政策として計画されて行われたものではないという点である。より公正な競争市場の形成 を目指した司法省が、反トラストの精神に乗っ取って作成した分割へのシナリオであって、決してFCCが望んで進められた動きではないので ある。電気通信産業・通信関係機器製造業の競争力、また、これらの産業部門の雇用という国益を無視した判決であるという批判も強くあっ たのは事実なのだが、結果的に司法省が出した「より公正な競争」という国益の定義が通ったものになった。以上のような米国内の電気通信 市場における規制と競争の動向の特徴は、規制当局と市場の動きから「市場主導・行政後追い型」(注1)と表現される。 英国の事例  次にイギリスの事例をBT(British Telecom)を例に述べていくことにする。上述した米国の電気通信産業と規制の在り方の観点から、英国 の動向をの一言で表現するならば「政党主導・行政改革型」(注2)と言えるものである。米国と英国は類似の資本主義システムだと思い やすいのだが、規制の枠組み、電気通信市場の発展形態を見る限りで、そのルールの明確さ、規制プロセスの透明性確保の面では共通性が 見られるが、全体的に差異は大きく見られるものである。米国は市場の要請が既存の規制と衝突するたびごとに規制当局が打開策として様 々な規制の緩和などを行ってきた。しかし英国は行政機構自体が政策の転換とともに変容し、また政府に行政機構の変更を行えるだけの政 治力がある点で米国の例とは性格が異なるものである。英国の電気通信市場は1969年に英国郵便・電気通信公社ができるまでは、郵便・電 信・電話事業は政府の直営であった。政府の直営事業であるということは中央集権的な色彩が色濃い組織になってしまい、技術革新の速い 電気通信産業において対応が遅れがちになったり、それゆえに設備投資が遅れ、サービスの低下にもつながった。このように電気通信産業 に市場の原理が機能していない状況の中、1979年にサッチャー保守党政権が誕生した。サッチャーは英国の政治制度の枠組みを活用して、 電気通信行政に関してはそれに関わる権限を産業省に吸収し、省内に情報技術担当大臣というポストを設けて自由化へ向けての政策立案を 担当させた。そして1981年の電気通信法によって郵便・電気通信を分離し、新しく英国電気通信公社(BT : British Telecom)が設立さ れたのである。政権は産業省を中心に自由化を段階的に実施し、政府の舵取りによって市場内事業者を増やして競争市場を形成、その結果 として英国内外の電気通信市場で英国の立場を強化することにその目的をおいていたと言える。このような「政党主導・行政改革型」と呼 ばれるような規制の動向は、英国の二大政党制、党内の多数支持を持つものが首相となる政治制度の特徴であるといえる。この政治制度が、 政党が明確に政策の転換を打ち出しやすくしているのである。 第2節 我が国の情報通信の変遷  前節では米国、英国において国内市場独占状態にあった国内企業がどのような施策、規制の過程を経て現在のような経営形態に変化してい ったかについて追っていったが、本節ではそれに対して我が国の電気通信市場を独占していたNTT(日本電信電話株式会社)について触れ、 我が国における情報通信の変遷を考察していくことにする。我が国の電信電話事業は1869年(明治2年)の創業以来、1985年(昭和60年) 3月まで終始一貫して独占事業として国営により経営されてきた。大まかな流れとしては1952年(昭和27年)に日本電信電話公社法案、同 法施行法案、国際電信電話株式会社法案を閣議決定し、同年8月1日に日本電信電話公社(電電公社)が発足した。この電電公社は旺盛な電 話需要の伸びに、技術開発、人員増員などの形で対応していった。しかし、その後の電話需要の伸びは頭打ちになり、電電公社自体の経営 体質の改善が機械化・省力化などによる人員削減という形で望まれるようになった。これに対しての公社はいわゆる「親方日の丸」に安住 するような姿勢をとり続けたために、電電公社の改革案が浮上してくるようになる。その結果が臨時行政調査会(以下臨調と省略)の答申 である。この最終答申は1983年(昭和58年)に出されたのだが、その内容は以下の通りである。 (1) 公社を5年以内に基幹回線部分を運営する中央会社と地域の電話サービスなどを運営する複数の地方会社に再編成することとし、当 面、政府が100%株式を保有する特殊会社へ移行する。 (2) 再編成は、特殊会社から地方会社を分離・独立させ、特殊会社は中央会社になることにより行う。中央会社は地方会社の株式を公開 し、地方会社の完全独立を図る。 (3) 中央会社の株式は市場の状況などを勘案しつつ、逐次公開し、民営化を図る。 (4) 基幹回線部分における有効競争を確保するため、当該分野への新規参入を一定の条件を満たせば認める。 (5) 合理化推進のため、特殊会社である間でも業務範囲の拡大は大幅に認め、弾力的投資活動を行わせる。 (6) 労働関係は労働三法による。争議行為については、公益事業として労働関係調整法の適用を受ける。 というものである。  答申の内容にある「複数の地方会社に再編成」という表現をめぐる議論が浅く、多くの人は再編成の内容が単純に保守・点検などの業務を 主とするサービス会社のように受け止めており、それがその後の分割・民営化論議を複雑なものにしたのである。このような臨調答申を受 けて郵政省は関連法案の作成に取りかかり、1984年(昭和59年)に日本電信電話株式会社法(以下NTT法)案、電気通信事業法案(事業法) 、関係法律整備法案(電電三法)の国会提出を行い12月に可決・成立した。こうして1985年(昭和60年)、日本電信電話株式会社(NTT) は発足した。資本金7800億円、総資産10兆7255億円、従業員31万8000人、年間売上高4兆500億円、経常利益3840億円という日本最大級の 株式会社が誕生したのであった。しかし臨調答申の内容とは異なり、NTT法の付則第二条において5年以内に会社のあり方について検討し必 要な措置を講ずることとし、分割はせずに全国一社体制で会社をスタートさせるという妥協措置に収まってしまった。臨調答申作成時に「 複数の地方会社に再編成」の内容についての詰めが甘かった結果起こったことである。この年に同時に施行された電気通信事業法に基づいて 同年6月には第一種事業者として第二電電、日本テレコム、日本高速通信の地上系3社と、日本通信衛星、宇宙通信の衛星系2社に対して郵 政省から許可がおり、我が国電気通信市場で初めて新規事業者の参入による競争が実現し、以降、長距離通信分野においては競争市場が形成 され激しい競争が展開されていくこととなる。「通信の自由化元年」とも言うべき年であった。しかし一方でNTTに関しては臨調答申に打ち 出された長距離(中央)と地域(地方)の「分離」も地域の複数会社への「分割」も行わないまま、問題先送りの形でスタートを切ったわけ である。その後1990年(平成2年)NTTの見直し論議が起った。郵政省「NTTの在り方に関する特別部会」で審議の結果、答申では電気通信市 場の問題点として以下の2点があげられた。一つはNTTの規模の大きさ、独占性であり、さらにシェアの大きさも加えられるであろう。それ によって国内の経済社会全体に多大な影響力を保持しており、NTT自体の経営の効率化が図られなければ新規事業者の効率化も遅々として進 展しない状況に陥る。つまりはその非効率的な市場の不利益は、一般国民というユーザーに回ってくるのである。もう一つは、その特徴的な 電気通信市場の市場構造にあるという。国内をカバーするのに必要な巨大な通信基盤網の構築は新規の事業者には極めて困難なものであり、 新規の事業者がサービスを提供しようとする場合にはNTTが保有する通信網を借りる形で行わなければならない。これをボトルネック独占と いうが、この市場の基盤となるべき部分での独占状態があるがゆえに、我が国の電気通信市場はNTTと新規参入事業者との間の競争条件が構 造上対等なものとは言えない状態にあったのである。  それらを考慮した上で講じるべき措置として以下の5点が提言された。すなわち、 (1) 長距離通信業務を市内通信部門から完全分離した上で1995年を目途に完全民営化する。 (2) 市内通信会社の在り方は、当面一社とする。 (3) 移動体通信業務をNTTから一両年内に分離した上で、完全民営化する。 (4) 業務分離の円滑な実施などのための所要の措置を講ずる。 (5) 以上の措置は、株主、債権者の権利確保に十分配慮しつつ行う。 というものであった。  臨調答申と違う点は複数の地域会社への再編成が明示されなく、当面は一社体制で運営 を行っていくということが認められた点である。  以上の提案を踏まえつつ決定された「NTT法付則第2条に基づき講ずる措置」は次のようになった。 (1) NTTは長距離通信事業部、地域別事業部制を導入し、収支状況を開示する。 (2) 他の電気通信事業者に配慮し、NTTの市内通信網との接続を円滑に進め、かつ公正有効競争上不可欠な情報の積極的開示を推進する。 (3) 移動体通信は一両年内に分離する。 (4) NTTは合理化案を自主的に作成、公表して実行する。 (5) 以上の措置の結果を踏まえ、NTTの在り方について1995年度(平成7年度)に検討を行い、結論を得る。  結論から言えば、分割問題は再び先送られた形となったわけである。その原因となったのがNTT株の大株主である大蔵省の反対である。当時 低迷していた株価に対応した結論であり、また分割によって株式の財産的価値が減少したり、株主の議決権が損なわれるなどといった「株主 としての権利保護」のためによる反対であった。要するに省益重視の観点から出た行動であることは否定できないであろう。  加えて言うならば、郵政省がNTTに対して、郵政省OBの天下り先となる財団法人の設立に寄付金を要請し、その代わりに分割論を5年引き延 ばしたというのである。(注3)       このような国益ではなく省益優先の施策をしていたのではNTTの経営体質改善が遅々として進まないのは当然のことである。  先に述べたとおり1985年の電気通信制度改革で事業法とNTT法が制定され、これに基づいた規制行政が展開されることとなった。この改革で 電気通信市場における法的独占は解消されて市場は大幅に自由化されることになったわけであるが、市内通信はほぼNTTの自然独占(先述し た電気通信市場が根本的に抱えるボトルネック独占という問題点)であり、長距離系の通信事業に関してはかなりの自由化が進んだと思われ るものの、実質的には電気通信事業自体が政府の監督下にあり、さらに民営化されたとはいえNTTにも完全に自由な企業活動が許可されたわ けではないのである。その経営形態と事業内容はNTT法によって規制され、一般企業のような自由な企業活動はできない。企業目的について もその法律に規定されており、「国内電気通信事業を経営すること」に限定されていた。よって国際業務展開が規制され続けてきたわけであ る。さらにNTTが果たす責務として、電話サービスの「あまねく日本全国における安定的な供給の確保」とされており、このような責務は他 の新規参入事業者には課せられていないものである。また取締役・監査役の選任、定款の変更、利益処分、合併・解散についても政府認可事 項になっており、NTTの経営は監督官庁の影響力が極めて強い状態の中で行われてきて、民営化が行われてはいるが公共的役割を担わされて いることが分かる。以上に述べてきたことをもとに、我が国の情報通信が諸外国から遅れをとってきた理由についてまとめることにする。前 節に述べた米国、英国の電気通信市場はそれぞれの発展過程に差異はあれど、我が国よりは早い時期から市場に競争原理を持ち込むことによ って市場の活性化を図ってきた。その点、我が国の電気通信市場は比較的早くからその問題点に気がついていたのにもかかわらず、省益重視 の政策立案、それによって時間は掛けても全く進まなかったNTTの経営体質の改善、市場の活性化を妨げる規制の存在、そしてスキャンダルな どである。これでは諸外国から遅れをとっても当然と言えるだろう。省庁の利益が国益か、国内産業の発展が国益なのか、天秤に掛けて考え ればどちらが国益であるかは一目瞭然である。前節で例に挙げた国々が政治的利益争い抜きに電気通信市場を活性化させたかどうか、その点に 関する確認はとれなかったが、少なくとも関連分野に対しての危機感が生じた時点で迅速に制度改革などに取り組んでいたと読みとれる。米国 はもともと民間企業としての電気通信事業者がAT&Tという形であり、英国においてはその政治制度の違いゆえに我が国のケースより迅速な対応 ができたのである.1996年2月29日、郵政省の電気通信審議会の「NTTの在り方についての特別部会」は、ようやくNTTの再編成についての答申 をまとめた。その内容は (1) 現行NTTを長距離通信会社と2社の地域通信会社に再編成する。 (2) 長距離通信会社には早期に完全民営化を図る。 (3) 長距離通信会社には、国際通信、CATV、コンテンツ(内容)などの新規事業への参入を可能とするとともに、地域通信分野への参入も認める。 (4) 地域通信会社は、既存営業エリア内おける電話のサービスをあまねく確保するため、特殊会社とするが、地域通信市場における競争の進展状 況に応じて、最終的には完全民営化を目指す。 (5) 地域通信会社には地域間の相互参入を認め、既存営業エリア外での電話、CATV、コンテントその他の業務への参入を可能とする。 (6) 地域通信会社の既存営業エリア内の事業拡大については、独占力が行使されるおそれがあるため、当面、長距離通信(エリア内、エリア発 信)、国際通信、CATV、コンテントなどへの参入は制限される。 というものである。  再編成の目的はこれまで培ってきたNTTの潜在的能力を全面的に有効利用して、自由化を目指した体制、公正有効競争を促進させる体制をとり、 会社自体の業務範囲も可能な限り弾力化させて、我が国の情報通信の発展に会社が持っている経営資源を寄与していこうとするものである。ま た、再編成後の各社が積極的に海外へ事業を展開させ、グローバルな情報通信において国際的なニーズに対応して国際競争力の向上につなげて いこうというものでもある。具体的に再編成会社をめぐる規制緩和として各種規制の緩和策についても触れている。一つは料金設定に関してで あり、これまでは料金に関しては行政にその裁量権があったが、その枠組みを弾力化させて事業者主体の料金設定方法に移行するものである。 もう一つは先に述べたが業務の拡大である。長距離NTTは国際通信、移動体通信、CATV、コンテント事業などの業務を行い得る企業として、メ ディアの枠組みを越えた事業展開の発展が可能になるような答申だと受け止められるものであったが、1996年(平成8年)に郵政省が出したNT Tの再編成についての方針の中ではそれについては明示されておらず、今後注目すべき点だと考えられる。 (注1) 加藤 寛『NTT vs 郵政省』,1996, p.154 (注2) 加藤 寛『NTT vs 郵政省』,1996, p.157 (注3)1996年1月3日付け毎日新聞 第4章 情報通信高度化政策とその課題  これまでは、電気通信、情報通信の歴史、制度的問題点、グローバルな分野であるだけに国際社会における潮流にも触れてきた。本章ではこの ような産業分野の特徴、その分野を取り囲む環境を考慮した上で情報通信高度化政策を掲げる我が国が、情報通信に関してどのような方針のも とに取り組むのか、その結果どのような効果を期待しているのか、それらについてインフラ整備、各種アプリケーションなどの面から考察して いく。 第1節 ネットワークインフラの整備  第1章の第3節でネットワークインフラは大別して3つあると言及した。郵政省は1996年(平成8年)に「高度情報通信社会の構築に向けた高 度情報通信高度化目標及び推進方策」を、1997年(平成9年)には「情報通信21世紀ビジョン」の最終答申を打ち出し、その中でネットワーク インフラの高度化の目標及びその重要性について言及している。まず始めに平成8年に出された高度情報通信社会の構築に向けた高度情報通信 高度化目標及び推進方策の中で言及されている、西暦2000年を目途としたネットワークインフラの高度化目標に注目してみる。(図表4-1-1)  有線系ネットワークインフラは光ファイバを将来的には全国に整備することを目標としており、またこの分野の整備はネットワークの効率化や サービスの多様化を図るためにデジタル化の推進、インターネットの高度化を推進するとある。加入者系を光ファイバによってネットワーク構 築すること、まずこれを人口カバレッジ20%まで引き上げる。そしてそのネットワーク上に後述する各種アプリケーションを乗せて、全国の学 校、図書館、病院、公民館、福祉施設などの公共機関へつなぐという整備を推進していく。また、デジタル化の推進は、郵政省によれば加入者 系の光ファイバ整備とともに有線系ネットワークの高度化、整備を行っていく上で車の両輪とも言うべき課題として極めて重要視している。デ ジタル化が進めばあらゆるデータが効率良く転送や加工ができ、省スペース、省資源、省力化と様々なメリットが生じる。光ファイバとデジタ ル化が幅広い地域で利用可能になるということは、一般ユーザーもこの利点を容易に共用できることにつながるのである。具体例を挙げるなら ば最近良く耳にするようになったISDNサービスであり、さらに2000年までには高速化・高機能化に向けてATM(注1)の導入を促進させて、156 Mbps級の本格的なマルチメディアサービスなどもあげられる。無線系インフラの整備、は光ファイバ網の拡充及び衛星系などとのシームレスな 接続を目指してマルチメディア通信環境の整備を担っていくという姿勢の下で進められている。ワイヤレスの利点であるポータブル性を生かし た広帯域でのISDNとの接続が、今後の情報通信において大きな可能性を持ってくる形態のインフラだと考える。また、インターネットや長距離 電話など電話回線を利用したマルチメディアサービスはこれまでにその回線接続料金をめぐってNTTと新規参入事業者の間で衝突する場面が見ら れた。これは新規参入事業者は最終的にNTTが保有する回線を使用してサービスをユーザーに提供するために起こるものであった。有線系のネッ トワークを新規参入事業者が独自に構築するのは極めて大きな労力と資金を必要とするので不可能に近いものがある。しかし、この無線系ネッ トワークの整備はその問題点の解消に向けてのヒントになると考えられる。無線系の手段を利用した情報通信の形態が確立されれば、回線接続料 をめぐるトラブルは少なくなる、さらに、独立したネットワーク形態として成長することになれば有線系ネットワークのような物理的インフラ 整備が不要になる分、完全になくなることも考えうるだろう。いずれにしても各分野間のシームレスな接続が重要課題であるが、無線系はそのよ うな有益性を含んだネットワーク分野だと考える。また、積極的に通信衛星などを利用する分野であるだけにその利用範囲は広域化・高速化が求 められ、まさにグローバルな情報通信の未来に大きな可能性を持っていると言える。放送系インフラ高度化の中核をなすものはデジタル化である。 現在主流の地上波放送はアナログ方式で放送されているものである。このアナログ放送というものは簡単に言えばテレビカメラで撮影した映像を そのまま電波にして送るというものである。では逆にデジタル放送というものはというと、撮影したものや撮影方法自体をデジタル化することに よって人間には聞こえない音域の音や画像などの無駄な情報を省き、電波を有効活用するものである。このことによって、今までは電波の干渉な どによって制限されていた一地域におけるチャンネル数を一気に増加させることができるのである。これを地上波放送はもとより衛星放送、都市 型CATVにおいて整備していこうとするものである。地上波放送のデジタル化というものは、CATVや衛星放送などに加入していなくても数百チャン ネルも見ることができる新しい放送形態なのである。しかし聞こえは良いが内在する問題点もある。ひとつは新規に専用受信機、送信機を準備し なければならないことである。数百種類の番組が見られるからと言っても実際に見ることができるのは2.3番組程度である。そのために何万円 と出費するユーザーがどれだけいるのだろうか。一見短絡的な意見かも知れないが少数のユーザーのために、言い換えれば利益の上がらない市場 にどれだけの事業者が参入してくるだろうか。情報の高度化政策の名前だけが先走ってしまった結果の決定のようにも思える。この分野が発展す ることによって番組の選択、言い換えれば情報の選択の幅が何倍にも広がるわけであるが、それらのコンテンツを揃える事業者側と関連機器事業 者側がどの程度低廉化を図っていけるか、技術の研究開発を推進させていくべき分野であると考える。また、それらに伴う今後の放送事業者の事 業形態にも注目するところである。 第2節  各種アプリケーションのメリット・デメリット  行政分野  諸外国では、複数の行政機関への申請などの行政手続きを身近な端末を1カ所で操作すればできる「ワンストップサービス」への取り組みを始め ている。これによって国民の利便性の向上が図られるというわけである。例を挙げれば米国である。米国ではWINGS(Web Interactive Network of Government Services)というネットワークを構築して、行政手続きなどを1カ所で、しかも24時間行えるワンストップサービスの実験を199 6年から始め、さらに東南アジア諸国のシンガポールやマレーシアでは既にサービスを提供し始めている。考えられる具体的なサービス内容は、 ・ 申請、届け出などの行政処理サービス ・ 公共施設、民間施設予約サービス ・ 自治体、公共機関の発行物送付申し込みサービス などが挙げられるが、行政関連の申請、届け出などを電子化することによって行うとなると、その情報の発信者が本当に本人なのか、その認証・ 確認手段が厳密で信用できるものにしなくてはならない。いわゆるセキュリティーの問題である。これは行政分野のアプリケーションのみならず 、高度に情報化された社会の根本的な問題であると言える。 労働分野  労働分野で注目されているのはテレワーク、SOHOによる各個人や職場環境に合わせた柔軟性のある労働形態である。現代の多種多様なワークスタ イル、ライフスタイルに合わせた働き方であり、とくに高齢者や障害者、家庭内に子供を持った女性などの地理的に不利が生じるような要因をも つユーザに対して有効なアプリケーションだと考えられる。米国では既にテレワーク人口は1,123万人(注2)に達している状況にある。今後の日 本の労働市場は高齢化ではなく、少子・高齢化が進んでいく。高齢化だけが進むのではなく、若年層の労働者人口も減少していく傾向にある。雇 用機会の拡大などの効果が予想できるため、その状況に対応するためにアプリケーションの開発の必要性が叫ばれている。 医療・福祉分野  高齢者の増加ということを背景に高齢者などへの医療、福祉サービスの充実が求められてきている。各病院と各家庭が情報通信のネットワークで 結ばれれば、足を運ぶことのできない遠隔地での医療行為が可能になると言うのである。福祉関係では、介護者が被介護者の要望に応えて情報通 信ネットワークを利用して、迅速に対応することが望まれている。特に医療に関してであるが、遠隔医療サービスを行うには超高精度の画像処理 技術の開発が必要になってくる。また、画像などの質がいくら向上したところで実際にその患者を診断したりする医者の質までは変えることがで きない。ある程度までは医療サービスは有効であろうが、あまり複雑な症状を持つ患者に対しては限界があり、従来と変わらない状況が考えられ る。 教育分野  郵政省の提案では、生活環境や時間的制約などから集合型の学習・教育を受けることが難しい環境にいる遠隔地居住者や高齢者・障害者などの生 涯教育を推進するため、2005年までに自宅に居ながらにして学習機会の提供を受けることができるシステム(ホームエデュケイションシステム) を実現するというものがある。また、最近では大学の授業をインターネットなどを利用して行うというように教育の世界にインターネットが活用 されるようになってきている。その教育にインターネットを取り込む動きは小・中学校にまでと低年齢化してきており、また、パソコンやインタ ーネットを利用して遊び感覚で学習できるいわゆるエデュテイメント(エデュケイション&エンターテイメント)が注目されている。現在、2001 年までに中学校、2003年までに小学校と、すべての公立学校をインターネットで接続するという計画がある。そのメリットは教育に関する情報資 源の豊富さ、地域間の格差を視野に入れないでオンデマンド式に質問・回答ができ、自由な発想を元に教育を提供できるという点である。問題は 生徒に対して有害なコンテントを遮断すること、無数にある情報資源の中からいかにして真に必要な情報を取り出すことができるかであろう。 産業分野  情報化に関しては特に行政サービスの情報化に注目が集まっているようであるが、他の産業領域に与える影響力も大きい。道路・交通・車両分野 においては、ITS(Intelligent Transport Systems :高度道路交通システム)を用いてナビゲーションシステムの高度化、料金自動収受シス テムの普及と道路交通の効率化を図り、交通事故や渋滞などの交通問題解消のために寄与させようとする動きがある。注目すべきは金融分野であ る。経済社会活動における支払い手段などの金融活動の多様化・効率化などへの一層の取り組みが期待されており、国民生活・企業活動などでの 電子マネーの本格的な実用化に向けての動きが展開されている。この分野は電子商取引としてグローバルな市場を形成しつつある。我が国でも郵 政省の高度情報通信社会推進に向けた基本方針のなかで、電子商取引などの推進のための環境整備に関した提案の中で、先ほど挙げた電子認証、 プライバシー保護、セキュリティ、電子決済・電子マネーなどと詳細についてまで触れており、国の施策としての重点が置かれているように読み とれる。電子商取引が発達すると、現在より経済取引活動が複雑化、国際化して取引の実体を正確に捉えて管理することが極めて重要な事項とな ってくる。グローバルスタンダードの確立に慎重さが求められるであろう。現在、各国政府は電子商取引の普及振興に向けて国際的な協調を図り つつ、それらに対応した自国の法整備に取り組んでいるところである。電子商取引は国境を越えたグローバルな取引を加速させるため、物理的な インフラ整備とは異なり、各国における法制度の違いを調和させて国際社会共通のルール、基盤の作成を急がなければならない。電子商取引のユ ーザーの視点からはどのようにこの分野の整備がとらえられているのかという点については、実際に電子商取引実証推進協議会(ECOM)によって 行われた「電子商取引に関するアンケート調査集計結果」(注3)を参考にする。このアンケート調査で、ユーザーが考える電子商取引の利点・ 長所は男女とも「自宅にいながら購入できる」「いつでも購入できる」が多数を占めており、続いて「海外などの遠隔地から購入可」がある。一 方でユーザーが感じる不安・短所については「自己データの漏洩」「代金の誤請求」「商品確認ができない」といったことである。ユーザーが感 じる短所がそのまま電子商取引、ひいては高度に情報化された社会に内在する問題点であると言える。これらの他にも様々なアプリケーションが 高度に情報化された社会の上にのることになるであろう。それは本稿の中ではすべてに関して触れることができないほどにその量は膨大であり、 さらにそれ以外の可能性も大いに含んでいる。本節では現時点で注目を浴びている分野に絞って各アプリケーションのメリット・デメリットにつ いて述べてきたが、それらが抱える問題点によって、その問題点の底辺にある問題が存在することが分かる。それが情報ネットワークに載せるコ ンテンツであり、また、認証・プライバシーの保護、つまりセキュリティー問題である。どの分野において情報の高度化を図っていく過程におい てもその問題はつきまとってくるであろう。それらを解決に導くシステムの研究開発が急がれるべきである。 第3節 情報リテラシー、研究開発・技術面の環境整備  本稿の第1章第3節及び、本章の第1節でネットワークインフラとは有線系、無線系、放送系の3つに大別されるものとした。しかし筆者は本節 で述べる情報リテラシーなどのユーザー側のケアが、高度情報化社会を構築していく上でもっとも基盤になるものであると考える。ネットワーク が細かく整備され、各分野のネットワークがシームレスに接続が可能になったからといって、その情報を有効に取り入れることができなければ全 く意味がない。利用できる人が少数であったり限られた者だけがその情報の利益を享受できるようなものであったとするならば、それは高度に情 報化された社会とは言えない。一般国民が自由にその社会において情報を利用できるようになってはじめて高度情報化社会が構築されたと言うべ きである。その視点から考えてみると、情報リテラシーは極めて重要である。簡単に言えばインターネット及び様々なネットワーク上に流れてい る情報をどのような手段によって自分の手元に持ってくるかである。ネット上に情報があってもパソコンが使えなかったり、ソフトウエアが利便 性に欠けていたり、情報入手に高額な機器などを購入しなければいけなかったりと、考え得る問題は数多くある。