2008年度副査担当の修士論文を読んで一言メモ(中村祐司)

 

*執筆者名と修論タイトルは省略しました。

 

 

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「『外国人児童生徒の就学およびその後の教育に関する何の規定もない』といっているが、規定を作るとしたら、それはたとえばどんな内容になるのか。『生徒が掃除をするということが奇異に映るケース』とあるが、この解決策は?『気づき』と『認識』の違いは?」

 

「『本論は、第1に外国人児童生徒の受け入れに関わる教員が、かれらの在籍によって体験した出来事をどのように感じているのかを多面的に知ること、第2に外国人児童生徒の就学が教員自身やクラスにどのような影響やインパクトを与えるかということ、第3に・・・かれらが日本の学校に就学すること自体を教員がどう考えているかということを明らかにする』とあるが、この目的は達成されたのか?」

 

30の設問作成に執筆者はどの程度関かかわったのか?」

 

「『今回の調査から見える教員の認識は、外国人児童生徒の存在を概ね好意的に捉えているものであり、今後の展開にも希望の持てる受け入れ側の態度といえるのではないだろうか』とあるが、制度の問題などあるはずなのにこのように言い切ってしまっていいのか?」

 

p.44p.45の記述は国籍の違いによるものか(日本国籍の生徒であっても感じるところではないか)。また、この『終章』はあまりにも短か過ぎるのではないか」

 

 

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「『第3章では、第2章で整理した事例研究のブランド化のプロセスを踏まえ、地域ブランドの確立に大きな役割を果たした要因を摘出し、分析する。それらの要因を地域ブランド確立に必要とされる条件として定式化する』とあるが、このことは達成されたのか。」

 

「『1990年代から・・・・・・地方自治体は地域経営のなかに住民や民間企業を参画させていく傾向を強め、さまざまな地域づくり活動を展開していくのである。地域産業への取組みや地域づくり運動、さらに特産品開発の動きは地域の社会経済的基盤として、行政と民が協働で本格的な県民運動が実施される時代が迎えられた』とあるが、傍線は本当か。」

 

「『21世紀に入ってから、地域ブランドを中心とする地域産業振興運動がますます盛んになり、国と地域自身がこうした地域ブランドづくりへの取組みを・・・・・』とあるが、実態として、地域ブランドはあたかもコンビニのように飽和状態なのではないだろうか。」

 

「『地域は国の一部であり、その独自な産業政策を如何に施行していくのかは、やはり国レベルの支援に関わってくる』とあるが、このように言い切っていいのか。」

 

「第2章の第1節(国の地域ブランド振興政策)と第2節(栃木県の事例)とのつながりがよく分からない。栃木県の事例では国の振興策のどの部分(項目)とつながっているのか。また、この領域(地域ブランド)をめぐる地方交付税は栃木県の事例にどれだけ交付されているのか。」

 

「『栃木のいちごは以上の流れで産業化されてきたと同時に、ブランド化された。そのブランド確立の要因あるいは必要条件について・・・・』とあり、単線的に経緯をまとめているが、ここに至るまでは様々な課題克服の実践例(関係者間の調整など)があったはずであり、この点についてインタビュ取材等でフォローできなかったのか。」

 

「たとえば、『宇都宮餃子博士検定』を創出したら(マニュアル作成して市民はそれを携行して頭に入れておくような仕掛け)どうか。」

 

「『いちご』や『餃子』をめぐる市場規模は?」

 

p57の記述はあまりにも一般論で新鮮味に欠けるのでは?p.58の図には資源として最も大切だと思われるマネー(利益獲得など)の側面が盛り込まれていないのでは。」

 

「図『地域ブランド製品開発の流れ』において、これは『いちご』それとも『餃子』のことを言っているのか。一緒にしたのであればモデルとして乱暴では。たとえば『いちご』の場合には図内の『技術製品研究開発』や『生産過程』の重きがあるようだし、『餃子』の場合には「ブランド製品の情報発信」に重きがあるのでは。本来であれば、『いちご』と『餃子』に対応した二つの図があるべきでは。

 

「『いちご』『餃子』はいわば既に確立された『勝ち組みブランド』であり、新市場開拓(パイオニア)的な意味合いが薄いのでは。対象の選択が本論文を面白みに欠けるものとしたのでは。

 

「第4章の実質は『補論』ではないか。

 

「全体的に『後追い』的な印象。結論も含めて何が新しい知見として得られたのか。」

 

 

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「なぜ当時の援助の担い手『日中環境開発モデル都市プロジェクト』(現国際協力機構)の関係者にインタビュしなかったのか。ここの記述がメインであるはずなのに(40頁あたり)相対的に少ないのでは。」

 

「貴陽市の成功例は日中環境協力の最後の『置きみやげ』『遺産』かもしれない。今後の二国間環境協力モデルとはなり得ないのではないか。もう『上から目線』モデルはこれからは注目されないのでは。そのような意味ではこれはある種の歴史研究。政策立案の側面での価値は残念ながら薄いのでは。杉本の『大地の咆哮』で彼は今後の可能性は『草の根無償資金協力』に置いている。また、貴陽市では日本からの資金の横流し問題などは一切起こらなかったのか。」

 

「『北京市では、オリンピック大会時に、工場の操業制限や停止、自動車走行の半減などの措置をとり、大気質の劇的好転をもたらしたが、オリンピックが終了するとともに、大気質も元の状態に戻ってしまった』とあるが、その根拠は(何の情報源にもとづいているのか)」

 

「どうしても目線が国家・官製レベル(資料の依拠レベルがそうであるから仕方がないのであろうが)」

 

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