「国際化とは何か?」 国際学部国際社会学科2年 000104A 板倉世典
国際化が進んでいると言われるようになってかなりの時間が経過したが、それでもなお国際化の定義ははっきりしていない。理由の一つは国際化という概念が多方面にわたって広がっているからであろう。そしてその一面を切り取って理解することでしか今の私たちは国際化を捉えることができない。今回のシンポジウムでは、私はとりわけ国際化の持つ性質の中の「分裂性」が特にあらわになっていたように思われた。
国際化を一層進めるのに一役かったのが情報技術の進歩である。その情報の面から「情報の本質を考える、ITがつなぐ地域」というテーマで群馬大学の田村泰彦氏が講演を行った。そこでは、今までの情報の氾濫とそれに取り残されたお粗末な地域社会、情報価値の変化などを解説していた。特に人々の暮らしを豊かにするはずの情報が、実は人々と最も密着した空間である地域社会において十分機能していないという指摘は今まで気づかなかったことで、興味深かった。また、コメンテーターである内山教授による群馬、栃木に多い南米人の社会からの孤立の指摘も、国際化したといわれる社会とのギャップを身近に示す例として興味深く感じられた。
韓国の留学生との文化交流体験は、大変素朴でありふれた内容ながら、なかなかはっとさせられる内容であった。私はその話の中でも、ある韓国の方の「日本に来ても、学びたい気持ちと裏腹に、かなりの時間韓国語の話せる人と話してしまった」という留学体験談は思わず笑ってしまったが、同時になるほどと思ってしまった。私も同じ立場なら日本語を多用していただろう。また、「宇都宮大学には数多くの留学生が在籍している。我々は留学生から何を学び、何を発信しているのか」という言葉にも耳が痛かった。よく文化を知るために外国へ旅行に行くとか、留学するとか言う人が多いが、思えばそんな機会はそこらへんに転がっているのである。言われてみると確かにそうだが、盲点だった。異文化を知ろうという意識が足りないと言うほかはない。外ばかり見ていて身の回りをあまり見ていないケースの一つだろう。言い換えれば、身の回りの国際化に私が意外に気づいていないということにもなる。
以上のことから結論として私が思うのは、国際化とは、所詮触れることのできる空間の広がりでしかないということである。インターネットで世界中の情報が手に入り、アフガニスタンの情勢に注意を払い、国際テロに脅える。世界中の食べ物を口にでき、外国人と会うことも珍しくない。こういった恵まれた機会が常時ある中ですら、我々は意識しなければ生っ粋の日本人にとどまったままである。国際学部で学ぶ私もやはりいまだに外国のことをいろいろ知っている日本人に過ぎない。また、私は異文化を知り、認めることはできてもそれ以上はできない。これについてはおそらく世界のほとんどの人がそうだろう。こういった状態は我々が国際化した環境をもてあましていると言ってもいい。つまり我々は1つの文化をしょってたつ人間から抜け出すことができていない。国際、つまり国と国との狭間に投げ出されようとしていても、やはりnationにしがみついてしか自分を御せないでいると私は感じる。これが、国際化の現時点での限界を示しているのかもしれない。そしてまたそれが国際化の中の「分裂性」が生まれてくる一つの原因であると考える。