行政学演習A
国旗国歌法案
宇都宮大学 国際学部 国際社会学科 3年
k980160 岡本 優子
目次
1、はじめに
2、「日の丸」「君が代」とは?
3、国旗・国歌法案
4、政府の見解
5、国民の賛成・反対意見
6、問題点‐危険性など‐
7、現時点でのじぶんの見解
1、はじめに
国旗国歌の問題は以前から言われてきた課題であるが、今日99年7月21日に正式に法律化され、それが緊急であったことも重なり世論の論争の対象となっている。私は法案に至る以前から、日本の国旗国歌の体制に疑問を持っていたこともあり今回この問題を取り上げることにした。ここでは、そもそも「君が代」とは?という所から可決までの経緯、そして政府の見解、そして賛成、反対の意見を両方の側から考え、それに伴う問題、危険性などについて検討した後、今の時点での私の見解を述べようと思う。
2、「日の丸」「君が代」とは?
<日の丸>
日の丸の起源は、薩摩藩主島津斉彬が「日の丸」を日本全体の船印にすることを幕府に申し出、1854年に幕府が全国に布達したことに始まる。それから日の丸は貿易の際、外国に対して日本の標識として必要不可決なものとなった。しかし日清・日露戦争の頃になると、アジアにおいて日の丸を先頭に侵略戦争に突き進み戦意高揚のスローガンとして利用された。
<君が代>
そもそも「君が代」とは、10世紀に遡る。醍醐天皇の命令により紀貫之らが編集した最古の勅撰和歌集である『古今和歌集』の巻七、賀歌(がのうた)にある、「読人しらず」の歌である。これは、その名のとうり、祝いの歌である。
「わがきみは千代に八千代に細れ石のいはほとなりて苔のむすまで」(訳出:「わが君のお年は千代、八千代にまで続いていただきたい。一握りの小石が少しずつ大きくなり、大きな岩になり、それに苔がはえるまで。」)
この頃は「君が代」ではなく、「わが君」という表記であり、全集の(注)にも「君」は天皇をさすとは限らない。となっており、むしろ、この歌の中では、「あなた」という意味で使っている。しかしそれが現代まで至る間に、「君」が天皇をさすと教えられた時期があることは事実であるし、それは多くの国民に定着している。
3、国旗国歌法案に至る経緯
「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌と定める国旗国歌法案が7月21日の夕方、衆院内閣委員会で、自民を筆頭に、自由、公民三党や民主党の一部などの賛成多数で可決された。明確に反対したのは、共産、社民党だけであった。自民、自由、公民三党の協力体制の確立により野党側には太刀打ちできなかった。
<日の丸・君が代の主な経緯>
1989年2月 文部省の「新学習指導要領」で日の丸・君が代を義務化
1994年7月 村首相が日の丸・君が代を容認
1999年2月16日 共産党が法制化が必要との見解
1999年2月28日 広島県立の高校校長の自殺→緊急可決へ
1999年3月2日 政府は法制化する見解
1999年6月11日 政府は「国旗国歌法案」を国会に提出、君が代の「君」を象徴天皇」とする
1999年7月21日 「国旗国歌法案」賛成多数8割で可決
1999年8月13日 公布、施行
99年広島県立の高校校長の自殺は卒業式での「日の丸掲揚」「君が代斉唱」の完全実行
を求める職務命令と、それに反対する教職員らの板ばさみが原因であった。そして、これをきっかけに政府は法制化に向け動き出したのである。ちなみに外国での「国旗国歌」の位置付けは、アメリカでは国旗法で明記、国歌も法律により明記され、フランスでは国旗・国歌ともに象徴と規定され、中国では国旗は憲法で明記、国歌は全国人民代表大会で決定されている。
4、政府の見解
小渕首相は教育現場の指導について、あくまで生徒に対して強制するのではなく、教育指導上の課題として指導を進める意を主張している。ようするに、歌わないのは個人の自由で強制を伴う指導をするのではなく、歌わない理由で不利益な扱いをされることもないとの方針である。
日の丸・君が代に対して戦争のシンボル的イメージが強く、抵抗を感じる人がいることから、では、日の丸のデザインを変え、君が代もやめ、別の歌を作れば良いではないかという考え方もあるのだが、今やこれらは国民に定着している。と、自民は考える。ようするに、少数の国民を尊重するために今からすべて変えたとしても、むしろ国民はそっちの方が抵抗を感じてマイナスの要因が大きいと判断したものと考えられるが、その判断は正しいと思う。政府は「君」を象徴天皇としたが、そこには深い審議があったことをうかがはせる。この点については最後の章でもう一度触れることにする。
<新学習指導要領>について <調査内容>
1989年3月文部省が告示。これは小中高の学習指導内容と、指導方針の進め方を記したもので、日の丸・君が代について旧来の「掲揚・斉唱が望ましい」から「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導する」と変わった。