前節で教育にインターネットな どを利用するエデュテイメントを紹介したが、その中ではインターネットなどを利用して授業する側の教師の情報リテラシーが問題になる。さら に高齢者には現在一般に流通しているコンピュータは使いづらいという話もある。近年の、情報科目を学校の授業に取り入れたりするという措置 のおかげで若年層のパソコンへの距離は比較的縮まってきているようであるが、高齢者などにはそういうわけにもいかないようである。いかにし て効率の良いネットワークを構築していくか、それをどのような分野でどのような形でシステム化していくかといった研究・開発ももちろん必要 だが、利用者側の利便性を考慮に入れた柔軟な研究・開発がなされなければならない。日本が遅れをとっていると言われる情報通信分野であるが、 研究・開発の側面では決して遅れをとっているわけではない。例えば現在インターネットで主流のWWW(World wide web)に先行してGopherが主 流であったが、これが世界で標準化される以前に日本人がこのシステムに非常に類似したものを構築していたのである。しかしそれが世界に認め られるまでは至らなかった。幅広い研究機関などがあり、研究環境は優れている、と日本は言われている。しかしこのような世界に先駆けた画期 的なアイデアがなぜ普及に至らないのか。それは大学や研究機関と企業との間でのコラボレーションが少ないからである。流行に乗っていないア イデアはそれだけを理由に切り捨てられる。「興味深いアイデアだからやってみよう」というベンチャー的要素に乏しいのである。これは日本の 企業の特色と言って片づけてはいけないことである。今後グローバルな市場で競争して行くには保守的なままでは従来通り世界各国からおいて行 かれるだけである。独自のアイデアを世界に提案してはじめて国際舞台でリーダーシップをとれるのである。例えば高齢者問題であるが、これは 日本においてその傾向が顕著であるだけであって世界的にもこの傾向はあると言う。この問題に対して我が国が、我が国の企業、研究機関が世界 に先んじてどのようなアイデアを出すか、他国と比較して高齢化が進んでいる我が国だからこそ提案できる柔軟なアイデアを大切にすれば、世界 においてリーダーシップをとっていける可能性は多分にあると考えられる。この章を総じて言えば、これまで述べてきた各種のネットワークイン フラ、アプリケーションの拡充、情報産業の研究開発、情報リテラシー面での教育などはすべて情報通信21世紀ビジョンのなかの「トータルデジ タルネットワーク」という言葉一つで表すことができる。高度情報通信社会、高度情報通信の高度化政策はつまるところこのトータルデジタルネ ットワークを全国に拡大させ、グローバルな市場において日本がリーダーシップをとっていこうとする姿勢なのである。前章でも述べたとおり我 が国の電気通信事業に始まる高度情報産業においてはまだ自由化がされて間もない状況にある。1985年のNTTの発足、電気通信事業法などが制定 されて電気通信市場は自由化されたと謳われたが、事実上は市内通話に関しては自然的独占状態、長距離通話に関しては行政による規制が何らか の形で影響して純粋な競争原理は働かなかった。新規に参入する意志のある事業者があっても行政による参入・退出に関する規制のために自由に ならなかったことに加え、その規制の基準が不透明であるという問題点も抱えていた。電気通信事業に関わらず、その他の放送、情報通信も今後 の情報通信ビッグバンに向けた動きの中でグローバルなマルチメディア市場に飛び出して行くわけである。国内での競争もなかったところからそ のような市場に出て事業を展開して行くには競争基盤となるべき経済的側面、経営ノウハウに乏しいのが我が国情報通信産業の現状であろう。省 益優先国益無視の体制で行った構造改革の結果が現在このような諸外国から遅れをとった形として表出してきているのである。 (注1)ATM技術 ATM(Asynchronous Transfer Mode)非同期転送モードのことで、156Mbps、 622Mbpsと非常に高速にデータを伝送、交換することができるため、今後のネッ トワークのインフラとして期待されている技術である。文字情報だけでなく、音 声、動画像を統一的に扱えるため、マルチメディア用の高速ネットワークとして 位置づけられている。 (注2)米国Link Resources調べによる (注3)回答者プロフィールは有効回答1354名うち男性1122名、女性232名。このア        ンケートはビジネスショウ98TOKYOのECOMブースへの来場者を対象に行っ     た。 (図表4-1-1)ネットワークインフラの2000年高度化目標 ○ 有線系ネットワークインフラ ・ 光ファイバ網の整備  :人口カバレッジ20% ・ デジタル化の推進   :156Mbpsの本格サービス ・ インターネットの高度化:アクセスラインの多様化、高速化 ○ 無線系ネットワークインフラ ・ マルチメディア移動アクセス    :25〜30Mbps(高速無線アクセス)                     156Mbps(超高速無線LAN) ・ マルチメディア対応衛星通信システム:156Mbps ・ 世界共通の陸上移動通信システム(IMT-2000/FPLMTS):2Mbps ・ 静止衛星を用いたパーソナル移動通信システム:300gの端末 ○ 放送ネットワーク ・ 地上デジタル放送         :2000年から2005年までに導入 ・ 衛星放送のデジタル化       :90%以上 ・ 都市型CATV施設のデジタル化   :10〜20% 郵政省資料より作成 第5章 行政としての情報通信高度化政策とその将来  情報通信に関して現状、国際社会における潮流、今日に至るまでの歴史、そして今後の国内情報通信高度化に関しての具体的な利用方法 及び課題について考察し、いかにそれを利用していくのかということを中心に述べてきたわけだが、本章では行政という視点に立ち戻っ て、行政が情報通信の高度化を図ることによって我々国民にどのような世界が開けるようになるのかを考察していく。まず、規制の緩和 について本稿では触れてきたが、規制を悪しき者としてだけ扱うのは非常に短絡的すぎる見方である。大きな意味で、規制というものは なぜ現在の国民社会に存在するのか、日本はなぜ「規制大国」と呼ばれるのか、その疑問点を出発点にしなければならない。その答えは 戦後日本の高度経済成長期に見られる。戦後の日本経済を立ち直らせるには国内基幹産業及び国内産業の保護によって、国の体力を付け なければならなかったからである。戦後の復興、政治・経済の安定のために数多くの規制が設けられたのである。その結果我が国は高度 経済成長の波に乗り、戦後の日本から脱却したと言える。では、なぜ近年盛んに「規制の緩和」が叫ばれるようになってきたのだろうか。 それは各種の規制が時代の変化に対応しなくなってきたからである。戦後の、欧米諸国に追いつこうという時代には規制による国内産業 の保護は有効であり、有効であったために起きた高度経済成長であろう。だが、現在は違う。我が国は先進諸国の仲間入りをし、経済成 長にも行き詰まりを見せている。諸外国からも我が国の閉鎖的な経済の見直しを求められたこともある。そのような事項を背景に叫ばれ る規制緩和であると考える。情報通信に関する規制緩和は、そのグローバルな特色上必要なものであると考える。国内企業の海外進出、 外国企業の国内参入の動きが激しくなり、それによって情報通信自体が発展していくものと考えるからである。グローバルなものである がゆえに国内情報通信、国際的な情報通信といった枠組みは不要であり、加えて、激しい競争の中でオリジナリティあふれるサービス及 び商品が開発されることによる成長が情報通信には必要だからである。規制に守られていたままでは技術革新の速度が速い情報通信の世 界では間違いなくその変化についていけなくなるであろう。事実、過去における我が国の情報通信に関する進歩の遅さは規制に起因する ものが大きいことは先述したとおりである。このような認識のもとに、規制というものの在り方を問い直し、我が国の規制行政の傾向に 反し、情報通信の分野においては規制緩和の推進が有効であると考える。また、民間企業による情報通信の高度化は、競争原理が機能す ることが避けられず、利益を見込める分野、地域には積極的に投資されることになる。逆に言えば利益を見込めない分野、地域には投資 がなされずにその恩恵が享受されなくなる。NTTを例に挙げれば、民営化されたとしても独自の法律であるNTT法の下に、あまねく全国に 電話通信網の整備を求めることとされ、全国に電話通信網が整備されてきた。その視点はEUにおける自由化の部分でも触れたが、「自由 化はするが、公共サービスであることを忘れてはならない。その提供を保証することを前提に自由化をするのである。」という姿勢を市 場に参入してくる事業者に課したことも同じことである。忘れてはならない行政の基本は、一部の国民に対するサービスを行うのではな く、国民全体がそのサービスの利益を受けられるようにするものである。すべての行政サービスに関してこの概念が合致するわけではな いが、情報通信の特色上さらにその視点から全国くまなくネットワークが構築されなければならない。これまで何度も言及してきたが、 高度に情報化された社会において情報通信というものは様々な分野に利用される可能性を持っている。前章で述べた分野はもちろん、ペ ーパーレスなどの省資源性、渋滞の緩和による排気ガスの減少などを考慮すると環境問題に貢献することも考えられ、また、流通・運送 などの面で配車数の削減などの効率化も考えられる。地理的制約を超えて様々な情報を入手できるようになることに加え、逆にインター ネットで自分のホームページを作成したりメーリングリストに登録したりすれば、単純に情報を受け取るだけでなく世界中に自分が持っ ているデータなどを送信できるのである。また、電子商取引の制度が確立すればまさに家に居ながらにして世界中の商品の購入が可能に なる。一見便利な社会になるかも知れない。本当に便利になることももちろんあるだろう。行政のワンストップサービスなどはこれまで のいわゆる「お役所仕事」にまつわる煩雑さをなくすということで、それに付随する問題はあるにしろ非常に有効な行政サービスである と思う。そのような面では本当に国民が情報化された社会の恩恵を受けることができるであろう。しかし、情報通信の高度化に関して郵 政省側はどのようにしてネットワークインフラを整備するか、どのようなアプリケーションをその上に乗せていくか、国際的に環境整備 が進む電子商取引に関して、我が国としてはどのような政策を打ち立てるべきかというような、比較的技術的側面に議論の重点が置かれ ているように感じる。情報とは読みとれなければ意味がないということは言うまでもない。一番強調したいことは情報リテラシーの問題 である。それに関して行政側から積極的にケアをしていくべきであると考える。ネットワークインフラやアプリケーションの開発・研究 などと比較して優先順位をつけることとは違う。基本時なスタンスは、情報通信に関しては各分野において並行的に高度化が図られてい く必要性があることは認めるものであるし、単独事業では利益の見込めないネットワークのインフラ面に行政が介入していくことについ ても賛成である。ただ、大量にあふれてくるであろう情報に対して国民が的確にアクセスできるように、情報のリテラシーに関する教育 及び研究・開発についての方針が確立されるべきであるはずなのに、極めて曖昧になってしまっているように思うのである。情報通信は グローバルなステージにあり、国際社会においても共通の認識の元で発展していっているために、様々な方針などがマクロ的視野に基づ いて決定されていくことは当然である。しかし、情報通信の高度化によって構築された新しい社会でその恩恵を受ける一般国民の、エン ドユーザーの視点において情報通信の高度化というものを、今後は考慮していくべきである。また、情報通信産業は我が国の基幹産業に なるか、その期待がこの産業には含まれている。平成不況といわれる今日の我が国の行方をこの産業に委ねているような姿勢が、郵政省 の資料からは読みとれる。しかし、そのようなこれまでの情報通信及びその高度化政策の答申などの資料に触れてくると、情報通信が高 度化された社会というものに、一種の理想郷的観念を抱いているのではないかという疑念が浮かんでくる。というのは、情報通信を高度 化するにあたっては確かに様々なメリットもある。それは先に述べた通り電子商取引、医療・福祉関連分野などの地理的制約を超えるもの もあれば、放送のデジタル化等によるユーザーが選択できる情報の幅を広げるものであったりもする。しかしそれに起因する別の問題に 対する対処がなされていないように思うのである。各種アプリケーションのメリット・デメリットを郵政省の資料を基に述べたが、本当 に懸念されるべきは情報通信の高度化に起因する問題点であって、各種アプリケーションの開発・実行にあたってその弊害になる点を根 本的な解決を必要とする問題にするべきではないのである。具体的に例をあげると、情報通信産業を発展させることによって244万人の 雇用が確保できるという試算が出ているが、それによって衰退する可能性を持つ産業もある点を見落としてはいけない。規制が緩和され て新規事業分野の拡大が図られるなどして競争市場が形成されることは、ユーザーの立場からいえばサービスや製品の低廉化が進むこと につながりメリットが大きい。結果としてそれが需要の増加と結びつけば、情報通信産業における雇用の拡大は期待できるであろう。し かし逆に競争の激化が、生産性の低い部門の雇用の減少させるということも同時に起こりうるわけである。その場合、生産性の低い部門 から雇用が増加している産業部門に労働力が移転するにあたってはスムーズには進まないであろう。いわゆる労働力需給のミスマッチと いわれる事態が起こりうるわけであり、より円滑にその労働力の移動が図られなければならない。そのような情報通信産業の発展による 波及効果ともいうべき影響についてもしっかりとしたビジョンを持って、この情報通信高度化政策と推進させていかなければそれが持つ メリットを十分に生かすことができないことになるだろう。   おわりに  以上、第1章においては国内経済と情報通信の関連性、第2章で巨大なアジアの市場での情報通信を参考に、グローバルに展開する情報 通信のインフラ整備についての考察、第3章では、情報通信に関しては欧米諸国に遅れをとったと言われる我が国の情報通信に関して、 その原因となるものを米国、英国の電気通信事業者を参考に述べ、第4章で我が国の情報通信高度化政策に関する具体的方策について考 察した。第5章では以上の4つの章を念頭に置き、もう一度行政と情報通信の関係に立ち返って、今後どのような方策のもとに高度情報 通信社会を構築していくべきなのかについて述べてきた。情報通信が高度化されるというのは確かに国民の利便性はあがるであろう。事 実、本稿を作成する際にも、参考とした資料にはインターネットから見つけだしたものが多くある。研究室から出なくても、居ながらに して様々な場所に散在している資料を収集することができるのだ。まさに地理的制約を超えて情報を得ることができた。しかし、情報通 信が高度化した社会に楽観的な視点は持っていない。要するに高度に情報化した社会、つまりネットワークインフラが整備された段階か らどのようなアプリケーションを利用していくのか、それが問題なのである。利用の仕方を間違ってはいけない。国民社会に大きな利益 となる可能性を秘めており、容易に自分がもっているデータをネットワークに乗せて世界中に流すことができるということは、裏を返せ ばその容易さゆえに悪用される可能性も持ち合わせているということである。もう一つは情報に埋もれる可能性もある点である。確かに 本稿を作成するにあたってはインターネット上にある情報を利用した。しかし、本当に欲しい資料に出会えなかったこともあった。ネッ ト上には無いのかも知れないが、あるのかもしれない。もしあるとしたらその情報はどのようにして手元に引き寄せればよいのだろうか。 また、その情報の真偽はどのように見極めるのだろうか。多くの人が容易に情報を流すことができるということは、デマなどもネットワ ーク上に流れやすくなるということでもある。あまりにも情報が氾濫しているために、本当に必要なものを見落としてしまいがちのよう に思う。情報の氾濫というと情報の漏洩ばかりが問題点として挙げられているが、現状のシステムのままでは大量の情報がただ氾濫する だけの情報化になりかねない。それを気にかかった点として補足しておくことにする。最後に一つ心残りだった点として、インタビュー に基づく記載がなされなかったことをあげておく。情報通信という途方もなく巨大なテーマを選んだこと、基礎的な知識を持ち合わせて いなかったために、詳細に現場の方に尋ねる質問が思いつくという段階までいかなかったからである。この点は今後何らかの形でこのよ うな論文を書く時の課題としたい。 参考文献 科学技術広報財団『科学技術ジャーナル11月号』 (財)科学技術広報財団 1998年  加藤 寛 編著  『NTT  vs 郵政省』 PHP研究所 1996年2月29日 集英社『イミダス1998』 集英社 1998年1月1日   (社)情報サービス産業協会『情報サービス白書1998』(株)コンピュータ・エージ社 1998年4月30日  関 秀夫  『』日米マルチメディア戦争』 PHP研究所1994年8月24日  総務庁 『規制緩和白書1998』 大蔵省印刷局 1998年8月30日  田村 次朗 『こうすれば良くなる!日本の規制』 同文書院インターナショナル1995年11月1日  (財)日本情報処理開発協会『情報化白書1998』(株)コンピュータ・エージ社1998年6月19日  野辺名 豊  『一歩先取りデジタル放送』 ダイヤモンド社 1996年2月29日  毎日新聞社『エコノミスト臨時増刊』 毎日新聞社 1998年4月2日  労働省編 『平成9年版労働白書』 (CD-ROM) 日本労働研究機構 労働省編 『平成10年版労働白書』 1998年7月7日 日本労働研究機構 渡辺 パコ (株)UPU  『図解&キーワードで読み解く通信業界』 かんき出版 1997年11月7日  国際機関アセアンセンターホームページ http://www.asean.or.jp/ 首相官邸ホームページ 高度情報通信社会推進に向けた基本方針 http://www.kantei.go.jp/jp/it/981110kihon.html. (株)情報通信総合研究所ホームページ Infocomニューズレター http://www.icr.co.jp/newsletter/ 郵政省電気通信審議会 情報通信21世紀ビジョン最終答申 http://www.mpt.go.jp/policyreports/japanese/telecouncil/index.html 郵政省電気通信審議会通信政策部会 高度情報通信社会構築に向けた情報通信高度化目標及び推進方策 http://www.mpt.go.jp/policyreports/japanese/telecouncil/tsusin/koudojouhou/chap0.html Asian Technology Information Program ホームページ http://www.atip.or.jp/public/atip.report96/ あとがき  本稿は、今後社会人になるにあたって非常に意味を持つものである。いわゆる「情報通信関連産業」である「情報サービス」を提供する 仕事に携わることになっているからである。文系出身者にとって情報通信産業というものは、様々な分野があり、それらにも各々のメリ ットや問題点を含んでおり極めて幅広い可能性を秘めた分野であった。加えて非常にアップデイトな分野であるだけに状況の変化が速く、 資料を集めるのに多少苦労した。そのため、専門知識も皆無に近い者が一つの論文を書き上げるのにも骨を折った。ある分野に関して記 載されている文書やデータが必要になったとき、すぐにインターネットに飛びついてみた。しかし、あまりにも情報の量が膨大すぎて探 しきれず、図書館に行って書物をあたった方が早かったということもあった。情報が整理されなければ利便性に欠けるという、本稿の内 容に関連する経験もした。身をもって必ずしも「情報化」というものが万能ではなく、様々な問題点を含んでいるということを知ったの である。また、情報通信に関してあまり知識を持ち合わせていなかったので、情報学科の友人にお酒を飲みながらいろいろと教えてもら ったことや、友人の進行状況に刺激されて書いたこともある。行き詰まった時には息抜きの相手をしてもらい、そして励ましてもらうな ど、周囲の友人のおかげでここまで書きあげられたように思う。卒業論文が大変だと思う反面、ある意味でとても充実した日々を過ごせ た。最後に、私の卒業論文を忙しい中時間を割いて丁寧に指導にあたってくださった、宇都宮大学国際学部国際社会学科助教授の中村祐 司先生に、心からお礼を申し上げたいと思う。   1999年1月11日 宇都宮大学国際学部国際社会学科 行政学ゼミ 金谷 旬一郎
日本における公的年金をめぐる制度上の諸問題 及び改革に向けての提言 佐藤絢子 はじめに 近年、社会保障制度の抜本的な改革を求める声が行財政構造改革や経済構造改革を目指す視点等とも絡み合って、様々な方面で高まりを みせている。こうした声の背景にある社会保障制度に対する基本認識を整理すれば、次の3点に集約できよう。第1に、社会保障制度とは 「子が老親を支える」という美徳、あるいは家庭的営みを社会制度化したものといえるだけに、その本質として、高齢世代に対する年金、 医療、介護等の各種社会保障サービスは、現役世代の負担によって提供される賦課方式の仕組みとなっているという制度設計の問題であ る(注1)。第2は、そうした制度の理念を支える前提条件が満たされなくなっていることである。(1)現役世代が一定の経済成長の成果を 享受し得る環境下にあり、負担能力を備えていること、(2)高齢世代と現役世代との間で人口構成上の過度の歪みがないこと、は社会保 障制度を支える上での大前提である。しかしながら、近年の経済成長率の構造的な低下や少子化の急速な進行にみられる通り、これら2 つの条件は崩れつつある。このため、社会保障制度はそのあり方を根底から見直さざるを得ない状況に追い込まれている。第3に、こう した環境変化を看過し、社会保障制度の抜本的な見直しを怠れば、世代間の負担格差の拡大を通じて、社会の公正、公平が損なわれ、公 的システムに対する信認が大きく低下するばかりか、経済社会の活力が取り返しの付かないほどに低下する懸念が大きいという危機感で ある。こうした事実認識・問題意識に立つと、社会保障制度を構成する年金、医療、福祉の各分野を見直すことは当然かつ喫緊の課題で ある。本論文では、このうち社会保障制度のなかでも、私自身において一番身近な問題である年金分野を取り上げ、その中核をなす公的 年金制度について、現状の問題が制度の存続を図るうえでどの程度致命的なものか検討し、そのうえで今後の見直しの方向性について一 案を提示するものである。具体的には、まず第1章で公的年金制度の歩みを概観するとともに、複雑化した制度の仕組みや、役割につい て整理する。第2章では、公的年金制度の土台をなす国民年金における問題点を取り上げ、現行の制度が多くの理不尽や不公平を持って機 能していることを指摘する。第3章では、社会保障制度の根幹を動揺させている近年の少子化・高齢化の状況を整理し、来年度の年金改正 に向けての政府の動きを検証する。そして第4章では、第2章にあげた問題点を考慮にいれながら、21世紀に向けての公的年金のあり方を 考え、制度見直しの方向性について具体的に検討し、本論文のまとめとしたい。 (注1) 社会保障制度のうち、公的年金は自らが積み立てた保険料とその運用収益を老後に受け取る修正積立方式の制度で、年金は自らの現役時代の負担に見合った当然の権利であるとの誤解がある。しかし、公的年金は積立金を有している分、医療、福祉等に比べて積立方式に近い運営が行われているが、『厚生白書平成8年版』の記述からも読みとれるように、実態は現役世代が「親の世代に対して安定的に『世代間扶養』」を行う賦課方式の仕組みであり、現役時代の保険料の支払いはせいぜい「自分自身が老後に受給する年金の権利を積立て」ているのに過ぎないのが実情である。 第1章 公的年金制度とは 第1節 公的年金制度の沿革 わが国の公的年金制度は、諸外国におけると同様、公務員に対する恩給制度に始まる。明治初頭から軍人・官吏等に定められていた恩給 制度は、1923(大正12)年の「恩給法」の制定によって、単一の法律の下に統合された。また、明治末期以降、恩給制度の適用のなかった 政府の雇傭人に対する制度として、共済組合が各現業部門毎に設立された。これらの官業共済組合は、年金給付を逐次取り入れながら、 第2次大戦後の旧国家公務員共済組合に引き継がれていく。戦後、国家公務員の年金制度には恩給制度と共済組合が併存しており、また、 地方公務員においても、都道府県と市町村の区分、職種の相違等によって年金制度の適用は多岐にわたっていた。こうしたなか、1956( 昭和31)年に公共企業体職員等共済組合、1959(昭和34)年に国家公務員共済組合、1962(昭和37)年に地方公務員等共済組合が相次いで発 足し、公務員および公共企業体職員の年金制度はこれら3制度に整備されることとなった。 一方、民間の被用者に対しても、大正末期からの医療保険制度の整備と並んで年金制度の必要性が高まり、1940(昭和15)年の船員保険  の発足に続いて、第2次大戦下の1942 1942(昭和17)年には、男子労働者を対象とした労働者年金保険制度が発足した。労働者年金保険制  度は、1944(昭和19)年に厚生年金保険と名称が改められ、女子および事務職員にまで適用対象が拡大された。戦後の急激な社会経済情勢  の変動期を暫定的な措置で対処してきたこの厚生年金制度は、1954(昭和29)年に新たな理念の下に全面改正された。この全面改正は、社  会保障の立場から給付内容を整備拡充するとともに将来にわたる財政的基礎を確立するために行われたものであり、これにより1985(昭和  60)年の公的年金全般にわたる制度再編成に至るまでの制度の基本的枠組みが作られた。厚生年金の全面改正と前後して、特定の職域にお  いて共済組合を設立する動きがみられた。それまで私立学校の教職員については、大正末期から私学恩給財団による退職年金給付が行われ  ていたほか、厚生年金の任意加入の対象となっていた。厚生年金保険法の改正により教育事業従事者まで厚生年金の適用対象が拡大される  こととなったが、旧国家公務員共済組合の適用となっていた国公立学校の教職員との均衡から、1954(昭和29)年、私立学校教職員共済組合  が発足した。 また、1955(昭和30)年には市町村職員共済組合が発足し、原則として全ての市町村職員を医療保険の適用対象とするととも  に、従来恩給法の準用や退職年金条例の適用を受けていなかった市町村の雇傭人を年金制度の適用対象とすることとなった。 農林漁業団体  の役職員については、勤務内容が市町村職員と類似する点もあり、公務員に準じた給付を行う観点から、1959(昭和34)年に農林漁業団体職  員共済組合が厚生年金から分離し発足した。これらの共済組合の適用となった者で、従来厚生年金の適用を受けていた者については、過去  に厚生年金被保険者であった期間を共済組合が引き継ぐこととされ、その財源は厚生年金からそれぞれの共済組合に移管された。その後、  被用者に対する年金制度が整備されるなかで、さらに全ての国民に対して年金制度による老後保障を求める声が高まった。政府はこの要請  に応え、1961(昭和36)年に国民年金制度が創設され、これまで年金制度の適用対象となっていなかった農林漁業従事者、自営業者、小規模  企業従業員等に対しても年金保障の途が開かれることとなった。国民年金の発足に伴い、複数の制度を移動した場合においても、各制度の  期間を通算して資格要件を満たせば、各制度がその期間に応じて年金を支給する通算年金制度が設けられ、これにより被雇用者の国民皆年  金が実現をみるに至った。この時点では、年金制度は8つの制度(厚生年金、国民年金、船員保険、公共企業体職員等共済組合、国家公務  員共済組合、地方公務員等共済組合、私立学校教職員共済組合、農林漁業団体職員共済組合)に分立していた。その後、1984(昭和59)年に  国家公務員共済組合法と公共企業体共済組合法を統合した国家公務員等共済組合法が施行され、1986(昭和61)年には船員保険の年金部門が  厚生年金に統合され、また、国民年金の適用を20歳以上の学生や専業主婦などを含めた全国民に拡大し、全国民共通の基礎年金制度を設け  て、各被用者の年金制度はその上乗せ制度として再編成するという大改正を経て現在に至っている。現在、公的年金各制度は、国民年金  (基礎年金)と厚生年金、4つの共済制度(国家公務員等共済組合、地方公務員等共済組合、私立学校教員共済組合、農林漁業団体職員共  済組合)の6制度となっている。 第2節 公的年金制度のしくみ 日本の公的年金制度は2階建ての制度と一般に言われている(注2)。