岩波新書『雇用不安』野村正実著 を読んで

 

序論

1990年にバブルが崩壊して以来、日本の経済状況は、下落の一途をたどった。バブル経済の反動、円高、超低金利政策と、この10年間は、失われた10年とまで言われた。完全失業率も戦後最悪を更新しつづけ、いまだに景気回復の足取りは重い。こんな状況の中、官民総出で構造改革を声高に唱えている。この平成不況の原因は、官としては護送船団方式による不健全な状態によるもの、あるいは保守的な政策が失敗したからであると。そして民では、年功序列制度が企業運営に悪影響を及ぼしたからであるなどと、今までの日本を自己否定するかのごとき見解である。では、これらの日本の体制が、今日の不況を呼んだのだろうか。失業率を悪化させたのは時代遅れの年功序列によるものなのだろうか。そこで、「『雇用不安』、野村正實著」をもとに、日本的雇用の是非について考察することにする。

 

第一章:全部雇用という考え方と低失業率

まず、雇用の状態が分かる失業率について考える。現在は戦後最悪の高失業率であり、4%台が続いている。大騒ぎされてはいるが、これは依然世界的に見て低い失業率である。日本は昔から失業率は低く安定してきた。第二次世界大戦を引き起こした世界恐慌、日本では昭和恐慌時でさえそれは7%なのに対し、アメリカは25%にも上っていた。また、戦後は、軍の引揚者や軍需工場に動員された人が職を求めているはずなのに、失業率はずっと2%にとどかなかった。これはどういうことなのだろうか。日本には何か秘密が隠されているのだろうか。

この答えとは、「全部雇用」の考え方によるという。これはしばらく忘れ去られた言葉だが、日本の雇用の特色をよく表しているという。基本的定義は、仕事を求めている人は、生産性や賃金は良くないものの、ともあれ全員何らかの仕事に就いている状態である。対してよく言われる完全雇用とは、ケインズの提起によるもので、現行賃金で働きたいと思っている人がすべて就業している状態を言う。いわば理想的状態である。よって全部雇用とは違うものである。確かに、全部雇用の考えからは低失業率を説明できる。

では、その下地はどこから出来上がったのか。それはかつて労働人口のメインであった農林業にある。農業は大抵本人と家族のみの自営業体制である。これは、家族総出で働いて、食べていければいいもので、過剰労働人口を抱えてもやっていけるものであった。よって、家族従業者は相対的低賃金労働になるが、それは問題とはならなかった。この農家が余剰労働者を吸収し、求人が出ると、次男や三男、娘を排出した。したがって戦後しばらくは農業は過剰就労状態にあった。高度成長にともなって、第二次、第三次産業の就労人口が高まっても、農家戸数は減少していないことがそれを物語っている。農家がマイナーになり、戸数が激減すると、その立場は非農林業の自営業に変わった。したがって、自営業主数は一定して推移している。

日本の全部雇用のそして、低失業率の鍵は女性にある。労働力の需要は景気とともに変わるが、その不安定を解消するメカニズムが女性にとりわけ主婦層に存在したのである。有配偶者の女性の労働というとパートが思い浮かぶが、実際はパート・アルバイト、正規従業員、自営業の家族従業員がほぼ同率である。このパート層が需要増の時に経済的理由などで働くが、生活できないほどではないので、需要減の時には非労働力に変わる。よってちょうどよい具合が保たれてきた。また、自助の精神が強い日本では、高齢者も働きに出ることが多いが(これによって国の負担が軽くてすんだことも大きい)、これは自営業層が大きな受け皿となった。家族従業という形で女性労働という点でも大きく寄与した。自営業は、家計と経営が未分離、そして定年がなかったので可能だったのである。また、中小企業も、不況時に大企業の解雇者の受け皿となった。このように四方にはりめぐらされた、セーフティネットによって全部雇用は実現されていたのである。

 

 

第二章:日本雇用の特徴

次に、世界的に見て特異ともいわれている日本雇用について見てみる。日本雇用の代名詞といえば、終身雇用、年功賃金、企業内組合であろう。これは時に日本独自であって、高度成長を支えたといわれている。ではこれは事実なのだろうか。

実際のデータを見てみると、まず、大企業就職者は全雇用者の3分の1であり、転職を経験する人が大半である。また、首切りもそれなりに行われてきている。中小企業ではより転職が多い。したがって、終身雇用が保障されているとは言い難い。次に年功賃金については、確かに個人では20代より40代のほうが給料は高いが、同年代同士ではやはり能力によって差が出ている。自分より下の年齢の人がより高給料ということもままあることと言える。したがって完全な年功賃金制度であるとは言い難い。よって、この終身雇用と年功賃金については、極端な固定観念が存在しているといえる。しかしながら、企業内組合によって、終身雇用と年功賃金の保障を要求したことはあった。

