2015年度国際学部卒業論文・国際学研究科修士論文 副査としてのコメント

 

20161月 中村祐司

 

<卒論コメント1>

 二つの仮設を設定した点が興味深い(5頁以下。規制緩和仮設と構造変動仮設)。その後も精神的ストレスを含む非正規職員の健康格差の指摘(8頁)や派遣労働者の賃金格差など、まずは丁寧にマクロレベルでのテーマの把握に努めている。16頁以降では教育訓練格差にまで踏み込んでいる。ただし、「派遣先による教育訓練の拡充」(17頁)を実施するのはコスト面など容易でないように思われる。この点について具体策を提示してほしかった。

 その後も派遣労働者をめぐる豊富なアンケート結果を提示するものの、このような官製アンケートでは、どうしても読み手に派遣労働者の苦悩が伝わってこない。個人的には24頁の新聞報道に引きつけられる。他者(新聞記者)によるものだとはいえ、社会の断面を生々しく切り取っているからだ。新聞報道をもっと文献として使ってほしかった。また、一人でもいいからインタビュあるいは現地調査を試みてほしかった。

 改正によって、「派遣労働者の雇用環境が改善された」(28頁)と言い切っているが、残された課題はないのか。

 審議会での議論を丁寧に追っている。37頁の問題点の指摘はそのとおりだと思うものの、総論レベルなのでどうしても迫力に欠ける。フランスの均等待遇原則は日本でいう同一賃金同一労働であろうか。最近は「均等待遇」や「均衡待遇」という用語も使われている。労働協約重視のドイツにおいて、2015年になって法定最低賃金制度が導入されたということに驚いた。細かい点だが「国際的な派遣法規制の流れ」(47頁)というからには、その裏付けを記載してほしかった。

 読んでいると正規社員の労働環境が恵まれていると錯覚してしまいそうだ。「解雇権乱用法理」(54頁など)の記述は、その意義は認めるものの、論文の流れからすると神学論争のようで浮いてしまっている印象を受けた。「多様な正社員」を卒論作成者は結局どのように評価しているのであろうか。非正規労働者が多様な正社員に転換すれば、それで問題解決となるのだろうか。オリジナルな結論をもっと打ち出せなかったか。

 ともあれ多くの行政資料や書籍文献にも積極的にアプローチしている。ただ、文献に果敢に「切り込んでいる」というよりは、「なぞっている」印象は否めない。しかし、何よりも労働をめぐる難題に正面から向き合ったことは、今後の卒論作成者の仕事の立ち位置を冷静に考える上でよかったのではないだろうか。

 

 

<卒論コメント2>

 「毎日白米を食べて、食べ物に困ったことはない」という明確な問題意識が資料的価値の高い論文につながった。戦中の地域史研究、さらにはオーラルヒストリー、家系研究および自分史としての価値もある。

 「毎日白米と卵焼き、そして自分の家で作った野菜」(20頁)とくれば、食の豊かさに驚く。また、たとえば30頁や42頁の手書きの絵表記には時を超越した新鮮な当時の空気すら伝わってくる。また、豊富で多種多様なあそび・娯楽にも驚いた。余暇政策を授業で担当している者としては、こうした領域にも射程を広げなければと思った。加えて、市町村史などの行政の歴史資料と聞き取りをシンクロさせながら書き進めているので、単調から脱し記述に厚みが出ている。卒論作成者自らが関心を深めつつ書き進めているのが読み手にも伝わってくる。このアカデミック財産をぜひ次世代に伝承してほしい。

 ただし、通読して正直、卒業「研究」論文というか、聞き取りにもとづく人々の目から見た戦時の地域語りを読ませてもらったような印象を持った。「自給自足が出来る者の方が強かった」(85頁)ことを裏付ける読みやすい証言・資料書にとどまってしまったのではないだろうか。ないものねだりかもしれないが、たとえば祖父母の知人や当時を知る地元の人々からの聞き取りや、今回の研究を俯瞰させて他県の他地域も含めた当時の国(省庁)の関連資料にアプローチすれば、また別の知見が見い出せたかもしれない。

 

 

<卒論コメント3>

 これまで恥ずかしながら屋根の形状を意識したことがなかったため、最初の4種類の提示になるほどと思った。外壁についても同様である。たとえば「装飾」も重要な要素であると理解できた。実際に住宅団地に足を運んだからこその発見もあったようだ。その意味では現場主義を貫いた論文構成となってはいる。ただ、たとえば「個性的な町」(10頁)との位置づけについて、もう少しその理由を掘り下げて具体的に述べてほしかった。「統一感」(12頁)についても同様である。これがどのような意味を持つのか、たとえば景観論の視点から論じてほしかった。