原則として20歳以上60歳未満の国民が加入し、基礎的給付を行う国民年金 (1階部分)と、それに上乗せして報酬比例の年金を支給する、被用者の厚生年金保険および共済年金(2階部分)からなっている。民間被用者 は厚生年金保険に、公務員などは共済組合に加入する。また、自営業者に対する基礎年金の上乗せ年金としては、国民年金基金制度があり厚 生年金保険の上乗せ年金としては厚生年金基金制度がある。1997(平成9)年3月末の国民年金の加入者数は7,020万人、被用者年金制度(厚生年 金制度・共済年金制度)への加入者数は3,882万人であり、受給権者数は、国民年金1,757万人、被用者年金944万人となっている(図表1-1)。 (注2) そもそも日本の年金体系は、「公的年金」「企業年金」「個人年金」に分類される。公的年金制度は、全国民(20歳以上60歳未満の者)が加  入し、基礎的給付を行う国民年金と、それに上乗せして報酬比例の年金を支給する、被用者の厚生年金保険および共済年金からなる。民間  サラリーマンは厚生年金保険に、公務員などは共済組合に加入する。また、自営業者等に対する基礎年金の上乗せ年金としては国民年金基  金制度があり、厚生年金保険の上乗せ年金としては、厚生年金基金制度がある。企業年金は、公的年金以外に労働者の老後の所得保障等福  利厚生をはかるために企業が設けている年金である。企業年金制度を設けるのは企業の任意であるが、制度を設けている企業の労働者は強  制加入となる。個人年金は、主に公的年金の不足を個人的に補うものとして、銀行、生命保険会社、損害保険会社、郵便局などで取り扱っ  ている任意加入の年金保険である。 図表1-1 わが国の公的年金制度体系 「貯蓄後方中央委員会ホームページ」より抜粋 http://www.saveinfo.or.jp/kinyu/stat/stat12.html#b まず、一階部分に当たる国民年金について説明する。被保険者は、大きく分けて強制加入者と任意加入者に分類されている。 (1) 強制加入者 第1号被保険者 日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満で、第2号、第3号または 適用除 外になる者のいずれにも該当しない人 (学生、自営業者、遺族年金受給権者等) 第2号被保険者 厚生年金または共済組合に加入している人 第3号被保険者 第2号被保険者によって扶養されている配偶者で、20歳以上60歳未満 の人 (2) 任意加入者 @ 日本国内に住所を有する60歳以上65歳未満の人 (保険料納付期間が受給資格期間に不足していたり、資格期間は満たしたがも っと高い年金が欲しいという人) A 日本国籍を持っている人で、国外に住んでいる20歳以上65歳未満の人 B 日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満のうち、強制加入から除外され ている人(60歳未満で、すでに厚生年金の養老年金や共済組合の退職 年金を受けている人) C 1955(昭和30)年4月1日以前の生まれで、65歳になった時点で養老年金受給資格を満たしていない人が、70歳までの間で、資格期間を満た   すまで。 第1号・第3号被保険者は国民年金のみに加入し、保険料は収入の大小にかかわらず、一定の保険料を国に納める定額制となっている。1998(平 成10)年度は毎月13,300円である。給付については、養老基礎年金、障害基礎年金、遺族基礎年金に分類される。養老基礎年金とは、世間一般 に将来年をとったらもらうものだと考えられている年金のことである。この養老基礎年金を受給するのに必要な加入期間(資格期間)は25年で ある。また、支給開始年齢は65歳であるが、受給者本人の希望により、60歳からの繰り上げ支給と、70歳までの繰り下げ支給の制度を利用でき る。繰り上げ支給を選択した場合、年金額は減額され、繰り下げの場合には増額される(図表1-2)。この減額率及び増額率は、生涯わらないと されている。支給される年金額は、20歳から60歳になるまでの間(480か月間)フルに加入のうえ、保険料を全額納付していれば、満額が支給 される。1998(平成10)年度の金額は、799,500円となっている。保険料納付済み年数が480ヵ月未満の場合には、その分だけ減額される(注3)。 障害基礎年金は国民年金加入中に病気やけがで障害を負い、一定の障害の状況(障害等級1級・2級)になった場合に支給され、遺族基礎年金は 加入者本人が死亡した場合、遺族に対して支給されるものである。 図表1-2 国民年金の繰上げ・繰下げ支給 繰上げ支給 支給開始年齢 支給率(%) 繰下げ支給 支給開始年齢 支給率(%) 60歳 58 66歳 112 61歳 65 67歳 126 62歳 72 68歳 143 63歳 80 69歳 164 64歳 89 70歳 188 厚生省『年金白書』より作成 次に2階部分の被用者保険について簡単に説明する。厚生年金保険は、民間企業で働くサラリーマンを対象とした公的年金である。厚生年金 が適用される事業所(法人事業所、一部サービス業を除く常時5人以上の従業員を使用する事業所)で働く、65歳未満の従業員はすべて強制 加入になる。サラリーマンは第2号被保険者として2つの年金に加入し、基礎年金に上乗せする形で報酬に比例した厚生年金を受給する。共 済組合の制度も厚生年金とほぼ同様である。 (注3) 40年未満の加入者の給付額は以下のようになる 養老基礎年金(平成10年度) 40年加入 799,500円 40年未満加入 799,500円 ×(保険料納付済期間+保険料免除期間×3分の1) 40年 × 12月 保険料は月収に一定の利率を掛ける仕組みになっていて、この中には、国民年金(基礎年金)の保険料も含まれている。1998(平成10)年 4月現在、厚生年金は月給の17.35%、国家公務員共済組合は18.39%で、企業と従業員で折半して納めている。厚生年金の給付の種類は、 国民年金と同様に、養老厚生年金、障害厚生年金、遺族厚生年金に分類される。養老厚生年金の受給資格は(1)国民年金の養老基礎年金を 受ける資格があること、(2)60歳以上、(3)退職していること、の3つが満たされていることである。年金制度では、制度が発足した当初は 給付費が比較的少額であるが、時間の経過とともに給付費が急速に増大する。これは、制度発足当初においては、老齢給付等の支給に必要 な加入期間等の受給要件を満たす人が少なく、また、加入期間も短いために、受給者1人当たりの年金額も少額とならざるを得ないためで ある。しかし、時間の経過とともに、老齢給付等の受給資格要件を満たす人が増加し、給付費は急速に増大していくことになる。このよう な年金制度の給付費を賄うための財政方式として、賦課方式と事前積立方式の2つの方式がある。賦課方式は、その年に発生した給付額を その年の掛け金で賄う方式である。また、事前積立方式は、将来の年金給付に要する費用を前もって積み立てておく方式で、積立金からの 運用収益が給付財源の重要な部分を占める。主に、企業年金や個人年金などの私的年金で採用されている。日本の公的年金は事前積立方式 と賦課方式の中間に位置する財政方法を採っており、「修正積立方式」と呼ばれている。修正積立方式を採用することにより、厚生年金・ 国民年金の積立金は1996(平成8)年度末現在、126兆円に及んでいる。この積立金は、大蔵省が管理する資金運用部に全額預託することが義 務づけられ、財政投融資の原資になっている(図表1-3)。1986(昭和61)年より、厚生省所管の特殊法人である年金福祉事業団が、預託金利 と同一の金利で資金調達部から財投資金の一部を借り入れるかたちで、積立金の自主運用を行っている。運用額の規模は1996(平成8)年度 末で24兆円に上がっており、これは厚生年金・国民年金の積立金の約2割に相当する。この資金は、信託銀行、生命保険会社、投資顧問会 社といった運用機関に委託される他、事業団自体が運用を行う自家運用により運営されている。 図表1-3 財政投融資のシステム 大蔵省理財局『財政投融資リポート'97』より抜粋 第3節 公的年金制度の役割 総理府社会保障制度審議会の1950(昭和25)年の勧告では、いわゆる社会保障制度を 「疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子、 その他困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥った者に対しては、国家扶助によって 最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営 むことができるようにすること」と定義している。つまり、公的年金制度はここに述べられた老齢、障害、死亡による所得の減少、又は喪 失に対する所得保障を保険的方法によって行う制度であるといえる。図表1-4は、1995(平成7)年度の社会保障給付費のうちわけを示したも のである。社会保障給付費約64兆7千億円中、年金制度の給付費は約33兆5千億円と52%を占め、社会保障制度の中でも中核的な役割を果た していると言える。 図表1-4 平成7年度部門別社会保障給付費と構成比率 (単位:億円) 社会保障給付費 平成7年度 計 647,264 医療 240,592 年金 334.986 その他 71.686 国立社会保障・人口問題研究所『平成7年度社会保障給付費』より作成 また、平成9年度の国民生活基礎調査を見ると、高齢者が生活するうえで、公的年金や恩給が重要な役割を果たしていることがわかる。高齢 者世帯の所得の内訳は図表1-5のようになっており、平成3年以降、総所得における「公的年金・恩給」の割合が増加し続け、平成8年度には 総所得の約62%を占めるに至った。次に、公的年金・恩給の総所得に占める割合別に世帯数の構成割合を示したものが図表1-6であるが、こ れによると、所得のすべてが公的年金・恩給となっている高齢者世帯も増加傾向にあり、平成8年には56.0%となっている。 図表1-5 高齢者世帯における所得の種類別にみた1世帯当たり平均所得金額の年次推移 総所得 稼動所得 公的年金・恩給 家賃・地代の所得 利子・ 配当金 年金以外の社会・保障給付金 仕送り その他 1世帯当たりの平均所得金額(万円) 平成3年 273.7 78.3 156.4 18.5 8.3 4.8 7.4 4 296.0 90.2 168.7 21.1 5.4 3.5 7.1 5 292.8 90.4 172.4 15.8 4.6 5.2 4.4 6 305.0 84.8 184.6 16.9 5.2 4.2 9.3 7 316.9 78.6 198.8 21.5 3.7 2.8 11.6 8 316.0 84.1 197.4 15.6 3.3 3.3 12.3 構成割合(%) 平成3年 100.0 28.6 57.1 6.8 3.0 1.8 2.7 4 100.0 30.5 57.0 7.1 1.8 1.2 2.4 5 100.0 30.9 58.9 5.4 1.6 1.8 1.5 6 100.0 27.8 60.5 5.5 1.7 1.4 3.0 7 100.0 24.8 62.7 6.8 1.2 0.9 3.7 8 100.0 26.6 62.5 4.9 1.1 1.0 3.9 図表1-6 公的年金・恩給を受給している高齢者世帯における 公的年金・恩給の総所得に 占める割合別世帯数の構成割合の年次推移 (単位:%) 全世帯 20%未満 20〜40% 未満 40〜60 60〜80 80〜100 100% 平成3年 100.0 4.7 10.8 13.0 9.9 11.0 50.0 4 100.0 6.1 9.9 10.6 10.7 9.6 53.0 5 100.0 5.0 9.7 12.0 10.4 9.0 54.0 6 100.0 4.4 9.5 10.7 10.3 11.0 54.1 7 100.0 4.5 7.9 10.6 10.4 12.5 54.2 8 100.0 3.7 7.6 10.5 9.2 13.0 56.0 以上 厚生省『平成9年度 国民生活基礎調査の概要』より作成 先述したように、年金には公的年金だけではなく、企業年金や個人年金といったいわゆる私的年金もあり、両者あいまって国民の老後におけ る所得保障の役割を果たすことが期待されている。公的年金が老後生活を支える基盤であるのに対し、私的年金は「より豊かな」老後生活を 実現するためのものとしての役割を持つものと考えられている。公的年金は、社会全体で高齢者等を支えるという助け合いの制度である。ま た、社会保障制度として所得に応じた負担を求めるとともに、生活の必要性に配慮した給付を行うことにより、所得再分配機能を果たしてお り、負担と給付が直結するという「収支相等の原則」に必ずしもとらわれていないわけで、この点、収支相等の原則に忠実な私的年金とは性 格を異にしている。このような公的年金の基本的性格から、公的年金については、現役世代はすべて制度に加入することが義務づけられてい る(強制加入)。これに対し、私的年金は個人の自助努力によるものであり、自由契約により任意に加入することとなっている。 第2章 公的年金制度の実態 第1節 第1号被保険者の未納・未加入問題  公的年金は強制加入の制度である。誰もがいずれかの公的年金に加入する「国民皆年金」体制が1961(昭和36)年に実現したとされた。確か にサラリーマンの場合、年金保険料は月給から自動的に天引きされており、制度加入を拒否しようとしてもそれはできない。ところが第1号 被保険者(自営業者・自由業者・無職者・学生等)の場合、国民年金への強制加入は建前にすぎない。保険料が事実上、自主納付の形となっ ているからである。図表2-1から、形骸化した「皆年金」制度の実状を読み取ることができる。1996(平成8)年に厚生省が行った調査によると、 完納者は66.3%にすぎない。さらに別の調査では、加入手続きを怠ったり、住民票未登録等で国民年金に加入していない者が1995(平成7)年 10月時点で158万人(8.2%)いたと推計している。朝日新聞は、「これこそ年金制度の土台をゆるがしている添刻な問題」(1998年2月14日朝 刊)と指摘している。 図表2-1 保険料納付状況別被保険者数と構成割合 (単位:千人) 総数 納付者 未納者 免除者 完納者 一部納付者 15,659 11,734 10,378 1,356 1,772 2,203 厚生省『平成8年国民年金被保険者実態調査』より作成 国民年金の場合、保険料免除となったり保険料を滞納したりしても、その分の保険料を追納することができる。したがって未納若しくは一 部未納者のすべてが無年金となったり、ごく少額(生涯免除の場合、60歳受給の年金額は月額13,000円程度)の年金受給者となったりするわ けではない。現に保険料免除者の4割強は保険料を追納する意思があるといっている。学生の大半は卒業と同時に年金保険料を自動天引される サラリーマンとなるだろう。また滞納者であっても低所得者ではない人が少なくない。滞納者の少なからぬ部分が固い年金不信を胸に秘め、 いわば確信犯的に保険料納付を怠っているといわれる。現に滞納者のうち30〜44歳層の5割強が「国民年金をあてにしていない」といってお り、滞納者の約3分の2が民間の生命保険に加入(さらに滞納者の2割は民間の個人年金に加入)している。年金不信による政府への信頼感低 下が「皆年金」形骸化の一因となっていると同時に、年金不信、とりわけ若者の年金不信をさらに強めている。非サラリーマンは公的年金の 保険料を払いたくないと思えばペナルティーなしにその支払いを拒否することができる。だが、サラリーマンは自動天引制度の故に支払い拒 否ができない。同じ国の制度でありながら、このような取扱いは不公平ではないかという疑念がサラリーマンの脳裏にはあるだろう。政府は この点を考慮し、未加入者の解消促進に取り組み、滞納保険料の納付督励を懸命になって続けてきた。20歳到達者の加入徹底、国民健康保険 との連携(届出書・窓口の一体化)、口座振替による自動納付促進、一括前払いの奨励(年利5.5%の割引)、電話催告・戸別訪問の実施、 選任徴収員や「未納保険料整理月間」の設置、事務担当者等への研修実施、各種広報の実施等々がそれである。このような対策は国民年金の 未加入者・滞納者が集中している都市部で重点的に実施されている。しかしながら一方で、未加入者の解消や滞納保険料の納付督励には多大 な行政費用がかかる。総理府社会保障制度審議会事務局『社会保障統計年報』によると、1994(平成6)年度の国民年金保険料収入1兆7,296億 円のうち、国民年金事務費は1,817億円で行政費用は保険料収入の10.5%に相当していた。つまり、保険料収入の10数%に相当する税金が国 民年金制度を管理運営するために投入されていたことになる。これほどまでに高額の行政費用を負担しても、こんなに多くの未納者・未加入 者が存在する現状は無視されてはならない。   第2節 第3号被保険者制度  所得のない主婦に負担を求めると無年金者が増えるとの理由で、1985年から、専業主婦や、パートの主婦でも年収が一定水準以下の人には 負担を求めない制度が導入された。しかし、自ら働いて保険料を払う女性が増えるにつれ、「専業主婦も保険料を払うべきだ」といった不満 が高まっている。第3号被保険者制度とは、女性の年金権を確立することを目的として、1985年の法改正により導入されたものであり、被用 者の被扶養配偶者は、被用者が納める厚生年金等の保険料により独自に基礎年金を受けることができるというものである。社会保険である公 的年金においては、負担能力がある者に負担を求め、必要性を考慮して給付を行うという考えに立って所得再分配を行い、所得のない専業主 婦に必要な費用は被用者全体で負担する仕組みになったというわけである。しかし、被扶養配偶者であるためには、労働時間が正規社員の4分 の3未満で、かつ年収が130万未満であることが必要であり、この条件を満たさない就労者は保険料納付義務が生ずる。 一般に、 専業主婦と は「市場労働を行わず家庭内労働のみを行う妻」を指すものと考えられているが、公的年金制度においては、パート主婦であっても、130万未 満の収入であれば専業主婦とみなされる。この「130万円」という規制が、パート主婦にどの程度影響しているのであろうか。労働省『平成7 年パートタイム労働者総合実態調査報告』により、パートタイム労働者の平均年間賃金額をみると、110万円以上130万円未満である者の割合 は3.7%であり、130万円以上140万円未満である者の割合(2.8%)と大きな差はみられず、社会保険の被扶養配偶者の適用基準を理由として 実際に就労調整が行われているようにはみえない。しかし、同報告により、パートタイム労働者の年収調整の状況とその理由をみると、30.0 %が「就労調整をする」としており、そのうち40.1%が「健康保険の加入義務が生じる」ことを理由としており、厚生年金と健康保険の被扶 養適用基準額が同じ130万円であることに鑑みれば、少なくとも意識の面では就労調整の理由の1つとなっていると考えられる。また、90万円 以上100万円未満である者の割合(20.9%)と比べて、100万円以上110万円未満である者の割合(7.7%)が相当に小さいことから考えて、税 制や企業の配偶者手当の基準額である100万円の近辺で既に就労調整が行われており、それよりも高い130万円の近辺では顕在化していないだけ ではないかという推察も可能である。こうした制度は、夫が働きやすいように家にいて家事を行なう「主婦」という存在を政府が奨励している ことを証明している。男性労働力を完全に確保するため女性は家庭に閉じ込めておいて、労働力として必要な場合はパートという形を促すとい う政府の政策が感じられる。しかし、こうした方針は女性の社会進出が高まりつつある現代社会にふさわしいとは言えない。第3号被保険者制 度には、もう1つ重要な問題がある。サラリーマンの妻は、国民年金の保険料を直接納付しなくても年金権が保障されると述べたが、自分が第3 号被保険者であることを、役所に届け出ない限り、加入したことにはならないのである。紙1枚の届出を提出したか否かで一方は生涯通算で平均 1,600〜1,800万円の基礎年金給付を手にする一方、他方では無年金となる。届け出が必要なのは、具体的に言うと、夫が自営業をやめて会社に 就職した時、会社員と結婚後に20歳に到達した時、家事手伝いなどの人が会社員と結婚した時、結婚退職した時、共働きを中止した時、夫が転 職(厚生年金→←共済組合、一般事業所→←船舶)した時などである。政府は1994年の法改正で、1995(平成7)年4月〜1997(平成9)年3月までの 2年間に限って「特例届出」を認めた。普通であれば、届け出漏れに気づいたとしても過去に溯って加入と認められるのは2年間だけである。だ が、この期間内に届ければ当初に溯って空白期間が埋められる。PRに努めたせいもあって、大多数が届け出をした。しかし、これで全ての届 け出漏れが解消したわけではなかった。例えば宇都宮市では、未届者の8割は「特例届出」によって無年金を免れることになったが、残りの2割 は未解決のままである。だが、現地点において、今後再び「特例届出」の措置を行う予定はないといわれている。サラリーマンの配偶者(ただ し被扶養者のみ)であったことが確認されれば、いつでも過去にさかのぼって第3号被保険者として扱う必要があるのではないか。 第3節 学生からの保険料徴収 さらに、収入のない学生がなぜ保険料を支払わなければならないのか、という疑問がある。平成3年3月まで、20歳以上の学生は任意加入の扱  いであり、強制加入ではなかった。だが、任意加入していない学生が交通事故などにより障害者になった場合、障害基礎年金が支給されず、  一生涯無年金になってしまうというケースが問題になり、20歳以上の学生も平成3年4月から国民年金の加入を義務づけられた。しかしながら  、学生の強制加入および保険料徴収が機能しているかといえば、そうではない。学生の10人に1人は未加入であり、未加入・未納、免除を合わ  せると、ほぼ半数が保険料を払っていない状況にある。また、保険料を払っている学生でも、その9割以上は親が負担しており、学生からの保  険料徴収には所詮、無理があるといえるだろう(図表2-2,2-3)。専業主婦と同様、学生に保険料の負担能力があるとは考えられない。強制加入 には納得がいくが、なぜ政府は学生を第1号被保険者としたのであろうか。その理由は、進学率の上昇や学生期間の長期化、また社会人入学の 制度化により学生数が増加する分の保険料収入が減少してしまうことを、厚生省が恐れたためであろう。制度のあり方よりも保険料収入の安 定を重視した、厚生省の考え方が透けてみえる。 図表2-2 学生の国民年金加入状況 実数(千人) 構成割合(%) 総数 総数 第1号 被保険者 第1号 未加入者 第1号 被保険者 第1号 未加入者 総数 2,336 1,831 237 100.0 88.5 11.5 社会保険庁『平成7年公的年金加入状況等調査』より作成 図表2-3 学生の保険料の負担状況(%) 父母が負担した 51.7 保険料を免除されていた 30.3 保険料を納めなかった 12.2 自分の収入により支払った 3.9 祖父母・兄弟などの身内が負担した 0.2 その他 0.5 不祥 1.2 社会保険庁『平成8年度国民年金被保険者実態調査』より作成 第3章 次期改正に向けての政府の動き 第1節 少子・高齢化と公的年金 公的年金制度改革を行う最大の理由は、少子・高齢化という人口動態の大きな変化に、現行の年金制度が耐えられなくなっているという点に ある。現行の年金制度は、高齢世代に対して支払う年金を現役世代の保険料で賄うという方法(世代間扶養)で基本的に運営されているとい うことは、第1章で述べた。このため、年金の受け取り手である高齢世代の人口比率が上がり、保険料を拠出する現役世代の人口比率が下が ると、年金支給額と保険料収入のバランスが崩れ、放っておけば年金財政が成立たなくなることは明らかである。 図表3-1は、わが国の合計特殊出生率(15歳から49歳までの女子の年齢別出生率を合計したもの)の推移を表したものである。戦後の第1次 ベビーブームの時期を過ぎた1950(昭和25)年ごろから急速に低下が始まり、1950年代の半ばに、2をやや超えるくらいまで下がった。その 後、1970年代半ば(昭和50年ごろ)までは、ほぼ安定していたが、その後再び低下を始め、現在に至るまで基本的には下がり続けている。1 997(平成9)年現在の合計特殊出生率は1.39と、人口を維持するのに必要な水準(人口置換水準)である2.08を大幅に割り込んでいる。出 生数も同様に1950年頃から急速に低下し、1950年代後半から1960年代前半(昭和30年代)にほぼ安定して推移した後、1960年代後半から19 70年代前半(昭和40年代)には、第1次ベビーブーム世代が出生期を迎えたため増加したが、1974(昭和49)年から再び減少をはじめ、現 在まできている。 図表3-1 出生数および合計特殊出生率の推移 厚生省『人口動態統計』より作成 厚生省は1997(平成9)年1月、『日本の将来推計人口』の見直し結果を公表した。これによると、わが国の人口は2007(平成19)年に頂点を 迎えた後、減少に転じ、以後、21世紀を通して、人口は減少の一途をたどると予測されている。老年人口は、総人口が減少に転じた後も増 加を続け、老年人口割合は1997(平成9)年の15.7%から、2050(平成62)年には32.3%まで上昇すると見込まれている(図表3-2)。日本に いる約3人に1人がお年寄りということになる。また、高齢化はそれまでの政府の予想を上回る速度で進んでいることが明らかになった。 図表3−2 総人口に占める高齢者の割合の推移 平成7年までは『国勢調査』,平成8年〜10年は『推計人口』, 平成11年以降は国立社会保障・人口問題研究所『日本の将来 推計人口 −平成9年1月推計』(中位推計)より作成 急速な高齢化の進展やバブル崩壊後の経済状況の変化により、年金制度を取り巻く環境は大変厳しいものとなっており、年金財政に与える 影響も非常に深刻なものになっている。将来においても現在の給付率を保つためには、1994(平成6)年時点で、厚生年金の最終保険料率 (労使折半)は、2025(平成37)年度に29.8%、国民年金の最終保険料(毎月1人当たり)は2015(平成27)年度に21,700円に上昇する と試算されていた。ところが、1997(平成9)年1月に公表された新人口推計では、より一層の少子・高齢化が進むことが見込まれ、将来推 計人口のみをこの新人口推計に置き換えて将来の保険料を試算し直した「新人口推計対応試算」によれば、厚生年金は2025年度には現在の 17.35%から34.3%、国民年金は13,300円から24,300円となり、現在の保険料(率)に比べて2倍近い水準まで引き上げることが必要とな っている。給料30万のサラリーマンの場合、保険料は月々26,000円から、51,000円の増加となる。 図表3−3 厚生年金の保険料率の将来見通し 図表3−4 国民年金の保険料の将来見通し 以上 厚生省『年金財政ホームページ』より抜粋 http://www.mhw.go.jp/search/docj/topics/nenkin/zaisei/index.html 第2節 厚生省の「5つの選択肢」 平成9年12月、次期年金改革の議論の素材として、厚生省は給付と負担の在り方に関する「5つの選択肢」を提示した。会社員が加入する厚 生年金の保険料率は、現行の給付水準を維持するには、2025年度に年収の26.4%まで上昇、現在の13.3%の約2倍になる。同省はこれを上 限に置き、現役世代の負担を軽減するため、最終的な保険料率を年収の23%、20%、15%の3通りに抑制する案を示し、それぞれ年金給付 額がどれくらい下がるか試算した。また基礎年金を除いた公的年金を廃止して民営化にゆだねる案も加え、以下の5案の選択肢を示した。 標題は「21世紀の年金を選択する」とある。危機が顕在化した国民年金問題には何も触れずに、21世紀の年金といえるだろうか。 = 5つの選択肢 = A案 現行制度の給付設計を維持する案 ・前回の平成6年改正に基づく給付水準や支給開始年齢等を維持する。 ・ 厚生年金の最終保険料率は、月収の34.3%(ボーナスを含む年収の26.4%)に上昇。 B案 厚生年金保険料率を月収の30%以内にとどめる案 ・ 厚生年金の最終保険料率を、前回の平成6年改正の前提であった月収の30%(ボーナスを含む年収の23%程度)以内にとどめることと し、その範囲内に収まるよう給付設計を見直す。 ・平成37(2025)年度時点で支出総額を1割程度抑制することが必要。 C案 厚生年金保険料率を年収(ボーナス含む)の20%程度にとどめる案 ・ 厚生年金の最終保険料率を、ボーナスを含む年収の20%程度(月収の26%程度)にとどめることとし、その範囲内に収まるよう給付 設計を見直す。 ・平成37(2025)年度時点で支出総額を2割程度抑制することが必要。 D案 厚生年金保険料率を現状程度に維持する案 ・ 厚生年金の最終保険料率を、現状程度の月収の20%程度(ボーナスを含む年収の15%程度)にとどめることとし、その範囲内に収ま るよう給付設計を見直す。 ・平成37(2025)年度時点で支出総額を4割程度抑制することが必要。 