スペイン語入門Tレポート              「シエラの人々(アンダルシア民族誌)」を読んで        

        国際学部国際社会学科                            000104  板倉世典    スペインは、よく情熱の国だとか、太陽の国だと言われる。文化も、多くの西ヨーロッパの国々とは違って見える。そして、授業のビデオで見たスペインにある妙な切なさ。私は、それらの理由が知りたくて、この本を手に取った。庶民の日常生活からなら、文化の根底がわかると思ったからだ。

 この本は、スペインアンダルシア地方の、山間の小さな村、アルカラの1950年代の生活を描いている。そこには昔ながらの素朴な人間関係がある。私は、読み進めていく中で、日本では信じられないことや、分からなかったスペインの歴史に出会った。しかし、読み終えると、逆にイギリスやアメリカなどよりずっと近親感を覚えてしまった。形は違えど、日本人と似ているところがあるのである。私は、それを土地意識と恥の概念に特に感じた。

  我々は、外国人に自分を紹介する時に、日本人であると言う。だが、ここの人々は、アルカラの出身だと言うのだ。彼らにとって大切なのはアルカラにいることであり、たまたまそこがスペインの一部だという意識なのだ。よそ者の区別もしっかりしている。狭い共同体の中では警察でさえ、生活苦をさらに進めるような規則には違法を見逃すこともある。町の役人は中央からくるので、土地のことを知らないと言うありさまで、国家と地域の溝が大きい。知り合いでないものには冷淡になりがち。これを見て、私は、彼らの土地に対する執着を感じた。プエブロ(共同体)の息子と言われて一生生地をしょっていく姿も、一昔前の日本人に近いと感じた。しかし、その土地意識、連帯意識が1936年の共産主義市民革命を起こしたように思う。この時にロルカも殺された。

  スペイン人の誇り高さも見つけた。たとえば、客の接待。彼らは客を喜んで丁重にもてなすが、それは評判を得ることと、主人になることで外部の者の上に立てるということに起因すると言う。ほかの場面でも、スペイン人は評判、世論をことに気にするという。これも日本人気質にあるだろう。だが、スペイン人は地元を離れると評判を気にしなくなるというから不思議なものだ。

  スペイン人の、地位、身分、敬称の考え方にも心を引かれた。我々は、ある程度裕福な人が、高目の地位についたり、どんな人にも平気で〜様と言うのに抵抗を感じないが、それらには抵抗があるという。敬称には紳士であるとか、社会的地位が必要といった漠然とした決まりがあるのだそうだ。むやみやたらにセニョールとは言えないのだ。

  とりわけ私がこの本で興味を持った部分は、人間関係と、恋愛関係である。この地方では、我々の感覚と違い、友人関係は影響力を示すものとなっている。利害損得が友人関係に左右される。それゆえにお互いは接近しやすく、親密になりやすいというのだ。それは、作法の立派さ、感情の移ろいやすさ、新しいもの好きといったアンダルシア人の持つ性質によるものだろう。

  恋愛関係については、男女の異性間の区別が書かれていたが、それは、私には理解できなくて、頭を悩ませる種となっている、スペイン語がなぜ男性名詞、女性名詞に分かれているのかという疑問を明かしてくれたように思う。それは、慣習化された仕事の分業、家庭外では異性は協力しない、男性は醜いほど美しいとされる男らしさなどである。勇敢に戦って死んだ闘牛のオスに贈られる喝采もその一つだろう。それだけ明確な性の区分があるからこそ、結婚が大きな事に意識され、それ以前の長い交際期間、「ノビオ」によって相手を見定めるのだ。そして周りもそれを公認するというのだから、こうして情熱的恋愛がなされるのだなあ、と他人事ながら納得してしまった。女性がやたらになんぱされるイタリアとは同じ男女関係が有名な国でも、ぜんぜん違うなと思った。私が考えていたことより、ずっとまじめな異性関係である。さすがカトリックの国。

  私は、この本を読んで、スペインの持つ複雑で面白い文化に触れ、スペイン、そしてよりスペイン人に大いに引かれた。是非一度、スペインに行って、スペイン人と話がしてみたくなった。ひょっとしたら、私も多くのスペイン好きのように、スペインの「虜」になってしまうかもしれない。そんな気にさせてくれる一冊だった。