地方行政論 「豊島問題から見る行政側と住民側の関係」
松島一志(k980140)
豊島問題というのをご存知であろうか。これは、一言で言えば香川県の豊島という島で13年間にもわたって悪質な不法投棄が行われた事件である。この事件では、県側と住民側との関係のあり方が一つのポイントとなった。最終的には「官は間違わない!」という神話をもった官の行政のあり方を、住民運動が初めて突き崩した事になるのだが、ここで事件の概要を追いながら、以下のような疑問について考えていき、行政と住民とはどのような関係を築いていけばよいのか考察していくことにする。
<自分なりの疑問点> ・13年間もの長い間どうして不法投棄が許されていたのか
・摘発したのがどうして香川県ではないほかの県であるのか
・住民運動の限界、可能性、あり方について
・香川県(官)の行政のあり方
・今後の廃棄物行政のあり方について
そもそもなぜこのような行政の質を問われる事件が世間に明るみにでたのであろうか。それは1990年兵庫県警の摘発によって明らかとされたわけであるが、どうして摘発したのが香川県ではなく兵庫県なのであろうか。一事業者の不法投棄事件に対して、なぜ香川県が対処しなかったのか。私は香川県も事件に深く関わる加害者だったのではあるまいかと最初に推測し、豊島事件を調べていきこの仮説が正しいのかどうか検証した。
この事件は香川県がその事業者に対して廃棄物処理業の許可を与えた事から始める。当時、すでに住民から環境を懸念して反対する声が早くもあがっていた。しかし、調べてみると県が「絶対多数の反対があっても、個人が廃棄物処理業を営んで生活する権利は認めるべきだ。」という方針をたて、住民の反対を退けていた事が分かった。多数意見をとるか少数意見をとるのかという事であるが、少数意見を尊重するのも民主主義社会においてもちろん大事な事だと思う。しかし、大多数が異議を唱える少数意見を取り入れるわけにはいかない。私自身の考えとしては、県が多数意見を無視して、半ば強引に少数意見を取り入れたとしか思えない。
しかし、環境面の事も考慮していかなければならないため、結局ミミズ養殖による限定無害産廃の中間処理として、事業者に1978年ミミズ養殖の許可を与えた。「限定無害産廃」という言葉で住民の視点をそらそうとしたのである。結果的に住民もしぶしぶの形ではあるがこれに納得した。この時、住民が住民投票を強く求めるなどして強く反対していれば今日のような事件には発展しなかったかもしれない。一方、県についても同様の事がいえる。県が事業者に許可しなければこのようには発展しなかったように思える。
ポイントとして県が事業者に廃棄物処理の許可を出した事が一つ。そして事業者が廃棄物処理を行っていく過程において、県が有効な措置をその都度とらなかった事が一つあげられる。
操業開始後、事業者は許可外の産業廃棄物をもちこんで野焼きしたり、埋め立てを行ったりしていた。住民側は県に対して再三にわたり事実を訴えたが、一向に有効な措置は実施されない。そうしているうちに産廃は急増、多種多様化し、健康に関する苦情が急増した。住民側は1984年県に対し公開質問状をもって訴えた。しかし県からの回答は現実とはかけ離れたものであった。産廃処理場ではミミズによる処理が行われていて、シュレッダーダストなどは有価金属の回収原料であると県は答えたのである。なぜ香川県は有効な措置をとらなかったのだろうか。
また、90年の摘発後の県の対応についても見逃せない。摘発後しばらく県は、「事業者が行っていたのは有価金属の回収であって、廃棄物の不法処分ではない。」という意見に固執していた。彼らの意見の根拠は次の通りである。事業者は企業から1トンあたり300円で買い取り、企業は事業者に2000円の運搬費を払うシステムをとっている。(事業者は1700円の利益をえている。)つまり、事業者は300円を支払ってシュレッダーダストを購入しているのだから、それは産廃物ではなく有価物であるという理論なのである。しかし、この行為は産廃処理からの脱法行為に感じるのは私だけだろうか。
しかし、このような意見を主張する県に対して、多方面からの批判がとびかい、県側も「有価物ではなく産廃である」と180度変更し、県の指導のもと産廃の撤去と飛散防止の措置がとられる事となった。
産廃の撤去はこれによって完全達成されると住民側は期待していたはずである。事実、県の指導のもと約1340トンの産廃が撤去された。しかし、これは氷山の一角にしかすぎないのである。この一角を撤去しただけで県は、「周辺環境に影響を及ぼすおそれのあるものから撤去をすすめ、概ねこれらのものの撤去を終えた。」と事実上の安全宣言までしてしまったのである。県の公表によると、現場に残る量は16万トン余りで1340トンというのは完全撤去にはほど遠い数字である。また住民推計によると60万トン現場に残っているという。どちらの数字が正しいのかここでは深く考えていかないが、いずれにせよ1340トン撤去しただけで安全宣言をしてしまう県の行政指導について私は強い疑問を感じてしまう。県の行政指導がもっとしっかりしていれば、豊島事件は未然に防げたはずである。