E案 厚生年金の廃止(民営化)案 ・ 公的年金は基礎年金を基本に1階建ての年金とするとともに、厚生年金は廃 止し、積立方式による民間の企業年金又は個人年金に委ねる。 第3節 年金審議会の「国民年金・厚生年金保険制度改正に関する意見」 平成10年10月、次期公的年金制度改定のあり方を検討してきた年金審議会(厚生省の諮問機関)は、少子高齢化がピークを迎える202 5年に向け、厚生年金の段階的な水準の引き下げと、保険料率の引き上げは「避けられない」と明記した意見書をまとめ、厚生大臣に 提出した。少子高齢化を迎え、制度を変えなければ、将来、現役世代の保険料負担は過重になる。保険料を負担できる程度に抑えるた めに、給付総額圧縮はやむを得ない、と意見書はいう。保険料は上がる一方、給付水準は下げられ、現役世代に極めて厳しい内容にな った。今回の意見書は、今後の公的年金制度改正の重要な手がかりになると考えられるので、以下にその要旨をまとめる。 基本的考え方 受給者の大幅な増加と現役世代の人口の減少から、現役世代の負担引き上げは避けられない。将来世代の負担を過重にしないことが重 要で、将来の給付総額の伸びを抑制することは避けられない。2025年ごろの社会を年頭に改革を進めるのが適当。 基礎年金 財源を将来的に税で賄う方式に転換すべきだとの主張があるが、年金や税のあり方を根本的に変える問題であり、現状では現実的でな く、さらに慎重な検討が必要。国庫負担率を将来的に2分の1に引き上げるべきだとの意見が強かったが、現在の財政・経済状況では次 期改正で引き上げを行うのは現実的に極めて困難。基礎年金の額の引き下げは現実的に困難。当面、物価スライドによる購買力維持に とどめるのが適当。 厚生年金の給付・負担水準  負担の限界水準について、労使合わせて月収の30%以内との意見や、厳しい経済環境から26%程度、20%以内との意見があった。給付 水準は世界有数で、引き下げはやむを得ない。この場合、年金受給者や間もなく年金を受給する者は、現在の受給額、または受給でき るはずの額を保証。 スライド方式  年金裁定後の物価スライドは必要不可欠だが、賃金スライドを当分の間行わないようにすることはやむを得ない。 在職老齢年金  60歳代後半の在職者にも厚生年金を適用して保険料負担を求め、報酬比例部分の支給することが適当。 支給開始年齢  2001年から厚生年金の基礎年金部分の支給開始年齢を段階的に65歳に引き上げるが、報酬比例部分(別個の給付)は60歳支給としてい た。しかし別個の給付も十分な準備期間をとり支給開始年齢を段階的に65歳に引き上げるべきだとの意見が強かった。 保険料負担  将来の現役世代が負う負担軽減のため適切な段階的引き上げを行うべき。具体的な引き上げ方は、現下の経済状況に配慮した方法を検 討すべきだ。国民年金の複雑な免除基準を見直し、的確な事務処理を行う必要あり。 総報酬制  厚生年金の保険料は月給に賦課されているが、ボーナスの額による負担の不公平を是正するためボーナスも賦課の対象にし給付に反映 させる総報酬制を導入すべき。 第3号被保険者など女性の年金  多くの課題があり、民事法制、税制など専門家による検討の場を設け、早急に検討すべき。 学生への適用 学生の保険料は親が払っている例が多く、学生本人が社会人になってから納付できるような対策を検討すべき。 第4節 厚生省の「3つの改革案」 平成10年10月28日、厚生省は審議会の意見書をもとに、公的年金制度改革案をまとめ、政府自由民主党に提示した(図表3-5)。サラリ ーマンが加入する厚生年金について、現在、月収の17.35%の保険料率を2019(平成31)年には26%まで引き上げる。このために来年の 保険料率は19%にし、その後、5年に2%ずつ上げていく。年金給付水準は下げ、2025(平成37)年時点での支給総額を2割程度抑えると いうことである。厚生省は来年の通常国会に関連法案を提出する予定であるが、政府自民党は景気対策を優先して来年の保険料引き上 げを凍結する方針を固めている。その他の給付減を伴う改革案でも調整は難航が予想される。第1案では、60歳代前半で受け取れる厚 生年金の報酬比例部分の支給開始年齢を段階的に引き上げて廃止し、2025(平成37)年には完全に65歳からの支給とする。同時に、今の 制度のまま伸びたと想定した厚生年金の年額より5%下げる。2025年には、働く世代の平均賃金を月72.5万円と見込んだのである。年 金額は夫婦2人(夫は40年加入、妻は専業主婦)で42.8万円と試算する。平均賃金に対する年金の比率は、現在の61.6%から59%に落 ちる。第2案では、60歳代前半の支給を維持しながらも、給付額を15%減らす。2025年の支給額は夫婦で409,000円になる。第3案も60 歳代前半の支給は続けるが、基礎年金と厚生年金の両方を10%ずつ減らし、支給額は夫婦で394,000円となる。国民年金保険料は、現 在の月額13,300円を第1、2案は23,000円、第3案では21,000円程度まで引き上げる。つまり、「60代前半の年金受給をあきらめれば、 その後の給付水準はそれほど下がらない」(第1案)という案と、「60代前半の年金受給にこだわれば、その後の給付水準がかなり下が る」(第2、第3案)という案との選択を迫っていると見ることができる。注目すべきは、抜本改革の大きな課題だった国民年金制度の 見直しや国庫負担率引上げについては見送られた点である。少子・高齢化に対応するため、ある程度の給付削減はやむを得ないとして も、長期的なビジョンをきちんと示していない今回の案では「安易に給付削減に走った」という批判は避けられない。特に、厚生年金 の支給開始年齢については、1994年の前回年金改正で、基礎年金に相当する定額部分を段階的に65歳まで引き上げることを決定したば かりである。今回、報酬比例部分の支給開始年齢も引き上げる方針を打ち出したことは、年金が「逃げ水」のように遠ざかる印象を受 けざるを得ない。これでは、国民の年金に対する不信感は増大してしまうのではないだろうか。 図表3-5 厚生省年金改革案(3案) 給付(厚生年金) 保険料 60歳代前半の報酬比例部分 報酬比例部分 厚生年金の最終保険料 国民年金の最終保険料 第1案 廃止 5%削減 月収の26% (ボーナス除く) 23,000円 第2案 支給 15%削減 第3案 支給 10%削減 21,000円 『日本共産党ホームページ』より作成 http://www.jcp.or.jp/Kenkai/Syaho/nenkin-1029.html *標準年金月額は、65歳以上の夫婦で夫が40年厚生年金保険に加入、妻は専業主婦の例 第5節 自由民主党年金制度調査会の「平成11年 年金制度改正について」 年金審議会意見書、厚生省の改革案をもとに、自民党の年金制度調査会は12月2日、99年からの公的年金制度改革案を決定した(『自由民 主党ホームページ』参照)。全国民に共通する基礎年金の国庫負担率を2004年までに2分の1(現行は3分の1)に引き上げるなどの措置に より、 @ 厚生年金は月収の24%(現行は17.35%。労使折半)A 国民年金は2万円を相当下回る――水準までそれぞれ抑えることが柱 となっている。来年予定されていた厚生年金保険料などの引き上げは凍結し、2年間をめどにするとの考えを示した。自民党は今後、自 由党との政策協議に入り、12中旬までに政府・自民党案を正式決定する予定である。今回の自民党案では、基礎年金の国庫負担率引き上 げなどが示されたが、一方でそれに伴う財源措置に関する言及は避けた。給付抑制策では、10月の厚生省改革案と同様 (1)厚生年金の報 酬比例部分(基礎年金部分を除く2階部分、現行は60歳から支給)の支給開始を段階的に65歳まで引き上げる (2)現役世代の手取り賃金 の伸びに応じた「賃金スライド制」を凍結するなどの措置を挙げた。ただ、基礎年金の給付水準は現行水準を堅持、厚生年金の給付水準 は、将来にわたり現役世代の手取り年収のおおむね6割を確保する、としている。その他の措置としては、ボーナスを含む総報酬制の導 入、学生が社会人になってから保険料を納付できる制度の創設、などがある。また、女性の年金の在り方、障害無年金者問題については、 引き続き検討するとのことであった。戦後最悪の不況といわれる中、国民に新たな負担を要求することは景気回復の足を引っ張りかねな いだけに、加入者の保険料負担軽減につながる国庫負担率の引き上げは、大いに評価すべき点である。 国庫負担率の引き上げについては 1994(平成6)年の制度改正の際に「引き上げを検討する」という付則が改正国民年金法に盛り込まれていた。しかし、政府は1997(平成9) 年6月の財政構造改革で、国庫負担率の引き上げの先送りを決定した経緯があり、今回も年金審議会の意見書、厚生省の改革案ともに「次 期改正では困難」として見送った。国庫負担率引き上げ政策の背景には「景気への配慮」と「参院で自民党が過半数割れしている中での国 会対策」という2つの要素が存在したというが、厚生省がまとめた改革案を抜本的に見直すことには賛成である。だが、厚生省案と同様、 国民年金制度の抜本的な改革は見送り、報酬比例部分の支給開始も65歳に引き上げるとしている点には評価できない。改正案の「1 基本 的考え方」には、「年金制度に対する国民の安心と信頼を確保する」と書かれてある。国民年金制度の問題や、積立金の運用についての具体 的解決策が提示されない限り、安心や信頼は得ることができない。   第4章 公的年金制度改革への提言 第1節 公的年金制度改革の視点 今や高齢者の生活における生命線となっている公的年金が、少子・高齢化の進展や経済成長の鈍化といった社会構造の変化の影響を受け、制 度基盤が揺らいで来ている。またそのような変化の影で、皆年金であるはずの国民年金制度が空洞化している。公的年金制度を改革する上で 、政府が言うような給付と負担の均衡を図ることは確かに重要である。しかし財政均衡を図ることができれば、国民の信頼と納得が得られる というほど単純ではない。総理府が1998(平成10)年3月に行った『公的年金制度に関する世論調査』によると、公的年金の関心事として70% の人が「将来受け取る年金水準」、57%が「年金制度全体の将来像」を挙げ、現状よりも将来に関心を持っている。景気後退が深刻化する中 で、来年に予定されていた保険料の引き上げは凍結され、年金財政の先行きにも不透明感が増している。今こそ年金制度本来の目的に立ち返 った議論をし、年金の将来像を明確に示すことが要求されている。公的年金は生活者の老後における確実な収入源であることが期待されてい る。中でも、老後生活費のうち、どの程度が確実に賄われているのかという点が重視されている。従って、高齢者の生活実態を十分踏まえ、 公的年金によってどの範囲まで老後生活が確実に保障されるのかという守備範囲(ナショナルミニマム)を国民の前に明確にすることが必要で ある。そこで、ここでは社会保障制度全体におけるナショナルミニマムを再定義し、そのうえでその基準を公的年金に適用し、検討すること とする。憲法25条では「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(2)国は、すべての生活部面において、社会 福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と国民に基本的人権を保障するとともに、ナショナルミニマムを提供 するための公的関与を義務づけている。もっとも、社会保障制度はその多くが世代間扶養の仕組みであり、また、高齢化の進展は必然的に現 役世代から高齢世代への所得移転の拡大を促すものとなる。わが国経済の成長余力が低下し、現役世代の負担能力も次第に低下するなかで、 右肩上がりの成長過程で保障したナショナルミニマムを将来にわたって普遍的なものとして維持していくことは困難であろう。つまり、これ から迎える超高齢化社会のなかでは、(1)現役世代の負担能力の範囲内で社会保障のナショナルミニマムの範囲、水準を捉え直す、(2)年齢を 基準とした一律的な社会保障給付を見直し、給付対象を真の弱者に限定しつつ、そうした人々には従来同様、過不足のない適切な公的支援を 行う、(3)将来世代の負担抑制に対応して、国民全体に対しては、自己責任と自助努力を求める領域を拡大する、という社会保障制度に関す る理念の再構築とそれに合わせた制度の再設計が必要である。以上を公的年金に当てはめて考えてみると、老後の所得保障分野で公的年金が 提供しているナショナルミニマムの水準の妥当性を検討しなければならない。生活水準との関係から公的年金の受給水準を評価すると、現行 制度のもとで加入期間が40年に達し、満額を受給する資格を有する高齢者夫婦の場合、夫婦2人の年金額(月額)は、基礎年金130,000円、 厚生年金(報酬比例部分)101,000円と合計額は231,000円に達している(94年度価格)。同年度の高齢夫婦2人世帯の消費支出月額が222, 000円であるので、公的年金は被用者年金部分を加味すれば、それだけで消費水準を上回る状況にある。このようにみると、今日、政府が指 摘するように、公的年金と私的年金や貯蓄等とを適度にミックスさせて老後の所得保障を実現する、つまり国民にある程度老後のための自助 努力を求める立場に立てば、現行の公的年金の給付水準は十分なレベルにあるとみることができる。ただし、ナショナルミニマムの視点から 公的年金を検討する場合、同じ公的年金でありながら、国民年金(基礎年金)と厚生年金とではその理念、性格が大きく異なっている点には注 意が必要である。現在の制度では、老後の所得保障は、大別すると生活保護、公的年金、私的年金という3つの領域に整理できる。公的年金 のうち1階部分に当たる国民年金(基礎年金)は機能的には生活保護と類似しており、「最低生活保障」機能を果たしていると言える。一方、 2階部分に相当する厚生年金等の被用者年金は、より私的年金に性格が近く、最低生活保障部分に所得比例の上乗せ給付を行う「生活維持保 障」機能を担っている。このようにみると、老後所得保障のナショナルミニマムを再定義するうえでは、(1)最低生活保障部分の水準は基本 的人権の保障に照らして十分か、(2)生活維持保障部分でどこまで公的関与を認め、私的年金との役割分担を図っていくかの視点がきわめて 重要といえよう。 わが国の公的年金制度は、老後の所得保障に対する公的関与の必要性を認めたうえで、そのなかに存在する「長生きに伴うリスクの分散」 という性格に着目し、社会保険の原理を適用している。しかし、前述したように、公的年金が保障するナショナルミニマムには、厳密には 最低生活保障と生活維持保障との2段階があり、各々の中身は相当異なっている。以下では、最低生活保障機能を担う基礎年金と生活維持保 障を果たす被用者年金(報酬比例部分)との2領域に公的年金を整理し、それぞれが担う機能とその機能実現に相応しい財源を検討する。ま ず、基礎年金の基本原理は国民均一の負担のもとで、最低生活保障額相当を一律支給するという普遍性の高いものである。このため、現行制 度のもとでも年間給付額の3分の1については、国庫(租税)が負担している。もっとも、高齢化が急速に進展するなかで、高齢者の最低生 活水準を保障する財源を観念的には少数化する勤労世代の所得に依存することは今後一段と困難化すると考えられる。このため、代替財源と して、より普遍的な賦課ベースを有する租税を拡充すること、言い換えれば、国庫負担の割合を高めていくことは検討されるべき論点であろ う。一方、被用者年金部分は、自らの所得に応じた保険料を負担した加入者が、引退後は現役時代の平均所得を基準に年金を受給する、いわ ば「負担しただけ受け取る」仕組みである。このため、被用者年金は、基礎年金に比べて個別契約的な側面が大きい。したがって、現行制度 では、その財源には運営事務費部分を除いて基本的に国庫負担金は充当されておらず、全額保険料で運営されている。もっとも、被用者年金 において民間の保険原理が貫徹されるのを妨げているのは、賃金・物価スライドを通じて世代間扶養の要素が組み込まれていることである。 賃金・物価スライドはインフレから高齢者の生活を守るものであり、私的年金にはみられない公的年金固有の機能である。ただし、年金額を 現役世代の賃金や物価の上昇に合わせてスライド改定するには、当然ながら財源が必要である。自らがかつて負担した保険料とは無関係に現 役世代の負担で実施される賃金・物価スライドをどこまで認めるかは、公的年金を通じた世代間の負担格差拡大の抑制を図るうえでは、避け て通れない論点であろう。つまり、高齢化の進展により拡大する公的年金の制度矛盾を軽減するためには、最低生活保障機能を担う基礎年金 部分では租税原理を拡充する一方、生活水準を維持するためのリスクシェアの役割を持つ被用者年金(報酬比例部分)では民間保険原理への 接近を図る必要がある。 第2節 公的年金制度の再構築 基礎年金の財源について、租税を拡充するにとどまらず、現行の社会保険方式を完全に捨てて税方式による財源調達を行うべきである、とい う考え方が、専門家や経済団体から出されている。今回の年金審議会の意見書にも言及されたが、「さらに検討すべき」にとどまった。税方 式を導入すれば、保険料未納・実加入の問題や、無年金問題、膨大な行政費用などは一挙に解決できる。税法式で財源調達を行う場合、どの ような方法が望ましいだろう。現行の保険料は所得水準に関わらず定額であり、極めて逆進的な仕組みといえる。この逆進性をもっとも効率 的に解決するためには、累進構造を持っている所得税で調達することが理想的である。だが、所得税には税の捕捉上の問題、いわゆるトーゴ ーサン・クロヨン問題(注4)があり、不公平が発生しかねない。また、所得のない者からの負担の徴収をどうするかという問題も生じる(この 点は、個人を単位として年金制度を構築する場合に、致命的な問題となる)。従って、次に消費税という方法が考えられる。消費税は所得税 ほど累進的ではないが人頭税としての定額保険料ほど逆進的ではない。また、消費にリンクして徴収される税であるため、誰もが負担するこ ととなり、第3号被保険者制度の問題や学生からの保険料徴収なども解決できる。 (注4) 所得に対しての捕捉率を言う。サラリーマンは所得の10割、9割は捕捉されて税金を納めているが、自営業者は5割、6割しか、農家は3割、4 割しか捕捉されていないことを表す。この言葉どおりの捕捉率かどうかを確認することは出来ないが、実際問題サラリーマンは自ら確定申告 することができず、勤務先から毎月所得税を源泉徴収されていて、ほぼ100%の所得を捕捉されている。それに対して、自営業者は確定申告 によって、収入から必要経費を差し引いた額を所得として申告している。だが、この申告が厳密に正しく申告されているかは税務調査で調べ られている事例を見れば明らかである。税務署の職員は、全ての確定申告を調べられる人員がおらず、脱税の疑いがある大口の申告書等を5 年に一度程度しか実地調査を行っていない。また、事業なのか個人の生活上のものか境界を引くのが難しい点もあり、結果的にサラリーマン と同じ所得がある自営業者は、半分程度しか税金を納めていないことになる。現状でも国民年金の財源の3分の1は国庫負担で賄われているわ けであるが、厚生省の試算では、残りの3分の2を消費税で賄うとすれば、1998(平成10)年度は3.2%、2025(平成37)年は6.1%の税率引き上 げが必要となる。もちろん、この消費税は高齢者にも課されるため、高齢者の負担が一時的に増加することとなる。ただし、高齢者が受け取 る年金額について、これまでと同じように消費税上昇分も物価スライドすれば、高齢者は負担をしないことになる。ところが、高齢者のため の物価スライド分は年金給付の増加となり、さらなる消費税率の上昇につながる。消費税を導入する上での一番の問題は益税の存在である。 日本の消費税制度は、消費者から預かった消費税が十分に国庫に届かないという問題を抱えている(注5)。残念ながらこの問題の解決策を自 分自身で提案することはできない。しかし、真の国民皆年金を実現し、全ての国民に最低生活の保障を行う最善の策は、消費税方式の導入で あると考える。一方、2階部分の被用者年金(老齢厚生年金等、報酬比例部分)は世代間扶養という要素は極力排除し、長生きに伴うリスク の分散と受益・負担の均等という保険原理が極力貫徹される制度に改めるべきである。 近年、被用者年金(報酬比例部分)の見直し案のなか には、積立方式に移行後、企業年金等と統合すべきという民営化論や確定拠出型年金への移行論があるが、この案には賛成できない。その理 由は第1に、実施にあたり「二重の負担」問題(両親の面倒はみるが、自分の老後は子供や孫にはたよらないことによる負担問題)が発生する こと。第2に民営化された年金は掛金建てで運用され、給付は事前には確定しないため、老後生活の安定(従前生活水準の維持)は必ずしも 保障されず、運用リスクや物価変動リスク等はすべて本人が負うことになる。また掛金建て民間年金の場合、給付は男女で差がつく。女性の 方が男性より総じて長命だからである。掛金が同じであれば年々の給付は女性の方が少ない(厚生年金の場合には、こうならない)。さらに、 こうした問題が解決され、公的年金の民営化を実現する視点に立ったとしても、老後の所得保障の分野での公的関与が不要となるわけではな い。例えば、公的年金(被用者年金)がなくなったが故に、低年金・低所得者が多発する事態を予防する観点から、(1)私的年金への加入を政 府が国民に強制する、(2)運営・資金運用の失敗に起因する私的年金の破綻に対処するためのセイフティーネットを整備する、等の公的支援措 置は、国民の老後に備えた自助努力を支える施策として必要不可欠であると、考えられるからである。 (注5) 消費税はスタート当時、「ねこばば税」と言われた。売り上げ高の小さい業者には、一律低額の消費税相当額を見込み納税させることで、処 理するやり方をとったからだ。このやり方では確実に業者の手元に消費税の一部がのこり、かれらの収入になってしまう。これが、消費税が 猫ばば税と言われるようになったゆえんである。その後この便宜納税認定適用の基準売上額を低く設定し直すことで「ねこばば」額は減った といわれるが、ゼロではない。ヨーロッパなどで消費税の徴収で実施されている、「インボイス方式」をとれば、消費税は完全に政府に回収 できるということである。しかし、これは、一方で売上額が政府に完全に把握され、業者の商行為がガラス張りに なり業者の所得が税務署 に筒抜けになるので、反対が強いという。 第3節 公的年金制度を取り巻く環境の整備 少子化対策の視点から公的年金制度を見直すことも重要な課題である。わが国では今後一段と超高齢化が進むことになるだけに、高齢者を 支える枠組みとして公的年金制度あるいは社会保障制度自体の重要性が高まっていく点は論を俟たない。しかし、そのためには、あるいは一 国の経済・社会基盤を支える基礎的条件を維持するためには、一定の人口、現役世代を確保する視点から少子化に歯止めをかけることがきわ めて重要である。ちなみに、厚生省の新人口推計では、現行程度の合計特殊出生率が中長期的に持続する低位推計値の場合、100年後の2100 年には15〜64歳の生産年齢人口は、96年の8,716万人から2,776万人へと現在の3割程度の水準に落ち込むことになる。こうした人口水準の崩 落が生じれば、今日のわが国の経済・社会構造はきわめて深刻な調整を余儀なくされることになろう。少子化対策には「子供を産めない人も いるうえ、個人の人生観・価値観に関わる問題」として政策的な関与や誘導をタブー視する見方や、老後所得保障のための政策手段である公 的年金に、少子化対策の要素を組み入れることにより、制度が複雑化・不透明化することへの懸念、が存在するのも事実である。しかし、こ れまでの経済発展や社会保障制度の充実が老後の不安を薄め、子育ての誘因を低下させることにより、それが合成の誤謬の形で、少子化 → 現役世代の減少 → 経済・社会保障制度の不安定化をもたらしているという因果関係を認めると、少子化は市場の失敗のひとつとみなされる。 加えて、少子化はその経済・社会に及ぼす当面の影響がさほど大きくないとしても、長期的には間違いなく経済・社会の存立基盤を揺るがす 問題である。それだけに、少子化問題に対して総合的・多面的な政策的展開を行うのにもはや一刻の猶予も許されない。社会保障の分野では、 世代間扶養という社会的機能を存続させるため、現役世代を安定的に確保する必要がある以上、子育てについてもまた社会全体で支える枠組 みづくりが必要なのは明らかである。育児環境の整備、介護施策の充実、男女の就労条件の均等化など女性の働きやすい環境を積極的に整備 していく必要がある。また厚生年金の支給開始年齢の65歳への引き上げという措置を取る以上、高齢者の就労環境の整備もまた早急に進める 必要がある。労働省『平成10年度雇用管理調査結果速報』によると、94.7%の企業が定年制を導入している。また、5,000人以上の大企業の 99%が60歳定年であり、60歳超の定年を実施している企業はほとんどない。年功序列賃金の見直し等、雇用者側の人件費負担増嵩という問題 への対処状況にも目配りしながら、さらに65歳までの継続雇用を確保する環境整備を図ることが不可欠である。 おわりに 〜社会保障制度のなかの公的年金制度〜 老後の安心保障としての公的年金の具体的な給付水準を考える際、最も重要な点は社会保障制度間の役割分担である。老後不安は老後の収入 源である年金に対するものだけでなく、若い世代よりもリスクが格段に大きい医療費や介護費用の負担も含めた老後生活全体から生じている と考えられるからである。公的年金、医療保険、介護保険は、それぞれ老後の生活費、医療費、介護費用を保障することで役割分担している。 これらはいずれも基本的には賦課方式であり、世代間移転を伴うため、相互の関連を考えずに給付の充実を図ることは現役世代に過大な負担 を強いることになる。従って、社会保障制度間の守備範囲の整理をしておく必要がある。この場合、考え方は2通りある。ひとつは、年金給 付を十分な水準とすることで、高齢者にも医療保険・介護保険の保険料の負担をある程度求めるという、年金中心型の社会保障制度である。 もうひとつは、年金額を衣食住に関わる最低限の生活費を賄う程度とする一方で、医療保険や介護保険を充実して高齢者には医療や介護のコ ストをあまり求めない、医療保険・介護保険重視型の社会保険制度である。どちらの方香を選択するかによっておのずと公的年金の守備範囲 も変わってくる。例えば、介護費用であれば、発生確率は医療費ほど高くはないが、必要金額は大きい。このような性質をもった費用をカバ ーすることを前提とした年金額を、全ての高齢者に老後期間にわたって支給することは困難であろう。一方、医療費については、高齢者の発 生頻度の多さと、1回当りの費用が介護に比べて低いことを考慮にいれると、年金額は医療費用もカバーできることが望ましい。高齢社会の 進展の中で、年金改革は全ての世代に高齢化の費用分担を求めることになる。政府は、公的年金を信頼できる制度に再構築するために、改革 を先送りすることなく、将来の日本経済や社会について確実性の高い見込みを示し、費用分担を国民に説得することが今求められている。 参考文献 ・ 厚生省『年金と財政』法研、1995年 ・高藤昭『社会保障法制概論』龍星出版、1997年 ・ 村上清『年金制度の危機』東洋経済新報社、1997年 ・ 村上清『年金の知識』日本経済新聞社、1997年 ・ 島田とみ子『年金入門』岩波書店、1995年 ・高山憲之『年金改革の構想』日本経済新聞社、1992年 ・ 田村正雄『やさしい年金財政』社会保険広報社、1997年 ・ 小塩隆士『年金民営化への構想』日本経済新聞社、1998年 ・ 本沢一善『日本の年金制度』学文社、1998年 ・社会保障研究所編『社会保障の財源政策』東京大学出版会、1994年 ・ 第一勧銀総合研究所著『図解年金のしくみ』東洋経済新報社、1998年 ・ 清家篤『高齢化社会の労働市場』東洋経済新報社、1993年 ・ 総理府社会保障制度審議会『社会保障統計年報 平成9年版』法研、1998年 ・ 厚生省『厚生白書 平成10年版』ぎょうせい、1998年 ・ 労働省『労働白書 平成10年版』日本労働研究機構、1998年 ・ 宇都宮市市民生活部国民年金課『宇都宮市の国民年金(平成10年度版)』、1998年 ・ 経済同友会年金・福祉問題委員会『安心して生活できる社会を求めて−社会保障改革の基本的考え方』、1997年 ・ 財政制度審議会『財政構造改革を考える−明るい子どもたちに−』、1996年 ・ 中川雅治、乾文男、原田有造編『財政投融資』大蔵財務協会、1994年 ・ 国立社会保障・人口問題研究所『人口問題研究』 Vol.54 No.1,1998年 ・ 厚生省ホームページ http://www.mhw.go.jp/ ・ 労働省ホームページ http://www.mol.go.jp/ ・ 自由民主党ホームページ http://www.jimin.or.jp/ ・ 貯蓄広報中央委員会ホームページ http://www.saveinfo.or.jp/ ・日本共産党ホームページ http://www.jcp.or.jp/ ・社会保険庁年金ホームページ http://www.nenkin.go.jp/ ・年金情報フロンティア『負けない年金!』 http://www.nenkin.co.jp/ ・JS1KCQの部屋 http://www.sf.airnet.ne.jp/js1kcq/index.html/ あとがき 年金をテーマに卒業論文を書こうと決めたのは、今からおよそ1年前のことであった。昼間、友人宅でくつろいでいると、突然、某区役所の 職員が国民年金保険料の取りたてに来た。友人は「結構です」と言いながら、急いで玄関のドアを閉め、職員を追い払った。なぜ保険料を払 わないのかと聞くと、「将来貰えるか分からないし、それに学生のうちから払うなんて馬鹿ばかしい」とその友人は応えた。この出来事をき っかけに年金制度についての関心を持つようになったのである。今回の論文では、公的年金制度のなかでも国民年金・被用者年金(厚生年金・ 共済組合)における制度上の問題点を主に指摘し、改革への提言を提示することができた。しかし、本論文で取り上げた問題はほんの一部で あり、現行の公的年金制度には制度的にも財政的にも、非常に多くの問題点が専門家によって指摘されている。すべての問題点を挙げること はできなかったが、非常に複雑な日本の公的年金制度を理解し、試行錯誤しながらも自分なりの案を出せたことに満足している。また、公的 年金という一つの問題を深く考えることにより、ある事象に対する学問的アプローチの仕方も僅かながら掴めたと感じている。最後に、論文 を作成するにあたり、周りで支えてくれた方々に感謝の意を示したいと思います。研究室のメンバーである金谷君、伴さん、山本さん。皆さ んが励ましてくれたおかげで、のんびり屋の私も無事卒論を完成することができました。食いしん坊の私にお茶やお菓子をごちそうしてくだ さった北島・梅木・友松研究室の皆さん、早く完成させて遊ぼうと言ってくれた友人、また、第2章を作成するにあたり調査に協力してくださ った宇都宮市市民生活部国民年金課の毛利様、本当にありがとうございました。そして最後に、一番お世話になった指導教官の中村先生に心 から感謝したいと思います。丁寧なご指導、ありがとうございました。