この法制化により高校などにどのような影響がでたか無作為に質問したところ次のようになった。
―法制化前―
A高 国旗掲揚 有り
君が代斉唱 有り(自然に起立と言って立って歌う。強制はないのでもちろん歌わなくてもいいが、全員が起立)
B高 国旗掲揚 有り
君が代斉唱 有り(自然に起立と言って立って歌う。強制はないのでもちろん歌わなくてもいいが、全員が起立)
C高 国旗掲揚 有り
君が代斉唱 有り(全員着席の状態から「一同起立」とは呼びかけず、歌いたい人のみが積極的に立つ方針)
―法制化後―
AB高とも、何も変わらない。
C 高は君が代斉唱について、新学習指導要領により、今までの着席の状態から歌いたい人だけ特別立たせる方針からA・B高のように自然に立たせる体制をとる。もちろん歌いたくない人がいて起立しなくても、強制することはない方針であった。
他の学校でもAB高の場合が多く、目立ったトラブルも起きていないようである。
5、国民の賛成・反対意見
南日本新聞のトップページの<人々の声>(http://www.minaminippon.co.jp./index.htm)
を参考にすると、鹿児島県内の賛成派は、県支部長の教授によると、そもそも法制化の是非を問うような複雑な問題はない。つまりは日の丸・君が代のマイナスイメージだけを強調する人がいるが、日本は治安が良く、経済的にも豊かでアジアの人々も誇りにしている。そしてその象徴が日の丸ではなかと話す。30年ぶりに米国から帰国したHさんによると、海外では国自体がしっかりしていないとその国の出身者まで不安定に見られがちであり、確固たる国と評価されるためにも国旗国歌は必要だと主張する。鹿児島県教委学校教育課は「学習指導要領」に従って、県内の公立は入学・卒業式で日の丸掲揚と君が代斉唱を100%実施しているが法制化は影響にないと断言する。その他、県教育長は国旗、国歌の位置付けを明確にするものとして好ましいと述べた。
一方反対派の声として、H委員長は侵略戦争のシンボルである日の丸、君が代を国民の同意なしに定める行為は許せないと述べる。元教師さんは法制化は強制を伴い思想良心の自由が侵されることが心配で、中国や韓国など日本が侵略した国にとって侵略のシンボルだと述べる。
ここに挙げたのは全国の賛否も共通していると言える。そしてここから見えてくることは、賛否の根底には、第二次世界大戦(太平等戦争)と日本そして、日の丸、君が代をどう理解しているかという違いがある。つまり賛成派は国旗、国歌を日本国民の統合の象徴と考え、それは戦争があったことでおかされるものではなく、日本という国家自体にはその歴史において変わらないと捉え、反対派は、国旗、国歌を戦争のシンボルであると考える。戦争があったという事柄によって、その時の国旗国歌を意識することにより、現代の国家を切り離して捉えていると私は考える。反対派の中には、可決が緊急かつ慎重さに欠けるということから、もっと時間をかけ、民主的な審議の上での可決なら納得できるという意見もあり、国民投票をすればいいのではという見方をする人もいる。
6、問題点―危険性など―
最近国民に直接かかわる重要な法案が国会で次々と可決されています。@通信傍受法=盗聴法(犯罪捜査にあたって電話などの盗聴を合法化する通信傍受の導入)A住民基本台帳法、などです。@についてはプライバシーの侵害になるのではないかという問題があり、Aについてはインターネットのアンケートで70%の人が国民の総背番号への拡大へつながる恐れがある。という回答でした。@、A共にメリット、デメリットがあり、国民が犯罪から守られる一方でプライバシーの問題、住みやすい社会になる一方で息苦しい管理という問題があります。性急に可決した国旗国歌法案も含めこれらの法案の可決はアンケートからも「国家と個人」というところにおいて国民に与えたインパクトは大きい。しかしながら、管理という側面から見て今後の社会をどう見るかというアンケートでは、
a. |
国家の監視が強まり息苦しい監視社会になっていく 39% |
b. |
適切な管理がなされ効率的で利便性の高い社会になっていく 43% |
c. |
騒がれるほどの変化はなくこれまでと同じような社会が続く 43% |
d. |
ネットワークの構築が進み管理の行き届いた社会になる 39% |
e. |
個人情報が様々な形で漏洩し逆に情報の無法化を招く 22% |
f. |
その他 13% |
というように、国家の監視が強まり息苦しい監視社会になってゆくだろうという危機感を感じる率と効率的で利便性の高い社会になるだろうという率がほぼ同率であり、変化はないだろうと考える人もbと並んでいることから、プラスの面が大きいと見ることができるが一番肝心なのは、それぞれの法案がどう使われるかであり、悪質に使われないようにどうするかが政府にかかってくるわけです。