豊島事件について調べていくと、他にも県の行政指導について疑問を感じる点がいくつか生じてきた。ここで一例をあげてみる。県はその事業者に「シュレッダーダストそのものは廃棄物でありますが、あなたが有償で買い受けるのであれば廃棄物に該当しない。」と説明している。また、「シュレッダーダストを金属回収の原料として買い取って、金属回収業を行うという事であれば、金属くず商の許可をとってはどうですか。」とも指導していたらしい。この情報は住民側からのホームページから得たものであるので、100%本当の情報であるのかどうかは疑わしいが、もしかりにこの情報が本当にあたっているならば、県の行政指導の質は極めて低いといえる。有効な措置を実施しなかったばかりか、事業者を擁護する指導をしていたといっても過言ではない。
また、豊島事件の刑事事件記録から、県はこの違法な事実を十分に知っていたという事が明らかになった。つまり、香川県は実態をよく知っていながら、事業者と住民の間に立ち、住民の訴えを却下し続けていたという事になる。県が事業者の行為を廃棄物の不法処理と認識していた事や、1983年にはミミズ養殖は事実上廃業していたのに、その後7年間も実態のないミミズ養殖の許可が与え続けられた事実から考えてみても、豊島事件は県の存在なくしてはありえなかった事件なのではあるまいか。
そもそもどうして県はこんなに事業者を擁護していたのか。職員の調書によると、その事業者は気の短い乱暴な人で、職員は強い事が彼に言えず、適正な指導や措置ができなかったという。指導すべき相手によって指導内容を変えてしまっては元も子もない。本来、県は事業者のシステムの徹底的解明に努めなければならないのに、そのシステムに県も少なからず関係しているため、その解明を積極的に行う事ができないのが現状なようである。そればかりか「県に法的責任はない」という主張の一点張りである。つまり県は「行政に絶対間違いはない。」という認識のもと法的責任から逃れる事しか考えておらず、住民の事をあまり真剣に考えてはいなかったのではあるまいかと私は思う。地域住民が暮らしやすいようにしていくのが本来地方行政のもつべき役割であるのに、いつのまにか行政は自分達の犯した誤りを絶対に認めようとせず、住民のニーズにあわせた地域づくりより責任から逃れる事を第一に考えるようになった。そして、面倒くさい事はやりたがらない、一人が異議を唱えても上からの命令には逆らえないという日本の縦割り行政。また、行政はこうと決めたら間違っていると分かっていてもなかなか変えようとはしない。こういった行政のあり方が豊島事件を引き起こしたのではないのだろうか。
住民側についてみてみると、県が事業者に廃棄物処理の許可を出した頃から、住民による反対運動はあがっていた。にもかかわらず13年以上県の政策を変更させる事ができなかったのは一体どうしてであろうか。従来の住民運動のあり方が悪かったのであろうか。
そもそも住民運動というのは、地方行政に対しておかしいと感じた事から生まれる運動である。しかし、今日の事件についてもいえる事なのだが、13年以上もの間住民はなんだかんだ言っても結局は県がなんとかしてくれるだろう、県がきちんとした行政指導を事業者に施してくれるだろうと県に期待していたのではあるまいか。つまり住民側に上への依存意識が相当あったわけで、悪く言えば県任せにしていたから、長い間最終合意を勝ち取る事ができなかったのだと私は思う。決して人任せにせず、自分達で考えて行動し、それに近道はなく実は遠く迂回した道を歩きながら、何の対価も求めずに闘いぬくのが本当の住民運動なのではないのだろうか。
しかし、この豊島での住民運動がもたらした意義は大きい。一番大きいのは、間違いを絶対認めない行政側に間違いを認めさせた点である。県に間違いを認めさせ、行政と住民が共同して事業をするという両者の関係に新たな方向付けを確立させた。また、抜け道だらけだった産廃物処理関係の法の不備を世間にさらし、関係法の改正などに大きな影響を与えたのも事実である。
豊島事件は県と住民側の最終合意がゴールではない。これからが大変であり、やっと県と住民側が共同していくスタートラインに立ったにすぎない。汚染された環境を回復するには莫大なコストがかかり、また有害廃棄物を安全に処分するのにも相当のコストが必要とされる。産廃処理に関しては、これからも県と住民がやり方などに対して反発しあう場面も多く出てくるだろう。しかし、県が適正な行政指導をし、住民側も素直にそれにこたえていけば、今よりはずっといい方向にすすんでいくように思われる。敵対関係であった県と住民の両者が、共同して一つの問題に取り組めるようになるまで改善されるという事を豊島事件から強く学んだ。廃棄物行政は行政側だけで解決できる問題ではない。この豊島事件が良い例である。住民側の参加も不可欠である。豊島事件は今後の廃棄物行政を占う象徴的な事件であったといえる。
<参考ホームページ>
http://www.teshima.ne.jp/index-1.htm
豊島問題を取り扱った公式webサイト。県からの豊島問題に関する情報はもちろんのこと、住民からの情報や地元新聞社へのリンクもあり充実している。豊島問題について一から知りたい人にはおすすめのサイト。
http://www.teshima.ne.jp/ishi_home.htm
県議議員の石井了さんがたちあげたホームページ。「豊島からの報告」と題し、事件の概要や経過をとりあげ、豊島事件からみえてくることを独自の着眼点で考察している。個人的にはかなりおすすめのホームページ。
http://www.teshima.com/tokushu.htm
豊島事件をとりあげた朝日、読売、毎日、四国の4紙の特集を掲載している。このホームページは、豊島事件についてある程度把握している人におすすめである。特に四国新聞の特集は質・量ともに読み応えがある。