テーマ:両親に望む介護

現在私の両親は40代半ばであり、大よそ人生の半分を越えたあたりという頃だろう。となると、介護は私自身にとって現実味もないが、遠すぎる話でもない。私は、大変両親に感謝しており、できるだけよい生涯を送ってほしいと考えている。では、ここで言う望ましい介護とは、端的にどのようなものだろうか。私は、個人として尊重され、自分の意見が通り、天寿を全うできる介護と考えている。一言では、極力好きなように生きられることである。それは、たとえ痴呆になっても同じである。となると、介護体制はこのことをサポートできるものであるべきという考え方が一つ挙げられるだろう。

私は、半ば当然ながら、両親と介護について真剣に会話したことはない。よって、二人が望む介護を私は知らない。在宅がいいのか、老人ホームでもいいのか。できるだけそばにいてほしいか、特別配慮しなくてもいいのか。だが、私はできる限り、在宅で可能な限り介護をしたいと思う。人間は、家族と隔離しないで、お互い目の見えるところで一生を過ごすのが自然であるという考えからだ。ところが、多くの人がこれを望むが実現できない現実がある。これにはこれからも様々な対処法が考えられる必要があろう。では、私個人が在宅介護をする時のニーズとしてどのようなものが予想されるだろうか、挙げてみる。

まず、仕事は避けられないという面から、昼間の介護、つまりデイサービスを万全にしてほしいということがある。先ほど述べた個人の意見が通るという面などからすると、大規模な施設よりも小規模のほうがよいように思う。スケジュールどおりのうわべだけのものや、モノを扱うような運営でも問題がある。

つぎに、時間に過度に制約される介護は望まない。逆に言えば、ゆったりした時間の使い方を望む。なぜなら老人のペースは全てにおいてゆっくりだからである。老人介護に大がかりな設備などは必要ないので、なるべく多くの資金を人件費に充てるべきである。

介護する側の代替体制も必要である。急な用事等による介護依頼、介護疲れに対処するための体制が、今の状態を知る限りではまだまだ不十分で不安である。現に私の祖母は曽祖母の介護のため、小旅行一つ行けない状態にある。

いつでも気軽に相談できる体制もあればよいと思う。いつ何時、いつもと違う状況が訪れるとも限らない。プロのアドバイスが24時間聞けるというのは何と心強いことだろう。また、医者との連携も密にすると、さらに効果があると思われる。

以上が私の望む介護体制である。ここで特に協調したいのは、体制の柔軟性である。いずれにせよ、世代などによっても望まれる介護の形は変わっていくことだろう。諸外国の例、先例にとらわれず、日本型の最も望ましい介護を考えつづけることが大切だと考える。私も、これを機会に帰省時に一度両親とこのテーマについて話し合うつもりである。