以下、2008年度 副査を担当した卒論コメントです。
中村祐司
*執筆者名と卒論タイトルは省略しました。
「全体を通じて出典をきちんと押さえている。ダイナミックな展開を見せるプロスポーツ産業の動態を把握しようとする積極的な意欲が窺える点が評価できる。
この産業領域はスポンサーの撤退など、諸課題を抱えながらも人々の関心を最も引く領域であり、マスメディアの取り扱いも多岐に及ぶ。その点で幅広く文献に当たった点は良かったものの、いかんせん総花的過ぎたのではないだろうか。
たとえばサッカーにしてもイングランドのプレミアリーグに絞って調査研究を深めていけば、新しい知見が見出されたはずである。
そのような意味では通読して「プロスポーツ産業論入門」のレベルで終わった印象を持った。また、インタビュ調査を一つでも二つでも学生のフットワークの軽さを生かして実施してほしかった。とはいうものの、複数の文献を一生懸命読み込んだことが伝わってきた。この領域への関心を今後ともぜひ維持し続けてほしい。」
「秀作だと思う。文献にしても一次資料にしても非常に丁寧に読み込んだ上で的確にまとめている。冗長な記述がほとんどない。環境目的条例とレジ袋有料化条例にターゲットを絞って、各々の背景を踏まえた上での比較考察は大変興味深いし、条例の制定プロセスにおける状況が読み手に生き生きと伝わってくる。これだけ精緻に整理しまとめただけでも資料的価値のある論文だと思う。また、中央政府の政策動向との連動についても記述したことで、論文に国―地方という幅の広さ(鳥瞰図的な要素)が加わった。
考察も2節分に及んでいて、レジ袋条例に軍配が上がった理由についても真摯な考察がなされている。欲をいえば「考察」の論述は文献に全く依拠しない「書き下ろし」の形で一気に書いてもよかったのではないか。取得やアクセスした資料を読み解き、その範囲から得られた知見を手堅く提示するスタンスに疑問を呈するつもりはない。しかし、全体として卒論の特権ともいえる発想の「羽ばたき」がない。これだけ丁寧に資料を把握・整理したのだから、そこから得た知見を土台に一気に構想力を発揮して政策モデルなり、今後の方向性なりを大胆に提示してもよかったのではないだろうか。
また、多くの文献・一次資料との格闘と同じくらいにインタビュ調査を徹底したならば、さらに重厚・重層的な論文となったであろう。その点が若干残念である。
塩谷広域の清掃施設設置問題に関わっている私にとっても、貴重な知恵をもらえた論文である。」
「これだけテーマを絞り込んだために、執筆者自身の技術的な領域をめぐる理解も深まり、事故現場の臨場感すら読み手に伝わってくるようで、それがそのまま最後の考察の迫力にもつながった。アメリカの防止策については英文資料にも当たっており、その紹介だけでも資料的価値がある。ただ、全体を通じて技術的側面で執筆者が理解・吸収したことの披瀝に終始してしまった感がある。たとえば、読んでいてなぜアメリカの仕組みや防止策の工夫がなかなか日本に浸透しないのか、日本独特の制度・実態を絡ませながら論述できればより一層興味深いものになったはずである。さらには日本における制度確立に向けて最も必要な方策は何のかといった側面も論じてほしかった。
情報源としてのインターネットの活用は否定しないものの、テーマのデリケートさゆえに現地調査ができなかったのであろうか。「電話」インタビュ1回のみではあまりに寂しい。
日本における法律整備が必要である旨の指摘が考察の最後でなされている。その中身や法律成立のための医療関係者間での調整・妥協のプロセスがどのような環境であれば調達できるのか、具体的に踏み込んだ記述があればよかった。そして、丁寧な検証作業をせっかく貫徹したのだから、それを土台として思い切った政策モデルの提示(構想力の発揮)があってもよかったのではないか。医療事故防止には、医療教育面など様々な領域からのプローチも不可欠なのであろう。」