ローカル新聞の現状とその可能性 ―「ミニコミ」を素材として― 山本直美 はじめに  新聞を見ると毎日、たくさんのニュ−スが流れてくる。それを見ることで日本の政治、経済、には詳しくなれる。しかし、地元のこととな ると、灯台もと暗しである。そのことに、引っかかりを感じた。地域のことにもっと目を向けるべきではないか。地域における新聞はどう なっているのであろうか。ロ−カル新聞【1】について調べるにつれて、ロ−カル新聞の立場が、全国・ブロック・地方新聞よりも、ミニ コミ紙【2】に近いことが見えてきた。その理由としては、まず第一に、読者が限られており、新聞を読者との距離が近いということ、つ まり、どちらも同じ地域に住む、当事者のメディアであると言うこと、第二に、商業性が少ないということ。第三に、無名の市民を重視し た内容であること、である。 地方分権がいわれている中、ミニコミの視点からロ−カル新聞を探ることは意味のあることである。ミニコ ミは市民の声であり、ミニコミの歴史は、市民の自立への闘いの歴史である。地方にとって、国に頼っていた時代から、自立していく時代 に移ろうとしている。そうした中、ロ−カル新聞も、従属ではなく、自立の立場をとるべきであり、それにはミニコミの歴史が参考になる。  1章1節では、ロ−カル新聞の概要を知るために、現在におけるロ−カル新聞の実態を載せている。そこでは、ロ−カル新聞の経営、人数、 新聞のぺ−ジ数、購読料、発行部数、兼業事業内容から、経営上の問題、編集の重点、広告主の安定性まで載せており、全国・地方新聞と の違いを読み取った。また、ロ−カル新聞における最近の傾向においては、読者層の変化、広告主の変化、ロ−カル新聞自体の変化を載せ ており、今、ロ−カル新聞界ではどのような変化が起きつつあるのかをよみとった。2節、3節では、2ロ−カル新聞社を取り上げ、設立 までの経緯を追いかけ、内容を読み込み、経営をさぐることによって、ロ−カル新聞がもつ、プラス部分、マイナス部分を明らかにした。 4節では、ロ−カル新聞の経営上の課題を取り上げた。2章1節では、戦後におけるミニコミの歴史をたどる。(戦前については、政府に よる厳しい新聞規制により、抑圧されていたため、隠れて出版されるものはあったが、流れを作るまでにはならなかった)本来、1つ1つ に目を通すことがミニコミのメディアとしての役割を理解するのに適しているのであろうが、ここでは、歴史を通して見ることによって世 の中とどう関わってきたのかを感じていきたい。これを通して、ミニコミが世の中の重要な流れの一部として存在することがわかり、メデ ィアの自立を考えるときの参考になる。2節では、ミニコミを1つ取り上げ、ミニコミを発行する意味を考察した。3節では、貴重な財産 であるミニコミが保存されず、消えつつあることに焦点を当て、ミニコミが消えないように守っている人、その困難を取り上げた。3章で は、インタ−ネットを取り上げ、1節では、インタ−ネットの特徴を挙げ、ミニコミ、ロ−カル新聞に寄与する可能性を考え、2節では、 具体的に動き出している1社を取り上げ、考察した。 【1】 新聞とは、全国紙、ブロック紙、県紙、コミュニティ−ペ−パ−に分けられる。コミュニティーペーパーという言葉は、日本語にあま   りなじんでおらず、地方の市町村で発行されるものは、ロ−カル新聞と呼ばれている。(田村紀雄「全国紙・ブロック紙・県紙・コミュ    ニティーペーパー」稲葉三千男、新井直之編『新聞学』日本評論社・1988年) 【2】ミニコミ紙とは、マスコミ紙に対する和製英語である。戦後の表現の自由のもと、    市民の手によって発行された。その内容は、問題解決のためのもの、組織内の通信      的な役割のもの、趣味的なものなどであったりする。その種類は多様であり、運動    紙、同人誌、学級新聞まで含まれる。(丸山尚『[ミニコミ]の同時代史』)しかし、    ここにおいては、地域新聞との関係上、サ−クル的なミニコミでなく、社会との関    係の深いものを中心としている。 第1章    ロ−カル新聞                              第1節 ローカル新聞の現状   ロ−カル新聞の概要をつかむための資料である。次節で出てくるロ−カル新聞社を理解する際の参考にしてもらいたい。また、ロ−カル新聞  社が全国・地方新聞とは性質の異なることを理解する参考にしてほしい1996年現在、日本には1285のロ−カル新聞社が存在する。それらは、  日刊、週刊、旬刊、月刊とバランスよく散らばっている。企業形態は、会社が65%と多く、その他個人経営が29%存在する。(小数点以下は  四捨五入)従業員数は5人未満が49%と最も多く、人数が多くなるとともに割合は低くなっていく。標準項数は4項以内が最も多く51%、ぺ−  ジ数が多くなるとともに新聞社数の割合は低くなっていく。月額購読料は、無料が35%存在し、1000円未満が41%、2000円未満が19%存在  する。発行部数は5000部未満が35%、1万部未満が14%、3万部未満が21%、5万部未満が7%、10万部未満が10%、20万未満が8%で、約  半数が1万部未満である。ロ−カル新聞は兼業事業を抱えている。印刷業は20%、出版業は13%、広告代理業が、21%となっている。経営上  の問題としてあげられている事は、発行部数の伸び悩みが34%、広告収入の不足が34%、人材難、人手不足が27%、地域社会の無関心が19%、  後継者の欠如が14%、資金難が13%、取材上のネックが8%、技術革新に追いつけないが4%、 となっている。 編集方針の重点は地元社会の  話題が68%、地方行政、政治が50%、イベントなどの生活情報が24%、地場産業、地域経済が24%、地域の文化、教育、スポ−ツが11%、人  事往来が7%、市民運動などの活動が6%、文芸、娯楽が3%、中央ニュ−スが1%となっている。 ロ−カル新聞発展の力点としてあげられ  ていることは、広告の開拓が41%、読者の拡大が41%、経営多角化が24%、有力者依存が3%となっている。広告主の安定性は、安定している  が45%、ある程度安定しているが44%、どちらともいえないが5%、それほど安定していないが2%、安定していないが1%となっている。  ロ−カル新聞の最近の傾向として、3つのことがある。1つめは、内容についてである。具体的には、言論に偏在した古いタイプの伝統的なロ  −カル新聞が消滅しつつあり、かわって、女性主役、家庭との両立、育児、環境やリサイクルいった生活情報にウェイトをおいた新聞が生まれ  つつある。2つめは、タウン広告についてである。ロ−カル新聞における1紙当たりの1行単価は平均すると1565円である。これは、普通の市  民でも負担しうる金額で、サ−クル情報やちょっとした生活情報、ビジネス案内にとって苦にならない金額である。これらの広告が活性化する  ことが、地域新聞経営にとってだけでなく、地域社会の発展にもプラスになるといっている。3つめは、ロ−カル新聞のたくましさについてで  ある。購読料依存タイプから、無題紙へ、郵送から合配へ、お固い編集方針から生活情報重視へ、といった変革は、会社組織が多くを占めてい  るとは思えないほどの、自由さ、適応能力の高さが伺える。これには、この世界の新聞人に、世代交代、高学歴化、反社会的な部分の排除、市  場、読者志向の編集路線、男性中心主義からの脱却、新しい経営イデオロギ−の構築、技術革新への再訓練など、社会的変化に追いつこうとす  る努力が見られるからであろう。【1】この調査において読み取れることは、会社として新聞を発行しているところが多いことである。これは、  ロ−カル新聞が企業として成り立つという事実である。また、経営上の問題点の多くは、部数の伸び悩み、広告収入の不足、資金難など、お金  に関することであり、経営状態の厳しさが覗いてみえる。一方、広告主の安定性については、安定しているが89%も占め、広告収入に対する安  定性をものがたっている。 第2節 ひだニュース(株式会社 メディア21)の現状  ロ−カル新聞について調べるにあたって、実際に発行している2社を選んでインタビュ−を行なった。1つはひだニュ−スを発行しているメデ  ィア21であり、1つは市民時報を発行している市民時報社である。この2つを選んだ理由であるが、メディア21については3年前に創立された  新しい会社であり、まだ安定していないこの会社を探ることによって、ロ−カル新聞設立の大変さ、経営の難しさを見ることができ、内容につ  いては、時代を反映した新しさを見ることができたからである。また、市民時報は、昔ながらの新聞であり、その伝統からくる安定性を見るこ  とができた点で選んだ。ここでは、ひだニュ−スについて触れる。ひだニュ−スは、株式会社メディア21の1部門である。発行部数は5000部で  、月額の購読料は500円である。新聞は、タブロイド型8ぺ−ジで、週刊である。内容は、1面で特集記事、2〜6面が、地域別情報、7面が  スポ−ツ、8面がコラム、イベント、投稿記事、となっている。ここでは、設立までの経緯と、紙面内容と、会社経営について触れている。設  立までの経緯については、新しく新聞を発行する際に乗り切らなければならないこと、第3種郵便をとる難しさについて触れた。内容において  は、現在新聞は何を伝えており、今後何が必要かを考えた。会社経営においては、新聞を商売として成り立たせるために行なっていることを書  いた。 設立までの経緯を挙げる。1995年、同地域の老舗ロ−カル新聞である市民時報社に5年間の勤続経験があるM氏(現編集長)が、新聞  部門の設立に加わり、他にも広告、インタ−ネット業、などを行なう会社が設立された。現在、大手の新聞社では分業化による仕事が行なわれ  ている。そこにおいては、印刷は印刷担当の人が、営業は営業担当の人が行なう。しかし、ロ−カル新聞社の場合は委託するほかは、これら全  ての仕事を行なわなくてはならない。一から始めるには技術や経験が必要である。その点で市民時報社に勤続経験のあるM氏は貴重な人材であ  った。以前から、飛騨地方には、高山市に市民時報、古川町に北飛ニュ−ス、神岡町に神岡ニュ−スが存在していた。新しい新聞を出すに当た  って、これらの新聞に重なるような形の発行では、読者を奪うことが必要となる。それを避けるためには、これまでとは違った新聞を出す必要  があった。また、会社を支えるためには、多くの部数も必要とした。結果として、飛騨地区を範囲とし、全域的な新聞を作ることとなった。こ れであれば従来の新聞とぶつかることもないし、部数も確保できる。新聞を出すにあたって、法的な優遇措置があるである、第3種郵便【2】 を利用する必要があった。そのためには1000部の購読者が必要だった(現在は500部に変更)。また、広告主を集めるためにも、部数を揃える ことが必要であった。そのため、親類、縁者に頼った販売や、日刊新聞紙の広告欄に、週刊雑誌風な形式の広告を載せるといった広報活動、他 に、無料配布も行なった。新聞を発行するまでには、このような努力が続いた。次に内容について触れる一般には地域の情報は、親から聞く話、 小学校の地域学習、地域新聞による記事などから得られる。そして、もっと情報を得たければ、図書館には郷土誌のコ−ナ−があり、多くの資 料を見ることが出来る。しかし、これらは興味のある人であれば、追求するのであろうが、そうでなければ、地域のことなど気にしない日々を 過ごすことであろう。ひだニュ−スは、みんなに気軽に読んでもらえるような内容で地域のことを紹介している新聞である。不特定の読者を対 象にすることから、いかに分かり易い記事を書くかが大切である。1955年に岳南市民新聞を発行した落合巳代治は、ロ−カル新聞について、「 ミニコミには、同志的読者を持つ明確な立場のものと商業紙との2通りあり、どちらでいくか迷うのですが、前者はすっきりしているかわり、 大衆への浸透力で後者に及びません。私の新聞は別に意識の高い人に読んでもらわなくてもかまわないのです。遅れた大衆に、社会の矛盾をい くらかでも感じとってもらえればいいのです。そのことが、地方のミニコミの、何より大きな役割ではないでしょうか」と述べている。「遅れ た大衆」と言う言葉には、誤解があるかもしれないが、この落合が述べているように、もっと地域に関心を持って、更には、社会の矛盾まで考 えてもらうことが、ロ−カル新聞にとっての大切なことである。内容においての特徴は、「人」に関する記事が多いことである。子供、高校生、 社会人など、身近に存在する人の日常を、連載している。人と人とを結びつける事は地域新聞の役割の一つである。また、新聞のような公共出 版物に載ることの少ない人を載せる事は、その人ばかりではなくその近辺の人にとっても、ちょっとしたニュ−スであり、新聞にとっても、紙 面の暖かい雰囲気づくりに一役買っているともいえる.もう1つ特徴的なことは、新しく起こった出来事を載せるというよりも、存在していたも のにスポットをあてるといった記事の、多さである。地道に地域を探っていく方法は、地域を知る上での重要である。 たとえば、全国・地方 新聞の地方欄では、飛騨地区は全体のなかの一地域といった扱いである。ところが、ひだニュ−スの中における飛騨地区とは、生活の場であり、 政治の場であり、教育の場であり、経済の場であり、助け合いの場である「社会」である。これこそが、ロ−カル新聞の存在意義の1つである。  しかし、これからの内容的な課題として2つのことがある。1つは、ロ−カル新聞であることからくる内容的な制限をどう克服するかである。そ れは、狭い地域での発行のため、どんな記事を読者が求めているのか、これを書くことにより気に入らない人が出てこないか、ということに作り 手側が敏感にならなければならないということである。しかし、読者が求めることに媚びてばかりでは、新聞としての役割を放棄することになり かねない。地域が存続していく上で必要としていることと、読者の要望がうまく交差する新聞にしなければならない。もう1つは、中日新聞とい うブロック紙、あるいは岐阜新聞という県紙といった存在の認識である。ひだニュ−スは、マスコミの日刊紙と併読されている。さらに、日刊で はなく、週刊である。他紙との差別化をはかるためにも、高山人による、高山人のためのメディアということを強調したものにする必要性がある。 今はまだ、趣味的な記事もあり、高山人に真に必要とされているとは言い難い。これをこれからどう持っていくか、であるが、それを知る手がか りとして、ミニコミを探っていこうと思う。次に他の事業と経営について触れる。  メディア21の業務内容は、新聞発行、各種印刷事業、インターネット事業、町おこし、販売促進企画と多岐に渡っている。印刷事業においては、 飛騨地方で初のオフセット輪転機導入し、印刷枚数は飛騨地方でトップとなっている。インタ−ネット事業においてはNECバ−チャルモ−ルに 参画し、地域の情報、飛騨の特産品などを伝え、販売している。このように、新聞業が会社の全てではないということは全国的な傾向である。  ひだニュ−スは、自家印刷を選んでいる。この場合、新聞業だけだと機械の運転に無駄が出来てしまうが、広告、PR版、広報など印刷事業を行 なうことによって、利益を産出することができる。多くの事業を兼業し、純粋な新聞業ではないため、公平さを要する新聞業において、新聞活動 にしがらみがあるのではないかと懸念される。しかし、会社内は、きちんとした分業制で、新聞においても、記者と経理、営業は分離されている。 記者は記者業だけに専念するようにできており、その心配はない。また、経営については、具体的なことは企業秘密であるが、大まかに言うと、 従業員の給料が払うのがぎりぎりという現状である。地域新聞の場合、地域に新聞が認められ、部数に結びつくまでに、年月を要する。それまで どう踏ん張れるかが新聞存続の秘訣であろう。【3】 第3節 市民時報の現状  市民時報は、高山市において戦後から発行を続けてきた老舗の新聞社である。飛騨ニュ−スを発行するメディア21とは、同業者の関係である。  概要であるが、市民時報は、且s民時報社によって発行されており、発行部数は1万3500部、購読料は月額630円である。大きさはA4版に近 く、4ぺ−ジ、または6ペ−ジで、週3回刊である。内容は、コラム、イベント案内、歴史資料、市民の紹介、高山市における最近の出来事な どである。設立から順に紹介していく。昭和23年3月1日進駐軍により、地域ごとに広報を出せとの指令があった。高山市にも同様に指令が下 ったが、その頃、新聞を作るという技術を持ったものは、少なかった。そこにちょうど、毎日新聞に勤続経験のある真木 潔がおり、この方が 先頭に立って新聞を作ることとなった。これが市民時報の始まりである。この頃の記事は回覧板的なもので、配給など生活に密着したものが多 かった。現在、発行部数は1万3500部である。高山市の戸数が2万2700戸であることを考えると、60%に上る。ちなみに、岐阜新聞の高山市に おける発行部数は3千部である。最近の不況からマスコミでは販売部数の低下が懸念されているが、市民時報においてはそういうことはなく、 更に、今年入社した、元保険セ−ルスマンの頑張りで毎月100部ずつ増えているほどである。既に安定期に入っている会社であることを考える と、この増加率は会社にとって元気が出てくる数字であろう。ここで、不況にも負けない地域に密着した新聞の強さと、小さな会社に与える人 材の影響力の大きさを感じた。現在、市民時報では12人の従業員が働いている。このうち記者は5人である。会社の隣には、市民時報旅行社の 事務所が存在するが、この2つは全く別の会社として経営が行なわれている。ロ−カル新聞の場合、他の事業と組み合わせて新聞発行を行なっ ているところが多いが、ここは新聞業だけで経営が成立している珍しい例であるといえる。市民時報の経営は、購読料収入と、広告料収入の2 つで成り立っている。購読料は1カ月630円で、これに発行部数をかけると850万になる。しかも、発行部数が多いことから、普通、広告は営業 マンが取りに回らなければならないのであるが、広告主のほうから依頼が集まる。これにより、営業マンもいらないし、広告の心配もない。経 営状態は極めて安定していると言える。市民時報は印刷機を持たない。版下まで記者が仕上げて、その後は外注で印刷に出している。それにつ いては、こう言っている。「印刷機を持つと機械を遊ばせないために印刷業もしなくてはならなくなる。そうなるとどうしても、人に頭を下げ なければならなくなる。ジャ−ナリストとして書きたいことを書くことを考えると、それはいいことではない」一方、この新聞を書く側に立っ ている人が考えるこの新聞の存在意義は「市民の立場で考えられている」ということである。マスコミから派遣された支局、通信部の人は、高 山と言う土地をよそ者の目で見てしまいがちである。市民の立場で行政などに対して警告できるのはこの土地に根付いた仕事をしているミニコ ミの長所である。【4】以上が、市民時報内部にいる人の意見であるが、外部の人からは、「伝統があるゆえに内容に変化が無く、面白味にか ける」という意見も聞かれる。経営的に安定し、あがきがなくなった分、読者との距離が少し遠くなっているように感じる。  第4節 ローカル新聞の経営上の課題  地域新聞の経営上の課題とは、部数が少ないことからくる悪循環である。  新聞の場合、内容が決定してしまえば、あとは印刷するだけであり、印刷すればするほど利益が大きくなる。ところが、地域新聞の場合、配布 エリアが小さく、販売部数が早期に頭打ちになってしまう。そうなると残りは、広告収入とその他の事業収入に頼らざるをえない。広告収入は、 その地区において、どれだけの割合で読まれているかで決まる。読む人の割合が高いほど、広告価値も高くなるからだ。よって、部数が軌道に 乗るまでは、経営は、不安定にならざるを得ない。地域新聞を作る難しさは、ここにある。松本市民タイムズの新保社長はこう話す「読者から 一定の評価がくだされ、部数につながるまで5年、10年かかる。それまで持ちこたえられるかどうかが、勝負どころだろう」この新聞は現在、 6万5千部の部数を誇るが、創刊から、83年までの12年間は5千部のまま伸び悩み、赤字続きだった。「理念だけでは経済的に成り立たない」 と、記者たちが嫌った「おくやみ」欄を載せるなどして、部数を増やした。 日刊京都経済新聞は、97年、地元中小企業の戦略リポ−ト、商店 街の町づくりなど、京都の細やかなニュ−スを載せ、創刊された。「大部数を抱える新聞にはない、読者対象を絞り、特徴ある質の高い情報紙 を出したい」との理念のもと、アイディアと意力でもって、採算ラインを超える努力を続けている。印刷、配達、集金の委託、紙面の割り付け の簡単な横書き新聞、契約記者の利用などは、新聞経営の合理化の結果である。【5】メディア産業は、ほかの産業と違い、必ずしも内容の質 と売り上げが比例しない。読者層の狭い専門紙や、地域紙の場合、新聞社が、商売として存続していく上では、内容だけではなく、経営の努力 も必要である。また、経営の合理化は、メディア産業において、部数の王者が世論の支配者にならないために、もっと研究されるべき分野であ る。     【1】 田村紀雄『地域とメディアの30年間ー第4次「ロ−カル新聞全国 皆調査」ー』    人文自然科学論集第104号所載抜刷・1997年 【2】 新聞を配るには、1軒1軒配って歩く方法と、郵送で送る方法がある。民家の散らばっている地域では、郵送のほうが便利である。「郵便 の役務をなるべく安い料金で、あまねく、公平に提供することによって、公共の福祉を推進する」(第1条)郵便法の中には、文化の普及、 発達を手助けするものとして第3種郵便物制度が存在する。この制度を用いることによって、過疎地にもくまなく新聞を配達することが出来る。この第3種郵便物はどんなものでも低料郵送が出来るわけではなく、この郵便物指定を受けるためには様々な条件がある。これらは、発行数、発行日数、発行内容を規定しており、簡単には取れない仕組みになっている。     第3種郵便物の取得の条件についてはここ5年間で、一回の発行部数が1000部      から500部へ、毎月1回以上発行が、年4回以上発行に緩和している。しかし、       アメリカにおいては、封書が、日本よりもはるかに安い上に、非営利の民間活動に    おいては、通常の数分の一の料金で送ることができ、その上る。そして、この制度    を約30万の団体が使用し、年に120億の郵便物を出していることを考えると、日    本の制度はまだ遅れていると考えられる。(東海郵便局『第三種郵便物利用のご案    内』東海郵便局郵政部・1998年) 【3】1998年、メディア21、丸山肇氏とのインタビュ− 【4】1998年、高山市民時報社、中村輝行氏とのインタビュー 【5】1998年6月16日付朝刊、朝日新聞 第2章    ミニコミ 第1節 ミニコミの歴史  1947年、新憲法の公布により、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲はこれをしてはならない。 通信の秘密は、これを侵してはならない。」という言論表現の自由の保障が規定された。これによって今まで押さえつけられていたメデ ィアが日の当たるところで動き出すこととなる。敗戦後まもなく集団発生をみせるのは地域ロ−カル新聞である。戦争中は一県一紙に制 限されていたのだが、新聞の発行が自由になると、地域言論人は一斉に自分たちの「まちの新聞」発行にとりかかった。これら五百部、 千部単位のロ−カル新聞が1954末までに全国で371紙が創刊された。1940年代の後半は職場や地域、青年団、という、「組織」を中心と した文集や機関紙活動が行なわれた。その内容は短歌、俳句、詩などの文芸作品と、身辺雑記であった。1950年代の後半は、60年代に至 ってニュ−タイプのミニコミが生まれてくるまでの揺籃期にあたる。ミニコミの多くは同人誌、機関紙、ロ−カル誌などで、地域、組合 という組織の中から生まれてくる旧タイプのミニコミであった。1958年、日米安保の改定交渉が始まった。これに対し、国民の多くは反 対し、デモやストが、かつてない規模で行なわれ、大量のミニコミを発生させた。これは、自立した市民を生み、ミニコミの形態を変え るきっかけへとなっていく。ミニコミの多くは、人に何か伝えたいことがあるとき、初めて生まれる。このとき、この願いをかなえたく ても出来ない人々が存在した。この人々が、これまでのミニコミの流れに一石を投じることとなる。反対闘争に参加できた人とは、なん らかの組織に籍をおく人であった。その組織とは政党、労働組合、学生連合などで、これらに籍をおかない人は、行動に参加せず、みて いることしか出来ない状況であった。これらの人のための会として生まれたのが「誰デモはいれる声なき声の会」であった。1人の勇気 で生まれたこの会は、デモに出て歩いているうちに300人以上にもふくれあがった。この会の活動は、ベトナム戦争などにも引き継がれ ていく。60年安保後、既成組織が全体として力を弱め、市民の自主的な活動がそれにとって変わる時代となっていく。そして、60年以降 のミニコミは、それまでとは変わり、組織性に依拠せず、考え方や問題意識などを唯一の結び目として、横に広げていくためのメディア として発生していくこととなる。60年代後半に入ると、地域に根差したメディアが登場してくる。 これまでマスコミの受け手であった 市民が、自らメディアを持って、身近な人々とのコミュニケ−ションを開始した。ところで、ミニコミが生まれる時代的背景はいくつか 考えられる.安保によって矛盾に対し積極的に活動するという土壌が出来たこと、50年代後半から日本住宅公団が、住宅不足解消のため に大都市を中心に大型団地を建設したことから、団地族という新しい意識を持った市民集団が地域単位に形成されていき、その集団が、 人工膨張を反映して生活に歪みが発生しつつあった都市部において、問題を解決するためのメディアを発行していったこと、である。  こうした地域での盛り上がりはその後、1つは65年から始まったベトナム戦争反対の市民運動に、そしてもう1つは公害反対の住民運動 につながり、膨大な料のミニコミを発行させていく。そして、これらの運動を通して、日本の市民は自らの意志で行動するという初めて の経験を持った。70年代前半は、価値観の拡散と開放された意識によって、「ミニコミブ−ム」といわれるほどミニコミを大量に生んだ 時代であった。風俗的にみて、若者を中心にかつてないほど自由になっていた。そして、アウトサイダ−的スタイルや異端者的発言が、 ミニコミを通して容認され、文化が形成されていった。一方、若者の軽やかな文化とは対照的に、住民運動の現場では、公害による地域 生活の危機に直面しており、これをはねのでなければならない現状があった。そして、これらの住民を結ぶ手段としても、ミニコミが発 行された。70年代後半になると、残念ながら、若者はミニコミを通しての自己表現をやめ、口をつぐんでしまった。それは、70年代前半 において既に、その傾向は見られていた。というのは、70年代前半、学校、職場、地域、行政、政治においては、個性や独自性が規制さ れる傾向があったのである。一方、年々ミニコミの世界でその地位を拡大しつつあった住民運動の分野は活発な動きを見せていた。企業 批判は73年に頂点に達し、その次に現れたのが、エコロジ−や、化学食品、自然破壊などの人類生き残りへの模索や、地球的活動である 海外支援、騒音を逃れるための権利や、女性解放、禁煙権、障害者保護など新しい権利のための運動であった。