『就活日記』
就職先:「栃木銀行」 支店:不明(三月初旬に決定予定)
就職活動:
2004年 |
12月上旬 |
サークルの定期演奏会やISFJが終わる。*1 |
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12月中旬 |
日経系の巨大説明会に参加する。 atビッグサイト*2 |
2005年 |
1月 |
特に就職活動は何もしない。*3 |
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1月下旬 |
研究室内の「進路説明会」。*4 |
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2月上旬 |
リクナビ系の巨大説明会に参加。 atみなとみらい*5 |
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2月中旬? |
宇大主催での企業説明会。*6 |
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3月上旬 |
エントリーシートや履歴書を書き始める。*7 |
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3月下旬 |
はじめてのセミナー。栃木銀行。*8 |
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4月 |
怒涛の試験&面接&説明会ラッシュ。*9 |
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4月中旬 |
栃銀2次面接。*10 |
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5月中旬 |
栃銀最終面接。就活ほぼ終了。*11 |
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8月中旬 |
栃銀内々定者懇談会。 |
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10月初旬 |
栃銀内定式。 |
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12月下旬 |
栃銀入行前説明会。 |
詳細:
* 1 することがなくなり、就職活動をせざるを得ない状況になる。この頃の希望先は日産自動車関連だったらどこでもよかった。理由は日産が好きだったから。
* 2 はじめて説明会に参加する。サークルの友達と2人で行くが、汐留ラーメン食べて日テレ見て、フジテレビ見て終わる。というのも、このイベントに参加してわかったことが、必死に就職活動をしている人と、あまり力を入れていない人の差を明らかに感じてしまい、現在の就職活動に対して疑問が生じてしまったからである。はっきりいってつまらなかった。
* 3 モチベーションが下がり、就職活動をする気になれなかった。が、志望は日産系と変わらず。
* 4 昨年の卒業生は全員が女の人であったこともあり、自分の考える就職感に近い人がいなかった。就職先も自分のしたいこととはあまり関連がなかったため、参考にはあまりならなかった印象がある。
* 5 一人で行く。みなとみらいは整然とされていてきれいな街ではあるが、味気のない街だ。日産系の企業が多く出展(?)しており期待していたが、日産自動車本社以外の企業のモチベーションが低いことと、就活をしている人の低レベルさ(でも学歴はみんな高かったが)より、これらに混ざって就活をしていてはいけない、と直感した。これを機に東京での就職活動をほぼ終了する。
* 6 東京での就職をあきらめたため、地元(栃木)の企業での就職を考える。地元の企業といったらやはり銀行かな、ということで地元の金融機関に絞り始める。宇大で行われた説明会に、栃銀・足銀・栃木信用金庫が来ており、印象として栃銀の人事の人が一番印象がよかったため、また、近所に栃銀の支店がありお世話になっていることから、これを第一志望とする。
* 7 ネットでのエントリーシートの記入などがあったが、ネット書き込みでの動機などを書き込んでも、実際にそれを見ている人は企業の人事でなく、人事コンサルタント会社なのだ、ということ気づき辞める。エントリーシートや履歴書の記入については、今までの学生生活に関することを中心に書いた。
* 8 はじめての企業セミナーは第一志望の栃木銀行だった。企業説明とSPIのようなテストの2本立て。そのときにエントリーシートと履歴書も提出。
* 9 最初の面接も栃銀だった。面接は栃銀の人事の人。面接内容は100%人柄とコミュニケーションを見ていた。アルバイト、自分の仕事観、なんで栃銀とか、当たり障りのないことを聞かれた。業界に関する質問は皆無。
そのほか面接や説明会などで一週間のうちに東京に5日行くようなこともあったため、資金的にも肉体的にも困憊。でもバイトは続けてました。
* 10 グループ面接、高校のときの同級生と3人ほど会う。うわさによると、2次面接が事実上の最終面接であったため、気合が入る。後日最終面接の連絡を聞いたときは非常にうれしかったなぁ。内容は、1次に比べると専門的だが、突っ込んだ質問はされなかった。最近の金融界での気になる動き、志望動機、どんな仕事をしたいか、など。銀行、特に地銀は地域の人との親身な対応が重要であることから、誠実さや人柄などを見ていた、のではないかと思っているが、どうだったのだろう?