 「町全体の彩度が一層下がり、全体の雰囲気もシックで落ち着いた印象に変わっている」(13頁)とあるが、読み手には、その前述の2地域と比べて沈んだ感じのややネガティブの印象を持った。このあたりのことを「まとめ」で論じるべきではないか。

 その後も同じ項目パターンで論述が続いていくために、どこかのガイドブックを読んでいるかのような錯覚に陥った。

 時系列変化の特徴を見い出した「V」は確かに貴重な発見なのだろう。この特徴は対象地域に限ったことなのであろうか。あるいは北関東地域などに共通するものなのであろうか。各住宅団地へのアクセスの便利さなどは影響するのだろうか。

 住宅は人が生活する上で最も重要な営みの場だとすれば、インタビュなども加えて、人の息づかいが伝わってくるような論文も読みたかった。住宅形状や景観をめぐる文献や住宅会社提供の資料はもっとあると思う。関連複数企業の市場販売戦略を見越しそれらパンフレベルを凌駕した上で、さらに現地調査を徹底したならば、また別の発見があったように思われる。

 

 

<卒論コメント4>

 録音・録画の可視化に絞ったことで切り口が明確となった。迂闊にも代用監獄=警察留置場について法務省と警察庁の所管が絡んでいることを知らなかった。可視化を導入すれば代用監獄制度の問題点が解消されるというのが論文のコアとなっている。

 「刑事司法改正法案」と可視化との関連の記述は否定的で、「法制審議会」との関連でも「適用範囲」において限界があるとする。審議会ではその理由をどう説明しているのであろうか。読み進めると11頁後半からその内容が明らかとなるが、卒論作成者は警察にではなく、弁護士・被害者の主張に賛成する。捜査方法の多様化についても否定的である。可視化を多様化・刑事免責と絡めて主張するのは、警察側が前者を単独で論じることで不利になると捉えているからではないか。

 可視化をめぐる米英仏、さらには韓国と台湾の記述は興味深いものの、読み手には最初、情報源(31頁にある巻末資料6と推察)がわからなかった。本文中に資料名を盛り込んだ方がよかった。それはともかく録音と録画の区分けや弁護人の立ち会いなどをめぐり、表の作成など踏み込んだ考察を行っているのが良い。ここが論文の肝になっている。

卒論作成者にはぜひ最良と考える可視化モデルを作成してほしかった。他国との違いを是正すればそれで解決するのだろうか。最初から可視化と司法取引を卒論のテーマに掲げた方がよかったのかもしれない。また、これまでの日本の冤罪事件について各々の経緯も含めてまとめてくれれば、さらに読みやすかったという印象を持った。

 

 

<修論コメント1>

 情報通信技術(ICT)の性能向上はすさまじい。教育面でもその活用を避けて通ることはできなくなっているのは実感するところだ。単純業務だけではなく知的情報提供(教育)にもICTはもはや欠かせないものとなっているし、今後その機能領域はますます拡大していくことが予想される。

 中国の日本語教育の経緯を追う中で、学習者が東北三省(国龍江、吉林、遼寧)と内蒙古自治区に集中(9頁)していると初めて知った。(12頁以降)オンライン日本語学習教育の実際が紹介されるが、論文作成者によれば日本人教師でも「日本語教育の理論と方法論をきちんと身につけたひとはまだ少ない」(15頁)という。

 次に中国における代表的な日本語学習サイトが紹介されるが、「目を見張るほど、日本語学習に必要な情報や資料が豊富に提供されている」(18頁)ものもあるという。確かにいずれもカラフルで興味深い。

しかし論文全体が紹介記述にとどまっている。これらの特徴は何なのかの考察がない。

 「日本語と日本語教育に関するSNSコミュニティー」や中国の学生へのSNSアンケートを行っているが、ここでは一転、中国における日本語学習サイトは「全般的に内容が不十分」(46頁)と結論する。先述の指摘と矛盾する。

「サイトの開発においては日本語教育専門家と教育工学またはコンピュータ、映像デザイン専門家による共同作業が不可欠であり、互いに知恵を出し合う必要がある」(47頁)という指摘だけでは、あまりにも表層的ではないか。結論も同様で、例外は「インターネット学習サイトは臨場感があるが、学習者はいろいろなコンテンツに追われ、繰り返し記憶する時間はうまく配分できず、結果的に、学習効果が阻害されるケースがある」(50頁)という指摘ぐらいか。残念ながらテーマ倒れの典型な論文となってしまっている。