総理府では危険性について先ほど述べてきたような問題点はあるが、危険性はなく、どんな法案であれすべて100%メリットであることは難しい。と述べ、可決が早かったのでは?という質問に対しては、法案の理由についてはわからないし早い遅いと良し悪しは関係しない。どんな法案も多く場合、賛成も反対もある。と答える。
国旗国歌法案について考えるとき、反対派に見られる特徴のひとつであるが、今になって軍国主義のシンボルである日の丸、君が代をまた強く主張してくるというのは、日本が君主制の道へ、また進み戦争へと向かっていくのではないかという危機感を持っている。しかしそれについては、まったくその危険性はないとの即答であった。
7、現時点での自分の見解
政府が「君」を象徴天皇とし、そして国旗国歌法案を可決したことに私は賛成の立場をとる。なぜなら今まで見てきて、この形が理想的であるという結論に達したからである。
まず、ポイントとなる太平洋戦争についてだが、確かに戦争で国旗はシンボル的な存在であったかもしれないが、よく考えてみれば1で触れたように、日の丸は「日本」という国を意味する紛れもない国旗であって、特別に作られた軍旗ではない。日本が過去において貿易のときであれ、誤った道に進むときであれ、そのとき日本の国旗が掲げてあったのは当然である。ただあまりにも戦争のイメージが強いために、悪いイメージを作ってしまう。
我々はいつまでも自分の国をおろかだと考え、国家から逃げていくのだろうか。戦争があったことで、それまであった日本という国の歴史、伝統、国旗、国歌をすべて捨ててしまうのはおかしい話である。「日本」が過去に犯した過ちを認めた上で国旗国歌は存在する。
つまり、過ちは過ちで認めるが、国旗国歌は変える必要はない。言い換えるのなら「罪を憎んで人を憎まず」である。「君が代」についても国旗と同じ意である。しかもはじめに説明したように、この「君」は本来「あなた」を意味するものであるから、「象徴天皇」とイコールであり、それは法律で定められていることからも国歌としてふさわしいと考える。君は「天皇」でるからふさわしくないと考える人は、本来の形を勉強し、象徴天皇であるということを考えて欲しい。
ここでもうひとつ問題なのは、古今集を愛する国文学者である。「君」が「象徴天皇」とは何事だ、「君」は「あなた」であると主張するが、「象徴天皇」はイコール「あなた(国民)」である。
別の方法として、こんなにややこしい国旗国歌法案はもうやめて、別の新しいものを今から作ればいいではないか?という意見もある。これについては、政府も考えるように、今や国民に定着している。日本の旗はやはり、日の丸でしょう。今から新しくするよりは、このままの方が民意に沿うことができると、政府は考えているのではないだろうか。
危険性については、管理社会に関するものは6にも触れたように、天皇崇拝・軍国主義の危険性だが、もう戦後50年以上たち、我々は、侵略戦争について深く反省し、平和憲法の基でめまぐるしい経済発展をとげて今日にいたっている。この間の民主国家体制や天皇の象徴と言うもとでの50年である。我々は今このスタイルを成功していると思っている。少なくとも、戦時中の方が良いわけないし、社会主義体制でもないこのスタイルに満足している。治安もよく、生活も豊かで、失業率も少ない。我々は、そして政府は、今の日本をわざわざどうして軍国主義にもどすだろうか。―ある方法で突き進み、それが失敗だとわかる時、今まで信じたその方法を全否定し、新しい方法で進むことができる。これは、日本人の体質として特徴的らしい。「菊と刀」より
今やこのスタイルは定着し、その上で心の余裕が出ているはずである。今だから、当然化した国民の象徴である天皇を、日本の伝統というところからも大切に見守って行けるのではないだろうか。
ただ今回の緊急の可決について、完全に民主的か?民主的プロセスをとったか?と考えるとき、疑問が出てくる。
では,どうすれば良かったのか、反対派の中に、国民投票をすればよいと言う意見もあったが、結局は、多数決であり、過半数が賛成すればその他の反対者の民意は今と同じで「個人の思想、信条の自由」に反する結果になる。その他の意見であるもう少し時間をかけて話し合い民主的なプロセスを経るのなら賛成と言う考え方は、民主的、法的に考えて最も正論であるかもしれないが日の丸、君が代の議論は戦後から今に至るまで常に平行線をたどりそれでも解決していない。果たしてこれから何年議論すれば解決がつくのだろうか……。そんな中、解決しないために、自殺と言う事件も起こった。
ここで考えられるのは、民主的、法的といった所だけで考えるのか、それとも、それを踏まえた上で現実と合わせてベストな方法を考えるのか。と言うところではないだろうか。裁判でも同じである。ある事件について考えるとき、その関連条文だけで法的に判断するか?いや、「ケース バイ ケース」、それに合わせて、時には人の心理にまで及んで一番最善な方法をとる。
今回の「国旗国歌法案」の可決は、政府が考え抜いた、我々にとって最もベストな方法だったのではないかと私は考えている。