行政学演習

国際学部国際社会学科4年

渡辺はる 970158H

 

コソボ空爆の背景

 

Tはじめに

「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」。第二次世界大戦後のユーゴスラビア地域はこんな風に表現され、このような複合的な要素は度重なる対立をもたらしてきた。そして長い歴史を経て国際の平和及び安全が国際連合憲章に明示され、個人の尊重と人権が声高に主張されるようになった現在も、この地域に居住するすべての人々の幸福と平和的共存の達成は未だ成されていない。

ユーゴスラビア諸国はほぼ単一民族国家であるスロベニアを除き、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、そしてマケドニアはそれぞれ多民族国家である。これらの国によって構成されていた旧ユーゴスラビアから、民族自決権の行使により各国が相次いで独立し、現在のユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴスラビア)はセルビア共和国とモンテネグロ共和国とから成り立っている。独立の際、経済先進国であり、豊かな天然資源を有し、経済的また軍事的に重要である独立国と、それを手放したくない新ユーゴスラビアとの間で繰り返し紛争が勃発し、民族間の対立が浮き彫りになった。特に「ユーゴスラビアの縮図」とも言われるボスニアにおいては、宗教を異にするセルビア人、クロアチア人、ムスリム人の対立が激しく、それぞれの領域の拡大のため、民族浄化という政策が講じられた。

こうした「多民族国家の悲劇」に登場してきたのは当該国だけではない。これを国際問題として扱い、様々な形で介入してきた国際機関や国々もまた、この地域の歴史的流れに多いに関わってきた。このレポートでは特に、セルビア共和国内に位置するコソボ地域における問題を取り上げ、主に外からこれに影響を与えてきた側の発言や投稿を通して、そのとらえ方や行動を見ていく。

 

Uコソボ紛争概要

新ユーゴスラビア連邦のセルビア共和国の自治州であるコソボの人口は約200万人と言われ、その民族構成はアルバニア人が約90%、セルビア人が約10%である。この自治州をユーゴスラビアから独立させるべく組織されているのが、アルバニア系武装組織であるコソボ解放軍(KLA)であるが、そのゲリラ活動の報復としてユーゴスラビア側がアルバニア系住民に対して弾圧を行うなど衝突が続いた。

一般に各国内における問題は内政不干渉の原則により国内問題として扱われ、各国の政府にその処理が任される。しかし70年代以降、人権問題に関しては国際問題であるとの認識が広まり、コソボ問題もその一つとして国際機関等による介入を受けた。

ヨーロッパ連合(EU)や国際連合の安全保障理事会、北大西洋条約機構(NATO)、またアメリカのような大国は、軍事的圧力の強化、即時停戦や政治対話を求める決議の採択、在外資産凍結等の制裁などを行い、ユーゴスラビア側にアルバニア系住民に対する弾圧の停止を求めた。1998年10月、NATOは空爆の最後通告を圧力に、即時停戦、安保理決議の順守、そして欧州安保協力機構(OSCE)監視団受け入れなどの合意を取り付けた。しかしその後もKLAとユーゴスラビア連邦軍との間の衝突は続き、和平案の合意を目指して交渉が再開された。和平案の内容は、コソボに大幅な自治権を与える一方、2万8000人のNATOの平和維持部隊を派遣するというものであったが、双方の代表は自治州の自治拡大に関しては合意していたものの、空爆開始の延期にも関わらず完全な合意には至らなかった。そして3月23日、度重なる交渉は成果を見せないまま決裂し、NATO事務総長は空爆の開始を命じ、一方ユーゴスラビア政府も「戦争直前宣言」出した。

こうした国際社会の動きにはどういった背景があるのか。介入者となったNATO諸国は空爆実行という大胆な決断を下したが、そこにはどういった思惑があったのか。

 

VNATOによる空爆の背景

NATO陣営は、ビル・クリントン米大統領、トニー・ブレア英首相、ゲアハルト・シュレーダー独首相、ハビエル・ソラナNATO事務総長他、戦争は絶対的な悪だと信じて育ったベビーブーム世代の指導者たちによって率いられている。そんな彼らを空爆に踏みきらせたのは何であったのか。

パリで行われた和平交渉再開の際、空爆実施の警告が圧力としてユーゴスラビア側に発せられたが、同様の警告は98年10月にも成されており、その時はミロシェビッチ大統領が安保理決議案等に合意することより回避され、その効果が発揮されている。しかし再開された交渉は幾度かその期限が延期されており、最終的に空爆の警告は役に立っていない。これらの点を考えると、パリでの交渉の際成された警告は、当初は実行に移される可能性の低いものとして、つまり前回のように警告だけでも十分に効果のあるものとして発せられたが、ユーゴスラビア側の予想外の態度に戸惑い、慎重に討議された結果であるはずの重大決定を、いとも簡単に延期することによりできるだけ回避したものの、結局宣言した手前実施に移さなくてはいけなくなった、という風に見えないであろうか。実際このような重大な警告を簡単に取り消そうものなら、警告された側に甘く見られるだけでなく、NATO自体が実行力の無い機関に見られかねない。

