以下、2007年度 副査を担当した卒論コメントです。
中村祐司
*執筆者名と卒論タイトルは省略しました。
「スポーツイベントの社会的効果に注目した点は、現在、この面から北京五輪研究に着手している私にとっても興味深く、良い着眼点だと思った。イベント支援ボランティアや対外的活動ボランティアなど、ボランティアを一面的に見ない姿勢にも好感が持てた。
しかし、そうはいっても重要な資源としての金銭・資金に触れる必要があったのではないだろうか。実のところチーム側の一番のねらいないしは原動力は経済的効果(間接的経済効果も含めて)にあるのではないだろうか。キャンプ地効果がそもそも経済的効果を生まないのは、(サッカーではあるが)ワールドカップのブラジルなど一部の例外を除けば当たり前の経営戦略なのではないだろうか。
意地の悪い見方をすれば、ボランティアに「タダ働き」させることほど運営側に都合の良いことはない。実は行政サービスをめぐる「協働」にも同様な背景が透けて見えるのである。
「ボランティアは会社じゃないので、いやになったら来なくてもいいんですよ」という記述にこそ、ボランタリー活動の課題と限界があるのではないだろうか。プロフェッショナル=仕事と見れば、報酬論を抜きにはできないはずであり、例えば「無償ボランティア」と「有償ボランティア」の違いについて深く論じてほしかった。
せっかく「自主的な自由な活動を組織の中でコントロールするという矛盾が存在する」「ボランティアではあるが、その活動内容はプロフェッショナルでなければいけない」といった活動体験を通じた者ならではの鋭い指摘や引用があるのだから、「精神論」で終わらせずに、こうした問題意識をもっと発展させて、ボランティア実践モデル事例を提示してほしかった。
最後まであきらめずに論文作成に取り組んだ熱意は伝わってきたものの、あまりにも時間が切迫した中で慌てて片付けた印象は拭えない。そうはいうものの、スポーツ界でのボランタリー活動を取り上げた点は、スポーツ政策研究に足場を置き続けている私にとって大変嬉しく、今後とも「スポーツ世界」への観察眼を持ち続けてほしいと願っている。」
「再生紙の古紙混合率の虚偽表示をめぐって社会が揺れている昨今、フリーペーパーの紙質はどうなっているのだろうか、また、自分から情報を取りに行かないという意味ではフリーペーパーは受け身の情報媒体なのだろうか、などと思いながら読ませてもらった。
「循環型社会形成」に注目し、全体として今日までの歴史や法制度面など確かに幅広く勉強はしている。フリーペーパーは単なる紙の広告をばらまいているだけではないかという冷めた見方もできるかもしれないが、今や社会の情報媒体としてなくてはならない存在であるのが良く理解できた。丁寧に関連の情報源に当たっているし、自分なりの目線で根気よくまとめてはいる。
しかし、残念なことに独自の視点・問題意識の設定や、若者ならではのフットワークの軽さや知らないことを逆手に取った、定点的かつ深く入った調査研究がなされていない。表層的・表面的な勉強で終わってしまっている。学術論文としての卒論であるからには、例えば「第5章 フリーペーパーのライフサイクル」などと称した事例研究があっても良かったのではないだろうか。
具体的にはフリーペーパーの資金源(おそらく広告費?)について明らかにしてほしかった。実際に最も興味をもった雑誌を一つ取り上げて、これをしつこく追いかけてほしかった。
通読して、全体的にさらっと「フリーペーパー世界」の表面を撫でたようなもので終わってしまった。これではフリーペーパーを街で手にとる一般の消費者の意識レベルとあまり変わらないのではないか。要するに「総論・全体論」が長過ぎるのである。「循環型社会」についての記述もあまりにも一般論ではないか。
例えば生産においてどのような材料を入手し、どのような工程を経て製造されるのか知りたかった。インタビューが「コラム」の取り扱いとなってしまったは「電話インタビュ」だからであろう。インタビュには本来オリジナルな資料的価値があるのに残念である。
そうはいうものの、生活に密着しつつあるフリーペーパーはこれから目が離せない社会的存在であるのは確かで、ぜひ、これからも関心を継続して観察を続けてほしい。」