2005年度卒業論文副査コメント

 

中村祐司20062月)

 

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田波郁恵「韓国の市場の今後の展望―観光産業として市場を発展させることは可能か―」を読んで

 

一国の市場の歴史を振り返る試みは確かに興味深い。しかし、市場と一口にいってもこれは恐ろしく包括的な用語であり、現状についての記述でもその概要を把握しているに過ぎないように思われる。そして、唐突に観光産業としての市場に話が移り、その魅力を伝えようとする気持ちは読み手に伝わってはくるものの、表面を撫でただけの、あるいは旅行パンフのような記述が続く。

 

ようやく13頁あたりから、ツアーに組み込まれている各市場の個性らしきものが明確になってくるものの、具体的な市場振興案が提示されている訳でもない。果たして考察の焦点がどこに置かれているのか理解し難い内容になってしまっている。

 

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宮崎綾「仙台七夕まつりと地元商店街―開催主体からみるまつりの現状―」を読んで

 

仙台市の「まつり」ではなく、「七夕まつり」、しかも商店街との関わりに焦点を絞ったことが成功している。インタビュを積極的に行う過程で、いくつかの新しい知見が出てきている点もよい。関係資料や文献に丁寧に当たっていることも十分伝わってくる。一文一文に気を使い、誤字脱字は皆無に近い。

 

七夕飾りのほとんどが外注である点など、華やかさと現実のギャップが透けて見えるようで興味深い。欲をいえば、例えば大人にはない感性を持っている子どもたちが、七夕をどう捉えているのか、小学校を訪れることで直接把握することはできなかっただろうか。

 

また、市民を「傍観者」から「参加者」へと変えるためには、どのような仕掛けが必要なのであろうか。丁寧な聞き取り内容の紹介はそれだけで資料価値があると思われるものの、市が保有する統計データが別紙資料としては掲載されているだけで、これらを使った分析や特徴の抽出をめぐる記述が脆弱である印象を受ける。

 

さらに、読み手は「商店街・市民・行政が連携して七夕まつりを継承していく可能性」に向けた具体的な提案方策の中身こそを知りたいのであり、この点非常に物足りなさを感じた。また、「行政からの視点」とあっさりと述べているが、その中身が何かはっきりしていない。

 

そうはいっても、まさに「七夕まつりというフィルターを通して」、商店街に山積する課題を浮き彫りにできたことも事実であり、この研究を起点に他の足元の文化的素材に今後ともおおいに関心を持ち続けてほしい。

 

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舘野郷平「障害者雇用と障害者福祉施策における小規模作業所の特徴とその分析」を読んで

 

第1章で認定区分が都道府県によって異なる、日本の場合概念規定が狭い、といった制度の概要は把握できるものの、図表を作成するなりしてもう少しコンパクトにまとめてほしかった。そして、第2章で小規模作業所に焦点を絞った理由について説明してほしかった。その沿革や設置増加の背景は分かるものの、問題点や課題も含め概論レベルの説明に終始している。

 

各項目設定の独自性が弱いため、どうしても概説書の焼き直しを読まされているような印象を持つ。せっかく複数の文献に当たっているのであるから、これを踏まえてもっと自分なりの論の組み立て方があっていい。読み手にとっては、「社会福祉事業の本質が何であるか」とあっさり言われても戸惑ってしまう。

 

やはり、インタビュを実施した第4章を中心に置きこれを充実すべきであったように思う。作業者やプラザの管理運営をめぐる諸課題を掘り下げることはできなかったのであろうか。あらゆる人々が生き生きとその人生を送るという理念に立ちはだかる社会的矛盾の側面にせっかく焦点を当てたのだから、諸課題に果敢に切り込んでいく分析を示してほしかった。

 

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畑中美緒「男性向け化粧品市場の広がり―女性から男性へ市場拡大する化粧品業界と男性の意識―」を読んで

 

テーマが非常にユニークである。とはいっても第1章と第2章は化粧品業界全体を包括的に時系列および業界産業・業界市場の観点からまとめている。本論は第3章からだが、男性特有の体質などの説明から始まって、その歴史的展開と市場規模の変容を丁寧にまとめている。この世界が商業的にも嗜好面でもなかなか奥の深いものであることが読み手に伝わってくる。「男性専用の化粧品売り場」や「男性美容部員」が増加しつつある実態には思わず驚いてしまう。

 

とくに若者の間だけでなく、中高年男性の間での化粧品ブームはある種の社会的現象にすらなっているのではないだろうか。エステティック業界を取り扱った補論も興味深い。多くのインターネット情報源にも丁寧に当たっている。しかし、全体としてこの続きをさらに読んでみたいという中途半端な読後感が残った。状況説明に終始してしまった感がある。

 

テーマのオリジナル性に安住せず、例えば、特定の世代の関心にさらに焦点を絞るとか、今後のあるべき論や大胆な市場規模をめぐる予想などがあっても良かったのではないか。

 

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田畑小百合「日本の環境教育におけるKid’ ISO14000プログラムの現状と意義―小学校環境教育の歴史的観点から―」を読んで

 