空爆は決定され、実行に移された。実行に対してNATO各国はどのような見方をしたのか。空爆の目的は何であったのか。その効果、影響はどのようなものであったのか。そして国連との関係はどうであったか。こういった背景を見ていくことにより、大勢の死傷者や難民を出すこととなったこの重大決定が、純粋に正義を守ることが考えられ、また十分に審議された上でのものであったかどうかが分るであろう。

 

1.空爆実行に対するNATO各国の見方

空爆開始の数日前にクリントン米大統領はスピーチでこう語っている。「私は軍事力の行使を望んでいない。それを避けられるのであれば、どんなことでもする。」しかし和平交渉という手段による譲歩を引き出すことはついにできず、コソボ和平案の調印を拒否したユーゴスラビア連邦に対する空爆を、「我が国と同盟国に行動を起こす気が無ければ、虐殺が広まるだけだ。」と言ってその正当性を主張した。

ブレア英首相もまた、次のように語り、その必要性を訴えている。「独裁者に譲歩してはならない。…ボスニアの時は断固たる行動をとるまで4年もかかったが、コソボでは同じ過ちを繰り返したくはない。…21世紀は、民族浄化や人民弾圧に手を染めた独裁者が必ず罰せられる時代にしなければならない。」

また元駐ユーゴスラビア米大使は、ミロシェビッチとの会談などから得た彼の印象を語った上で、「コソボ問題でミロシェビッチを譲歩させるのは不可能かもしれない。…だが、これだけは言える。他の方法では、彼(ミロシェビッチ)は決して譲歩しないだろう。」

一方、空爆前に行われた記者会見でマデラン・オルブライト米国務長官がミロシェビッチとセルビアを批判した直後に、イタリアのランベルト・ディーニ外相は「セルビアだけを全面的に批判するのは誤り」と発言した。明確な批判はイタリアの他、チェコやギリシャなどからも聞かれ、「全く正当だ」とする英国や米国との足並みの乱れが鮮明になった。またアナン国連事務総長、ロシアのイワノフ外相、そしてNATO加盟国であるカナダのアクスワージー、ギリシャのパパンドレウ両外相も加えて4者会談が行われた際には、「コソボ紛争に関する国際的な決定は、すべて国連安保理決議として採択されねばならない」との方針が確認され、カナダとギリシャに関しては政治的手段による解決を重視する姿勢が見られた。

空爆の開始後もクリントンはその続行を強弁し、NATO首脳会議は空爆続行の方針でまとめられたものの、NATOは勝てないとの見方が西側諸国、そしてアメリカ内部でも広がっていった。異常な速度で急増した難民流出の被害もまた、NATO諸国内部からの批判につながっていった。そして、それ以降の地上軍投入などの戦術や、軍事行動に対する国連の決議の必要性などといった戦略概念等をめぐり、各国の立場の違いは次第に際立っていった。

こういったNATO内の足並みの乱れがありながらも、空爆が開始され続行されていったのは、冷戦終結後、アメリカが唯一の超大国になったという事情があると言われている。

 

2.空爆の目的

クリントン米大統領はNATOによるユーゴスラビア空爆の開始を受け、目的として、(1)ユーゴスラビアのコソボ攻撃に強い反対の姿勢を示す(2)ミロシェビッチ大統領がコソボの無防備な市民を攻撃するのをくい止める(3)ユーゴスラビアの戦力に深刻な打撃を与える、の3点を声明によって発表した。またバルカン半島の近隣諸国への飛び火を防ぐことの重要性も強調している。

ブレア英首相は「国連がわれわれの行動(空爆)に権限を与えようとしなかった理由はわかっているはずだ」と、ロシア、中国の反対で安保理決議を取り付けるなど不可能だった状況を示唆した。また「傍観こそ限りなく道徳的に非道な行為だ」と述べ、空爆を人道的惨劇防止のために取られた措置としている。

またNATOは4月24日に開かれた首脳会議で「ユーゴスラビア政府が国際社会の要求を受け入れない限り、空爆を続行する」と宣言し、「コソボ危機はNATOが創設時から守り続けてきた民主主義と人権尊重、法の尊重という価値に対する根本的な挑戦」ととらえる声明も発表した。

NATOはこうした目的を95年のボスニア・ヘルツェゴビナの時のように、空爆によって達成しようとした。

もう一つの目的はNATOを存続させるというものであった。アメリカのスコウクロフト元大統領補佐官は空爆実行の最大の理由として、(1)放置すればNATOの存在意義が問われる。(2)NATOの加盟国のギリシャとトルコの衝突など、周辺に飛び火する危険が高い。を挙げている。