「秀作である。何よりも現場主義(現地に出向いての豊富なインタビュ調査や一次資料の収集や直接撮影など)が本論文を魅力あるものとしている。「本質は細部に宿る」を貫徹した典型的な論文内容となっている。(外国語の場合はともかく)IT情報などいわゆる「お手軽」情報とは異なり、考察の対象とする資料そのものを自ら作成したというのは、それだけで高く評価できる。聞き取り内容などは文章にしようと思うとなかなか難しいものだ。
ペレットにせよチップにせよ、木質バイオマス熱利用をめぐる考察部分での指摘は、この分野での市場、流通、雇用、生産(製造)、立地、消費、コスト、価格といった諸要因が交錯・凝縮したような課題提示となっている。ただし、敢えてもっと飛躍した制度設計を提示してもよかったのでは。たとえば、あくまでも私案としての財源調達の工夫方策、行政からの助成のあり方、担い手とこれを支える組織(法人)のあり方などがそれである。
課題が山積するからこそ、逆にそれらの克服のプロセスを通じて、木質バイオマス利用が地域活性化の切り札となり得る可能性について具体的に言及してほしかった。ともあれ、本論文の作成はこれからの出て行く社会での大きな自信となるはずである。どうか本テーマをめぐる関心を持ち続けてほしい。」
「絞り込んだテーマを追求したことで、資料的な価値は生み出すことができたのではないか。読み進めると府産材利用が京都府で注目されている理由が分かる。“ウッドマイレージ”というネーミングも絶妙である。
ただし、府の森林・林業全体の状況や課題など諸資料をまとめながらの「総論」を引っ張り過ぎで、なかなか肝心の「地域材利用構想」の中身に入っていかない思いがした。認証制度そのものに価値を置く視点には同感であるものの、多少論理の飛躍があっても、たとえば「府産材需給量」を市場でダイナミックに展開させるための財源措置も含めた具体的な政策を提案したり、今後の「成り行き」を大胆に予測したりしてもよかったのでは。
また、非常に焦点を絞ったテーマであるがゆえに、現地での豊富なインタビュ活動は欠かせなかったはずであろう。インタビュ活動は関係者のネットワーク紹介を得るというのが一つの醍醐味であり、これが単発ではあまりにも寂しい。
「自治体」産材利用という点では栃木県も例外ではない。私も今後、足元の素材に注目していきたい。」
「全体を通じて文章の切れが非常に良い。私も経験があるのだが、日本における地方分権の趨勢をまとめるのは、いろいろと複雑な諸要因が絡むために意外と難しい。文献を丁寧かつ簡潔にまとめることを通じて、分かりやすく提示している。現地調査も徹底している。
ただし、93年以降の地方分権の流れにおいては、住民自治がなされるための器(うつわ)・環境を設定するために団体自治(中央−地方関係)の改革が目指されたのであって、住民自治の側面はまさにこれからであろう。一連の過程で住民自治が達成されていないとする指摘は少しずれているように思われる。また、作成者が今回の研究を通じて「地域社会」とは一体何なのか(最初の問題提起)について、明確な結論提示がなかったようである。
また、「紆余屈折」のない合併プロセスはあり得ない。現在、栃木地区の合併協議会に関わっているが、合併はその地域の行政だけでなく「住民力」を残酷なまでに露呈する類のものではないだろうか。
「何らかのうまみを感じるところ」(27頁)との指摘はまさに慧眼であろう。端的にいえば金銭(特別な財源支出)の部分であり、この点を数値から追った点も評価できる。インタビュは生の資料という意味では一級の情報源である。その実施日時の記載が見当たらなかったのが残念であった。欲をいえば、合併によって行政職員がどのような状況変化に居置かれたのか、それへの対応はどうだったのか、旧自治体間での「行政文化」の摺り合わせはどうだったのか、といった行政組織内メカニズムにも焦点を当ててほしかった。私も合併研究は半端な気持ちではできないことを痛感している。今後ともこの政策領域への関心を持ち続けてほしい。」
「那須町の事例を対象に行政資料に真摯に向き合ってまとめた点が評価できる。住民の間では、感情や生活狭域領域から合併の是非や成否を論じる傾向がある中で、本論文には鳥瞰図的な資料網羅がなされている。