また、70年代後半には、 地域における市民的ネットワ−クのメディアが多く創刊された。企業や行政は市民運動の洗礼を受け、対応をしていったのだが、より巧 妙になって、要求を封じ込めるケ−スも多く出てきた。それに対抗する集団化として、ネットワ−クの必要性が出てきた。70年代後半は、 世間では住民運動の冬の時代の始まりといわれている。それは、リサイクル、第3世界、君が代をめぐる天皇制の意味、工場のハイテク 化に伴う労働者問題などなど、現在につながる問題を提示するミニコミが生まれてきたにも関わらず、世論が動かなくなっていたためで あった。80年代以降は、生活型の運動に変わっていった。60年代から70年代にかけての世直し運動、地域づくり運動は、理念先行、要求 提示型で、生活の中から町作りや社会変革に取り組むという努力が弱かった。80年代はそうした反省に立って、できることをできる方法 で具体的に取り組むという、拠点重視のものに変わっていった。具体的には、教育、保育、ゴミ、リサイクル、医療などで、主婦を中心 としたものだった。地域の活動を基盤とするミニコミがおびただしい数発行された一方、80年代に入っても、若者たちのミニコミづくり はついに起こらなかった。95年1月17日、阪神大震災が発生した。。日常生活が壊され、電気も水もガスも使えず、パニックになってい る中で、現地の人に必要とされたのが、当事者のためのメディアであった。お風呂、食料調達など生活情報から、留学生、高齢者、震災 遺児、障害者、被差別者など、社会的弱者に対するケア−の為のもの、都市再建や、自衛隊派遣など社会事情に関するもの、ボランティ ア内のネットワ−ク的なものなど、把握できないほど多数のミニコミが発行された。【1】歴史全体を通してみると、ミニコミの歴史は、 市民の発展の歴史である。いくつもの事件を経験して、そのたびに着実に、力を貯えていっている。その力とは、権力から自らを守ると いうものであり、世の中の矛盾を突くものであり、真の民主主義を確立するものである。歴史的に振り返ってみて、また、実際に実物を 読んでみて、その力強さに圧倒される。ただ、残念なことは、この、日本の財産ともいうべきミニコミが、世間において活かしきれてお らず、ミニであるという理由から、世間に出られる可能性が少ないということである。 第2節 ミニコミ「谷根千」の歴史   具体的にミニコミを1つ取り上げる。ミニコミの本質とは何かということに重点をおいて調べていきたい。ここでは、「谷根千」という 地域雑誌を取り上げた。これを選んだ理由は、取り組んでいる内容がロ−カル新聞に似ていたからである。しかし、違いは多々あり、そ の中には学ぶべき点が隠されている。1984年、東京に暮らす主婦3人の手により、1つの雑誌が作られた。『地域雑誌谷中、根津、千駄 木』略して「谷根千」である。子育て中の母親が、子供とゆっくり共にゆっくりと町を歩くうちに、地域についてじっくり観察するよう になり、そこから、住民の立場に立った生活者の視点による町の雑誌を作ることを思いついた。これがきっかけである。1991年において、 谷根千は季刊、48ペ−ジ、A5判で、350円である。内容は、「この町にこんな人」という人物紹介、「手仕事をたずねて」、「ひろみ の1日入門」という職場経験記、「ご近所調査報告」、「谷根千読書漫録」といった連載と、銭湯、豆腐、酒屋、墓地散策、地上げ問題、 芸術家など、刊ごとの特集記事である。内容の範囲は、地域内のこと全てであり、住民にとって知ってはいるが、深くは知らないことを とことん追求している。そして、調べ尽したことを、分かり易く、読みやすく伝えている。「谷根千」は、全て3人で作られている。そ の仕事とは、企画、取材、資料による調査、写真、執筆、公正、広告とり、配達、集金である。3人しかいない中で、これを全て行なう ことは、大変であるが、これらの仕事1つ1つが、地域との深いつきあいにつながっていくのである。「谷根千」は、雑誌の発行から始 まったのだが、それだけに留まらなかった。壊れたパイプオルガンの修復、東京駅の赤レンガ保存、地域の祭りづくり、古い建物の保存 などをお金のない中、人々の力に呼びかけて推し進めた。1987年以降、バブルにより、土地が高騰を見せると、戦争時の空襲にも生き延 びてきた古く価値ある建物が、ビルを建てるために壊されていった。建物や、築き上げられてきたコミュティ−を守るため、「谷根千」 は動いた。雑誌に特集を組んで住民に訴えると、それがマスコミにも取り上げられ、反響を生んだ。また、行政への働きかけも行なった。 そうした結果、建物のいくつかの保存に成功した。メディアは第4の権力と呼ばれるが、「谷根千」もこの地域における権力の1つとな っている。小学館の新選国語辞典によると、権力とは「他人を支配し、したがわせる力」と出ている。「谷根千」は、筆の力により、町 を変え、地域の人の心を変えた。3人の手によって作られたミニコミである「谷根千」がこうなりえたのは、それだけの説得力があった からであり、人々が認めたからである。「谷根千」がここまで発展した理由を考えてみる。根本的には、「この町が好き」という強い思 いが人々に通じたからであろう。町を守るため、消えていくものを文書にして伝えるため、町をよく知るためといった純粋な気持ちで書 かれているのが受け入れられたからだ。ほかには、マスコミをうまく利用した点も挙げられる。「谷根千」は、創刊したときから、何度 も、「主婦が作ったこれまでとは違うタウン紙」ということでマスコミが取材に訪れている。このことは、「谷根千」のPRにもつなが ったし、信用できる雑誌という見方にもつながった。マイナ−なイメ−ジのミニコミにとって、マスコミを利用することは、イメ−ジア ップにつながる。ミニコミの本質を変えない程度にマスコミを利用した良い例である。また、良きアドバイザ−に恵まれたということも ある。学術機関が多く、市民活動も盛んである東京での発行であったことは、ただのタウン紙ではない「谷根千」がこれだけ住民に支持 された1つの理由であろう。また、発行当初から手探りの状態でのものだった。そこで起きる問題の全てを自分たちだけで背負い込むの ではなく、他の人の助けを借りながら、乗りきっていった。また、取材方法は、直接自宅におじゃました聞き取り方法であった。そうい った人とのコミュニケ−ションを重ね、徐々に地域に深く入り込んでいき、読者との距離を縮めていった。このことも、住民に支持され、 住民と一体になっていった、もう1つの理由であろう。その他に、作られた記事ではなく、どれも、本音による記事であることがある。 「谷根千」は季刊である。そして、特集記事は各刊1つである。期日に迫られ、無理に書く原稿ではなく、その時、1番書きたいものを 調べ尽したあげく、1番読ませたいところを抽出した原稿である。また、地域に密着した生活していて自然に出てくる問題意識であり、 作られたものではない。常に住民と目線は同じ位置であるため、その記事が共感され、かつ、その内容が練りに練られたものであるから 大事に扱われることになる。情報発信地となるべきメディアの役割を果たしていたことも忘れてはならない。「谷根千」には与えられた 情報は1つもなく、すべて自らの力で集め記事ばかりである。こうして地域の情報を丹念にかつ地道に集め続けた結果、「谷根千」は情 報センタ−となり、地域の人に頼られる存在になった。最後に、「谷根千」は、発行するにあたって赤字にはなっていないが、それ以外 の社会運動をするとなると、どうしても資金が必要となる。この解決策として、「谷根千」はトヨタ財団などの行う、企業フィランソロ ピ− 【2】をうまく活用した。このような、民間の助成金が、お金のない組織に与える影響は大きい。トヨタだけでなく、大企業では、 不況にも関わらず、企業フィランソロピ−が行われている。しかし、人々が認知するほどには至っていないのが現状である。より活発に 活動されることを望む。【3】 第3節 ミニコミ資料センター  本来、ミニコミは個々に発行されるものであり、そこに、ミニコミ全体の歴史、横のネットワ−クというものは少ない。そんな中、この ままではミニコミは、宝の持ち腐れどころか歴史の彼方に埋没するかもしれないと、1976年、丸山尚氏により、ミニコミの資料センタ− である住民図書館が設立された。ここに保存されている資料はビラも1点と数えると、その資料数は12万点にも及ぶ。丸山氏は、「命を 守るために企業と闘い、生きる権利を行政に求め、体を張って要求を突き通した人々、あるいは貫けずに無念の涙を流して死んだ多くの 被害者やその補償闘争を支えた人々の記録がどこに、どのような形で、どのような価値を認めて保存されているのか。少なくともそれら に関わった当事者である市民の立場に立って資料は集められてきたのか」(丸山尚『ローカル・ネットワ−クの時代 ミニコミと地域と 市民運動』)と述べている。社会の推進力には、政治や行政や企業だけがなっているのではない。憲法にも記されているように、主権は 市民にある。ところが、公文書館、図書館で、ミニコミの保存がされているところは少ないという。このように、ミニコミを守るために 設立された住民図書館であるが、資金不足という問題がある。スタッフはボランティアであるが、資料を保存するだけでもお金がかかる。 収入は、会費やカンパのほか、シンポジウムなどの自助努力によってまかなってきたが、ミニコミ自体がマイナ−で非商業的性格が強い ため、その集まりである住民図書館にもお金は思うように集まらない。そのため、存続自体がいつもぎりぎりであるという不安定な状態 にいる。このように、ミニコミの収集、公開は、有志の手により、地道に行なわれている。そして、この活動に光を与えるであろう存在 がある。インタ−ネットである。【4】 【1】 丸山尚『[ミニコミ]の同時代史』、丸山尚『ロ−カル・ネットワ−クの時代ミニミ    と地域と市民運動』に基づいた。 【2】 企業フィランソロピ−とは、企業が、その土壌である地域社会に利益を還元してい  くことは、豊かな人材を得ることにつながっ ていき、結果として企業の発展へと結びつくという考え方であるのだが、これは、民間の紐なし助成金として、日本でも普及しつつ ある。 【3】森まゆみ『小さな雑誌で町づくり』晶文社・1991年 【4】丸山尚『ロ−カル・ネットワ−クの時代 ミニコミと地域と市民運動』に基づいた。 第3章 インターネットにおけるミニコミとロ−カル新聞の可能性 第1節 インターネットとミニコミ  これまで存在していたニュ−メディアは、CATV,キャプテンシステムなどいずれも、トップが握っている情報を端末が受け取るとい う中央集権型のメディアであった。しかし、インタ−ネットは、これらとは違い、相互に情報をやり合うという横型のメディアであった。 この、メディア界において革命に近い仕組みにより、情報の流れは変わることであろう。強者によって握られていた、情報を流す力は、 今、全ての人に平等に与えられた。インタ−ネットは、アメリカの国防省が国内に展開したコンピュ−タ−ネットワ−クがその原形であ る。設立の動機は核戦争である。たとえ、核戦争によって中央のコンピュ−タ−が破壊されたとしても、生き残りの端末はそれぞれ情報 を相互に連絡することができるように、と作られたものだった。作成から30年、インタ−ネットは軍事的任務からかわり、その横型ネッ トワ−クの仕組みを活かし、市民のためのメディアとして活動を続けている。インタ−ネットの利用の仕方は大きく、ホ−ムペ−ジと電 子メ−ルの2つに分かれる。ホ−ムペ−ジはグロ−バルな情報提示ができ、検索という機能を使うことで、整理された情報を得ることが できる。また、リンクを張ることにより、情報を横に繋げていく事ができる。電子メ−ルは手紙のように好きなときに読め、かつ安く、 電話のように迅速に交信ができる。これまでミニコミは、組織の小ささゆえに、質の高い文章を書いたとしても、世間に出ることは少な く、一部の人の中だけの発行であった。保存する価値のあるのもの、あるいは世間には知られていないが、重要な問題を書いているもの が、それに見合う扱いを、されずにきた。岳南市民新聞を発行する落合氏は、「インタ−ネットこそ市民団体の活用にふさわしい。多く の人に、安価に、そして連続的に、しかも団体の規模など全く関係なく対等に、自分の団体のPRができる。インタ−ネットはいわば、 巨大な口コミであり、モノ、カネ、ヒト、無い無いづくしの市民団体にとって、このメリットは非常に大きい」といっている。巨大な口 コミであるといわせるインタ−ネットは、市民のメディアであるミニコミの本質を失うことなく、多くの人との出会いの場を与えること ができるメディアである。また、内向きのメディアのイメ−ジのあるミニコミが、外に向けて情報を送り出すことによって、人々にその 存在を大きくアピ−ルすることができる。その他のインタ−ネットを使う利点としては、、政府の公開情報など、今まで入手が困難だっ たものが、簡単になりかつ、必要な分野ごとに検索できるようになったことである。また、海外支援をしている団体には、これまで独立 した活動をしていた各国の支部を電子メ−ルでつなぐことで、これまであった地域差を超えることができるという利点がある。インタ− ネットには市民のメディアとなるための課題が3つ存在する。第1にはパソコンの普及である。郵政省の通信白書によると、インタ−ネ ットに接続されているホストコンピュ−タ−数は、1996年現在、約26万9000台で、世界第6位、数の上では米国の20分の1となっている。 (1998年 通信白書)パソコンがどう普及するかが、インタ−ネット広く市民のメディアとなるかどうかの鍵である。 第2には、情報 を加工し、送り出す技術の供給である。インタ−ネットでホ−ムペ−ジを開いたり、電子メ−ル情報を作るには専門的な情報の加工と編 集技術が必要である。それを請け負うのがホ−ムペ−ジの製作業者であるが、専門性が必要であるだけに、その経費は安くない。結局、 この方法では、商業情報でない限り、その費用は負担しきれない。組織内に技術者がいることが必要となる。第3には、情報の質を高め る必要性である。提供する情報が古いものであったり、人々の関心にあわなかったり、またまとめ方が稚拙であったりしては、せっかく 情報を出しても目的通りに受けとめられない。結局インタ−ネットでは、この情報の質が一番重要である。宣伝、広告が多い中で、地味 な市民情報を出していくには、タイトルや画像づくりでどう注目されるか、またどのように独自性を出していくかという努力と工夫が必 要になる。海外まで対象にすれば、英語の語学力も問われる。【1】 第2節 いわきインターネット新聞  ロ−カル新聞で、インタ−ネットを利用している新聞としていわきインタ−ネット新聞が存在する。インタ−ネットを利用することによ る、プラス面、マイナス面をみていき、ロ−カル新聞とインタ−ネットとの可能性を探りたい。この新聞は、インタ−ネット上を唯一の 創作発表の場として、生まれた新しい地域新聞である。自らの新聞を「インタ−ネットの可能性を探る実験」と言い、これまでの紙面に よる新聞作成とは違った方法で、取り組んでいる。以下発行の目的と、インタ−ネット新聞の特徴について述べる。   発行の目的 地域の情報やニ−スを、インタ−ネットらしい方法で、深め、広く報道する       ことで、「国際的に通用する地域メディア」を創造する、  特徴    情報を全てデジタル情報として扱う       世界規模のネットワークである       情報のやりとりが相方向である       絵や音などマルチメディア情報が比較的自由に使える       情報の発信が極めて簡単である       記者自らが編集と組版ができる       取材方法が大きく変わる       紙、印刷費がかからず、経済的である  この新聞の、これまでの地域新聞とは違う点といえば、地域内のみを対象とした地域新聞ではなく、国際的に通用する地域新聞であると いう点である。もう1つは、5人という少ないメンバ−で発行が開始されているという点である。基盤がない組織にとって、インタ−ネ ットが、紙新聞よりも経済的なリスクが少なく、取り組みやすいメディアであることがわかる。その他、インタ−ネット新聞らしいこと といえば、字数に制限が無いことである。これは、紙新聞にはない魅力であり、一新聞としてだけではなく、いわき市の情報発信源とな る事も可能である。内容についてであるが、出来事のみを書いた記事では、いわき市出身でないものにとって面白味に欠けるが、この新 聞は、コラムが多く、その1つ1つに記者の主張が見える。それがこの新聞の特徴であり、知らない土地の地域紙であるにも関わらず、 読者が引きつけられる理由である。地域住民が地域新聞を書くにあたって難しいことは、地域の人々とのつきあいが存在するため、どこ まで書けるかと言う点で制約を受けざるを得ない、ということである。このことが新聞に歯切れの悪さを与えてしまうこともあるであろ う。しかし、この新聞にそういうところは見られない。それは、いわき市が、人口36万人という都市であることもあるであろうし、イン タ−ネットだからという理由もあると思われる。インタ−ネット新聞は、毎日家庭に届けられ、与えられるともいえる紙新聞とは違い、 自主的に選び、好きなときに見ることのできる新聞である。また、広告、購読料などからくる縛りが存在しない。この性質の違いが、ミ ニコミらしい解放された記事になるように思われる。【2】 一方、インタ−ネットは、新聞に使うにはまだ早いのではないかと考えら れる。いわきインタ−ネット新聞は、今後の事業方針として、フリ−ペ−パ−、日刊紙の発行を計画している。インタ−ネットは、ネッ トワ−ク広げるためや、新聞を発行する前に、社の方針を前もって認めてもらうための手段であり、それによってこの新聞を支持する読 者に対しては、インタ−ネットではなく、新聞の発送を計画している。このことは、インタ−ネットではなく、紙の新聞を選ぶというこ とである。その理由は定かではないが、インタ−ネットでは利益が上がらないということが考えられる。インタ−ネットのみの収入に頼 ることは、無理なのであろう。インタ−ネットは、新聞界にとって、収入源ではなく、広告灯の役割といっていい。インタ−ネットを検 索すると、インタ−ネット新聞が他にも存在することがわかる。(図表1)そこにおいては、ロ−カル新聞と地方新聞との差はなく、地 方の新聞を紹介するホ−ムペ−ジに、肩を並べて書かれていたりと平等の扱いをされている。ロ−カル新聞にとっては、読者を募集する という意味では、インタ−ネットは利用する価値のあるものである。しかしそこは、内容が全ての競争の世界である。犬が棒にあたって も記事になるというロ−カル新聞界において、インタ−ネットで勝ち残ることは、これまでとは違う厳しさが必要になるであろう。しか し、逆に言えば、インタ−ネットは、ロ−カル新聞界にとっての良い変化と考えられる。積極的に使っていってほしい。 おわりに  ビックバン、不良債権、リストラ、などを目の当りにすると、大きなものに頼るのではなく、一人一人が自立していかなければならない 世の中が来たと感じさせられる。そして、それを地域新聞に当てはめると、どうであろうか。人々の自立を考えるとき、生活拠点である 地域のことを伝える新聞の重要性を感じるのだが、具体的に何が求められているのか考慮する必要を感じた。それは、ミニコミという地 域新聞とは一見関係なさそうなものと結びつけることによって、その方向性が見えてきた。 この二つのメディアを結びつけるのは、自 立という言葉である。自立が求められる地域新聞は、自立というものを長い間かけて培ってきたミニコミに学ぶべき点が多くあった。  1章では具体的に、地域新聞を取り上げ、地域新聞の経済的な苦しさ、内容的な行き詰まりを浮き彫りにした。2章ではミニコミを取り 上げた。地域新聞の内容的な行詰りを打破しようとして設定された2章であったが、ミニコミの内容を十分に伝えきれなかったのではな いかという思いがある。しかし、ミニコミはやはり、実際に読んでみることが一番であるので、ぜひ、本を読んでみてほしい。丸山尚『 「ミニコミ」の同時代史』を開くと、簡単にミニコミの世界を覗くことができる。3章ではインタ−ネットの可能性を探った。ミニコミ、 ロ−カル誌にとって、利用価値の高いものであることはわかったのだが、まだ、動き出したばかりであり、検索機能の発展や、利用者の 増加など、求めなければならないものは存在する。この論文では、最終的には、ロ−カル新聞の自立について追求したかった。この時点 における私なりの結論を述べる。メディアとは 「情報を必要としている人に情報を与える」ものである。そのためには何が必要とされ ているのかを知らなければならない。そしてそれは、今起きている問題に対して、「必要としている人に与える」だけでなく、未来に起 きるであろう問題に対しても、発生を防ぐために、先見の明を持って「必要としている人に与え」なければならない。そのためには、ほ かからの情報に頼るのではなく、自ら、情報をキャッチするアンテナを伸ばし、情報を取得に走らなければならない。そのためには、他 からの情報に頼るのではなく、自ら、情報の取得に走らなければならない。そして、動き回るほかに、自ら情報の集まる場所を作る必要 もある。そして、「情報を発信するところに情報が集まる」という言葉があるように、そのためには、情報を発信する情報センタ−にな り、地域のプロフェッショナルにならなければならない。ミニコミから学んだことは、記事は、作り出すものではなく、必要に駆られて 書かれるものであるということである。住民と一体になり、地域を大切に思っていさえすれば、問題意識は自然と出てくるものであると いうことである。そして、それをとことん追求することで、自然とメディアとしての役割を果たしていくことになるのである。自立した ロ−カル新聞とは、与えられた情報を流す、宙に浮いたようなメディアではなく、住民1人1人に目を向けた、地に足をつけたメディア でなのである。 あとがき      地域新聞の仕事に興味を持ち、それについて調べるところから始まったのですが、最初、何から手をつけていいものか、全く分かりませ んでした。何の知識もない私の、いきなりのインタビュ−に、応じてくださったのが丸山肇さんでした。丸山さんには、その後も、何度 となくお話を聞かせていただきました。この場を借りて心から御礼申し上げます.また、最初から最後までこの論文のご指導をしてくださ った中村祐司先生、ありがとうございました。 私事ですが、この論文を、感謝と再出発の意を込めて、亡き父に捧げたいと思います。   引用・参考文献 稲葉三千男、新井直之編『新聞学』日本評論社・1988年 いわきインタ−ネット新聞 http://www.iwaki.co.jp 田村紀雄『地域とメディアの30年間ー第4次「ロ−カル新聞全国 皆調査」ー』 人文自然科学論集第104号所載抜刷(1997年9月) 通信白書・1998年  東海郵政局『第3種郵便物のご案内』東海郵便局郵務部・1988年 丸山尚『[ミニコミ]の同時代史』平凡社・1985年 丸山尚『ロ−カルネットワ−クの時代 ミニコミと地域と市民運動』日外教養選書・1997年 丸山尚『ミニコミ戦後史 ジャ−ナリズムの原点をもとめて』三一書房・1985年 森まゆみ『小さな雑誌で町づくり』晶文社・1991年
日本における医療制度およびその運営に関する批判的研究について  伴 多恵子 はじめに  日本は高齢社会である。今や6人に1人が高齢者のこの国で、今後最も財政を圧迫していくであろう支出項目は社会保障関係費であり、中 でも医療費は先行きが見えず、最も不安な要素となっている。私たち一人一人の健康と生活に密着し、重要な存在である日本の医療は今、 大きな曲り角に立っている。「3時間待ち3分診療」に象徴される病院サ−ビスの低下や、高まるばかりの保険料・窓口負担などにより、 国民の不満・不信がかつてなく高まっているためである。国民皆保険のもと、誰でも病院を自由に選べる日本の医療は、受診機会の平等 という点で、世界に誇れる制度だと評価されてきた。しかし、その医療システムに、もはや放置してはおけないいくつもの歪みが生じて きている。第1章では、現行の日本の医療制度について概略を説明した。またそれが厚生省と日本医師会という、相反する二つの団体に よって築かれてきた歴史や、国民医療費が増加し続けている現状とその背景としての高齢化問題、また医療保険財政が破綻寸前である現 状についてを述べた。  そして第2章〜第4章までは医療システムの「歪み」を様々な視点から指摘した。  第2章では、医療サ−ビスを提供する医療機関側の現状をまとめた。苦しい病院の経営状況や、医師余りの実態、開業医の高齢化・後継 者不足問題、深刻な看護婦不足やその養成課程などを述べた。第3章では、第1章で述べた国民医療費の増加について、その原因と思わ れる幾つかの要素を取り上げて、それぞれについて言及した。医療費の三分の一を占めると言われている薬剤費の実態やそれを抑えるた めの政府の医薬分業提案、また「薬漬け医療」の原因とされる現行の診療報酬体系の欠点や、今や医療費の3割を占めると言われるレセ プトの不正請求などについて述べた。  第4章では、国民皆保険である日本の医療制度では、利益の再分配は本当になされているのか、という疑問を持ち、医療の中で不公平だ とされる部分を取り上げた。高額医療費の問題、国保と健保の格差、地域格差などについて言及した。 第5章では、増えゆく医療費に対応していくための政府の振興策や、現行と違うタイプの医療保険システムについてを紹介し、さらに政 府(大蔵省)の国庫負担に対する批判を述べた。そして最後に、ここまで述べてきた問題に対する、それぞれの現場レベルでの自分なり の改革案をまとめて、日本の医療運営のあり方を提言した。これから訪れる超高齢社会のことを考えると、国民が心身ともに豊かな生涯 を送るには社会保障の充実が必要である。実は国民皆保険はその端的象徴なのだが、国民はそのことに無関心で、病気になったら治して もらえるのが当たり前だと思っている。自分も含めて国民は、もっと「医療」について知るべきであると考え、このテ−マを選択した。 医療は、今後、日本にとって最も改革が必要な問題の一つになるであろう。  第1章 わが国の医療制度 第1節 現行の医療保険制度  日本の医療制度は、医療法・健康保険法・国民健康保険法・老人保険法などによって規定された医療保険制度で体系づけられている。そ の特徴としては@国民皆保険A診療報酬の出来高払い制B自由開業医制があげられる。原則として勤労者は職域保険に加入する。国家公 務員、地方公務員、私学教職員が加入する各共済組合、大企業の従事者が職場や分野ごとに加入する組合健康保険、中小企業の従事者が 加入する全国規模の政府管掌健康保険、船員が加入する船員保険の計6つの職域医療保険制度がある。それ以外の自営業者や農業従事者 は国民健康保険に加入する。それぞれ収入に応じた保険料を納付することで、一部自己負担分はあるが、誰でも医療機関を自由に選択し て医師の診療を受けることができる。一方、医療機関は患者に提供した診療行為に応じて診療報酬点数表に基づき、各医療保険から審査 支払い機関を通して、患者負担分を除いた診療報酬を受け取るシステムになっている。このように、わが国では国民皆保険を実現した医 療保険制度によって、個々の支払い能力に関係なく、平等な医療サ−ビスを受けることが可能とされている。しかし、医療費の患者負担 が諸外国と比べて低く(図表1-2)、患者のコスト意識も希薄なため、必要以上に医療サ−ビスを受診する傾向にあり(図表1-3)国民医 療費注(1)は膨れ上がる一方で、医療保険財政は悪化している。 第2節 日本医師会と厚生省の攻防  日本の医療政策は、当初から「官」主体の医療体制の統制を目指す厚生省と、医師の裁量の自由を確保したいとする日本医師会注(2) との対立であった。両者はそれぞれ基本的に異なる考えや目的を持っている。そのため、お互い相手に対して良いイメ−ジを抱いておら ず「やや誇張して言えば、厚生省は日本医師会を欲張り亡者の開業医を代表する団体として、また日本医師会は厚生官僚を傲慢な権力の] 亡者として」注(3)見なしてきた。日本医師会のル−ツは1916年、慶応義塾大学医学部の初代学部長であり、医学界の重鎮であった北 里柴三郎が大日本医師会を創設したことに遡る。日本医師会はすべての医師を代表するという建前であるが、開業医がほぼ全員加入して いる反面、勤務医の加入率は低く、また医師全体の加入率も年々落ちてきている(図表1-4)。日本医師会は政治的影響力を大きく持っ ている。医師、特に開業医師は自分たちの生活に政府の政策が大きな影響を与えることをよく知っているので、政治家への公式、非公式 の献金を惜しみなく提供すると言われている。中でも選挙の際の政治献金は、比較的「勝ち馬」になりそうな候補に集まるので、医療政 策面における効果は一層大きいと言える。また、日本医師会以外に医師を代表する他の有力団体がないので、各種の政府委員会には必ず 日本医師会推薦委員が有力メンバ−として加わっており、これらの委員の賛成ないし黙認なくしては日常の医療政策が遂行できない。日 本医師会は各種委員会から推薦委員を総引き上げするという手段に訴えることができ、実際、こうした手段をしばしば用いてきた。  診療報酬などを審議するための厚生大臣の諮問機関である「中央社会保険医療協議会」(以下、中医協)における委員の構成を見ると、 その影響力がさらにわかる。20名の委員は診療側代表8名、支払い団体側代表8名、それに公益側代表4名で構成されている注(4)。