では、日本固有という考えはどうなのか。小池和男著・日本企業の人材形成(中公新書)によると、アメリカでは、昇進が日本人が想像できないくらいに、全くの勤続年数により決定するとある。技能が専門的で、広範囲に対応できるほど会社が優遇するのはいわば当然のことであろう。またこの「雇用不安」では、日本の年功賃金が先進国での例外としているが、小池によれば、欧米でもホワイトカラー層では年功賃金が広く採用されていると言っている。違うのは日本ではブルーカラー層にまで広がっているところである。また、日本の離職率を見ても、20代では20%以上、それ以降も7%ずつあり、決して一社にとどまる傾向がとりわけ強いとは言えない。適職探しは行われていると言えよう。アメリカは逆に他国と比べて極端に多い。アメリカは、十分生活ができても、それ以上の夢を見る、いわゆるアメリカンドリームを求めるという傾向もあり、比較の対象として適当でない。日本人はアメリカとよく比較したがるが、比較の対象になるとは一概に言えないことに注意すべきである。ともあれ、以上のことから、日本雇用そのものが、全く特異であるとは言えないことが分かる。

では、日本のホワイトカラーとブルーカラーの低い賃金格差と、極端な若年就労者の低賃金と、定年間近の労働者の賃金減少はどう説明できるのか。それは生活費保障説と能力形成説によって説明できるという。生活費保証賃金は戦後の企業内組合の提案した賃金体系であるが、これは子供の成長や、住居の購入など、出費が増える時期に多く賃金をもらえるというものである。しかし、これだけではコストや技能を無視しているので十分でない。そこでこれに、能力形成説が加わる。年功賃金ならば若年者の大量雇用が容易であり、仕事に不慣れで単純作業が主となる者に高賃金を払わなくてすむため、コスト・パーフォーマンスも良い。しかし、これがあだになって、出産などで中途退職の可能性が高い女性には、単純作業だけさせて低賃金にとどまらせるということもあった。また、仕事ができなかったり、忠誠心が低かったりする中高年層が首切りの対象になったものこれで説明できる。若年層は能力に対する評価も定まっていない上、コストが安いから首切りの対象とはならないのである。

 

 

第三章:雇用不安の現状と構造改革

ここで現在の雇用状況に触れたいと思う。閉塞感に包まれた雇用の現状はどうなのだろうか。

初めに、ここまで日本が雇用不安と大リストラにおびえているのはこういういきさつがあるからである。まず、今までの不況では首切りを極力避けてきた。首切りは尋常な手段ではなかったからである。事実、最低必要人員より多い人員が企業内にいた。これは新規採用による教育のコストを下げるためであり、かつての不況は短いものだったので、こちらのほうが良かった。また、これが全部雇用に寄与していた。第二に首切りは最終手段である国民の強いイメージがあるからである。企業のイメージが大幅にダウンしかねないという見えない圧力が存在した。第三に、さきほど実際はそれほどでもないと言った「終身雇用」への固定観念、信頼がある。みな首は切られないと思って働いている。そしてなにより、以前に大量解雇をした企業があった時、大争議に発展したという歴史的事実がある。これらの理由によって企業はぎりぎりまで人員を減らさなかった。ところが、いつまで続くか分からない現在の平成不況では、リストラという名前をたてに一斉首切りに走ったのである。これは今まで経験したことのない現象であった。

次に、日本の経済を支えたといわれる中小企業に目をやると、コスト削減による下請企業の海外依存と、高齢化による、廃業、労働者数の現象が進んでいる。この自営業離れは、市場が消費者物価を意識しすぎるあまり、コスト、生産性重視による競争激化、淘汰によるものである。さらに、核家族化と少子化がこれに拍車をかけている。これは不況時の大企業の受け皿がなくなることを意味する。また、経済的に苦しいので、当然女性のパートタイマー増も引き起こす。つまり、全部雇用が衰退を見せはじめ、非安定時代になりつつあることを示しているのである。

雇用不安、これは希望の仕事が見つからないということも含むだろうが、これからの日本の雇用の先行きの不安も含むであろう。近年、もはや社会全体で支えてきた、労働者を守り、弱者を守る規制や雇用体制が通用しないので、抜本的構造改革が必要であるという声が聞かれる。構造改革ブームとも言えるであろうか。果たして構造改革は、日本を救うのだろうか。