* 11 最終は役員面接、グループ(7人)だった。左端から頭取、会長、常務、人事部長の順で並んでいた。ここで落ちては大変なので、印象を悪くしないよう注意した。そのとき一緒に面接をした人が、「俺は大学にほとんど行ってません、ラグビーばっかりしていました」とか、「卓球がしたいから栃銀にしました」とか、「剣道が・・・、したいです。」とかいっている人が受かっていた。面接終了後、控え室で内々定の報告をその7人で受ける。これで就職活動はほぼ終了。その日の午後に栃木信用金庫での面接。「実は今日内定をもらったんです」といったら、面接官に驚かれる。そして、そこは落ちる。
総括:
まず、心がけていたことは就職活動に関するHow to本や誰かの教えなどは受けずに、自分の力でやってきたことです。それは、研究室での活動、年金の発表、ISFJでの経験などを通して、自分の力に自信を持っていたからです。「その辺の学生とは違う」という自負があったので、虎の巻には頼ることはありませんでした。就活は学生の終わりを告げるための活動であり、卒論と同様に学生生活の総括をするものだと思います。自分の学生生活で行ってきたことに自信を持って活動に当たってください。
あと心がけてきたことは、就活に自分の生活のリズムを崩させないことです。「酒は飲んでも飲まれるな」という言葉があるように、就職活動に飲まれてしまっては本末転倒です。学生生活を怠ってまでの就職活動はもろ手を挙げて賛成はしません、個人的にはですが。
たとえば私の場合はバイトは辞めません、また一度も休みませんでした。自分の生活を崩すような無理な就活はしませんでした。面接の日程の連絡があったときにバイトや所用と面接がかぶってしまうようでしたら、面接の日を動かしてもらうようにしてもらいました。なんでかというと、企業側は学生の都合を知らずに、一律的に日程を調整します。なんで、日程が合わなくてもしょうがない。もし動かしてくれないような企業なら、そこに入社後、社員になったとしてもあまりよく扱われないんじゃないか。と考えるようになったからです。実際栃銀は、1次面接と2次面接は日程を動かしてもらいました。
ここまで書いておいてなのですが、私の就職活動はあまり参考にならないと思います。というのも、自分の経験をすべての糧にして就活を行ってきたためです。TOEICや資格の勉強、学校で行われているような適性検査やエントリーシートの書き方、面接の仕方など、まーーったく利用してきませんでした。今思えばもったいないような気もします。なので、「こうしたほうが。ああしたほうが」ということはいえません。
私が就職活動をする上で感じたことは、大企業に採用されるためにはかなりの強運が必要です。ネット選考で落ちたからといって決してへこまないことです。「下手な鉄砲数うちゃ当たる」かもしれないので。私が日産自動車にインターンシップを申し込んだときに、日産の人事の人に聞いた話ですが、大企業の最初の方の人事はほとんどが人材コンサルタント会社に丸投げだそうです。採用のサイトの運営はその企業でなく、ほとんどがコンサルタント会社がやっています。エントリーシートを読むのはコンサルタント会社です。そりゃそうです。数万にも及ぶエントリーシートを読まなければならないのですから。しかも、ちゃんと読んでるかどうかもわかりません。だから、ある意味コンサルタント会社に気に入られないと、希望の企業の採用活動には入れません。肝に銘じてください。私はそのような就職活動が合わなかったために、大企業でなく地元の企業にしました。自分のスタイルにあった就職活動が一番です。
さて、結論を言うと、就職活動は自分の力を試す場であるということです。地元が好きなら帰ることもいいでしょう。高望みして大企業にどんどん挑戦することもいいでしょう。ベンチャーに挑戦することもいいでしょう。大学院に行くことも当然です。今、自分を顧みて一番ベストな選択を心がけてください。長々といったのにこんな結論ですいません。実はあんまり就活のこと知らないんです。はは。