公 益委員を除いて各委員は個人の資格でなく、それぞれの団体から推薦を受けて加わっている注(5)。診療側委員8名のうち2名の歯科医 師、1名の薬剤師を除いた5名の医師はいずれも日本医師会の推薦で任命されている。ちなみに病院団体注(6)は政府側を支援する傾向 があったため、日本医師会の圧力により1963年以来、病院団体から委員は推薦されなくなっているという。さて、厚生省と日本医師会が どのように対立してきたか、両者の基本的な考え方の違いから述べることにする。厚生省が政策理念としている「公衆衛生モデル」とは、 具体的には全ての地域住民の健康水準の向上を目的として、治療よりも予防や検診に重点を置き、国や地方自治体が定めた医療計画に基 づいて、公的病院や保健所を中心に医療が提供される形態である。医師は全員公務員になるわけではないが、診療内容および所得は政府 の強い指導下に置かれることになる。こうした官主導の統制的な考えは、厚生省に根強くある。一方日本医師会は、最良の医療を提供す る技術的な能力を持っている個々の医師が、専門職として自由に活躍できる環境にあるのが最も望ましい、としている。したがって、政 府が治療方法について指針を示したり、保険者が医療内容を点検することには当然ながら反対である。両者はこれまで、相手方を非難す ることに多くの時間を費やしてきた。厚生省は、強欲な開業医に日本の医療をまかせることはできない、と非難してきた。日本医師会は、 厚生官僚は患者の利益など考えておらず、自分たちの権限の拡大と管理体制の強化のみに腐心している、と反論してきた。そこに、一般 会計の支出をとにかく減らしたい大蔵省が厚生省を、また自民党が選挙資金の重要な提供元である日本医師会を支援し、対立は際限なく 続いてきたのである。このように、厚生省の目的は医師の診療内容を統制することにあり、日本医師会の目的は政策決定において指導性 を発揮することにあった。両者の抗争は「相互了承注(7)」と呼ばれる状況をもたらした。特に両者が激突したのは昭和30年代前半か ら40年代前半にかけてであり、当時日本医師会は政治的に優位にあったが、厚生省に完勝して医療体系を抜本的に作り替えるほどの力は なかった。その後昭和40年代後半には、お金の面では日本医師会に有利に、制度面では厚生省のほうが優位な体制が成立した。さらに50 年代も後半になると、厚生省主導による医療費抑制の時代となった。 第3節 国民医療費の増大と医療保険財政の悪化  1961年の国民皆保険制度の確立以降、国民医療費は増大の一途を辿っている。1970年頃まで、日本は高度成長下にあって国民医療費と国 民所得は均衡を保って推移していた。しかし、バブル崩壊後は低成長下で国民所得が伸び悩む中、国民医療費は依然高い伸びを示し、19 91年度以降は国民所得の伸び率を上回っている。国民医療費は、現状で毎年ほぼ1兆円ずつ増加しており、厚生省の推計では、1998年度 の国民医療費は28兆8000億円になるという(図表1-5)注(8)。  1997年度の医療保険者グル−プの経常収支を見てみると、まず中小企業のサラリ−マンとその家族らが加入する政府管掌健康保険(加入 者数約3800万人)は950億円の赤字で、大企業のサラリ−マンが加入する健康保険組合も17億円の赤字であった注(9)。  景気の低迷による所得の伸び悩みと老人医療費の増大により、政府管掌健康保険、組合健康保険、国民健康保険というわが国の三大医療 保険者グル−プ注(10)は軒並み赤字になっており(図表1-6)、財政破綻寸前の状況である。医療保険は営利目的で行なわれている わけではないので、収支バランスがとれていることが原則だが、健康保険組合連合会の発表では、1998年現在、全組合の約55%にあた る1001組合は依然として赤字で、赤字総額は1589億円余りに達している注(11)。  増加する医療費に保険料収入が追いつかないことがその赤字決算の最大の原因なのだが、なかでも老人医療費の増加が医療保険全体の財 政収支を悪化させている。国保を中心とした各制度間の老人医療費に充てられる老人保険拠出金が増大しているからである。老人保険制 度では老人の医療費を、国が20%、都道府県および市町村がそれぞれ5%を負担し、残りの70%を各医療保険の保険者が共同で拠出して いる。実際の老人保険拠出金の額を見ると、平成6年度統計で政管健保から16118億円(政管健保の支出の24、4%)、組合健保から13309 億円(同24、4%)、国保から16748億円(同24、5%)支出されている(図表1-7)。膨大な額の老人保険拠出金の納付義務が、どの保険 者にとっても大きな負担となり財政は崩壊寸前なのである。老人医療費は今後も増え続け、2000年度には13兆円、2025年には71兆円に膨 らみ、医療費の半分相当に達する見通しである。 第4節 進む高齢化  総務庁が1998年9月14日付けでまとめたわが国の人口推計値によると、65歳以上の高齢者は2049万人になり、「敬老の日」向けの発表と しては初めて2000万人の大台を越えた。総人口に占める比率は16、2%とほぼ6人に1人であり、2021年には3337万人とピ−クに達する見 込み注(12)で、高齢化は急速に進んでいる。第一次ベビ−ブ−ム期に生まれた世代が70歳代になる2020年には3334万人になり、翌年にはピ−クとなるわけだが、総人口が減るため、高齢者比率はその後も伸び続ける見通しである。平成8年度の統計では、一般診療医療費注(13)22兆9790億円のうち約46、3%の10兆6329億円が65歳以上の老人に使われており、今後ますます高齢社会注(14)として国民皆保険や社会保障のあり方を問われる機会が増えてくるだろう。 【1章の注】1、国民医療費とは、国民全体がけがや病気のために使った1年間の医療 費の総額のことで、医療機関に支払う診療報酬や薬剤支給額などを含む         が、正常な分娩や、人間ドッグなどの健康診断、予防接種、市販薬の       購入費は含まない。        2、日本医師会は、社団法人で会員約14万人を有する民間の学術専門団体。         医道の高揚、医学教育の向上などのための事業を行っている。        3、池上直己、J・C・キャンベル『日本の医療』(中央公論社、1996年) 4頁。  4、内訳を詳しく述べると、診療側は医師5名、歯科医師2名、薬剤師1で       8名。支払い側は保険者4名、労働側2名、経営側2名で8名。公益側 4名は、通常は経済学者やジャ−ナリストが参加する。        5、医師は日本医師会から、経営側は日経連などから推薦される。        6、病院団体としては、公的病院が比較的多く加盟している日本病院会、         私的病院だけの全日本病院協会、私的病院の税制面が中心である医療 法人協会、および日本精神病院協会の4つがある。        7、相互了承(reciprocal consent)とは、種々な場面で抗争が行われ、         それぞれの状況における力関係の変化によって結果が変わること。 8、1998年5月22日付読売新聞、1998年5月23日付朝日新聞。        9、1998年9月22日・24日付朝日新聞。 10、この三大保険者グル−プで加入者は1億人を越え、全加入者の約9割を        占める。       11、1998年9月24日付朝日新聞。       12、 1998年9月14日付毎日新聞。 13、一般診療医療費とは、病院や一般の診療所で行われる医療にかかる費 用のことで、その他に歯科診療医療費、薬局調剤医療費、老人保健施         設療養費、訪問看護医療費などの種類がある。       14、総人口のうち65歳以上の人口が占める割合が7%を越えると「高齢化          社会」、14%を越えると「高齢社会」となる。 第2章 医療機関の現状 第1節 病院経営の実態  1998年9月現在で、日本には9333の病院と、90556の一般診療所がある注(1)。その中の自治体病院のうち1997年度決算で赤字が見込 まれる病院の割合は63、2%(前年度47、5%) 注(2)、その累積赤字は1996年度決算では9758億円注(3)で、1997年度には赤字は 1兆円を越えるだろうと言われている。全国の統計を見ると、今や民間病院の7割近くが赤字経営で(図表2-1)、毎年30数件の病院が倒 産している。国や地方自治体から補助金がもらえる国公立の大学病院や国公立病院でさえ軒並み赤字で、例えば1997年度予算では、国 立病院は経費の17%に相当する1802億円を一般会計から繰り入れて赤字を穴埋めしており、公立病院も年間3000〜4000億円の公費負担 を受けて赤字に充てている。補助金のない民間病院の窮状はさらにひどいものと言えよう。 第2節 医師過剰の時代と医師のライフサイクル  1970年代に進んだ一県一医大(無医大県解消)計画の実現は、ほんの十数年の間に医師人口を倍増させた(図表2-2)。日本の人口構成 がいわゆる「団塊の世代」の存在によって極めていびつな形をとっているように、日本の医師人口にも現在30代前半から40代前半まで におよぶ約10万人の「医師団塊の世代」が存在する。今から約20年ほど前に「医学部進学ブ−ム」というのがあった。この世代以降の 医師は、一県一医大政策の結果もたらされた医師大量輩出時代の申し子たちである。「医学部定員がピ−クを迎えたのは、1981年から 1984年までに入学したと思われる世代であり、当時の定員は8360人、そのうち医師免許取得者はおおよそ年間7000人強という時代であ った。その時大量生産された彼らが今の10年選手になっている」注(4)というわけである。  医師が増えると、病院の勤務医や開業医が増加し、それに伴い限られた患者が分散してそれぞれの医療機関ごとに収支バランスが図られ るため、どうしても医療費の増加につながってしまう。常に必要のない無駄な医療や過剰診療が行われる動機が存在し、医師数の増加が そのまま医療費を押し上げることになる。厚生省の「医師の需給に関する検討会」が1998年に出した推計によると、医師の増え方を最も 低く、必要とされる医師数を最も多く見積もった場合でも、医師は2017年頃から余り始め、2020年には約6000人、2025年には約14000人 が過剰になる。数字の上での過剰予測はすでに10年以上も前からなされており、1986年〜1987年に、医学部は1割、歯学部は2割の募集人 員を1995年度までに減らす削減計画が策定され、その一部が実施されてきた。しかし、その効果はあまりなく、1998年度までに歯学部は ほぼ目標を達成したが、医学部は国立が達成しただけであった。そこでさらに文部省は、1999年度入試から2〜3年かけて、国公私立大学 の医学部と歯学部でそれぞれ200人近く募集人員を減らす方針を固めた注(5)。  しかし、このように医師過剰が叫ばれている一方で、年一回行われる医療監査では医師数の充分な病院が非常に少ないという矛盾した結 果が出ている(図表2-3)。今の日本は多くの個人病院が医師不足を訴えながら、全国的には医師が過剰とされる状況にある。医学部の 学生で、医師以外の職業を選ぶ学生はほとんどいない。そのため大学の医学部は医師国家試験合格を目標にカリキュラムを組み、授業で は国試の過去問題を何度も解かせる。大学医学部の予備校化が進んでいるわけである。現在、医師国家試験には実技の科目はなく、合格 に必要なのは紙に書かれた「知識」のみである。これはきちんと結果に反映しており、「日本の医師、特に若手の臨床医(実際に病人を 診察・治療する医師)の技量が欧米の水準を下回ることは、海外の医療事情をよく知る専門家の間では、いまや常識となっている」注( 6)という。大学医学部には、受験勉強の達人が集まってくることが多い。偏差値だけを物差しとして医師の卵を選抜することに対する 批判は強く、こういった知識偏重教育を見直す動きが高まっている。厚生省は、1997年春の医師国家試験から新合格基準を導入した。総 合点が合格基準に達していても、患者の命に関わるような誤答をしたり、特定の分野の成績が極端に悪い場合は医師不適格としてふるい 落とす。ただ、これは最低限の手直しに過ぎず、320問の選択式の試験に1回合格しただけで、一生医師の資格が保障され、しかも自分の 専攻した診療科に限らず、どんな診療科でも看板に掲げられるような現行制度そのものを見直す必要があるとの指摘もある。また東京大 学医学部は、1996年11月に入学試験に面接を全面導入する方針を打ち出した。面接で医師としての素質を見ようという狙いからである。 東北大学、筑波大学、九州大学の3大学の医学部も2000年度からペ−パ−テストに頼らない人物本位の選抜をする「アドミッションン・ オフィス入試」を計画している。群馬大学医学部では草津温泉に一泊して面接し、受験者の目的意識を見ようという「温泉入試」が実施 された。日本では大学入試試験が実質上の医師になる関門であり、医学部に入った学生がほとんど全員医師になるような今のやり方にも 問題があるとされている(図表2-6)。「国による一回の筆記試験で医師の資格を与える日本の国家試験の制度は、海外では韓国やフィ リピンなどに見られるだけで、先進国の中では特異なケ−スとなっている。多くの先進国では、複数回の試験に合格して初めて医師にな る」注(7)のが一般的で、アメリカでは一人の受験生に対して試験官である医師が48時間ぐらい一緒に生活して医師としての適正をテ ストするという方法をとっている。現行の医師国家試験システムを早急に改善しなければ、日本は今後も未熟な医師を医療界に送り続け ることになる。日本の医師のライフサイクルは、基本的には大学を卒業してから大学の医局に籍を置いて技術習得に努め、一定のレベル に達したところで関連病院に1〜2年出張し、それを何回か繰り返してから大学に戻り、何年か診療の合間に臨床研修をして学位を取る。 その時点でエリ−トコ−スの教授への道を歩む人と、病院の勤務医になる人とがはっきりし、あとは開業医となるのが普通であった。  平成8年12月の時点で24万908人いる医師のうち、病院や診療所の開業医は7万2584人注(8)で 全体の3割しかおらず、残りの7割は大 学病院や公的病院、民間病院で働く勤務医である。開業医の場合、サラリ−マンのような毎年の昇給、ボ−ナス、退職金、企業年金がな いうえに、看護婦への給与のほか医院の維持費、診療器具の購入や買い替え、医院の増改築費など全てを自分の収入から捻出しなければ ならず、大学病院などに勤務しているだけの医師と違って、その経営面のことも自分で処理しなければいけない。中医協が1997年9月に 実施した「医療経済実態調査」によると、一般の開業医の実収入は平均月額200万円で、1995年6月の調査結果に比べ、25万円減少して いた注(9)。開業医にとってあまり思わしくない状況である。また勤務医の場合収入は比較的安定しているが、若いうちはそうもいか ず、病院、中でも大学病院に籍を置く若手医師は朝早くから夜遅くまで働きづめなのにもかかわらず、給与は非常に低い。若い医師は研 修医を2年続けた後で「医員」と呼称が変わり、その手当として決められた日給額を貰えるようになるのだが、「現在はそれが一日あた り7303円(1993年現在)、一カ月で実働23日間なので月給は16万7960円。しかし、ボ−ナスも定期昇給もないので扱いはまさしく日雇 い労働者である」注(10)という。この医員には定数があり、選にもれた医師は医局を去るか、無給を承知で医局に残るかのどちらか になる。有給医員であれ、無給医員であれ、大学病院に身を置く限りはひたすら薄給に甘んじ、アルバイト兼務で医学勉強を続けること になる。「いい医者」になるには常に最先端の医療現場(理想的なのは大学病院)に身を置くことが必要で、そのためには薄給に我慢を しながら修業を続けるしかないのである。病院の経営状況が悪化している今、「開業医より勤務医」という志向は比較的強い。一昔前な ら、若い時代に無給で働いても、開業すればおつりが来るくらい稼ぐことができた。だが今は、医局で修業した後に、多額の資金を投じ て開業しても採算が取れる保障はない。開業医の場合、他の職業と違って、自分がやる気で健康であれば、70歳になっても働けるが、現 実には60歳を越えれば、往診も大変になり、新しい技術の習得も大変になる。今は新たに開業しようという医師も少なく、後継者も見つ かりにくいため、開業医の高齢化は大きな問題になっている(図表2-8)。1996年12月現在で開業医の平均年齢は約60歳、勤務医は約38、 8歳注(11)である。 第3節 深刻な看護婦不足と複雑な看護婦養成システム  以前は、末期患者は短期間で息を引き取ることが多く、深夜勤の看護婦は一人か二人で足りていた。しかし、ベッド数の増加に伴って入 院患者が増え、さらに延命治療の発達が重症患者を各病院にあふれさせた。しかし、それでも「深夜勤は一人か二人」という従来の看護 体制が続けられたため、現場の看護婦から過重労働に対する不満が出始めた。そこで1965年、看護体制の抜本的な見直しが行われた結果 「二・八勤務」システムが生まれた。深夜勤や準夜勤は最低でも看護婦を二名とし、過酷な深夜勤または準夜勤の回数は、看護婦一人につ き一カ月に八回ということが公的に決められたのである。だがいくら制度を新しくしても、夕方から深夜にかけての「準夜勤」と、深夜 から朝方にかけての「深夜勤」では看護婦2名で40〜50人の入院患者を受け持つ計算になり、これではとても満足な看護は行えない。し かし、現実にはこのシステムが今日まで続いてきているのである。特に看護婦不足が深刻化した最近では(図表2-9)、こういう深夜勤務 が一般病院では一カ月につき9〜11回。私立系の中小病院などでは月のうち半分というケ−スまで報告されている。 毎年4月頃に定員ぎ りぎりの看護婦数を集めるのは多くの病院に共通する現象だが、夏にはもう離職者が増え始める。もちろん女性の職場なのだから、産前 産後の休暇というケ−スも多いのだが、最近は仕事上のストレス、待遇や勤務時間への不満などを退職理由にあげる看護婦が増えてきた。 こうした定員割れのしわ寄せを食うことになる残留看護婦は、同僚の抜けた穴を埋めるため夜勤回数が多くなり、家庭生活が犠牲になって いくことになる。やがて1〜3月頃になると、看護婦の数はさらに減り、それでも入院患者の数が減るわけではないので、残った看護婦たち は2日に一度は準夜勤か深夜勤という過重労働を背負わされる。  看護婦の勤続年数は、全国平均で7〜8年と言われている。10年以上続けようとしても体がもたないのである。「看護婦が、『きつい』『汚 い』『危険』の3Kのうえに『給料が安い』『休暇がとれない』『結婚が出来ない』が加わって6Kの職業」注(12)と言われていること からも、それがわかる。給与面についてもあまり恵まれているとは言えず、初任給こそ同年代のOLより少し高給であるが、経験を積んだ 中年になると、大学卒のレントゲン技師や検査技師よりもどんどん安くなる。人事院の調査によれば、平成4年度の看護婦の平均給与は、 一般看護婦で月額29万4100円。看護婦長クラス(一般企業の課長クラス)だと、37万7900円。総婦長クラスだと45万8000円となっている。 また一般企業の事務職のOLは23万5000円。高卒技術系課長クラスだと46万1000円となっている注(13)。資格制度や勤務内容、院内感 染の危険性などを考慮すると、看護婦は低収入であると見て良いだろう。   看護婦には正看護婦(厚生大臣免許)と准看護婦(都道府県知事免許)の二種類がある。日本の看護婦養成コ−スは複雑で(図表2-12)、 まず正看護婦には、直接正看護婦になるコ−スと准看護婦を経るコ−スがある。直接コ−スは、高校卒業後、四年制看護大学か三年制看護短 大・看護婦養成所(専門学校)を卒業して国家試験に合格する。四年生看護大学では、看護婦の資格のほか、保健婦の資格も取れ、選択によ ってはさらに助産婦の資格まで取ることが可能である。そして准看護婦には、高校の衛生看護科を卒業して県の試験に合格するコ−スと、高 校か中学を卒業して養成所で二年間勉強して受験するコ−スがある。准看護婦が正看護婦になるには、二年課程の短大・養成所を卒業して国 家試験に合格すれば良い。しかし、中学卒業で准看護婦になった場合は、三年の業務経験がないと短大・養成所に入れない。同じ看護婦でも 中卒、高卒、高校衛生看護科卒、短大卒、大学卒などが入り混じるわけだから、これが複雑と言われるのもしかたがない。  看護婦養成に国費を出し渋ったことで生まれた看護婦不足を、安上がりの対策としてカバ−したのが准看護婦制度で、それには質よりも量と、 安く使える経済性を重視して作られた経過がある。准看護婦が学校で学ぶ内容は、正看護婦の二分の一である。そのため、給与や昇格の面で かなりの格差をつけられている(図表2-13)。現実には1994年の時点で、看護有資格者の43、6%にあたる39万人が准看護婦として働き注(1 4)、日本の看護の重要な担い手となっているのにもかかわらず、看護制度の法的基礎にされている「保健婦助産婦看護婦法」では、どんな に経験を積んだ准看護婦であっても、その昇格を認められていない。同法によると、准看護婦は医師や正看護婦の指示のもとに看護業務を行 う、と定められており、各病院のセクションごとに備えている勤務配置・勤務表では、その一番下に名前を連ねている。正看なら医師の指示 のもと、自分の判断での医療業務が許されるが、准看はすべての業務に医師や先輩看護婦の指示を仰がなければならない。准看護婦も、正看 護婦と同じように業務をこなし、同じだけの責任を背負わされているのに、働きを評価され、それに見合う昇格・昇給を保障され、働く意欲を育てていく労働権というものが保障されていないのである。10年、20年の実務経験を持ち、若い正看護婦に現場の実技指導を行っている准看護婦よりも、若くて戦力にならない正看護婦のほうが立場が上なのでは、准看の間から不満が出てくるのは当然とも言える。 【2章の注】1、入院用のベッド数が20床以上だと「病院」、0床〜19床だと「一般診療所」となる。厚生省ホ−ムペ−ジ資料。          http://www.mhw.go.jp/toukei/iryosd/is1009 8.html        2、1998年5月7日付読売新聞。        3、1998年12月3日付中日新聞。        4、西村周三『医療ビッグバン』(日本医療企画、1997年)69頁。         5、1998年8月19日付朝日新聞。         6、日本経済新聞社編『病める医療』(日本経済新聞社、1997年)94頁。        7、日本経済新聞社編、前掲、99頁。         8、厚生省ホ−ムペ−ジ資料。          http://www.mhw.go.jp/toukei/sansi/1-1.html         9、1998年9月30日付共同通信。 10、高岡善人『病院が消える』(講談社、1993年)182頁。         11、厚生省ホ−ムペ−ジ資料より計算。 http://www.mhw.go.jp/toukei/sansi/1-2.html        12、高岡、前掲、112頁。        13、富家孝『病院のことがいろいろわかる本』(オ−エス出版社、          1995年)。        14、日本看護協会ホ−ムペ−ジ資料より計算。           http://www.nurse.or.jp/information/stat/item3.html           http://www.nurse.or.jp/information 第3章 高騰する医療費 第1節 高い薬剤費と医薬分業  各国の総医療費に占める薬剤費の割合は、1993年の時点で日本が29、5% フランスが19、9% ドイツが17、1% イギリスが16、4% アメリ カが11、3%であり(図表3-1)注(1)、日本は他の国に比べると薬剤比率が高く、一見薬剤に依存した医療のように見られがちだが、その ようなことはなく、これは日本の薬価が高いことが原因なのである。また日本の薬剤の平均価格は、イギリスの2、66倍 フランスの2、65倍 ドイツの1、39倍 アメリカの1、14倍で断然トップである。諸外国と比べて平均1、7倍も高い。特に新薬の薬価は海外の2〜4倍とも言われる( 図表3-2)。薬の公定価格である薬価基準は、卸などを対象にした実勢価格調査をもとに決められている。「薬価基準制度」とは、その算定 基準、引き下げ基準などのル−ル体系全体を指す。欧州各国は、ドイツ、フランスを筆頭に、ほとんどの国で公定価格の引き締めを実施して いる。「医薬品業界いじめ」とも言われる公共的な抑制介入策によって薬価基準を強く押さえられており、市場は伸び悩んでいる。一方、何 事も民間主導のアメリカは、公定価格制度を導入せず、民間の市場原理に委ねる策をとっている。そのため、「健全な市場原理を促すために 最低限の振興策や公共策は投入するが、医薬品価格は全般に上昇傾向にある。ヨ−ロッパの中でも比較的薬価の高いドイツと比べても、アメ リカの薬価は高騰気味である」注(2)という。日本の現行の薬価基準制度は、厚生省が薬の価格を決める、厳しい政府主導の公定価格制度 であるのにもかかわらず薬価水準はアメリカのさらに上を行く高さである。そこで、公定価格制度に変わる新たな制度によって積極的に市場 原理を導入し、医師や患者がより安い薬剤を選択していける市場原理を造りだそうというのが、厚生省が2000年の実施に向けて取りまとめを 急いでいる「新薬=参照価格制度」である。これは効能・成分別に薬をグル−プ分けして、同一グル−プの薬の、病院への納入価格の平均を 算出して保険で支払う上限額を決め、その額を越える薬を使った場合はその超過分は患者の負担になり、その額より安い薬を使った場合はそ の購入価格を保険で償還するというシステムである。厚生省は、この制度の導入により医師は同じような効能なら安い薬を選ぶようになり、 薬剤費が抑制されるだろうと期待している。しかし、これはドイツが採用し結果的には薬剤費の削減には何の効果もなかった制度なので、果 たして日本で効果が得られるのかどうか疑問が残る。  また製薬会社が抱えるMRが、薬剤費を押し上げる要因として取り沙汰されている。MR(メディカルリプレゼンタティブ、Medical Repre sentative)とは、医師や薬剤師を訪問して、自社の新薬の情報を伝達・宣伝する製薬会社の営業マンのことである。MRは、製薬会社最大 のアキレス腱と言われている。大手製薬会社は千数百名のMRを抱え、全国展開には最低でも700名から1000名のMRが必要だと豪語し、依 然としてその数を減らす傾向にはない。日本のMRの数は、欧米の3〜4倍とも言われていて、医師4人に1人という高い比率である。欧米では、 MRは数ヶ月に一度の訪問で新薬の情報を提供するのに対して、日本の場合には毎日顔を出すのが日課である。なぜならば、通常の産業の営 業活動はほとんどがアポイントを取っての訪問だが、医師は診察や治療で仕事があって、患者数が多いと仕事中にMRの話を聞いている余裕 はない。だからMRはそれを承知で足繁く訪問しなければいけないのである。医師に話を聞いてもらえるまで待合室で待機することもしばし ばで、効率は非常に悪い。このMRの人件費と経費は膨大な額となり、それが薬剤費を押し上げているのである。  批判的な見方をされているにも関わらず、製薬会社がMRの数をそのまま放置しているのは、他社への対抗上、やむを得ないためである。「 営業」は会社の中で一番重要な部署であり、単純に考えればその数が多いほど受注数も増える。しかし、薬剤費を抑えるために、製薬会社は こういった「ムダ」を抑えていかなけれなばいけない。  医薬品の値段は「薬価基準」として厚生省によって決められているのだが、病院の薬品仕入れ値は卸会社との交渉で安くできる。医療機関が 仕入れる実際の薬価と公定価格との間に生まれる薬価差益が病院の大きな収入源となり、薬を処方すればするほど差益が多くなるため、薬価 基準制度は「薬漬け医療」の原因だとされてきた。現在、薬価差益は薬代の28%(1995年の数字)、推計で1兆3000億円にものぼり、薬剤費、 ひいては医療費を押し上げる原因として批判されている。  しかし、病院にとってその差益は、事務経費などを補填する重要な収入源でもある。その事務経費の中に薬剤管理コストというのがある。薬 剤管理コストとは、冷蔵庫に薬を保管する際の電気代や看護婦や医師が誤って落としたり包装が大きいため全部使わないうちに期限切れにな ったりした損失品をカバ−する費用、管理のための薬局事務経費などを指す。このコストは薬価の3〜5%と言われているが、人件費の高騰や 電気代の値上げにより管理コストは年々増大している。特に、在庫率が高いと、管理コスト率が高くなる。従って、大病院、救急病院、また 医薬非分業の医療機関など在庫率が高いところでは、管理コスト率は10%を越える。また、医療費には消費税はかからないシステムなので患 者の窓口での支払いには消費税はかからないが、医薬品購入時には医療機関は消費税を負担しなければならず、そこに薬価差益を充てている 病院が少なくない。薬価差益に依存しない病院経営はありえないというのが実状で、差益を無くして薬剤費を抑えなければいけない一方で、 こういった医療機関の苦しい事情をどのようにフォロ−していくか、キメ細かい対応が必要になってくるだろう。  