また、NATOがなくなり、ヨーロッパの安保体制がフランスとドイツを中心としたものに変わった場合にこの地域に対する影響力が著しく低下することになるのは、ユーゴスラビアに対する強行姿勢を取り続けたアメリカである。

 

3空爆の効果、影響

空爆は正しかったと思うか。―空爆開始後にマケドニアのグリゴロフ大統領に対してなされた質問であり、彼はこう答えている。「人間として、私はいかなる武力行使にも反対する。だが89年以来、ミロシェビッチはアルバニア系住民の憲法上の権利を全て否定してきた。和平への努力は無駄に終わり、武力に訴える道しか残されていなかった。」

空爆がコソボでの勝利を生んだと思うか。NATOのソラナ事務総長はこの質問に対して「NATOだけでなく、作戦に参加した他の多くの国々と共に守り抜いた正義と価値観にとっての勝利だった。…」と答えている。

一方それまでユーゴスラビア空爆を支持してきていた英国のガーディアン紙は、99年4月28日に「NATOは空爆を見直す必要がある」という社説を掲げている。同紙は、ユーゴスラビアの防空システムや兵力を抑え込むことがNATOの空爆開始当初の目的であったが、次第にその爆撃目標の範囲が産業施設、交通網、放送局などに拡大し、政治的な効果が期待されるようになったことを指摘している。また爆撃延長や対ユーゴスラビア石油禁輸などの強硬策が周囲の諸国を危機にさらし、ロシアとの関係を悪化させることになると批判した。

また現状をみてみるとセルビアにおけるミロシェビッチの地位が強化されたようである。「兵隊にとられないようにあらゆることをやっている。ミロシェビッチやコソボのために死んでもいいと考えているやつなんて、知っている限り一人もいないね。」ベオグラード在住の弁護士、ザルコがこのように語るミロシェビッチは、今も大統領の座にとどまっている。「ミロシェビッチは大嫌いだったけれど、少なくとも空爆が続いている間は彼を支持する。彼をどうするかは後で考えればいい。」同じくベオグラードに住むネボイシャのこの発言からも、本来セルビア人にとっての問題がコソボ自治州の独立を容認するか否か、自治権を拡大するか否かというものから、空爆を許すべきかというものへと移っていったことがうかがえる。

また空爆によってコソボの都市などが多大な被害を受けた他、難民の数が空爆の開始後に、ユーゴスラビア政府の対抗処置によりかえって急増した。

今回の空爆停止の際に合意されたNATO側の和平案では、結局何も解決していないとの見方もある。当面は国際的な治安部隊が駐留し、アルバニア人には広範囲な自治権が与えられたが、コソボの地位は3年後に再び検討されることになっており、その時にコソボのアルバニア人側とユーゴスラビア側の対立が再燃することは十分に予想される。

政治的に見た場合にも今回の出来事は世界各地に影響を与えている。ロシアや中国では反NATO、反米感情が高まり、欧州においては、目的はアメリカと一致しているものの、その戦略に関しては必ずしも一致してはいない。

 

4.国連との関係

今回の空爆は国連の許可なくしてNATOの独断で行われた。基本的に、セルビア側による人道的犯罪に反対するという点では国際社会に異論は無い。国連も武力行使の停止を求める決議はあげている。しかし国際問題の処理は、国連の枠組みにおける解決を最大限に目指すべきであり、NATOのような地域的安全保障機構の一方的軍事行動を容認することは、国連憲章第8章の原則を形骸化するものであるとの見方がある。NATOとアメリカの下した安保理を無視した決定は、特にロシアや中国から強い非難を浴びている。

 

Wまとめ

以上のことをみてみると、今回の問題は人権に関する重大な国際問題であったにもかかわらず、NATOが国際社会の理解を十分に得ないまま独走してしまったように思える。また空爆というものがどれだけの被害を及ぼす武力行使であるかが分っていながらも、賛否両論入り交じった状態で、その効果も不明確なまま実行に移されてしまった。人道的惨劇を防止することが最大目的であったのなら、空爆開始以前よりはるかに多数の難民を生み出し、また死傷者や破壊行為による被害を出した空爆は、果たしてその目的を達成したといえるのであろうか。予想以上に長期にわたった攻撃によってこぎつけた和平案合意も、将来的に見ると決して完璧なものとは言えない。そしてこのような結果に終わったのも、NATOにこの問題を解決するという純粋な思いのほかに、その存続をはかるという目的もあったこと、そして各国の政治的な思惑や、大国アメリカと他の国々との力関係が空爆の実施に反映されてしまったことが大きな原因ではないだろうか。