第3章が本論文のメインになるべきだろうが、そこに至るまで(第1章と第2章)が相対的に長過ぎる。その第3章も行政資料の「貼り付け」の羅列に限りなく近くなってしまったのが残念である。行政資料に引きずり回されるのではなく、作成者自身による縦横無尽の分析のための素材としなければいけない。第4章では「厳しい局面に立たされる町」が存続していくにはどうすればよいのか。独自の処方箋を量的にももっと多く提示してほしかった。
ともあれ、県内では栃木地区への関心が集まる一方で、県北の合併課題は顕在化していない。しかし、過去の合併論議を振り返るならば、将来的には那須塩原市にしても大田原市にしてもこのままで定着するようには思われない。そのような意味でこれからも那須町への関心を持ち続けてほしい。」
「コンビニの誕生と発展に関する記述など出典を丁寧に押さえている。テーマについて把握・追求していこうとする意欲(11頁の大型店・コンビニ・商店街への現地調査の実施表明など)が随所に感じられる。
確かに第3章では聞き取り調査を踏まえた業態把握がなされている。これだけでも資料的価値があるように思われる。残念なのはこの章の4節の分析の質量である。商店街の「組織の結束力強化」などあまりにも一般論に終始していないか。ここはもっと量的にもダイナミックに持論を展開してほしい節である。コンビニなどすでに国内では飽和状態であるといった声も聞かれる。具体的な打開策を提示してほしかった。終章についても同様である。
「添付資料」として掲載された質問内容には苦心の跡が窺える。この枠内に回答をそのまま羅列してもよかったのではないか。
今後、3業態の共存・共生は可能なのであろうか。各々の業態の機能縮小・機能拡大さらには連携・統合といった変容を注視し続けてほしい。」
「サッカーに対する熱い思い、情熱が本論全体に貫徹している。同時に通読すると、スポーツの持つ地球規模での可能性の広がりを実感する内容になっている。その意味では作成者にとって、おそらく「サッカー文化人類学」ともいうべき領域において悔いの残らない、できる範囲でやり抜いた量的にも質的にも満足感の残る出来栄えの論文となったのではないだろうか。 しかし、今後の参考にしてもらいたい点を以下にいくつか指摘したい。
まず、たとえば10頁あたりまでの記述で、出典の記載がない。読み手には作成者がどの文献に依拠したのかが分からない。
次に、サッカーを取り上げること自体が目的(=サッカー学)となってしまったのではないだろうか。社会科学の領域に属する論考であるならば、サッカーはそのための手段であるはずで、それを通じて国際協力論なりの学問領域に一定の貢献をしようとする研究スタンスが不可欠ではなかっただろうか。
確かに「サッカー世界」は「世界の縮図」であろう。そうであるからこそ、「サッカーの持つ可能性と課題」を論じる中では、それを制度や機能、さらには社会的現象としてどう把握するかが問われるはずである。文献研究で終わらず、作成者自身の目で見たサッカーの社会的意味合いについても、書き下ろしの形で論じてほしかった。
ともあれ、私もスポーツの持つ社会構築の可能性に注目している一人であり、今後ともこの領域(スポーツ政策領域)への関心をぜひ持ち続けてほしい。」
「終始、文化芸術をめぐる深遠な雰囲気が漂っている論文である。文献を丁寧に追っているし、出典も明記している点が評価できる。
ただし、タイトルを見る限り第3章がメインだと思われるが、相対的に第1章と第2章が長過ぎる結果となってしまった。事例は興味深いが読んで「食い足りない」感じが残るのは、インタビュや現地調査をせずに表面的な検討で終わっているからではないだろうか。分析には不可欠である作成者の冷徹なほどの観察眼は伝わってくるものの、文献・資料に述べられている枠内の内容を超えていないという印象が最後まで残った。まちづくり論が展開されているとはどうしても思われないのである。
「同じ時間と空間を共有できることへの喜び」(21頁)といった指摘は慧眼である。芸術においてもまちづくりにもおいても発展の最大の原動力の一つがこの「喜び」なのであろう。ぜひこれからの生活や仕事な中でこうした気持ちを持ち続けてほしい。 」