1960年代から国民皆保険は次第に定着していったが、保険財政の慢性的赤字は解決することはなく、医療問題と言えば「医療費の問題」とい う時代が続いた。国保や健保の赤字の原因として医療費、なかでもその三割を占めると言われる薬剤費がやりだまにあげられるようになり、 さらに薬害をきっかけに薬の安全性を問う声が大きくなり、薬剤使用について改善が迫られた。そして1970年前後から、政府側からの働きか けにより、薬価差益を抑える目的で医薬分業の推進がなされてきた。 医薬分業とは、患者の診断・治療は医師が行い、医師の処方箋に基づ く薬剤の調合は、医療機関とは別に薬局の薬剤師が分担するというシステムである。「もう30年も前から医薬分業の推進が叫ばれているが、 医療機関が薬価差益を経営の原資としているだけになかなかはかどらないのが実状」注(3)だという。現在、その普及率は25%前後といっ たところである。医薬分業によるメリットとしては、患者側は@調剤の待ち時間の短縮、待合室の混雑緩和A医薬品に関する十分な説明・指 導の享受、病院側は@医薬品購入費の節減A医薬品購入・請求事務および人件費の節減B院内医薬品在庫の減少とスペ−スの増加などがある。 デメリットとしては、患者側は@患者の一部負担増注(4)A薬局へ行く二度手間、病院側は@薬価差益に基づく収入の減少Aメ−カ−から の医薬品情報の減少などがある。 第2節 現行の診療報酬体系  日本の現行の診療報酬体系は「出来高払い制」である。これは実際に行なった医療行為、使った薬代などを国が決めた診療報酬点数で積算し、 それに応じて病院が支払い機関から支払いを受けるシステムである。医師の裁量で治療・検査・投薬が決まるというサ−ビス供給の特殊性か ら、必要以上に検査・投薬を行う過剰診療、いわゆる「検査漬け・薬漬け」を誘発し、医療費の増大や医療保険財政の悪化を招いているとし て批判の声も多い。そこでその改善策として「定額払い制」の導入が検討されている。これは、ある疾患で入院した場合、どんな治療をして もどんな検査をしても一定額しか支払われないシステムである。この制度の導入により、定められた額の中でのコスト管理が必要になるので、 不必要な検査や投薬が行なわれないようになるだろう、と厚生省は考えているのだが、逆に必要な検査や投薬でさえも行なわれなくなり、医 療サ−ビスの低下につながるのではないか、と指摘する声もある。 第3節 レセプトの不正請求  レセプトとは医療機関がひと月ごとに各患者にかかった治療費や薬品代を集計して、患者が加入している保険者(健康保険組合や市町村など) に医療費を請求する際の明細書のことで、病名のほか、投薬、注射、検査、手術などの項目ごとの費用がわかる。今、このレセプトの不正請 求も医療費増加の原因として問題になっている。  不正請求には、まったく診療行為を行なっていないのに診療したことにする「架空請求」、レセプトを書く際に、実際の診療にプラスして行 なっていない検査や薬の処方を付け足す「付け増し請求」、簡単な手術をしておいて、同じ部位に対する似たような手術でより点数の高い手 術をしたことにする「振り替え請求」、患者が既に自費で支払った診療行為を、さらに保険医療費として請求する「二重請求」などがある。 1995年度だけでも2000億円規模の過剰な支払いがあったことがわかっており、同年度中に保険から支払われた医療費で、不正請求として返 還を求められた金額は46億1377万円にのぼる(図表3-4)注(5)。今では、医療費の約3割は不正請求である、とさえ言われている。   医療機関は患者一人一人について毎月レセプトを作成し、それを締日までに支払い機関に提出する。そのレセプトを審査する審査支払い機関 は二つある。組合健康保険と政府管掌健康保険、船員保険、共済組合などの加入者の分は「社会保険診療報酬支払い基金」が、国民健康保険 などの分は「国民健康保険団体連合会」がレセプト審査にあたる。支払い機関は、まずその医療行為が保険診療の基準から見て適切かどうか を審査して、認めた部分については医療費を支払う。審査では、書類上の不備や明らかな記載ミス、計算間違いなどをチェックする。ここで はねられたものは医療機関に返戻される注(6)か、病名に合わない検査や投薬は減点される。その次に、そのレセプトを、これまであまり 問題のなかった医療機関のものと、問題が多いとしてリストアップされた医療機関のものとに分ける。「問題が多い医療機関」とは、これま でのレセプト審査で過剰請求や不正請求と見なされるようなレセプトが多かったり、レセプト一枚あたりの点数が特に高かったりする医療機 関、またそれについて注意してもなかなか改めない医療機関のことで、こういった医療機関のレセプトは入念にチェックされる。裏を返せば、 問題なし、と判断された医療機関のレセプトはほとんどチェックされないのが実状である。  というのは、物理的に審査するレセプトの数が多すぎるからである。その数は一年あたり約12億枚にのぼると言われており、それだけの量の レセプトを審査するのにもかかわらず、審査期間は支払い基金の場合わずか5日、国保連では4日という短さである。また審査に費やすことの できる時間は、国保連の場合で1枚あたりわずか4秒とも言われており、それでレセプトをじっくり見てチェックすることは不可能と思われる。  ここで、医療機関が請求したにもかかわらず、保険診療から見て不適切と判断し、支払い機関がその分の医療費を削ることを「査定」と言う。 時々、患者のためには大切な医療行為だと医師が考えている行為を、支払い機関側が認めない場合がある。医師は後手にまわるだけではなく、 場合によってはその予防策としての医療を提供しなければいけない。しかし、風邪をひきそうな症状の患者に、「風邪薬」としてのビタミン 剤を投与することでさえも、患者がまだ風邪をひいていない状態では、不必要な医療と見なされ査定される。こうした状況がよく起こるのは、 白血病を中心とする血液疾患である。その疾患に対する化学療法剤が、新薬であったり研究段階の薬剤であったりすると、あっさり査定され てしまう。そこで病院が患者を救うために、支払い機関からは代金が支払われない、とわかっている治療をすると、それがまるまる病院の負 担=赤字となるのである。支払い機関側は、国が定めた規則に従っているので高飛車で、病院側がいくらその治療の必要性を書面で説明して も、認めてはくれないという。医学や医師の洞察力は進歩しているのに、規則がそれに追いついていかないのである。 【3章の注】1、19 93年の数字。イギリスのみ1992年。 2、晴田エミ+UPU『医薬品業界』(かんき出版、1998年)45頁。       3、丹羽雄哉『生きるために』(日経メディカル開発、1998年)152頁。       4、分業になると、従来の薬代のほかに、病院が薬局向けの処方箋を出す         手数料(院外処方料)などが新たに加わる。調剤料も、病院の場合は         薬の量にかかわらず一回あたりの定額だが、薬局の調剤料は薬の種類         や量に比例して高くなるため、院内処方よりも高くつく。            5、1997年8月30日付朝日新聞。        6、返戻されたレセプトについては、医療機関が再び修正した上で再提出         する。 第4章 医療費の不公平 第1節 高額医療費  政府管掌健康保険・国民健康保険のレセプトを点数の高い順に並べると、日本の総医療費の三分の二が、レセプト点数上位10%未満の人によ り使われている、という事実がわかる。つまり医療費のほとんどを、高額医療者が使っているのである。そうした中で、一般外来患者や一般 病院に入院している患者や老人患者の自己負担をいくら増額しても、総医療費に対する影響はわずかで医療費抑制の効果は薄い。「例えば、 下位75%の患者の自己負担を10%アップしたとしても、医療費全体での影響は2%前後で、総医療費抑制にはならない」注(1)という。   高額医療を受けている患者には、高額医療還付制度というのが設けてある。医療費があまりにも高い場合には、一定の額を越えたものに対し て高額療養費という名目で国から現金が支給(還付)されるのである。だから、高額医療を受けている者にとっては、医療費の自己負担率が 増大しても、自分の自己負担額は従来までと変わらず、全く影響を受けない。一方、それほど高額でない医療を受けているものにとっては自 己負担率の増大は懐事情を圧迫させる一大事となる。高額医療費は、多くが大学病院など高度医療を行う病院での高度医療や末期医療に使わ れている。「現実には、こうした医療を受けている高額医療者のうち9割が治療1〜6ヶ月以内に死亡」注(2)していて、「とりわけ死亡す る1〜2ヶ月前に手術、投薬が集中しており、これは『香典医療』と呼ばれることさえある」注(3)という。患者がもう助からないとわかっ ていても、医師は悔いを残さないために最善を尽くすべく、強くて高価な薬剤を大量に使用してしまう。そのことが最期を迎える人への手向 けともとれることから、こう呼ばれている。末期の医療を辞退するということで、入院前にその旨を明記して病院に提出すれば、病院は無理 な延命治療はしないことになっているが、本人はともかく、家族は少しでも長生きさせたいと希望することが多い。この極端なケ−スが「脳 死」の時である。脳死とは、無酸素や障害により、脳が永久に機能を失った状態をいう。再び意識が戻ることはないが、人工呼吸器をつけて いるかぎり、脈拍があり心臓は「生きて」いる。この状態を「生きている」ということができるのかどうかも議論の対象になっているが、こ こでかかる医療費が恐ろしく高いことだけは確かである。これからは末期医療・延命治療のあり方を国民も考えていかなければならない。 第2節 国民健康保険と健康保険の格差  国民健康保険では、医療費のうち50%が国庫負担でまかなわれている。政府管掌健康保険への国庫負担は13%で、組合健康保険への国庫負担 はない。ここだけを見て「自営業者はサラリ−マンよりも儲けているくせに、国からの負担率が多いのは不公平だ」と言う人もいるが、現行 の医療保険制度では、国民健康保険加入者の窓口での医療費の自己負担率は3割、政府管掌健康保険の場合2割である。この窓口での自己負担 比率は、国庫負担の比率と比例しているので、国保が優遇されているということもないだろう。日本の制度は事業の形態(自営業、サラリ− マンなど)、所得の高低などを包括的に組み合わせた制度ではあるのだが、国庫負担も、もとをただせば国民の払った税金なので、結局は国 庫負担と窓口の負担が多い国保加入者の方が損ということになるだろう。病気の少ない働き盛りの人たちを対象として、企業で毎年定期的に 健康診断を行なって早期に疾患を見つけて治療できる健保と、企業を退職した高齢者や毎年の健康診断もままならない自営業者が対象の国保 とでは、明らかに国保のほうが分が悪い気がする。 第3節 地域格差  国民健康保険は各市町村ごとにかかった医療費のうち、50%を国が負担し、残りをその構成員で分担して負担しようとするシステムである。 つまり、医療費がかさむ地域ほど一人あたりの保険料は高くなってしまう仕組みになっている。  1994年度の決算では、日本で住民の一人あたり保険料が一番高いところは北海道羅臼町で10万4848円、全国平均は6万5591円、一番低いとこ ろは鹿児島県十島町で1万4832円であった注(4)。北海道羅臼町は知床半島の突端にある漁業中心の町である。この町では住民の7割が国保 に加入している。だが病院は町立国保病院一つしかなく、外科手術は160キロ離れた釧路市、CTスキャンによる検査は70キロ先の中標津町で ないと受けられない。そういう状況なので、受診は休漁日に集中するが、発病してから時間が経っていてすでに病状が悪化しているケ−スが多 く、治療費がかさんでしまう。「保険料の高騰で、累積滞納額は年間保険料に匹敵する3億円に達し、四分の一の世帯が保険料の上限額である 52万円を支払っている。町もいろいろ打開策を練ろうとはしているのだが、医療費の伸びが年20%と大きすぎて、保険料を押さえるのは容易 ではない」注(5)という。 また平成8年度の調査で、一人あたりの実績医療費が一番高いのは北海道で45万9000円、一番低いのは沖縄県で 24万8000円であった注(6)。北海道は実に9年連続のトップであった。北海道は広いうえに気候条件が厳しく、また医療機関が都市部に集中 しているので、冬場は農村部などの患者が通院しにくくなり、他の地域に比べ通院よりも入院を選ぶケ−スが多いため医療費が膨れ上がってし まうのである。北海道を除くと、医療費は西日本ほど高く、東日本ほど低いという「西高東低」型になっている。しかし、この格差が生じる理 由は明確には説明されていない。  【4章の注】1、医療制度を考える部屋ホ−ムペ−ジ。           http://www.urban.ne.jp/home/haruki3/kougakui.html         2,医療制度を考える部屋ホ−ムペ−ジ。           http://www.urban.ne.jp/home/haruki3/kougakui.html         3、水野肇『医療・保険・福祉改革のヒント』(中央公論社、1997年)92         頁。         4、日本経済新聞社編、前掲。         5、日本経済新聞社編、前掲、72頁。         6、1998年11月10日付朝日新聞、1998年11月10日付読売新聞。 第5章 日本の医療の将来像 第1節 セルフメディケ−ションの推進  セルフメディケ−ションという「軽い病気は医者にかからず大衆薬を買って自分で治そう」という政府の振興策が進んでいる。これまでは、 ちょっとした風邪でも胃痛でも、病院の保険治療の方が効き目の高い薬が安く手に入る風潮にあった。軽医療は、保険医療の四分の一を占 めると言われているだけに、これを減らすことができれば、医療費の削減に大いに効果があるとされている。欧米では、医師の処方箋なし で買える大衆薬のことをOTC薬(オ−バ−ザカウンタ−、Over The Counterの略で、店頭で買う薬の意味)と言う。「日本の医薬品市 場に占めるOTC薬の割合は、現在約20%である。欧州では各国間の差はあるものの、だいたい20%半ば、米国ではこれが30%近くにまで のぼる」注(1)という。日本では、米国並の大衆化比率へのシフトを目指して、一部効き目の軽い薬についてコンビニエンスストアなど での販売を自由化するなど、規制緩和を進めてきた。1998年から、大衆薬の販売規制緩和が本格化し、これまで薬局薬店でしか扱えなかっ たOTC薬の中から、一挙に15薬効群が「医薬部外品」扱いへ移行することが決まり、コンビニエンスストアをはじめ一般小売店で自由に 販売できることになったのだ。15薬効群は、ドリンク剤、ビタミン剤、カルシウム剤、健胃剤、傷薬などで、特にOTC薬市場で1500億円 規模のシェアを誇っていたドリンク剤が、医薬品扱いからはずれて自由に販売されることの波紋は大きいとされている。  第2節 積立型医療保険の構想  ここで、積立型医療保険制度というものを紹介したい。これは、もとはアメリカに由来する考え方である。  まず世代、例えば5歳きざみの各年齢階層を単位として、その階層が支払った保険料の積立額で、その世代の生涯にわたる医療給付額をまか なうことができるようにする。その保険料は各世代ごとに違い、基本的にお金を稼ぐ生活能力に応じてシフトしていく。義務教育を受け終 わる15歳まで(働くことができるようになるまで)は保険料はゼロとし、この時点までに要した医療給付額だけ会計計算上赤字を計上してお く。20歳代以降50歳代までは、保険料納付額が給付額を上回るように設定して、ここでの黒字分は、赤字として計上してあった15歳までの医 療給付費の返済に充て、さらにその残りは積立をしておいて老後の医療給付に充てる。50歳代以降は、生活能力は下がるのに比較的医療費が かかるようになるので、納付額を保険給付額よりも低く設定しておく(図表5-1)。あくまでも自分たちの年齢階層の中だけで収支バランス をとる、という仕組みは、若年層が他人の高齢者の医療費を支払っている現行の医療保険制度とは性格が違う。こうして世代内で再分配をさ せることによって、先の見えない今後の日本人口の年齢構成の変化に対応していける。また各世代が、それぞれ自分の世代の医療費に関する 負担と給付のバランスに関心を持ち、責任を持って運営できるようになる。さらに今のように「他人の医療費を払う」という、一種の損をし ているような印象も、同一世代の中での連帯感によりなくなる。 第3節 正しい国庫負担のあり方  「政管健保は1973年度以前、国鉄やコメと並んで「3K赤字」と呼ばれていた。その時代の累積赤字は、将来一般会計から補填することが国 会で決められていた。ところが、今日に至るまで、その赤字分は未払いのままである。これは「棚上げ債務1兆4792億円」と呼ばれている」 注(2)。その後、政管健保は1985年度と1991年度の2回にわたって大幅な黒字分を出したのだが、2回とも財政難に苦しむ大蔵省に利用さ れた。 政管健保に対する国庫補助率は、当時の法律では社会保障関係費の16、4%と定められていた。ところが1985年、大蔵省は厚生省に対 し、さらなる借り入れ、すなわち「政管健保に対する国庫補助の繰り延べ(つまり未払い)」を要請してきた。それに対し厚生省は、最初は 「国の財政が容易に好転するはずはなく、借りっぱなしにされるのでは」と警戒し、また「将来、医療費が増えたときにむやみに保険料を引 き上げないためにも、(今回の)黒字分は積立金にするべきだ」と譲らなかった。しかし大蔵省は「政管健保が赤字になった場合は、返還す る」と約束し、結局繰り延べはその後再三にわたり行われた。繰り延べ総額は、1997年までに9500億円となった。大蔵省はこのうち、1500 億円を1996年度補正予算でようやく支出したにとどまった。また1991年度に、政管健保が3747億円という過去最高の黒字を示した時には、 国庫補助率が16、4%から13%に引き下げられた。これは約1500億円規模の減額に相当する。「その後1993年度に、政管健保は935億円の赤字 を出した。これは「(1993年度の)繰延べ額1300億円」と「国庫補助率引き下げ分1468億円」のダブルパンチが効いた」注(3)からである。 大蔵省がこれらの減額措置をとらなければ、1833億円の実質黒字であった。度々国庫補助を節約しておきながら、医療財政が危機的状態にあ るから、といってそのツケを国民にまわし、保険料の引き上げや患者負担増を求めるのは筋違いである。  国民の負担を増やす前に、まず大蔵省は@国庫補助率を13%から16、4%に戻すA過去の棚上げ債務や繰り延べした分を速やかに返済する、こ の二つを実行しなければいけなかった。しかし、1997年の医療保険改革では、それら全部を棚上げして国民の負担だけが増やされた。「この ことは厚生委員会でもとりあげられ、審議事項となったが、政府は財政危機を理由に、債務の返還と補助率の修正に応じる姿勢はない」注( 4)という。財政が危機的状態にあるのは、政府の無策のせいである。税金が、国民にとって有意義に遣われないのであれば、国庫負担の正 当性を認めることはできない。  【5章の注】1、晴田+UPU、前掲、40頁。        2、医療制度を考える部屋ホ−ムペ−ジ。          http://www.urban.ne.jp/home/haruki3/mathumi.html         3、医療制度を考える部屋ホ−ムペ−ジ。           http://www.urban.ne.jp/home/haruki3/mathumi.html         4、医療制度を考える部屋ホ−ムペ−ジ。 http://www.urban.ne.jp/home/haruki3/kato.html おわりに〜 新しい医療保険制度改革案(私案)〜  物価の上昇シフトに伴い、医療にかかる経費(薬代や医療機器の購入費)や人件費は上昇していくのだから、当然私たちの払う医療費も上が る。だから、それに合わせてサラリ−マンの給料も増額してあげなければ、増えゆく医療費を払うことができなくなる。しかし現実には、不 況でサラリ−マンの収入はそれほど増加シフトにはなく、むしろリストラで失業者が増えており、だからといって病気にならないはずもなく、 一家に一人でも入院患者がいると死活問題といった状況である。さらに医師の収入に大きく影響してくる診療報酬も、流動性のある物価シフ トに対応できるように、2年に1回は点数を改定するよう決められているが、ここ最近では物価シフトの上昇率に比べて、診療報酬のシフトは 低い上昇率に抑えられていて、医師は「家計」のやりくりに苦悩する毎日が続いている。  政府がまず重視するべきなのは「景気対策」であろう。景気が良くない時の税金や医療費の負担増は、国民の消費をますます冷え込ませるだ けである。まず最初に、企業に対する法人税や、個人に対する所得税の課税負担減を大幅に行う。次に高所得者と低所得者が同じように負担 している消費税も、欧州のように食品には課税しない仕組みにして、車や宝石、絵画や住宅などの高価なものに課税するようにすれば、累進 課税の原理も守られる。そうして景気が回復するまでに、国は無駄な公共事業や無意味な「ふるさと1億円」などを取り止め、徹底的な経費削 減に励んでおく。そして景気が良くなってから、医療保険システムを改めるべきである。まず最初に、医療保険財政の安定化を促すため、大 蔵省に「棚上げ債務」や医療費の繰り延べ分の返済を速やかに行うよう指南する。そして医師や看護婦の需給システムを根本から改める。医 師については、医師としての素質を見定めることのできるように、学力重視でなく面接重視の国試システムを導入する。また、優れた臨床医 を育成するために、臨床研究を完全に義務化する。臨床研修の目的は、医学部時代に得た知識を、実際に患者の診察を通して技能としてを身 に付けることにある。この実地教育は一人前の医師になるためには不可欠なものなのだが、現在は日本では義務化されておらず、研修対象者 の研修率は1994年度では約83%にとどまっている(図表5-2)。これは早急に義務化が必要である。さらに、勤続40年以上のプロの医師でも、 医師になりたての若い医師でも一律である現行の診療報酬体系を見直し、その実績・勤続年数に伴って報酬が上がるようなシステムを打ち出す。 また開業医に対しては、以前の医師優遇税制注(1)を復活させ、後継者難にあえぐ開業医界を救済する。看護婦については@一ヶ月あたりの 夜間勤務の日数を減らすA夜勤の際の休憩時間の確保B看護婦の休憩室や仮眠室のアメニティの充実、またその最低限の清潔さの維持C週休・ 月休・年休などの完全取得とその交代要員の確保D養成システムを一本化させて、今いる准看護婦はある程度の講習や実習で正看護婦にしてし まい、准看制度を完全に廃止させること、が必要である。  さらに、薬剤については今後も薬価基準の引き下げを行い、またその人件費だけで薬剤費の六分の一〜七分の一を占めると言われるMRの人数 に関する厳しい規制を設ける。MRの職務に関しては、一定期間を置いた定期的な訪問と、完全アポイント制を導入させて、少しでも人権費の 無駄が無くなるように努める。レセプトチェックについては、支払い機関の職員を増やして、膨大な量のレセプトでも丁寧に審査できるような 体制を作り、査定基準についても、これをもっと柔軟性あるものに変える。財政面だけを重視して、その場凌ぎの負担増を繰り返すのではなく、 それぞれの方面で、現場レベルでの根本的な改革がなければ、高齢社会に対応できる社会保障国は創れない。厚生省は厚生白書で、いかに医療 財政が厳しいか、国民の理解と負担がどれだけ必要であるかを繰り返し強調しているが、一方では長期入院患者のデ−タから精神科疾患の患者 の数を除いて、その72%が65歳以上だという記述で老人の長期入院患者の実体をより多く見せるなどの細かい裏工作で国民の同情を買おうとし ている。これまで述べてきたように、日本の医療には、医療従事者の需給不均衡と不完全な教育体制、病院経営の悪化や高騰する医療費など、 様々な「改善すべき点」があり、現行の医療保険制度が完璧なものでないことは明らかである。私たちの「国民皆保険」はこのように、非常に 危うい状況のもとに成り立っている。  おそらく一生のうちに一度も病院のお世話にならない人はいないだろう。だから本来ならば、日本国民一人一人が医療について考えなければい けないはずなのだが、実際は、自分が健康なうちは医療のありがたみに気が付かない。私たちは、自分たちの生活が、何よりも「健康」のもと に成り立っている、ということを意識しなければいけない。  【注】1、この医師優遇税制とは、診療報酬を値上げしない代わりに、開業医を対象に      税制上の特権を与えたものである。「総収入(水揚げ)の72%を必要経費と 認め、残りの28%にのみ課税する」という内容であった。総収入の7割が      免税、という破格の待遇であった。しかし、医療費が高騰するにつれて、厚      生省は医師優遇税制と引き換えに医療費全体を安く据え置くという政策を取      り続けたため、その税制は徐々に有名無実のものとなっていった。 あとがき   医療問題を調べていくうちに、「このままで日本の医療は大丈夫なんだろうか」という焦りを感じるようになった。だからって自分に何ができ るか、おそらく何もできないだろう、という考えが根底にあったために、結局は日本の医療保険制度のアラ捜しのような論文になってしまった 嫌いがあり、そこに自分なりの改革案を提言するというのにはかなりの努力を要した。最初は、好き勝手に自分の考えを詰め込もうとしたため に、過激な表現や辛辣な批判が多々見られたが、指導教官の先生のフォロ−のおかげで、紆余曲折の末なんとか論文が完成した。集めた情報は、 半分が文献、半分がインタ−ネットによるものである。特に、インタ−ネット検索の手軽さ、便利さにはとても助けられた。何にせよ、医療は 比較的ポピュラ−な分野らしく、情報には事欠かなかった印象がある。    最後に、この論文を書くにあたって、論文の方向性について最初のヒントを与えてくださった、千葉県アビコ外科整形外科病院のSさんと卒業 論文の指導をしてくださった中村先生にお礼申し上げます。 【参考文献】池上直己、J・Cキャンベル著『日本の医療』中央公論社、1996年       東栄一著『医療の衝撃』日本能率協会マネジメントセンタ−、1994年       東栄一著『医療不信』日本能率協会マネジメントセンタ−、1996年       江尻尚子、杉山紀一郎著『看護婦を増やして!』新日本出版社、1991年       NIRA研究報告書『国民健康保険の再建方策』関西計画技術研究所、                  1997年       大竹美喜著『医療ビッグバンのすすめ』NHK出版、1998年       勝村久司著『払いずぎた医療費を取り戻せ!』株式会社メディアワ−クス、        1998年       川上武著『21世紀への社会保険改革』勁草書房、1997年 川上武、小坂富美子著『医療改革と企業化』勁草書房、1991年       小坂富美子著『医薬分業の時代』勁草書房、1990年       厚生省『平成10年度版厚生白書』ぎょうせい、1998年       集英社『情報・知識imidas '98』1998年       高岡善人著『病院が消える』講談社、1993年       田辺功著『医療の周辺その周辺』ライフ企画、1996年       丹羽雄哉著『生きるために』日経メディカル開発、1998年       富家孝著『「病院」のことがよくわかる本』オ−エス出版社、1995年       中川米造著『素顔の医者』講談社、1993年       中島幸江著『准看護婦の「准」ってなあに』桐書房、1995年       西村周三著『医療と福祉の経済システム』筑摩書房、1997年       西村周三監修『医療ビッグバン』日本医療企画、1997年       日本経済新聞社編『病める医療』日本経済新聞社、1997年       晴田エミ+UPU著『医薬品業界』かんき出版、1998年       水野肇著『医療・保険・福祉改革のヒント』中央公論社、1997年 宮子あずさ著『本音で話そう「看護婦問題」』未來社、1993年       医療制度を考える部屋ホ−ムペ−ジ        http://www.urban.ne.jp/home/haruki3/index.html       厚生省/統計情報部ホ−ムペ−ジ        http://www.mhw.go.jp/toukei/toukeihp/index.html       東洋信託銀行ホ−ムペ−ジ        http://www.toyotrustbank.co.jp/index.html       日本医師会ホ−ムペ−ジ        http://www.med.or.jp       日本看護協会ホ−ムペ−ジ        http://www.nurse.or.jp       三重大学医学部有志による試験的ホ−ムペ−ジ http://www.medic.mie-u.ac.jp/japanese/1998/index.html       むらこし内科医院ホ−ムペ−ジ        http://city.hokkai.or.jp/^murakosi