2005年度宇都宮大学行政学研究室卒業論文のコメント

中村祐司(指導教員)

 

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阿部真弓「効果的な介護リフォームを行なうためには」を読んで

ひとくにリフォームといってもその種別は多く、その裾野はとてつもなく広い。テーマを介護リフォームに絞ったことで、論旨に一貫性が出ている。「住宅需要実態調査」の結果からは人々の切望と現実とのギャップが透けて見えるし、宇都宮市による独自の補助制度の紹介なども興味深い。果たして建築業者、医療関係者、ケアマネージャーの連携モデルの中身はどのようなものがベストなのであろうか。行政が対応すべき施策案の提示がなかったのが残念である。

 

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鮎ヶ瀬琢子「友遊いずみクラブ発・生涯スポーツ社会実現への提言」を読んで

文章の歯切れが良い。実践者であるがゆえに「既存のクラブというものは元来仲間意識が強く、外部に対して排他的な性質を強く持つ」などといった指摘は鋭い。「既存の施設を効率的に活用」している友遊いずみクラブを範に、宇大の門戸開放を訴える。「有料各種教室」開催の提案なども興味深い。本人も挙げているように、前半の大枠論や理念論はもっと圧縮して、卒論作成のエネルギーを友遊いずみクラブという現場に費やしていれば、読み手に対して消化不良の思いを抱かせなかったに違いない。

 

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小林令子「なぜ栃木空港(仮称)開港が必要か〜地方空港を核とした地域活性化に関する考察を通して〜」を読んで

図表作成の技術を駆使した非常にグラフィカルな卒論。問題意識の前提は「地域が空港を育み、空港が地域を発展させる」という地域・空港間の「共生関係」の構築である。関連のインターネット情報を取得し、うまく整理されてはいる。しかし、例えば財源面での課題についての言及がない。読み手は、「栃木空港」のマネジメントの側面(国内・国外路線、建設資金、運営コストの調達、採算性の見込み)をめぐる見取り図を知りたいはずである。どうしても「グラフィック負け」した印象を受ける。

 

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豊田浩司「栃木SCと栃木県のスポーツ文化のまちづくりにむけて〜Jリーグ百年構想と地域活性化〜」読んで

地域社会におけるスポーツの可能性に懸ける熱い思いが、最初から最後までひしひしと伝わってくる。栃木県や宇都宮市のJリーグ参入に関する消極姿勢に警鐘を発している点も良い。栃木SCとアルビレックス新潟、栃木SCと愛媛FCとの比較論(スポーツ行政をめぐる基本的スタンスの大きな相違など)は大変興味深い。しかし、「スポーツ文化」という語があまりにも頻出し過ぎである。また、論旨の立て方そのものが、10年前に既に言われ尽くした他者の主張を繰り返してしまう結果となり、1クールずれてしまった印象は免れない。

 

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水粉孝慎「派遣労働者の労働環境に関する国際比較と日本における課題」を読んで

日本の企業社会で奔流のごとく浸透しつつある派遣労働者問題という極めて難解な課題に真正面から取り組んだ。執筆者の本質を追求しようとする緊張感が最初から最後までみなぎっている。ドイツ、フランス、日本の比較論、日本のILO条約111号未批准の問題、「人材派遣会社や派遣先企業にとって都合のいいような形での法改正」、ミクロレベルの改善実践の重要性など、随所に読み手になるほどと思わせる切れ味鋭い指摘が続く。しかし、その解決策となると結果としてどうしても精神論が主流となってしまい、あたかも「逆社訓」を見せつけられたような読後感が残ってしまったことも事実である。

 

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渡邉陽子「観光立国へ向けて外国人旅行者誘致への提言」を読んで

国土交通省主導の「ビジットジャパンキャンペーン」の中で、とくに宮城県・仙台市の外国人観光客誘致政策等を広域連携事業も含め詳細に追っている労は多としたい。仙台が東北観光の「コア」となるべく、「仙台市独自に関すること」「仙台市と東北全体に関すること」「地元民に関すること」の3項目からなる観光政策提言は興味深い。しかし、そのための具体的な制度設計がなく、いわゆる「心構え」論に終始してしまった感があるのは残念だった。

 

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佐々木大輔「インターンシップがもたらす就職活動の変化」を読んで

インターンシップの「体験談」以外は、最初から最後までいずれの項目においても記述に深みはなく、あまりにも「さらっと」し過ぎている。そもそも「インターンシップ」なるものに最も疎いのは大学教員かもしれない。制度の価値は頭では分かっているつもりだが、研究室を拠点に本来学生が学ぶべき「机上の空論」や「やみくもな現場突入」といった学生の特権ともいえる人生で貴重な機会が、「インターン」という名称のもとに根こそぎ引っこ抜かれ、引っ掻き回されてしまう被害者意識に近いものが増幅されてしまうのである。

「インターン」はアルバイトや国内・海外旅行、サークル・部活動などと並ぶ学生の貴重な社会体験の一つであるのは間違いないのであろう。しかし、近年における新規雇用環境の大変容に強い不安感を抱える学生の立場を考えた場合、そこに一部の企業側の「姑息」な利益追求戦略を嗅ぎ取ってしまうことも事実である。一体、「インターン」なるものに企業側は本当のところ、何を求めているのであろうか。  

「インターン」を絶賛するのであれば、そこでの代え難い価値ある体験と卒論作成のエネルギーとは連結するはずであり、決して反比例するものではないはずである。そうでないとすれば、結局のところ、学生時代の勉学の集大成であるべき「卒論」よりも、より重要であると錯覚させられるような「霞」を掴まされたことになるのではないだろうか。

今まで複数の卒論生を送り出し、一生に一度限りの機会である卒論作成への真摯な取組みはそのまま当人の仕事の生き方におけるバランスの保持につながっていくことは間違いないと確信している。卒論作成の形式面の順守も含めこれが回避されるならば、何とも中途半端な学生生活を送ったと結論付けられても仕方がないのではないか。

 

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