  構造改革の一つとして、アメリカの政策に代表される、規制緩和が挙げられる。アメリカは現在の世界でほぼひとり勝ちの状態で、まねすべきだという意見である。規制緩和は何をもたらすだろう。まず確実に言えることは、厳しい弱肉強食の時代になるということである。自営業層を支えてきた大店法という大型店を規制する法律がある。これによって、低価格競争に何とか耐えている商店街だが、これがなくなってしまうとどうだろう。自営業は間違いなく減るだろう、そして、失業者が増える。それに伴って福祉等のコストがさらにかかる。また、人気がなくなった町中心部はスラム化することも考えられる。当然犯罪も増える。これらは消費者利益に対してあまりに大きな代償と言える。また、大企業の受け皿として機能した中小企業も危うくなる。よって大企業も含めて失業率が悪化するのである。

注目されている派遣労働者についてはどうだろう。これは、企業にとっては賞与、退職金、教育がいらないというメリット、労働者にとっては、雇用増がみこめるのでよいという説がある。しかし、これについての効果は疑問視されている。逆に不安定になるだけという見方が強い。

そもそも、アメリカと日本との多くの違いを無視してまねしてよいものだろうか。それに全体としては好調な成長かもしれないが、先に見た高失業率状態や賃金格差、不安定さがあり、雇用不安におびえる人は多数いるのである。加えて、アメリカの利益は株式投資によるものがほとんどだが、これは危険でもある。まして、多くの国民が年金を株に投資しているのである。バブル化した経済、世界一の対外債務国と、不安要素も多い。

それでは規制緩和と構造改革、どちらをとるべきなのだろう。氏は以上の例を挙げて、大規模な構造改革、規制緩和によるメリットよりもデメリットのほうがはるかに大きい。経済的弱者にやさしく、従業員の生活保障がなされている全部雇用状態のほうが優れていると述べている。私も、氏の立場に立つ。氏も留保しているが、最も望ましいのは完全雇用である。しかしそれの実現には条件が多すぎる。また、実現しても、それは長続きしそうにない。また、危ないといわれてきたこの体制が、幾度の不況も乗り越えてきた事実がある。かつ手も不況のたびに構造改革が叫ばれたが、それでも日本経済は立ちなおってきた。戦後初のマイナス成長になり、高度成長が幕を閉じた第一次オイルショックが好例である。あの時も低い失業率を維持できた。日本型経営、雇用は悪くなかったのである。危険だというマスコミのあおりが、むしろ不安をかきたてているといえる。

 

 

第四章:全部雇用と女性進出

さて、ここで私は問題を提起したい。氏は全部雇用の維持が必要であると言っている。この全部雇用を成り立たせるには社会の状況によって柔軟に変化する、専業主婦層の存在が前提になっている。需要が増えれば労働力となり、需要が減れば非労働力となるこの存在は、いわばクッションの役割を果たしている。しかしながら、近年特に女性の社会進出が著しい。かつての、女性は主婦となり、家事、育児に専念するという考えは過去のものとなりつつある。離婚率、独身率も年々増え、一般男性より給料が高い女性も珍しくない。また、共働きも一般的になりつつある。これは、女性の働く意志もあろうし、経済的事情もあろう。19世紀のイギリス中産階級に、生活の質の向上を目指して誕生した、夫は外でフルタイムで働き、妻は家にとどまるというスタイルが近代家族と呼ばれてきた。ところが、主婦が家庭を守るという家庭は、もはや近代家族とは呼べないのではないかと私は思うのである。

  しかしながら、全部雇用、そして年功賃金制度には、女性に不利な面が多い。賃金を生活費の増加にともなって増やすというやり方は今まで男性のみに行われてきた。女性が中途退職する率も高いので、コスト的に良くないからである。しかし、徐々に増えている母子家庭や独身者にはこの制度は大きな痛手となる。そこで、女性の社会進出を念頭に置いた全部雇用の考え方が必要になる。抜本的構造改革のマイナス面は先ほど挙げたが、女性に今までのままでいろとは言えないので、何らかの方策が立てられなければなるまい。ここが、縁辺労働力を必要とする全部雇用の弱点であるといえる。

 

 

結論

  今までの日本の経済的、社会的安定の秘密は「全部雇用」にあることは明らかにされた。そしてそれが、完全雇用のようにベストの状態ではないにしろ、一億総中流を実現し、平和な生活を維持するベターな状態であることも誰もが納得できることであろうと思う。ここで不安のあまり、構造改革に走ってもマイナス面があまりに大きいのは述べた通りである。したがって日本雇用に大きな誤りはないといえる。これからもしばらくは不況が続くであろうというのが大勢の見方である。これからの社会で全部雇用を維持し、正当化し続けていくためには、日本人の個人主義化と女性の社会進出への対処が不可欠である。よってこの面においては部分的改革に意を注がねばならない。これが日本雇用における当面の課題であろうと考える。