国際関係演習期末レポート                            2002/07/31

選択課題「これまでに演習で読んだ文献を3つ以上読んで比較検討せよ」

                           国際学部国際社会学科3

                            000104A    板倉世典

キーワード

・民主主義国家  ・平和   ・レジーム   ・グローバリゼーション

 

読んだ論文

スティーブン・D.クラズナー「グローバリゼーション論批判」『グローバル・ガヴァナンス』

アンソニー・ギデンズ『国民国家と暴力』

ブルース・ラセット「民主主義国家間の関係はなぜ平和なのか」『パクス・デモクラティア』

R.コヘイン『覇権後の国際政治経済学』

小林誠「危機としてのグローバリゼーション」『グローバル・ポリティクス』

 

民主主義国家への移行が考慮されていないなどの問題点があるものの、民主主義国家同士は戦争をしないというラセットの論文に明確な反証はできない。現代は必ずしも安定的な時代ではないものの、第三次世界大戦の勃発は遠いように思われる。いかでは民主主義国家間の関係は平和であるとの前提に話をする。

 グローバリゼーションによって国家の地位が低下すると仮定するならば、これは平和を破ることになるのだろうか。クラズナーは「主権国家はグローバル化によって根本的な変容を迫られているわけではない」と述べている。豊富な事例を挙げてこれについて説明されているのでもう十分だろうが、私も少しの例を挙げつつ整理してみる。

国家が国家足るように世界で振舞えるのは、主権を持っているからである。つまり国民の代表という立場をもっていて国内においては絶対的なものとしての立場を持っている。多国籍企業やNGOなどはこういう力を有しない。加えて国家は政治のみならず文化、歴史なども背負っているあらゆるものの総体として存在する。影響力という指標だけならば、多くの人々に影響を与え、経済を動かす多国籍企業の力は時に国家より大きいし、NGOの行動力は確かに多くの人々も心を動かして支持を得る。しかし、最近では二つの例が限界を表している。一つは多国籍企業への信頼が揺らいでいることである。アメリカでも有数の大企業のいくつかが一夜にして破綻した。エンロンとワールドコムがその代表である。どれほど影響力を持つ企業でさえ、やはり企業は企業であり、最後は国家に再生法の適用を申請した。ましてアメリカは特別な不況下にあるわけではなかった。経済の基本となる貨幣も国家の信用によって成り立つものである。もうひとつはNGOだが、その多くの活動は地道な寄付や事業によって行っており、基盤がもろい。企業でもないのに景気にさえ左右される有様である。地雷撲滅キャンペーンでノーベル平和賞を受賞したICBLも、結局はカナダ政府の協力による成功だった。したがって国家を脅かすほどのアクターであるとは考えにくい。これら二つよりはアメリカに在住するユダヤ民族のほうがより大きな役割を演じているかもしれないとさえ思う。対照的に経済が破綻したアルゼンチンはいまだに確固とした国家としての立場を保持している。最貧国からの出発でも立派に一国家として進んでいく東ティモールも、国家の基本的な姿、地位のようなものを示してくれている気がする。

国家が国家たるようになったのは戦争によるところが大きい。キデンズが戦争の工業化による国家形成を論じているが、第一次世界大戦は国家主権の発達に途をひらき、国家主権はナショナリズムに強く結びつけていったとある。また、国家が国内で大きな位置を占める福祉国家体制は戦時行政によって形成され、国家の団結を促進し、ゆるぎないパワーを持たせるのに一役かった。民主主義ですら戦争の徴兵とセットとなって発達したものだ。

国家の力が低下していると考えられている理由を考えるならば、私なりに3つの例を挙げてみる。ひとつは政治の空洞化がいくつかの国で見られ、変わって企業の進出がしやすくなったこと。ケインズ経済学に基づく政府の経済に対する介入に限界が見られてきたこと。福祉国家の行き過ぎによって1970年代以降政府が行政改革によって行政サービスの一部を民間に任せ、政府の一極集中よりもガバナンスを重視する傾向が続いていることなどを挙げておく。これらのことは国家内部でも国家が意識されにくくなっていることも無関係では無いように思う。この流れはネオリベラリズムのひとつと捉えられる。これらは多国籍企業に関わることも多いうえ、有利にはたらいているので国家の地位低下とも受け取られるのだろう。小林氏はこれを民主主義への脅威と捉えている。しかし、むしろ国家外では注目すべき現象が続いている。国民国家をここまで普遍的にしたものは国際連盟だが、その後継というべき国連が冷戦終結後ますます力を発揮していることである。無論政府間組織も活躍の場を広げている。これは国家の地位低下論と矛盾する。ただし、レジームによって国際関係は民主主義国家間同士では必ずしも民主的ではない。レジームの背景には現代までを考える限り、直接行使されることは少ないにせよ軍事力が多大に影響している。構造的暴力のうえに国際協調と平和が成り立っていることに注意しなければならない。繰り返すが、民主主義国家は現代では普遍的価値を持ちつつあり、それによって平和は達成されている。同時にその平和は民主主義によって選ばれた政府によってレジームが形成されており、平和を支えている。そして平和は長続きしている。このある種矛盾のようなものが導かれる。

 これまで見てきたように、現在成立している平和は理想的な形とは言えない、きわめて複雑かつ矛盾の上に成立しているものと考えられる。民主主義政治は空洞化しつつあるという指摘もあり、これからも大規模な戦争は予想できないながらも、不安要素は増大している。しかも、ラセットも権威主義的な国家から防衛するために、民主的な国家は永遠に警戒を怠ってはならないと述べており、軍事力は平和に不可欠であるという立場を鮮明にしている。また、民主主義の普及と独立とが関係していると予想するなら、現在の192カ国からさらに国家が増えることになろう。平和とレジームのあり方はこれからも無限に変化する可能性がある。

これら多くの論文は比較的新しく書かれたもので、国際関係が日々変化していることを改めて感じさせる。新たな理論が近いうちに展開される、あるいは既存の理論が修正を迫られることも大いにありうるだろう。ただ、論文を比較検討して感じることは、昔からの指摘のとおりだが、多くは現状分析にとどまっており、新たな展望をひらいたりするものではないことである。こく際関係論は未来を動態的に考えた道筋を予測することもすべきであると考える。