テーマ設定が良く絞り込まれているし、注釈もしっかりと付けられている。「環境問題は横断的・総合的な課題」であることから、国際性にも富み、これを教育として取り込むことの難しさと同時に広がりのダイナミックさが良く伝わってくる。

 

環境教育においてこそ、子どもたちが「体験型・参加型」の学習を経験するための格好の素材が提供されるのかもしれない。インターネット情報の利用も追い風であるに違いない。日本全国各地の事例を読むと、「地元学」の高まりとも交錯していることが理解できる。

 

しかし、現状の環境教育を批判するからには、実際に環境教育の場に卒論作成者自身が足を踏み入れる必要があったのではないだろうか。第3章もテーマに沿って良くまとめられてはいるものの、課題として、「精神的な感情育成も大切だと考える」という指摘だけではあまりに弱い。その具体的な教育実践プログラム案を提示してほしかった。さらに踏み込んで、大学生という特権を生かして、自ら提案したプログラムを社会的実験として試すこともできたはずである。

 

いずれにしても、ごみ処理施設の設置問題などに従事していて痛感するのは、このテーマをめぐる子どもたちに対するポジティブな働きかけと、子どもたち自身による取り組みの発展がいかに大切かということである。この卒業論文を起点に、今後とも環境問題に対して鋭敏なアンテナを保ち続けてほしい。

 

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グェンティタンフェ「『在日インドシナ難民』のアイデンティティ―30年の歩みと、今も残る課題―」を読んで

 

 難民の受け入れをめぐる国際社会の変容の中で、定住受け入れに日本政府の方針も変わらざるを得なくなったプロセスが的確に描かれている。この部分、無味乾燥・通り一遍の記述となっていないのは、卒論作成者の問題意識が鋭敏かつ地に足が着いたものとなっているからであろう。そして、日本入国後の生活を支援する民間団体の存在も明らかにしている。

 

第2章では言葉、住居、職業、給与、申請手続、婚姻、海外での保護などをめぐる諸問題・障壁が具体的に提示される。例えば、「単語の羅列ができる程度で社会に放り出される」、「親子ともに理解でき十分自己表現できる共通言語なない」、「労働市場の底辺的な部分に集中」といった指摘がそれである。

 

それだけにとどまらず、「家族より仕事を優先することは、日本の常識であっても、世界の常識ではない」といったように、他者との共住をめぐる日本社会の欠陥(=「異文化への無理解」)をも鋭く突く内容となっている。

 

やや残念なのは電子メールというあまりにも表層的な質問手法を用いたことである。応答の密度の高さを本気で求めるならば、ここはやはりインタビュを敢行すべきではなかったか。現場主義に徹することでさらに質の高い知見が得られたはずである。また、例えばこの点でのベトナム政府の対応についてもっと掘り下げてほしかった。

 

そうはいうものの、「近くにある国際交流」の大切さや他者の境遇や痛みに無自覚である怖さといったものが、等身大で切実に記述され、その迫力に読み手は揺さぶられる。「今もまた違った形で自由を制限されている」にもかかわらず、「懸命に生きていきたい」と誓う記述そのものに人間の崇高さを見る思いがした。

 

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佐藤いず美「大型町村合併による市制施行までの経緯と市制施行後の行政の現状―宮城県北部・栗原地域の広域大型町村合併を事例として―」を読んで

 

「構成自治体に市がない大型町村合併」に注目した点が非常に興味深い。合併優遇措置にしてももっとテーマ対象市に絞った書き方をした方がよかったのではないか。せっかく「栗原市の適用状況」をうまくまとめているのだから、これを補足・分析する記述がもっとあった方がいい。

 

実質的な本論は第2章第2節からとなっている。本庁者の位置や合併特例債の利用方法、新市の名称、議員定数などの課題をめぐって、合併までの経緯を丁寧に追った記述は、これだけでも十分資料的価値がある。ただし、他の資料源として、例えば新聞記事にも当たる必要があったように思われる。また、第3章も考察は一部事務組合にも及ぶなどかなりの力作であることは伝わってくるものの、本来は第3章が先に来て、その後第2章を持ってきた方がよかったのではないか。県内大型町村合併の位置づけを行った後で、合併の経緯を詳細に論じるというのが論の進め方としては妥当であると考えられる。

 

しかし、そのことが論文の価値を損なうまでには至っていないのは、豊富なインタビュ活動に支えられた情報収集が徹底してなされているからであろう。とくに第4章第1節は合併後の組織機構の問題に真正面から取り組んでおり、しかもインタビュ活動を積極的に行い、その熱意に応えた職員から得られた貴重な情報と、それにもとづく考察が随所に散りばめられていて、非常に説得力がある。そのことは次節の予算をめぐる考察についても同様である。

 

欲をいえば、終章で言及した「住民による住民のための活動」をめぐる「栗原市モデル」ともいうべき合併政策案の提示を見たかったという思いは残った。

 

しかし、本論文は地方自治の歴史的地殻変動である合併問題を、多面的・意欲的に検証しており、その問題意識は終始一貫して高く維持されている。今後の活躍をおおいに期待したいものである。

 

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